今春から保育士(モンテッソーリ教師)として週3日勤務している米内山幸孝さんは現在73歳。以前から行っている氣圧療法の施術と合氣道の指導も続け、3足のわらじを履く働き方を実践されています。これまでバーテンダー、アメリカでの仕事、翻訳家養成学校の責任者と、心の声に従って数々の仕事に就いてきた米内山さん。70歳を前にして保育士になろうと思った背景には、子育ての経験がなく、子どもと向き合ってこなかったのが「人生でやり残したこと」だと気づいたからでした。年齢にとらわれずチャレンジを続ける米内山さんのライフシフトをうかがいました。
米内山幸孝さん(NO.121/認定こども園・保育士(モンテッソーリ教師))
■1951年生まれ、東京都出身。早稲田大学商学部中退。1975年に株式会社樽に入社し、バーテンダーとして3年勤務。その後、渡米して2年間働いた後、1981年に株式会社バベルに入社。翻訳家養成学校の責任者として11年勤務。43歳のときに「よないやま氣圧療法研究所」(合氣道に基づく指圧法)を開設。47歳のときに心身統一合氣道荻窪武蔵野教室を立ち上げる。70歳のときに保育士免許を取得。東京国際モンテッソーリ教師トレーニングセンターに2年通い、ディプロマ(3-6歳)取得。2024年3月より都内の認定こども園に保育士(モンテッソーリ教師)として週3日勤務(契約社員)。noteに「モンテッソーリ・ノート」を掲載中
■家族:独身
■座右の銘:あなたの教師は変装して現れる
興味のある分野でさまざまな仕事を経験
私はこれまで自分の心の赴くままに、「面白そうだ」と思った仕事に就いてきました。大学時代はちょうど大学紛争の時期で、勉学への意欲を失い、卒業せずに中退という道を選びました。料理に関心があったので、スキルを身につけて飲食の分野で生きていこうと思い、調理師学校に通って調理師免許を取得しました。在学中はワインの授業があったのですが、その内容がとても奥深かったので、お酒を扱うお店で働こうと考えました。ワインの授業の先生に相談したところ、先生が経営されている株式会社樽(飲食業)で採用してくださるとのことで、就職することになったのです。
私はバーでおつまみとお酒を作るのが仕事で、そこで3年間働きました。退職したのは、親戚からアメリカの会社で働かないかという話がきたからです。海外に興味があり、違う世界も体験したいと思ったので、バーを辞めてロスへ渡米しました。私が働くことになった会社は、レストランを始め、ディスコ、不動産、映画関係など手広く事業を行っていました。私は社長の運転手、ヒットしているレコードの買い付け、モーテルの管理人、バーのスタッフなどさまざまな業務を経験させてもらいました。もちろん英語の勉強もしました。
ただアメリカに永住するつもりはなかったので、2年後に帰国し、今度は翻訳家の養成を行う株式会社バベルに就職しました。帰国後に何をするか決まっていなかったのですが、日本に戻るとアメリカと日本の文化の違いをあらためて実感し、異文化コミュニケーションに重要な役割を果たす翻訳業界に興味を持ったのです。
会社では総務や経理の仕事を担当し、大阪の翻訳家養成学校に異動してからは、スクールのマネジメント、広告・宣伝といった業務を担当しました。会社員として11年間働きましたが、会社でもいろいろあり、当時はしりだったITをニューヨーク大学で学ぼうと留学準備を始めました。
ただ、そのタイミングで父が亡くなり、高齢の祖母と母を残して海外に長期で行くのが難しくなったので、会社を辞め、いったん東京に戻って今後のことを考えることにしました。私もちょうど40歳を過ぎた頃で、これまで自分の好きなことをして生きてきましたが、もっと人の役に立つことがしたいという気持ちも強くなっていました。また会社員ではなく、独立して働きたいという思いもありました。
「人様に役立つ仕事」を志し、合氣道の世界で治療家・指導者に
次は何を仕事にしようかと考えていたとき、興味を持ったのが外国人に日本語を教えるメソッド「サイレントウェイ」です。フランスでセミナーがあったので、参加するつもりで70万円の費用を準備していましたが、思いがけず中止になってしまいました。その頃、体調を崩し、1か月経っても原因がわからず、学生時代にやっていた合氣道の道場を訪ねることにしました。そこで出会ったのが「氣圧療法」という治療法でした。氣を送って心身の不調を改善する方法で、心身統一合氣道(藤平光一が創始者の合氣道の一流派)に基づいた健康法です。氣圧療法が学べる講座の費用がちょうど70万円だったことに驚き、「サイレントウェイよりもこっちにお金を使いなさい」と導かれているように感じて、学ぶことにしたのです。
講座は医学的な講義のほか、生徒同士で実践し合うのですが、私の施術は評判がよく、たくさんの人に喜んでもらえました。「これなら人様の役に立てるのではないか」と自信が出てきて、「氣圧療法」を仕事にすることに決め、43歳のときに「よないやま氣圧療法研究所」を開設しました。
治療にいらっしゃるのは、痛みのある方や精神的に不安定な方、西洋医学では治療法がない方が多かったです。私は背中や頭に手を当てて差し上げることで氣を送ります。また、身体の使い方や気持ちの整理の仕方といったお話をしたり、呼吸法を指導したりするなどして、心身の不調の改善をサポートしてきました。その後、心身統一合氣道荻窪武蔵野教室を立ち上げ、合氣道の指導員として稽古も行うようになりました。
定年退職後に保育士となった男性に影響を受け、試験勉強を開始
こうして30年近く、氣圧療法での治療と合氣道の指導を続けてきましたが、転機となったのはコロナ禍でした。どちらも対面なので仕事ができなくなり、別の仕事をすることを考えるようになったのです。
そんなとき、たまたま定年退職後に保育士となった高田勇紀夫さんのテレビ番組を見る機会がありました。そして「自分がやり残したことはこれかもしれない」という思いがわいてきたのです。私は独身で子育ての経験がなく、これまで子どもと向き合うことがありませんでした。合氣道で子どもを教える機会がありましたが、納得のいく形で子どもたちの成長の助けができなかったという思いも持っていました。高田さんの番組を見て、65歳でも保育士になれるという事実に勇気づけられ、まずは保育士免許を取得しようと思ったのです。私は当時69歳でしたが、保育士試験には年齢制限は設けられていませんでした。フェイスブックで高田さんに友だち申請をしてご挨拶させていただき、ご著書の『じーじ、65歳で保育士になったよ』(幻冬舎)を読んで、副題の「シニアたちよ、待機児童のために立ち上がれ」にもいたく共感しました。
それが2020年2月のことですが、まずは6月末に行われる保育士の前期試験を目指しました。準備期間が5カ月もなかったのですが、とにかく勉強するのみです。過去問題を解くことから始めましたが、SNSも勉強に役立ちました。ツイッターの「桜子先生の保育士試験合格メソッド」では科目の対策ポイントを公開されており、個人的にも桜子先生とつながって、アドバイスをいただきました。実技は音楽と言語を選びましたが、ピアノは楽器店で保育士試験対策コースのレッスンを受けて練習しました。
一方、6月の前期試験はコロナ禍で中止になり、10月の後期試験を受けることになりました。少し勉強時間に余裕ができて、8科目中の7科目に合格しました。残り1科目と実技試験は翌年に合格し、70歳で保育士免許を取得できたのです。合格したことを高田さんにお知らせしたかったのですが、その前に高田さんが急逝されたとうかがい、残念でなりません。
70歳での就職は難しく、モンテッソーリ教育を学ぶことに
保育士免許を取得後、就職活動を行いましたが、70歳という年齢がネックになりました。自分で応募するほか、桜子先生にもご紹介を頼みましたが、採用には至りませんでした。そこでもう少し専門的な資格を持っていれば年齢の壁を超えられるのではないかと考え、興味を持ったのがモンテッソーリ教育です。
モンテッソーリ教育とは、イタリア初の女性医師であり、精神医学者、社会改革者、フェミニスト、平和主義者でもあったマリア・モンテッソーリ(1870~1952)が、子どもの発達を援助するために実践した教育です。モンテッソーリは著書『新しい世界のための教育』(青土社)で次のように述べています。
「私たちがしなくてはならないことは、子どもが自分で行動し、自分の意志を持ち、自分で考えることができるよう援助することなのです。これが精神に仕えることを選んだ者のとる道なのです。その信念どおりに精神のあらわれをむかえることができるのが、教師の喜びなのです。ここに本来のあるべき姿の子どもが生まれます」
「精神に仕える」という言葉に強烈な衝撃を受けました。モンテッソーリという先駆者を知り、その精神性の深さを追い求めながら、この道を歩んでみたいと思ったのが、モンテッソーリ教育を学ぶきかっけとなりました。
私が指導してきた合氣道との共通点もありました。モンテッソーリ教育の場合、子どもが暴れ回ったり、言うことを聞かないのは、本来の子どもから横に逸れているだけで、その障害となっているものを取り除いて、本来の姿に導くのが教師の役目だと考えます。合氣道も、トレーニングを頑張るのではなく、その人が持っている力を妨げてるものに気が付いて外していく、そうすると、本来の力が身体的にも精神的にも表れてくるという考え方です。どちらも表面的に見えているものではない、本来の姿を追求するところが似ていて、モンテッソーリ教育にすっと入っていくことができました。
2022年から町田にある東京国際モンテッソーリ教師トレーニングセンターの夜間部に週2回、2年間通い、ディプロマ(3-6歳)を取得しました。クラスの生徒は20代女性が中心ですが、1割は男性でした。40代、50代の女性もいましたが、私は70代の男性という異色の存在で、同級生の皆さんには驚かれました。
学校では130種類の教具をわかりやすく子どもに提供する方法を学びます。実技試験ではその130種の中から、くじ引きで4つの分野を指導しなければならず、試験の2カ月前からはほぼ毎日学校に来て、同級生と練習をしていました。
就職活動は希望を出すとトレーニングセンターが斡旋してくれます。年齢にとらわれない考え方で、無事に就職先が決まり、現在はこども園に週3日、8時30分~14時まで勤務しています。
心の声を聞いてやり残した仕事をまっとうする
実際に働いてみると、覚悟はしていましたが大変です。子どもはみんなかわいくて楽しいのですが、いろんな子どもがいるので、ひとりひとりに合わせてサポートしなければなりません。子どもは大人だったら遠慮して言わないことをはっきり言いますし、ハッとさせられることも多いです。
また、仕事をするうちに改めて保育士業界の課題も思い起こしました。保育士を目指した当初は、「保育士不足という社会問題の解決に寄与したい
という考えがありましたが、複雑に絡み合う問題があり、保育士を新たに増やすというだけでは、解消できるものでもない感じを持つようになりました。保育士資格者はいるのに、現場で働いていない人も多く、給与などの待遇面、責任の重い、多岐にわたり長時間になりがちな業務、人間関係など、難しい状況があります。できるものなら、様々な保育士さんが抱える悩み、問題を世に問い、改善していける働きかけを、何らかの形でできないものかと思っています。
精神科医のエリザベス・キューブラー・ロスは著書『「死ぬ瞬間」と死後の生』(中公文庫)の中で、「あなたの教師は変装して現れます」と述べていますが、今の私にはまさに子どもたちが教師です。同著では次のような文章もあります。
「学ぶべきことはいずれにせよ何らかの形で学ばなければならないということ、そして、学ばなければならない理由はあなた自身にあるということです」
私だけでなく、多くの方はやり残したことを持っているのではないでしょうか。定年後、心の声を聞いて、発見したことがあれば、ボランティアでもいいのでやってみるのがよいのではないかと思います。私も保育士免許を取得したら仕事に就けると思っていたわけではありませんが、そこからさらに興味を深めていくことで、保育士として働けるようになり、大きな学びをもらっています。
私自身の経験から言うと、病気やケガがきっかけで心の声に気づくことも多いと感じています。病気やケガはしたくないですが、限りある命や健康の大切さを実感することで、自分が本当に望んでいることが見えやすくなる機会でもあります。一方で、世間にあふれているさまざまな情報が心の邪魔をします。スマホやネット、SNS、テレビ、新聞などから週に一日でも離れる習慣をつけておくと、“聞こえる心”を調えることに近づくのではと推測します。
人生100年時代ですが、先々のことはあまり考えていません。今やりたいことをやって、それを続けていければ幸せです。
(取材・文/垣内 栄)
*ライフシフト・ジャパンは、数多くのライフシフターのインタビューを通じて紡ぎだした「ライフシフトの法則」をフレームワークとして、一人ひとりが「100年ライフ」をポジティブに捉え、自分らしさを生かし、ワクワク楽しく生きていくためのワークショップ「LIFE SHIFT JOURNEY」(ライフシフト・ジャーニー)を個人の方及び企業研修として提供しています。詳細はこちらをご覧ください。