飲料メーカーのダイドードリンコで営業、業務担当などを経験してきた桜井康広さん。55歳で役職定年を迎えたタイミングで、会社がスポンサードするツーリストシップ(旅先の人に配慮し、貢献し、交流を楽しむ姿勢やその行動)の活動と出会い、ボランティアで普及活動を行うように。その後、会社でもその活動が認められて、本定年の再雇用では、一般社団法人ツーリストシップに事務局長として出向することになりました。現在は観光地での「旅先クイズ会」普及とともに、会社への恩返しとして観光地と自動販売機を結び付ける事業にも貢献しています。与えられた仕事ではなく、やりたい仕事で再雇用を迎えることができた桜井さんのライフシフトの過程をうかがいました。

PROFILE

桜井康広さん(NO.128/一般社団法人ツーリストシップ事務局長)

■1964年岐阜県生まれ。愛知大学法経学部卒業後、ダイドードリンコに勤務。自動販売機を周って補充をするルート営業からスタートし、自販機設置営業、業務担当、法人営業、営業企画とさまざまな職種を経験。2019年、法人営業部課長のときに55歳で役職定年迎える。会社がスポンサードしていたツーリストシップの活動と関わり、その後ボランティアでサポートするように。2024年、定年で再雇用となり、一般社団法人ツーリストシップに事務局長として出向。現在は旅行者に地域の文化、独自ルール・マナーを伝える「旅先クイズ会」の普及に尽力している。

■家族:妻、長男、長女

■座右の銘:気持ちはいつも20代

一般社団法人ツーリストシップ

55歳の役職定年まで転職や起業は考えずに勤務

大学時代、就職活動をする中でいくつか内定をいただきました。ダイドードリンコを選んだのは、これから伸びていく事業だと確信でき、営業所に若い人が多くて活気があったからです。当時は自動販売機がまだあまり普及していない時代で、年間売上が約20%ずつ伸びていました。すでに成長している会社よりも、これから一緒に成長していけそうなところに魅力を感じました。

仕事内容はルート営業で、トラックに乗って担当自販機を回り、飲料水の納品や売上拡大を提案する仕事です。コンビニがない時代だったのでニーズがあり、やりがいを感じていました。地元の愛知県の営業所のチーフとなった後、営業開発部の業務担当職などを経て、大阪の本部営業企画部での勤務となりました。私が入社した当時は今と違って、転職は一般的ではなく、終身雇用の考えが根付いていました。周りで起業した人もいません。転職や10年後、20年後のことは考えず、目先の仕事を一生懸命頑張るというスタンスでやってきました。

ツーリストシップと出会い、ボランティアでサポート

転機が訪れたのは2019年に55歳で役職定年を迎えた時でした。京都のオーバーツーリズム解消の活動をしていた、当時京都大学3回生の田中千恵子さんを紹介されたのです。彼女は京くみひもを使ったブレスレットを通じて、いい旅行者を作り、旅行者と住んでいる人がお互いに誇りと敬意を示し、寄り添っていく世界を目指していました。のちに「ツーリストシップ」と名付けられたこの活動にダイドードリンコはスポンサーとして協力することになります。そのとき窓口だった人事担当者から「京くみひもブレスレットを自販機で販売するにはどうすればいいか、田中さんと一緒に考えて欲しい」と相談されたのです。ちょうどコロナ禍が始まり、会社では缶と同じ形状の瓶にマスクを入れて自販機で販売することが決まりました。「この瓶ならブレスレットにも使えるかもしれない」と考えて、瓶の中にブレスレットを入れて自販機で販売することが実現できました。

当時の私は課長職からはずれ、給料も下がりましたが、仕事内容は役職のときとほとんど変わっていませんでした。定年後も働けるよう、中小企業診断士の資格を取得することを考え、社内の支援制度を利用して申し込みをしており、これからしっかり勉強しようと思っていました。しかし、どうしてもツーリストシップの活動を応援していきたいという気持ちになり、結局、中小企業診断士の勉強をすることはありませんでした。

もともと旅が好きだったこともありますが、田中さんが夢を追いかける娘の姿とだぶったということもあります。娘は田中さんと同世代で、声優を目指して東京の学校に毎週末通っていました。田中さんの話をすると、娘は「夢があっていいじゃん」「夢を持つのに年とか関係ないよ」という肯定的な意見でした。「ツーリストシップを世界に広げていく」という大きなビジョンには正直ピンと来ていなかったところもありましたが、壁にぶち当たっても諦めないバイタリティがある田中さんの姿を見ているうちに、この活動に自分も関わっていきたいと思うようになったのです。

ツーリストシップの活動は仕事の終了後か土日にボランティアとして始めました。これまで会社では売上目標や自販機設置台数など数字が見えるものを追い求めていましたが、ツーリストシップの活動は数字としてとらえにくく、そこに難しさも感じました。しかし、「京都を良くしていこう」と頑張る商店さん・職人さんや起業した方たちと出会い、彼らの表情が豊かなのを見て、観光業の奥深さと未来への可能性を感じました。ボランティア活動は初めてでしたが、一歩踏み出したことで、お金には代えられない価値を実感することができました。なによりも田中さんから次から次へと色々なアイデアが出てきて、それを実現しようとするときのワクワク感というのは、サラリーマン人生では味わえないものだったのです。

社内のチャレンジアワードで社長賞を受賞

田中さんは大学卒業後、当社でプロ契約(契約社員)となり、ますます勢力的に活動を続けていました。一方、自販機で京くみひもブレスレットを売ったことが、奈良県観光団体から「鹿せんべいを24時間売りたい」と相談されるきっかけになりました。鹿せんべいは主に露店で販売されており、いつでも買えるというわけではありませんでした。そこで奈良公園内に鹿せんべいとツーリストシップ奈良の証としたオリジナルストラップ・飲料のコラボ自販機を設置することになったのです。反響も大きくメディアでも報道され、この自販機は近畿の売上のトップになりました。鹿せんべいの販売による会社としての利益はほとんどないのですが、地域活性化につながるという意義がありました。

ツーリストシップの活動から自販機のアイデア活用へとつながったことで、社内の「第6回チャレンジアワードチャレンジ部門社長賞」も受賞しました。さらにツーリストシップの活動が、地域創生や地域とのコミュニケーションを取るきっかけになると社内にも周知でき、ボランティアではなく、業務の一環として活動することを認めてもらえるようになったのです。

ツーリストシップの活動で第6回チャレンジアワードチャレンジ部門社長賞を受賞。

私は2024年9月に定年を迎えましたが、ツーリストシップ普及活動の一本に絞って再雇用をしてもらえるよう会社にかけあいました。それが認められ、出向と言う形で一般社団法人ツーリストシップ事務局長となり、活動を続けています。当社以外のスポンサーもついて、スタッフも2名雇用できるまでになりました。

観光地での旅先クイズ会を開催し、手応えを感じる

今、ツーリストシップの活動で私がメインとしてやっているのが「旅先クイズ会」です。商店街や自治体が独自マナー・ルールをどう周知していくか課題を抱えている中で、観光地の一角を借りて○×クイズを通じて、観光客の方に楽しく学んでもらうという取り組みです。たとえば京都の錦市場で、「錦市場は食べ歩きができるか」といったクイズを出し、食べ歩きがダメな理由も伝えた上で、観光客の方に行動変容を促します。

旅先クイズ会は2023年1月から累計160回以上実施しており、私も半分以上参加しています。参加者にはかわいいバッチやポストカードを配り、ツーリストシップについて学んでいただきます。もともと英語は得意ではなかったのですが、外国人とコミュニケーションを続けているうちに気軽に話せるようになりました。また、ボランティアで参加する学生とシニア層の交流の場も生まれました。旅先クイズ会を開催したいという自治体も増え、その運用のお手伝いもしています。

また、ツーリストシップは、公民の教科書や観光庁「未来のための旅のエチケット」にも掲載されるまでになりました。全国でツーリストシップへの関心が高まるにつれ、「これからの第二の人生をかける価値があるんじゃないか」「世界を目指せるのではないか」と思い始めました。

京都・錦市場での旅先クイズ会。

一方で、ツーリストシップのスタッフは私以外の3人すべて20代の女性です。オンライン会議をしていると、若い人たちの頭の回転の速さについていけず、「自分は貢献できていないのではないか」と感じることもありました。しかし田中さんからは「スキルだけで仕事を頼むならプロフェッショナルな人は他にいますが、良いときも悪いときもツーリストシップを見てきた桜井さんがいないと困ります。頼りにしているので一緒に歩んでいきましょう」と言ってもらえました。その思いに応えなければなければなりません。

自分のこれまでの経験から「それは間違いなく失敗する」と思う企画もあるのですが、田中さんは「やってみないとわからないでしょう」と言います。その言葉にはハッとしました。現に失敗すると思った企画がうまくいくケースが出てきています。会社員は評価につながるので失敗を恐れてしまいますが、ツーリストシップの活動ではチャレンジのほうが大事です。自分の経験値を活かせる部分と、経験値があるからこそ先入観が邪魔をする部分があることを痛感しました。若い人たちから学ぶことは本当に多いので、自分の経験ははずして話を聞いて、まずそれを受け入れることを心がけています。

スタッフと一緒に合宿後、懇親会。

岐阜の自宅と京都の2拠点生活。ツーリストシップを世界へ広げたい

現在の活動拠点は京都なので、今はツーリストシップで京都のアパートを借りてもらい、週の半分は京都の家から通勤しています。大阪のダイドードリンコ本社には週1のペースで出社し、休日は岐阜の自宅に帰り、家族サービスもしています。単身赴任生活が長く、子どもが生まれてからずっと妻に苦労をかけっぱなしでしたので、定年後は岐阜に帰るつもりでした。しかし、ツーリストシップの活動に出会って、自宅にいない日が依然として続いているため、休日はできるだけ妻と一緒に過ごすようにしています。

メディアにも取り上げていただいていますが、旅先クイズ会で聞いても「ツーリストシップ」という言葉を聞いたことがない方がほとんどというのが現状です。観光地にも住んでいる人がいる。だから地元のお店で買い物をしたり、食事をする。ゴミ箱がなければ自分で持ち帰る、地元の人と交流を深める、といった意識を持って旅を楽しんでもらいたい。そういう人が増えれば、観光地の受け入れも良くなってくるはずです。そういうことが当たり前になっている世界を見たい、という夢があります。

6月にはツーリストシップグローバルという株式会社も立ち上げます。観光客向けの行動集の作成や検定などは、収益事業として株式会社の方で請け負います。毎年1回、8月6日にツーリストシップサミットを開催し、今年はこの行動集を世界初として打ち出す予定です。海外の方にも検定を受けてもらい、検定合格者には宿泊割引などのメリットをつけたりしていきたいです。

社内では旅先クイズ会の活動を知ってもらうため、黄色いTシャツをいつも着ています。周りから「桜井さんはいつも楽しそうだね」と言われ、刺激になっているのかどうかは分かりませんが、こういう生き方もあるんだと思ってもらえているのではないでしょうか。雇用延長が終わるまであと4年ですが、65歳までに観光事業のノウハウを学び、英語力を強化し、人脈を広げて、ツーリストシップの団体を大きくしたいです。その成果で必要な人材となり、ツーリストシップに雇用してもらえるとよいですね。人生100年時代、動けるうちは働きたいと思っています。足腰を鍛えるため、当社出社時は1階から18階まで階段で上がり、ジョギングも行っています。

石垣島のマラソン大会に娘と参加。ハーフマラソンのタイムは1時間47分で年代別で2位に。

また、ツーリストシップの活動は、社内のビジネスに繋がる点がたくさんあると思っています。今、仕掛けとしてやっているのが、ツーリストシップに関心がある自治体や観光関連企業へのアプローチです。自治体は地域を盛り上げるために悩んでいるので、自販機でそれが何かできないか、という提案もしています。例えば外国人観光客へのおもてなしとして、「ハロー」などと喋る自販機があったらいいね、という提案をしています。観光に関わっていなくとも地域活性化を目指す部署をつくる企業が増えていますが、そういった部署と自販機やツーリストシップを連携できないかも企画しています。会社の厚意でツーリストシップの活動をさせてもらっているので、恩返しとして自販機の設置に結びつけたいです。

振り返れば、私は会社でも業務担当職のように縁の下の力持ち的な仕事が得意で、やり遂げた時に「桜井さんがいたから成功したんだよ」と言われるのをうれしく感じていました。ただ、縁の下の力持ちでも自分自身のやりがいを見つけないと続きません。この団体を立ち上げたときから田中さんが掲げていた「全世界にツーリストシップを普及させたい」という夢。最初これを聞いたときは絶対無理だろうと思っていました。ただこの5年間で着実に夢に向かって進んでいる実感はあります。現在はツーリストシップという言葉を普及させるという目には見えない新しいことにチャレンジしているので、簡単ではないと思っています。だからこそワクワクしますし、昨年還暦を迎え、第二の人生このご縁を大切にして活動していきたいです。

取材・文/垣内栄

 

*ライフシフト・ジャパンは、数多くのライフシフターのインタビューを通じて紡ぎだした「ライフシフトの法則」をフレームワークとして、一人ひとりが「100年ライフ」をポジティブに捉え、自分らしさを生かし、ワクワク楽しく生きていくためのワークショップ「LIFE SHIFT JOURNEY」(ライフシフト・ジャーニー)を個人の方及び企業研修として提供しています。詳細はこちらをご覧ください。

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