大学卒業後、リクルートで営業職として活躍していた八木俊樹さん。しかし、転勤が多く、家族と一緒に暮らせない働き方に疑問を持つようになり、子どもが生まれたタイミングで退職を決断。「半育休、半フリーランス」生活を送り、さらには大阪から妻の実家のある徳島の小さな町へ夫婦で移住。営業支援やキャリアコンサルタントの仕事をしていましたが、友人が「男性の産後うつ」になった話を聞いて一念発起。令和の父ちゃんのありのままを伝え、自分らしい父ちゃん像を考えるリアルメディア「TOCHANTO(とうちゃんと)」を立ち上げました。会社員を卒業し、移住生活をして自分がやりたいことを見つけるまでのライフシフトをうかがいました。

PROFILE

八木俊樹さん(NO.124)

■1994年広島県生まれ。2016年大阪教育大学卒業後、株式会社リクルートライフスタイル(現・株式会社リクルート)入社。飲食店向け広告媒体の営業職に従事し、マネジメントも経験。2022年に長女が誕生したタイミングで「家族との時間を最大化させたい」と考え、会社員生活から卒業。「半育休、半フリーランス」生活を送り、2024年に妻の実家のある徳島へ移住。独立後は、企業の営業支援やキャリアコンサルタントとして大学生、若手社会人のキャリア支援を行う。2024年から父親向けリアルメディア「TOCHANTO(とうちゃんと)」を本格始動。

■家族:妻、長女

■座右の銘:人生100年時代を自分らしく生きる

教師を目指していたが、会社員で働きがいを見出す

僕は学生時代サッカーをしていて、高校時代の顧問の先生にすごくお世話になりました。自分も将来は恩師の先生のような人の将来に携わる仕事がしたいと考え、教師を志していました。大学4年生のときに教育実習に参加していたのですが、 ある生徒から「自分に向いてる仕事ってなんだと思う?」と聞かれました。しかし、僕は答えることができなくて、「僕自身が社会を知らないのに生徒の将来の役に立てない」と感じたんです。そのため「自分が一度社会に出てから教師になろう」と考え、民間企業への就職に切り替えました。とはいえ、いずれは教師になって企業は辞めるつもりだったので、新卒でも3年半の契約社員として入社できる、リクルートライフスタイルを選びました。

入社後は『ホットペッパー』という飲食店向け広告媒体の営業を担当することになりました。仕事が面白かったこともあり、契約満了の3年半では辞めず、正社員として会社には結局合計7年弱在籍することになりました。4年目からは部下を持つようになり、部下の将来に携わることになります。「人の将来に携わる仕事がしたい」という思いは変わらなかったのですが、教師以外にも人の将来に関わる方法はあるとわかり、会社に残る決断をしたのです。

入社3年目。約2000名の営業の中から年間表彰を受賞した。

娘の誕生をきっかけに、後先考えず退職

仕事にやりがいを感じていましたが、「この働き方を続けるのは難しいかもしれない」と思うようになったのは、結婚がきっかけでした。入社4年目の26歳のときに結婚をしましたが、当時僕は岡山県で働いていました。妻は大阪で仕事をしていたので別居婚でのスタートだったのです。会社には「大阪に戻りたい」と希望を出していたのですが、次の勤務先は熊本という辞令が……。それまでは「早く出世したい」「活躍してどんどんステージを上げていきたい」と思っていて、退職という選択肢はありませんでした。異動も成長するチャンスだと思ってきましたが、結婚したことで、家族との生活が犠牲になる転勤に違和感を感じるようになっていました。熊本に赴任してからも「大阪に異動したい」と上司に訴え続け、1年後には大阪に戻れることになりました。ただ会社にいる限りは、今後の転勤も避けては通れず、また数年後に同じ悩みを抱える可能性があります。転職も視野に入れ、熊本では仕事をしながら、キャリアコンサルタントという国家資格を取得しました。

会社を辞める決定打となったのは、娘の誕生でした。娘が生まれた瞬間「やっぱり家族で一緒にいたい」という思いが純粋に強くなり、その1ヶ月後には後先考えることなく上司に「退職します」と告げたのです。辞めた後、どんな仕事をするかは一切考えず、「とにかく家族と一緒に暮らす」という決断を最優先しました。妻からは「お金に困ったら働いてね」と言われましたが、 当面は貯金もありましたし、妻も公務員として仕事を続けていたので、会社を辞めることへの抵抗はありませんでした。

生まれたての娘と初対面。このあと会社員を卒業しようと決意。

また、同時に娘の誕生によって「人生100年時代を自分らしく生きるとはどういうことなんだろう?」という問いも浮かびました。しばらくは「半分育休、半分フリーランス」として働きながら、自分が本当にやりたい事業をじっくり考えることにしたのです。“ライスワーク”として前職の経験を活かして企業の営業支援をしたり、キャリアコンサルタントとして大学生、若手社会人のキャリア支援を行っていました。

家族の暮らしを考えて、妻の実家の徳島へ移住

妻は大阪で公務員として働いていましたが、出産後、育休を取得していました。ようやく家族3人が大阪で一緒に暮らせるようになりましたが、僕は広島出身、妻は徳島出身で大阪に地縁はありません。そのため、共働きで子どもと一緒に暮らすなら妻の実家のある徳島に移住したほうがいいのではないかと考えるようになりました。

妻が里帰り出産をしたこともあり、僕も徳島へ行くことが多かったのですが、山も海も川もある豊かな自然環境に魅かれました。妻の両親がサポートしてくれるのも心強かったです。人口3500人程度の小さな町なので、保育園の子どもは1学年10人にも満たない状況です。でも先生は多くて手厚く子どもをみてもらえるのも安心だと思いました。人が温かく、「久しぶりにこんな小さい子見たわ〜。」と笑顔でおじいちゃんおばあちゃんが言ってくれる町は、僕たちにとってはすごく居心地のいい環境だと感じました。

妻は育休中に徳島県の町役場の公務員試験を受けて合格し、採用が決まったタイミングで徳島に移住しました。

町の仲間と一緒に畑をスタート。

男性でも「産後うつ」になると知り、衝撃をうける

会社を辞めたあとはライフシフト・ジャパンのワークショップも受講し、仕事のビジョンは「人生100年時代を自分らしく生きる」に決めました。当初はキャリアコーチングを生業にしたいと考えていましたが、キャリアコーチングを受けてくれた方が、数ヶ月後にまだ悩んでいて、行動が変化していないことがありました。もちろん、僕のスキル不足も大きな原因だと思うのですが、同時に僕がすべきこと、本当にやりたいことはキャリアコーチングではないのではないかと考えるようになったのです。

そこで、あらためてビジネスプランを考えるために、社会起業家のための 3ヶ月間の集中講座を受講することにしました。そのタイミングで、「男性の産後うつ」に悩んでいる友人と再会したのが大きな転機となりました。彼は営業マンとしてバリバリ働きながら、仕事も家族も大事にしたいと頑張っていたのですが、産後にうつで休職することになり、家族とも一時的に離れて実家で療養することになってしまいました。その話を聞いたとき、同じ父親仲間として雷に打たれたような衝撃が走ったのを覚えています。自分は会社を辞めて娘の生後1年をのんびり過ごしたので、うつにはなりませんでしたが、会社員のまま働いていたら同じような苦しみを味わっていたかもしれません。自分も父親という立場だからこそ、父親が抱える問題に向き合えるのではないか。こんな苦しい思いをしている父親仲間のために何か力になれることはないだろうかと考えるようになりました。その思いから講座内で「TOCHANTO(とうちゃんと)」という事業のビジネスプランを完成させ、2024年1月から実際にプロジェクトとして動き出しました。

男性育休や働き方改革が推進されていますが、「6ヶ月以上男性育休を取ることできる?」「仕事を移動時間含めて1日10時間未満で抑えることできる?」と問われれば、会社員時代の僕は「はい!」とは絶対に答えられなかったですし、どうやったらそんなことできるのか見当がつきませんでした。

また、仕事の相談、家族の相談は、気軽にできないという現状もあります。男性の変なプライドが邪魔をして弱音を吐く場がほとんどないというのは僕も実感しているところです。

他にも、父親目線の情報が少ない、気軽に学べる場がわからないというのも問題です。妻の妊娠中に何か学んだり行動したりすることもなく、気づいた時には妻と知識に圧倒的な差が生まれていました。僕は抱っこのやり方すらわからず、産後こっそり枕で練習していました(笑)。

こういったことが、男性の産後うつを引き起こす原因であるならば、社会の仕組みとして解決しているけるはず。解決する場として「TOCHANTO(とうちゃんと)」が機能していければと考えました。

悩める父ちゃんを応援しあい、幸せな家族を増やしたい

2024年3月からTOCHANTO(とうちゃんと)の第一歩としてクラウドファンディングを実施しました。すると206名もの方からご支援をいただくことができたのです。その中には、「実は自分もうつだった」「友だちも産後うつで休職してた」といった話をたくさん聞くことができ、たくさんの父ちゃん仲間が悩んでいることに気づかされました。さらにはそれを乗り越えた父ちゃん、自分らしく生きている父ちゃんもたくさんいて、そんな父ちゃんや家族を応援してくださる方々をつなぐことができれば、 社会がもっと良くなる、多くの家族が人生100年時代を自分らしく生きていけるのではという実感がありました。

移住という選択で自分らしい家族の暮らしと働き方を

「TOCHANTO(とうちゃんと)」の事業は、オンラインメディアが軸なので、どこに住んでいても進めることができます。徳島県の右下の小さな町からでも発信ができること、ビジネスとして成り立つことが証明できれば、これも1つのロールモデルになるのではないかと思い、チャレンジしている最中です。

徳島に住み始めると、自分自身にも大きな変化がありました。自分の時間を取り戻した感覚があって、自分らしい生活リズムで暮らせるようになったのです。大阪にいると夜が遅くなることも多く、知らず知らずのうちにノイズ的な広告も浴びています。しかし、徳島にいるとそれがありません。今は夜の8時には娘と一緒に寝て、朝3時半から4時の間には起きて、 娘と妻が起きる6時過ぎまでに自分が1番やりたい仕事を終わらせることができています。午後にはフリータイムがとれ、父親としても働く人としても、時間にも心にも余裕ができました。

また、今住んでいる町は 移住してきた人にウェルカムな空気を出してくれていて、同世代の人が集まって、町で僕の歓迎会をやってくれました。移住してからサーフィンも始めましたが、そこでも地元の方々は一から教えてくれて人の温かみを日々感じています。田舎=閉鎖的な村社会というイメージは全くありません。

移住してから近くの海でサーフィンを楽しむように。

生活コストを下げられるのも田舎のメリットです。二世帯で暮らす、家賃が都市部に住むより大幅に抑えられる、日々の食べ物も自分次第で自給自足に近い生活ができるようになると思います。働く場所の不安や収入が減ることへの不安で、ふんぎりがつかないケースももちろん多いと思います。でも家族の時間を増やす1つの選択肢として地方に目を向けてみてほしいなと思います。

今住んでいる地域は高齢化、人口減少、空き家問題、耕作放棄地問題、南海トラフ地震などといった日本が直面する課題がたくさん集まっています。お金だけではなく、「働く」を通じて社会問題などに本気で向き合いたい人にも、地方への移住はおすすめできます。まさに、僕もこの魅力に取り憑かれた一人です(笑)

人生100年時代になったからといって、子どもと暮らせる時間は 変わりません。むしろ相対的に考えると、人生100年の中の20年弱という短い期間しか基本的には子どもと一緒には暮らせない。子どもと関われる時間はあっという間だからこそ、父親として貴重な子どもとの時間を大切にしていきたいと思います。自分のやりたいことをやる時間は、人生100年時代いくらでもあるのですから。

(取材・文/垣内 栄)

 

*ライフシフト・ジャパンは、数多くのライフシフターのインタビューを通じて紡ぎだした「ライフシフトの法則」をフレームワークとして、一人ひとりが「100年ライフ」をポジティブに捉え、自分らしさを生かし、ワクワク楽しく生きていくためのワークショップ「LIFE SHIFT JOURNEY」(ライフシフト・ジャーニー)を個人の方及び企業研修として提供しています。詳細はこちらをご覧ください。