レコード会社、広告代理店を経て、WOWOWのプロデューサーとして、約30年間、映像制作に携わってきた北浦宏之さん。58歳のとき、1年後に早期退職することを決意し、不安やモヤモヤなど、退職を前に自身が揺れ動く気持ちを映像として残すことにしました。すでに退職した先輩や、これから退職を迎える友人たちへもインタビュー。そしてサラリーマンの退職劇をテーマにしたドキュメンタリー映画「365DAYs+」を完成させます。映画を作ったことで、定年後をどう生きるかが見えてきて、「会社から解放されて、自由な時間を楽しもう」という人生観に目覚めました。その結果、フィリピンをはじめ多拠点生活計画も進行中で、映画第二弾も計画中です。退職までの日々にとことん向き合った北浦さんのライフシフトをうかがいました。
北浦宏之さん(NO.119/ディレクター)
■1962年生まれ。神奈川県出身。新潟大学農学部林学科卒業。レコード会社のCBSソニーに就職し、通販や音楽事業に携わり5年で退職。広告代理店で2年勤務後、29歳のときに開局したばかりのWOWOWに転職。約30年間、さまざまな番組の映像制作を担当し、59歳で退職。東京都立産業技術大学院大学の学生をしながら、2023年にドキュメンタリー映画「365DAYs+」を発表。映画監督としてデビューし、現在は次回作の構想を練っている最中。
■家族:妻、長男、長女
■座右の銘:辛抱我慢(映画「シコふんじゃった。」の影響です)
“変人採用”で農学部から考えてもみなかったメディア業界へ就職
もともと山が大好きで、新潟大学農学部林学科に入学しました。就職は森林パトロールの仕事ができる国家公務員を目指していましたが、上級試験に落ちてしまい、民間企業に就職することになったのです。専門商社から内定をもらい、就職するつもりでしたが、のちに勤務地が東京ではないとわかったため、違う会社を探すことにしました。
しかし、時期がずれたことから受験できる会社は就職協定を守っていたマスコミ系が中心。その分野はまったく自分には縁がないと思っていたのですが、選択肢がないので仕方なく受験したのです。その中でCBSソニーはすぐに内定をもらえたので、入社を決めました。音楽は好きでしたが、レコード会社に採用されるとは思っていませんでした。会社からは「農学部出身なんて変わってるね」と面白がられて、いわゆる“変人採用”というやつです。少数派の変わった視点も求められていたのでしょう。
入社後は通信販売の事業部に配属された後、花形の音楽チームへ異動になりました。しかし仕事になると、好きだった音楽を純粋に楽しめないことがわかり、次第に苦痛を感じるようになりました。当時は80年代で世の中はバブルです。人気を博していたホイチョイ・プロダクションが作った漫画「気まぐれコンセプト」を読んで、「広告代理店でテレビの仕事をしてみたい」と考えるようになり、広告代理店に転職することにしたのです。しかし、ここも長続きしませんでした。広告制作は当然ながら、お客様のニーズに完璧に合ったものを作るのが仕事です。制作には興味がありましたが、どうしても面白いと思うことができず、結局2年で辞めてしまいました。
映像制作の専門職でサラリーマン生活を謳歌
ちょうどその頃、WOWOWが開局社員を募集していて、映像制作ができるということで、転職しました。できたばかりの会社だったので、混沌としていて自由でしたし、企画もどんどん通りました。当時は製作費も使うことができ、自分がやりたいと思った仕事を手がけることができました。もちろんサラリーマンなので楽しいことばかりではありませんでしたが、独立しようと思ったことはありません。フリーでやっていけるほど才能に恵まれていないことはわかっていたので、コツコツと積み重ねていくしかなかったのです。
創ることが好きで、管理職となって現場を離れるのはイヤだったので、専門職を選択し、プロデューサーとして数々の番組を制作してきました。アニメ、ドラマからアカデミー賞やグラミー賞の中継なども担当し、海外に行くことも多かったです。
転職しながらも、大学を卒業してからずっと会社員を続けてきたのは、サラリーマン生活の居心地がよかったからでしょう。若いときは「50歳で退職しよう」と考えていましたが、実際に50歳になってみるとふんぎりがつきませんでした。しかし、58歳のときにいよいよ退職を意識しなければならなくなりました。会社のルールで、早期退職、定年退職、延長雇用のいずれかを選択する意思表示を迫られたのです。
58歳で早期退職を決意し、揺れる気持ちをスマホで映像として残す
59歳で早期退職をすれば、退職金が少し上積みされるため、お金の面では一番よい選択だと思えました。家族は妻も働いており、子どもも社会人になっています。私はゴルフもしないですし、贅沢な食事にも興味がないので、退職して経済的に困窮することはなさそうでした。
しかし、お金に不安はなくても、36年続けてきたサラリーマンを辞めることへの不安や寂しさはあります。定年退職について書かれた本はたくさんありますが、退職後の手続きやマネープラン、精神論を説いたものばかり。退職するときの気持ちが書かれた本はなく、サラリーマンの皆さんがどういう気持ちで退職に臨んでいるのか知りたくなったのです。
「中年の危機」と世間では言われますが、茶化してはいけません。誰でもその時は来るわけで、みんな多かれ少なかれ悩んでいるはずです。そこで自分の退職までの日々を映像で残そうと考え、スマホで撮影を始めたのが、ドキュメンタリー映画「365DAYs+」の制作の始まりです。一番自分らしい方法で退職というイベントに参加するのは、映画を作ることしかないと思い立ったのです。
先輩や友人に映画に出てもらい、責任感が生まれた
ドキュメンタリー映画「365DAYs+」では、20人ほどの先輩や友人にインタビューし、退職する際の気持ちや退職後の生活について語ってもらいました。ある友人は「人間は生まれたときから死刑になる(死ぬ)ことが決まっている。生きている時間はどんどん減っていくのだから、毎日楽しく生きることが大事。歩けなくなったらどこにも行けなくなるので、今のうちに好きなところに旅をしなくては」といった話をしてくれました。退職してから元気でいられる時間は、個人差はあれ長く続くわけではありません。映画を撮ったことで、これからの人生を楽しもうとあらためて思えたのです。
また、私が退職した日、家に帰ると、家族が花束、ケーキ、メッセージを用意して待ってくれていました。退職祝いに欲しかったギターも贈ってくれて、退職を通して家族の大きな愛情を感じることができてうれしかったです。
一方、映画でインタビューをしていくうちに心の中で大きくなっていったのは「映画を作る責任感」でした。客観性を保つために、顔は出しても名前は出さない形で登場してもらいましたが、友人たちは一抹の寂しさや心の痛みなど、これまで話したことがなかった心のうちを私に打ち明けてくれているわけです。その真摯な思いを大切に扱わなければならないと、心に踏み込んでしまった責任を強く感じました。
これまで仕事で数々の番組を制作してきましたが、そのときは視聴者と会社のために作っていました。サラリーマンだったのでそれが当然です。しかし会社を離れて、自分で資金調達し、すべて自分の責任で映画を作るようになると、仕事のときとは心境が少し異なります。一人でも感動してくれる人がいるならそのために作ろう、1万人の「いいね!」を獲得するより、一人が涙してくれることがうれしいと思うようになったのです。
純粋な気持ちで映画を作ることが楽しく、第2弾も企画中
「365DAYs+」を作ったのは、退職後にビジネスをもくろんでいるとか収益目的ではありません。目の前に「退職」という面白いネタが転がっていたからというのが動機で、学生が映画を作るような気持ちに近いと思います。実際作ってみるとこんなに素晴らしい、純粋な経験はありませんでした。「この先、映画はAIで作れるようになる」という人がいますが、こんなに心がゆさぶられる経験をAIにやらせるなんてもったいない限りです。AIで作られたものにはムダがありません。言い換えれば想いがないのです。私は想いを伝えたいのであり、ムダの必要さを世に問い続けたいのです。私たちは、新しいことが最良と考えがちですがそれは目的次第です。
今はテクノロジーが進化して、スマホとノートPCだけで、ハイレベルな映像を制作できる時代です。今回の映画は、編集、サウンドミキサー、ナレーションは専門のスタッフにお願いしましたが、高価な撮影機材を用意する必要はありませんでした。身軽に映画を制作できるのでチャレンジもしやすかったのです。
ただ、映画を作ってみて、まだまだ伝えきれていないことがあり、やりきれていないという感覚が残りました。登場してくれた友人たちのためにもぜひ第2弾を作りたいと目論んでいます。
フィリピンで永住ビザを取得し、デジタルノマドのような暮らしに
じつは退職後、フィリピンに滞在してリタイアメントビザを取得しました。もともと海外をあてもなくぶらつくのが好きで、漠然と海外移住ができるビザを取りたいという気持ちを持っていました。日本が好きですし、海外に永住するつもりはないのですが、世界情勢を鑑みて地政学上のリスクヘッジを考えることが多くなり、住む場所の選択肢があったほうが冷静に日本を俯瞰できると思ったのです。
もともとはアメリカでのビザ取得を考えていましたが、円安のため経済的に難しく、アセアンに目を向けました。なかでもフィリピンは50歳以上であれば、ほぼ無条件で永住可能なリタイアビザが取れるのです。フィリピン=犯罪のようなイメージを持つ人も多いかもしれませんが、首都マニラ中心部の外国人エリアにはタワマンが立ち並び、街は整備されています。Airbnbで長期滞在ができ、食費も安く、ローコストで生活ができるのも魅力です。日本から飛行機で4時間半ですし、英語も通じます。そして人種や食、習慣も異なる明らかな外国で、刺激にあふれています。
私の場合、映画制作はどこにいてもできるので、70%は日本の自宅、30%は日本・海外のどこか、そしてフィリピンをベースにアセアンを探索しようと考えるようになりました。時間に追われず、知らない場所を旅したり生活したりして、初めての経験をするのは退職したからこそ実現するものです。
今はいわゆるデジタルノマドのような暮らしですが、映画製作は残念ながらまだまだ赤字、売れない画家や役者のような身分です。私の今の収入源は退職金ですが、不動産が好きで手堅く不動産投資、株式投資をサラリーマン時代から行ってきたので、それらも助けになっています。映画の中でも触れていますが、老後のお金に不安を持たないためにも、退職する前にお金についてのリテラシーを身に付けておくことは大事だと思います。
幸せな人生に必要なのは、刺激と好奇心、自由のバランス
退職して充実した日々を送っているように思われるかもしれませんが、じつは会社を辞めてしばらくたったある日、ふと息苦しさを感じました。最初はその理由がわからなかったのですが、ビザの取得のためフィリピンに滞在して気づいたのが「文明のノイズ」にやられていたということです。日本にいると、コンプライアンス、環境問題などの正しいルールをテレビやスマホを通じて1日中聞かされていて、暗いニュースが多く、知らず知らずのうちに気持ちが滅入っていました。
一方、フィリピンではみんな生きることに一生懸命で、よく笑い、年長者を大切にし、経済的に豊ではなくても幸せそうな人がたくさんいます。フィリピンに滞在して、幸せは数字で表せないものなのだと気づくと、文明のノイズから解放され、「自分らしく生きればよいのだ」という気持ちをあらためて持つことができたのです。そして、今まで以上に日本への愛情が深まりました。
サラリーマン時代は、多くの刺激を会社が与えてくれます。時間は奪われますが、金銭の自由は得られます。刺激と好奇心、自由のバランスが良いほうに傾いていれば幸せな人生が送れますが、すべてをバランスよく満たしてくれる会社はなかなかないでしょう。よりよい人生にするには、好奇心を鍛え、自分で自由を阻害する要因を減らしていくことが大切です。
以下は私が作った「素晴らしい人生の方程式」なので、参考にしてみてください。
若い人たちと一緒に大学院で学ぶことも刺激に
せっかく会社から解放されて、自由に使える時間がある中で、つまらない世間のルールに足をひっぱられて、やりたいことをしないのはもったいないと思います。だから私もこつこつ自分ができることを通じて、大好きな日本が、そして大好きな日本人が楽しく毎日過ごせるような映画を作っていきたいと思っています。
また私はもともと勉強することが嫌いではなく、退職したら新たに何かを学びたいと考えていました。せっかくだからまったく知らない分野にチャレンジしてみたくて、東京都立産業技術大学院大学を選び、プログラミングを含め、最新技術を使ったハイテクを学んでいます。若い人たちが当たり前に使っているツールでも、おじさん学生はまったくわからないので、最初のひと月は「ついていけるだろうか」と焦りました。でも次第に人生経験を積んだおじさん学生のプレゼンスが上がっていき、若い人たちと一緒に授業を楽しめるようになりました。今年は映画制作とフィリピン移住のビザ取得の関係で休学中ですが、また復学してちゃんと卒業する予定です。
退職に不安や迷いがある人はぜひ映画をご覧いただき、これからの人生を楽しく生きるための自分なりの方程式を見つけてみてください。
(取材・文/垣内 栄)
北浦宏之さんの映画「365DAYs+」の特別上映会とトークショーを8月3日(土)14時~東京都品川区で開催します(参加費無料)。詳しくはこちらをご覧ください。
*ライフシフト・ジャパンは、数多くのライフシフターのインタビューを通じて紡ぎだした「ライフシフトの法則」をフレームワークとして、一人ひとりが「100年ライフ」をポジティブに捉え、自分らしさを生かし、ワクワク楽しく生きていくためのワークショップ「LIFE SHIFT JOURNEY」(ライフシフト・ジャーニー)を個人の方及び企業研修として提供しています。詳細はこちらをご覧ください。