インタビュー

鹿島建設の一級建築士から、SUPツアー事業者へ。社外の活動からライフワークが見つかった(山崎博史さん/ライフシフト年齢46歳)

「会社で何かやらかしたの?」。鹿島建設で一級建築士としてホテルなどの大型プロジェクトに従事していた山崎博史さんが、46歳のときにSUP(スタンド・アップ・パドルボード)ツアーなどを行う水辺の事業者として独立したとき、会社の上司も同僚も家族も大変驚いたそうです。山崎さん自身も安定した大企業を離れる決断をするまでには長い葛... 続きを読む

「ツーリストシップ」を世界へ。役職定年後のボランティアで見つけた「ワクワク感」を定年後の再雇用に結びつけた(桜井康広さん/ライフシフト年齢60歳)

飲料メーカーのダイドードリンコで営業、業務担当などを経験してきた桜井康広さん。55歳で役職定年を迎えたタイミングで、会社がスポンサードするツーリストシップ(旅先の人に配慮し、貢献し、交流を楽しむ姿勢やその行動)の活動と出会い、ボランティアで普及活動を行うように。その後、会社でもその活動が認められて、本定年の再雇用では、... 続きを読む

「これから暮らしたい土地」に出会ってライフシフトを決意。両親の介護経験とキャリアを活かして「50代からのリフォーム事業」で起業(古屋美紀さん/ライフシフト年齢57歳)

建設会社に雇用機会均等法1期生の女性総合職として入社し、マンション建築に関わる業務を担当してきた古屋美紀さん。40歳まで仕事を楽しみながら夢中で働いてきましたが、41歳から母親の介護が始まりました。仕事と介護の両立を頑張り続けていましたが、更年期障害の治療で出会った医師から「奴隷のような生活だね」と言われたことが心に響... 続きを読む

商社を退職後、52歳で輸入エージェントを起業。63歳で書籍執筆、73歳でイタリア語の通訳案内士資格を取得。学びと挑戦を続ける(三浦陽一さん/ライフシフト年齢52歳)

商社パーソンとしてロンドン、ミラノに駐在していた三浦陽一さんに転機が訪れたのは45歳のとき。長男、長女とは年が離れた次女が誕生し、娘が成人になるまで働けるよう定年のない仕事へのシフトを考えるようになりました。50歳で退職し、靴メーカーで1年半修行した後、52歳のときに起業。イタリアの靴を中心とした輸入エージェントとして... 続きを読む

66歳で保育園事務職を退職後、70歳でフォトグラファーデビュー。何ごとも先生について学び、「好き」を仕事に(松井和子さん/ライフシフト年齢70歳)

生まれ育った北海道・小樽で、保育園の事務職として定年後も働いていた松井和子さん。夫が47歳の若さで亡くなったため、20年近く一人暮らしをしていましたが、66歳のときに娘の出産・育児のサポートのため東京に移住されました。娘夫婦との同居で生活面でのお金は心配がなく、年金ももらっていましたが、やりたいことがいっぱいあってお金... 続きを読む

娘の誕生を機に会社員を卒業し、小さな町へ移住。家族との時間を楽しみながら、悩める父親を応援するメディアを運営(八木俊樹さん/ライフシフト年齢28歳)

大学卒業後、リクルートで営業職として活躍していた八木俊樹さん。しかし、転勤が多く、家族と一緒に暮らせない働き方に疑問を持つようになり、子どもが生まれたタイミングで退職を決断。「半育休、半フリーランス」生活を送り、さらには大阪から妻の実家のある徳島の小さな町へ夫婦で移住。営業支援やキャリアコンサルタントの仕事をしていまし... 続きを読む

入念に学んで55歳で起業したものの失敗。経営者として90歳まで働くためのアドバイスとは?(平井靖さん/ライフシフト年齢55歳)

性格的に会社員は向かないと考え、大学時代から起業を志していたという平井靖さん。けれども常識を学ぶために就職をし、転職や出向で7社を渡り歩きながら、53歳まで会社員を続けることになります。満を持して起業に踏み切ったのは、子どもが学校を卒業するタイミングでした。最初の2年間は準備期間として起業セミナーに通って経営について学... 続きを読む

自分らしく長く仕事を続けていくために55歳で早期退職。東京での人材ビジネスと下田での貸別荘経営で二拠点生活(石原洋子さん/ライフシフト年齢55歳)

博報堂を55歳で退職し、人材開発会社を立ち上げた石原洋子さん。同時に静岡県下田市で貸別荘の経営を開始し、東京と下田の二拠点で生活されています。縁もゆかりもなかった下田の町を夫婦で気に入り、将来的には根を下ろすつもりで家を建て、余った土地に貸別荘を作りました。飲むことが大好きな石原さんは、地元のお店で友だちを増やし、下田... 続きを読む

やり残したことは“子どもの教育”だと気づき、70歳で保育士、72歳でモンテッソーリ教師を取得。週3日、新米保育士として奮闘中(米内山幸孝さん/ライフシフト年齢70歳)

今春から保育士(モンテッソーリ教師)として週3日勤務している米内山幸孝さんは現在73歳。以前から行っている氣圧療法の施術と合氣道の指導も続け、3足のわらじを履く働き方を実践されています。これまでバーテンダー、アメリカでの仕事、翻訳家養成学校の責任者と、心の声に従って数々の仕事に就いてきた米内山さん。70歳を前にして保育... 続きを読む

「やりたいことをやっておけばよかった」。認知症の母の言葉に、自分の人生を生きようと決意。未経験のキャリアコンサルタントへ(坂東功規さん/ライフシフト年齢43歳)

17年間勤めた星野リゾートを退職後、43歳のときにキャリアコンサルタントに転身した坂東功規さん。キャリアパスが見通せなくなってからも退職するふんぎりがつかない中、後押ししてくれたのは、認知症を患っていたお母様の人生を悔いる言葉でした。退職後、やりたいことがわからなかった坂東さんは、本を読んでワークを行って自己理解を深め... 続きを読む

59歳で早期退職するまでの不安な日々をドキュメンタリー映画にして劇場公開。定年後は自分らしい自由な時間を楽しもうと覚悟できた(北浦宏之さん/ライフシフト年齢59歳)

レコード会社、広告代理店を経て、WOWOWのプロデューサーとして、約30年間、映像制作に携わってきた北浦宏之さん。58歳のとき、1年後に早期退職することを決意し、不安やモヤモヤなど、退職を前に自身が揺れ動く気持ちを映像として残すことにしました。すでに退職した先輩や、これから退職を迎える友人たちへもインタビュー。そしてサ... 続きを読む

大企業が変わらねば日本は変わらない。52歳のとき90歳の父を連れて大阪から東京へ。“多様性によるイノベーション推進”の志が転職の決め手に。(津田恵さん/ライフシフト年齢52歳)

さまざまな壁にぶつかりながらも、大阪ガスで女性初の部長になるなど30年間キャリアを積み重ねてきた津田さん。仕事をしながらグロービス経営大学院で学び、自分が社会に貢献できることは何かと考え、“多様性によるイノベーション推進”という志を持つようになりました。その志に合致した仕事ができる場所として日立製作所を選び、52歳で転... 続きを読む

おばあちゃんになるまで働くために、会社員を卒業してフルーツパフェ店を開業。必要なスキルはアルバイトで身に着けた(鈴木瑞穂さん/ライフシフト年齢48歳)

東京・平和島のフルーツパフェ店「Safi」のオーナーである鈴木瑞穂さん。空き家となった元質屋だった古い実家を改装して2022年にオープンし、行列ができる人気店になりました。「Safi」ではアートも楽しむことができ、カフェの2階を使って展覧会も開催しています。もともと美術館や科学館での仕事に長らく携わってきましたが、この... 続きを読む

人生100年時代をどう生きるのか?自分探しの旅の先にあったのは、「社内起業」という意外な選択肢だった(寺尾雄二郎さん/ライフシフト年齢50歳)

精密小型モータを開発する長野の会社・シナノケンシで人事の仕事に携わってきた寺尾雄二郎さん。父親の育児支援や、仮装マラソン大会への参加など仕事以外の場でも精力的に活動し、地域の人たちとのつながりを深めてきました。48歳のときに「人生100年時代」の生き方を考えるワークショップに参加して「笑顔いっぱいで暮らせる社会をつくる... 続きを読む

49歳で役職から外れても腐らず学び続け、58歳で希望の国際業務部門へ。シニアがチャレンジする姿を同世代や若手に見せたい(長井伸之さん/ライフシフト年齢58歳)

製薬会社エーザイでMRとして活躍してきた長井伸之さんが、部長職を外れたのは49歳のときでした。会社員人生初の挫折でしたが、会社に残るという選択をした長井さんに、58歳で再び転機が訪れます。応募者が20代~30代の若手中心だった社内研修「グローバルチャレンジプログラム」に応募し、最年長で合格。9か月間の研修を経て、興味を... 続きを読む