生まれ育った北海道・小樽で、保育園の事務職として定年後も働いていた松井和子さん。夫が47歳の若さで亡くなったため、20年近く一人暮らしをしていましたが、66歳のときに娘の出産・育児のサポートのため東京に移住されました。娘夫婦との同居で生活面でのお金は心配がなく、年金ももらっていましたが、やりたいことがいっぱいあってお金がかかるため「好きなことで収入を得たい」と考えるように。趣味だった写真撮影のスキルを高めるため講座に通い、70歳でフォトグラファーとしてプロデビューしました。プロフィール写真や遺影の撮影を中心に活躍を始めた松井さんのライフシフトをうかがいました。

PROFILE

松井和子さん(NO.125)

■1954年北海道小樽市生まれ。21歳で結婚し、出産後は事務職としてパート勤務。36歳のときに保育園の事務職の仕事を得て正社員で働く。カメラに興味があり、50歳のときに撮影サークルに入り、趣味で園児たちを撮影。2020年、66歳のときに娘に初孫が誕生し、育児をサポートするため、保育園を退職し、東京に移住。2023年、写真家・橘田龍馬氏の「写真の撮られ方講座」に参加。2024年、同氏の 「イエイ!写心アカデミー」、川名マッキー氏の「マッキーマジック ビジネスプロフィール写真講座」受講。卒業後にプロ宣言し、70歳でフォトグラファーとしてデビュー。
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■家族:娘夫妻と孫、愛犬

■座右の銘:なし

夫が早世し、66歳まで北海道で一人暮らし

北海道の小樽で生まれ育ち、地元の同級生と結婚したのが21歳のときです。娘が生まれてからもパートで事務の仕事をしていましたが、娘が小学校4年生になったときに、正社員で保育園の事務職に就くことができました。それまでは零細企業にいたので「もっと収入を得たい」という思いがあり、職業安定所に行って紹介されたのが保育園でした。36歳から66歳まで30年間、勤務しました。60歳が定年で、定年後は時給制に変わり、収入は減りましたが、当時はほかにやりたいこともなく、仕事を続けていたのです。

夫は47歳のときに食道がんで亡くなりました。金払いがよく、女性にモテたので苦労もしましたが、私は夫が大好きでした。それまで病気らしい病気をしたことがない人だったので、病院になかなかいかず、発見が遅れてしまったことは今でも後悔しています。娘は東京に出ていたので、夫の死後は20年近く、残してくれた家で一人暮らしを続けていました。

結婚式。私は21歳、夫は20歳だった。

東京で娘と同居し、孫の面倒を見る日々

転機となったのは、娘の妊娠・出産でした。娘も働いており、夫は外国人で、夫の家族に頼ることはできません。そのため私が仕事を辞めて、東京までサポートに行くことになったのです。最初は北海道と東京を行ったり来たりしていましたが、娘から「東京で一緒に暮らそう」と提案されました。「北海道は遠くて、お母さんに何かあったときに飛んでいけなから」という理由でした。娘が心配してくれるのはありがたかったのですが、「育児のサポートをしてほしい」という思いが大きかったのでしょう。実際、東京に移住してからは、孫が保育園に入るまで、孫の世話だけで精一杯でした。コロナ禍で電車にもバスにも乗れないので、ベビーカーを押して近所を歩き回っていました。娘は仕事で帰りが遅いので、買い物や食事の支度もしています。

娘の家では衣食住が保証されていて、年金ももらっていたので、お金の心配はありません。でも北海道の広い家に比べると、東京の家の狭さには驚きましたし、一緒に生活すると喧嘩をすることもあります。孫はかわいいですが、つい最近まで「娘に騙されて東京に来ることになった」という被害妄想も持っていたのです(笑)。でも北海道の家は売却し、喧嘩しても帰るところがありません。そんなネガティブな気持ちがくすぶっていたのですが、孫が3歳になって保育園に入り、自分の時間がとれるようになってから、やりたかったことへのチャレンジを始めて、人生が動き出したのです。

娘夫婦、孫と一緒に。

写真家の講座に参加してプロになることを決意

自由な時間ができて、まずは憧れていたフラワーアレンジメントの先生の教室に月1~2回、2年間通いました。その後、趣味だった写真撮影で、マニュアルモードでの撮影を覚えたいと思い、講座を探し始めたのです。東京にはいろんなジャンルのプロの先生がたくさんいて、すぐに習いに行けるのが北海道とは違うところです。

もともと写真に興味があり、一眼レフカメラを買ったのが50歳のときでした。もっと上手く撮れるようになりたいと、撮影サークルに入って、仲間と一緒に腕を磨いていきました。素敵な景色や面白いものを見つけて撮るのが楽しく、保育園の園児たちの撮影もしていました。

保育園で働いていたときに撮影した園児の写真。

写真の講座を探していく中で気になったのが写真家・橘田龍馬氏でした。ファッション広告・雑誌で活躍され、「ストアカ」でプロカメラマン養成講座を開催されていたのです。どうしても直接お会いしてみたいと思い、すぐに参加できるのが「写真の撮られ方講座」でした。写真を撮ることが好きな私ですが、撮られるのは苦手。講座では写真写りが良くなるポージングや表情を学び、とても勉強になりました。

受講したのは1度だけでしたが、ある日、橘田先生から「モデルをやってほしい」とメールが来ました。最初は「他の受講生と間違えているのではないか?」と驚きましたが、私がいいとのこと。半信半疑でしたが、アルバイト感覚で指定の場所へ行くと、プロカメラマン養成講座の受講生がたくさんいたのです。下の写真はそのときの受講生の方が撮影してくれたものです。

ここでモデルを経験し、プロを目指す受講生の方にお会いしたこと、そして龍馬氏の「遺影写真に困る人をなくしたい」という考えに同感し、「イエイ!写心アカデミー」を受講。「私もプロのフォトグラファーになりたい!」という思いが生まれましたが、私の撮影スタイルを見ていたあるカメラマンに「そのままではダメかも」と言われ、紹介されたのが「マッキーマジック」でした。ビジネスプロフィール写真のプロカメラマン養成講座があり、最短4か月でプロデビューができるという内容でした。主宰の川名マッキー先生は脳出血の後遺症で右半身が不自由ですが、電動車椅子に乗って撮影をされている方です。受講に年齢制限はなく、さっそく講座の受講を申し込んだのです。

モデルを経験し、プロのフォトグラファーを目指すきっかけに

年齢を言い訳にせず、わからないことは学びまくる

講座の内容は、ロケーション撮影の実習、スタジオ実習、モデル撮影、卒業撮影会などで、そのときの受講生は4人でした。一緒に学んだ仲間は40~50代が多く、定年後の仕事としてフォトグラファーを目指されていました。

私はもちろん最高齢です。先生はいろいろとスパルタでしたし、苦労したことは数え切れません。ストロボの準備ひとつにしても若い人よりは時間がかかります。長く趣味で撮影をしてきましたが、パソコン操作、編集、ライティング、データ納品、コミュニケーション、笑顔の作り方、どれをとっても満足にできませんでした。

正直、最初は「70歳だからできなくて当たり前」と年齢に甘えていたところがありました。でも周りの仲間は強い気持ちでプロカメラマンを目指していて、こんな中途半端な気持ちではダメだと刺激を受けました。とくにデジタルの分野は、若い人と違ってすぐには覚えられなかったのですが、今は「ストアカ」などオンラインでも学べる講座がたくさんあります。わからないことはそのままにせず、教えてくれる人を探して学ぼうという姿勢でカバーしてきました。自分でもよく頑張ったと思います。4か月が終わって無事卒業することができたときは、張りつめていた気が抜けて、しばらく熱を出して寝込んでしまったほどでした。

今年からプロのフォトグラファー「madameガチャコ」として仕事の依頼を受けています。体力では若い人にはかないませんが、70歳だからこそできるコミュニケーションの取り方や心のほぐし方で、被写体から笑顔が引き出せるんじゃないかと、自分を励ましています。

一方で撮影で重い機材を運んだりするのはどうしたって無理です。機材の揃っているスタジオでの撮影がメインですが、どうしても機材の運搬が必要なときは「サポートしてくれる先輩と機材をレンタルする」という方法があります。お金と人脈で解決できるところは頼るのもシニアフォトグラファーの知恵です。

私の得意分野はシニアの方のプロフィール写真です。年齢とともに写真が少なくなっていき、若い頃の写真しかないという人もいます。遺影用の写真を用意しておくことに抵抗がある方は少なくありませんが、身内が亡くなったときに、「元気なうちに写真を撮っておけばよかったね」と後悔されるケースは多いもの。そのため、年に1回、自分のプロフィール写真を撮る習慣をご提案しています。その方の素敵な部分をほめて笑顔の写真を撮って、一番好きなショットを選んでもらいます。自分に何かあったときに「この写真を遺影にしてほしい」と家族に伝えてもらえるのが理想です。

マッキーマジックの講座の先生と仲間たちと。

先行投資を回収するためにも月収20万円が目標

「趣味ではダメなの?なぜプロを目指したの?」と聞かれることも多いですが、一番の理由は「収入が欲しいから」です。東京に出てきてから、学んでみたいことをたくさん見つけましたが、当然ながらお金がかかります。ただ、そのために節約をしたり、シニア向けのすぐにお金になるような仕事を探すのではなく、「せっかくなら好きな撮影の仕事で食べていけるようになりたい」と考えたのです。人に会って、おしゃべりして、撮影することが大好きなので、そこに仕事がついてくることが理想です。

憧れのファッションリーダー・島崎真代さんの影響も大きいです。島﨑さんは67歳でYOUTUBEを始め、70歳を超えても年齢にとらわれず自由にファッションを楽しまれています。「60歳でやりたいことを始めてください。10年続けていたらプロフェッショナルになれます」とおっしゃっていて、とても勇気をいただきました。じつは島﨑さん主宰の浴衣の会や、還暦の会では、私に撮影を依頼してくださいました。この年齢だからこそ依頼されるお仕事もあるのです。

今はインスタやフェイスブックに活動内容をあげており、SNSつながりでのご依頼やご紹介で仕事を増やしています。プロとして収入の目標は月収20万~30万円くらいでしょうか。カメラの機材や講座の受講料で先行投資をしていますから、まずは回収しないといけません。

じつはフォトグラファーを目指すようになってから、家族との関係も変わりました。それまではどこか遠慮をしていた部分があり、言いたいことも抑えていたのですが、自分に自信がついたためか、堂々と意見を言えるようになってきたのです。いくつになっても外に目を向けることは大事だと思います。

北海道へ戻りたいと思うこともありません。田舎暮らしはさんざんしてきたからもういいんです(笑)。本当に心を許せる友人は北海道にしかいませんが、離れていてもいつでも話すことができます。東京は面白いことをやっている人がいっぱいいて、「そこに行って写真を撮らせてもらえますか」と声をかけて、仕事のチャンスが広がります。北海道にいたら、人物の写真を撮る機会も少ないでしょうし、70歳のフォトグラファーの需要はなかったと思います。

また、私が70歳からフォトグラファーにチャレンジしている姿を見て、「私もがんばろう」と勇気を持ってもらえる方が増えてほしいです。今は撮影した後に「こんな楽しい経験させてもらってよかった!」と言ってもらえるのが一番うれしいですね。

北海道にいる頃は、まさか自分が東京に住んで、プロのフォトグラファーを目指すことになるとは思ってもいませんでした。人生は本当にわからないものです。これからもわからないこと、興味があることを学び続けながら、フォトグラファーとして成長していきたいと思います。

取材・文/垣内栄 撮影/池田美樹(メイン写真)

 

*ライフシフト・ジャパンは、数多くのライフシフターのインタビューを通じて紡ぎだした「ライフシフトの法則」をフレームワークとして、一人ひとりが「100年ライフ」をポジティブに捉え、自分らしさを生かし、ワクワク楽しく生きていくためのワークショップ「LIFE SHIFT JOURNEY」(ライフシフト・ジャーニー)を個人の方及び企業研修として提供しています。詳細はこちらをご覧ください。