ハースト婦人画報社の雑誌編集者として住まいや暮らしを見つめ続けてきた下田結花さん。50代半ば、取材をきっかけに北海道・東川町の自然の豊かさや人の温かさに惹かれ、夫婦で幾度となく通ううち、東川と東京の二拠点生活を決意します。ところが、家づくりを始めた矢先、夫が発病し、完成した家で暮らすことなく他界。深い喪失を抱えて62歳から東川での暮らしを始めた下田さんを支えたのは、夫が命名した「東川2M house(2人とみんなの家)」に集う友人たちと東川の自然でした。65歳の時には東川で起業。現在は月の4分の3を東川で暮らす下田さんのライフシフトの物語を伺いました。

春を迎えた東川2M house 撮影/下村康典

PROFILE

下田結花さん(NO.143)

■1959年生まれ、北海道旭川市出身。1981年、婦人画報社(現ハースト婦人画報社)入社。書籍編集部、『ヴァンテーヌ』編集部を経て、2003より13年間ラグジュアリー住宅誌『モダンリビング』編集長を務める。2016年発行人、2023年ブランドディレクター、2025年プロジェクトディレクター。2021年11月より北海道・東川町と東京の二拠点生活を始める。2024年 3月、東川町で株式会社2M houseを起業。『モダンリビング』の仕事を継続しつつ、執筆、講演・セミナー、ブランディング、インテリアやライフスタイルのプロデュースなどを手がけている。

■座右の銘:「少しだけていねいに」

■ブログ:https://yuka-shimoda.jp/

「やりたいことなら長く続けられる」と編集者に。イギリス取材を機にインテリアに開眼した

北海道から東京の大学の国文科に進学し、卒業後は婦人画報社(現ハースト婦人画報社)に入社しました。プライベートでは、大学の先輩だった小石(マジシャン「ナポレオンズ」の小石至誠さん)と23歳で結婚。結婚は早い方でしたが、学生時代から「自分の生活は自分で支えたい」と、仕事はずっと続けるつもりでした。やりたいことなら長く続けられると選んだのが編集者という仕事。小石も私が働くことを応援してくれました。

1983年3月12日、結婚式にて

入社後は書籍の編集などを経て、30歳の時に女性誌『ヴァンテーヌ』の創刊メンバーの一員に。編集部員が読者と近い世代だったこともあり、誌面には自分たちが知りたいこと、疑問に思っていることをどんどん取り上げました。ファッッションやメイクだけでなく、カルチャー、ライフスタイルなどテーマは多岐にわたり、海外にもたびたび取材に行きました。

編集部員それぞれに得意分野ができ、私はイギリスの記事を担当することが多くなりました。きっかけは1991年、32歳の時に友人でハーブ研究家の北野佐久子さんと行った2週間のイギリス取材です。北野さんが留学中に築いた人脈を通し、ロンドン郊外の田園地帯に住む老夫婦の家を訪ねたり、留学先のハーブ園で専門家のお話をうかがうなど、現地の暮らしに一歩踏み込んだ取材をすることができました。

この時に初めて、美しく豊かに暮らすというのは、こういうことなのかと思いました。それまでもインテリアに関心がないわけではありませんでしたが、普通に生活しつつ綺麗に暮らすのは難しいと考えていました。ところが、イギリスでは、古い家をリノベーションし、アンティークの家具を置いた「美しい暮らし」がありました。用意してくださった簡単な昼食を、アンティークのカトラリーやキャンドルと共に、庭の草花を飾ったテーブルでいただく時間は、この上なく豊かでした。

古いものを大切にメンテナンスして美しく使い、日々を丁寧に送る人たちの暮らしに惹かれ、プライベートの旅行でも毎年のようにイギリスを巡るうちに、インテリアへの関心が強まり、『ヴァンテーヌ』でも特集記事を担当しました。

両親とのイギリスへの旅。2003年、シシングハースト・ガーデンにて

44歳で『モダンリビング』の編集長に。編集部員とともに奮闘し、赤字から脱却

住まいやインテリアに専門的に携わるようになったのは、『モダンリビング』編集部に異動してからです。『ヴァンテーヌ』の編集長代理を務めていた44歳の時、編集局長に突然呼び出され、「来月から『モダンリビング』の編集長をやれ」と言われました。

「これは大変なことになった」と思いました。実は、私は『モダンリビング』を読んだことがありませんでした。局長室を出てすぐに一冊手に取って近くのカフェで読んでみましたが、当時の『モダンリビング』は建築雑誌寄りで、専門用語が並び、あまり理解できませんでした。加えて、モダンリビングはかなりの赤字でした。

「読者は自分と同じ一般の人。私たちが読んで面白い本にしよう」と編集部員と必死に考え、最終的に建築だけでなくインテリアにも焦点を当てた雑誌としてリニューアルすることにしました。撮影のためのスタイリングも自分たちで手がけるなど試行錯誤を繰り返し、編集長就任3年目には黒字化を達成。スタイリングの経験も蓄積され、後に「MLスタイリング」という新規事業へと発展しました。

キャリアの過渡期を迎えた50代半ば、この先20年をどう生きるかを夫婦で話し合った

北海道・東川町のことを知ったのは、『モダンリビング』の編集長になって10年ほど経ったころ。東川の近く住む椅子研究家の織田憲嗣先生に「東川はいいですよ」と伺い、関心を持ちました。

調べてみたところ、東川町は旭川空港から車で約10分。素敵なカフェもあり、全世帯地下水の町。豊かな自然と利便性が共存し、移住者も増え続けていると知りました。これは企画になると思い、町長インタビューのアポイントも取って取材に来たのが2014年9月。まさか自分がここで暮らす日が来るとも思わず、「北海道に別荘を持つとしたら…。東川に住みたい!」というタイトルで特集記事を組みました。

東川の風景。町のどこからでも大雪山国立公園の山々が目に入る

取材で町の人々の温かさや自然の美しさ、行政の意欲的な取り組みに触れ、「こんなところに住めたらいいな」とは思いましたが、当時はオンライン会議システムも普及しておらず、東京を離れることは考えられませんでした。ただ、東川が大好きになり、「これは小石にも見せたい」と思って翌々年に一緒に遊びに来たんです。キッチン、洗濯機付きの一棟貸しのヴィラに滞在し、取材で知り合った方たちにも会って、とても楽しい時間を過ごしました。以来、年に数回、ふたりで東川を訪れるようになり、そのたびに知り合いが増えていきました。

そのころ、この先をどう生き、どう暮らすかを小石と話し合う機会がありました。私は50代半ばで、『モダンリビング』の編集長から全体を統括する「発行人」になり、新規事業の立ち上げに力を注いでいた時期。7歳上の小石はフリーランスですから定年はなく、ふたりともできる限り現役で仕事をしたいと考えていました。

東京での生活は刺激的で面白く、30代で購入した70平米のマンションは50代でリノベーションし、アンティークの家具を置いて暮らしを楽しんでいました。しかし、これから先、仕事のペースが落ち着いていくことを考えると、小石も私も、これまでと同じ暮らしを続けていくことにあまり魅力を感じませんでした。

二拠点生活に向け、土地探しよりも先に始めたのは運転免許の取得

これから先の20年は、自然に近いところで、ゆったりと人と関わる暮らしがしたい——。東川に通いながら、小石とそんな話をするようになりました。とはいえ、仕事のことを考えると移住は難しい。迷っていた時、東川に行くたびにお目にかかっていた織田先生に「二拠点生活ならできるのでは?」とおっしゃっていただき、「月に1、2度行けるかも…」と東川に家を建てることを決めました。

(右から)東川を訪れる度にお会いしていた織田先生、小石、織田先生の奥様

土地探しの前に必要だったのは、自動車免許を取ること。都内では不自由を感じず、東川に遊びに行った時も、運転は小石がしてくれていました。ところがある日、小石が織田先生と早朝から釣りに出かけてしまい、タクシーを呼ばないと身動きが取れないことに。人口8700万人の東川には鉄道がなく、バスも限られています。「ここに住むには車の運転が不可欠」と気づいて都内の自動車教習所に通い、2018年のお正月に免許を取得しました。

少し話がそれますが、免許を取って良かったのは、晩年の父を連れて実家のあった札幌郊外のモエレ沼公園に出かけられたことです。若いころは帰省も年に1度あるかないかでしたが、50代に入ったころから、介護の手伝いのために週末に実家に帰ることが増えました。2017年に母を見送り、父がひとりになってからは、病気の進行に併せて月1回、隔週、さらには毎週と帰省の頻度が高くなっていきました。父は東川の家のことも楽しみにしてくれていました。

家づくりを始めた矢先、夫が発病。東川の家は、私たちの希望だった

この土地に出合ったのは、2019年6月。知り合いの紹介で離農農家さんから宅地を譲っていただき、350坪750万円で購入しました。北側は幹線道路に接していて除雪車が入り、南側は田んぼに囲まれたゆるやかな傾斜地。庭には果樹の木がたくさんあり、稲穂の向こうに川と林が広がる理想の土地でした。

家の設計は、建築設計事務所バケラッタの森山善之さんにお願いしました。森山さんは私と小石の長年の友人でもあります。家づくりは自分たちの暮らしや生き方を形にしていくこと。全幅の信頼を置けるプロに設計をお願いできたのは、とても心強かったです。

設計の打ち合わせが始まった直後、2019年8月に父が他界。2カ月後、小石が急性リンパ性白血病を発症しました。入退院を繰り返し、新型コロナウイルスの影響で面会すらできないつらい時期も続きましたが、絶対に元気になるとふたりとも信じていました。

一方、家の基本設計は着々と進みました。初期の打ち合わせで私が森山さんに渡したのは、正方形の真ん中に、みんなで集える大きなダイニングテーブルを手書きしたメモ。森山さんは「家にいながら風景の変化を楽しめるように」とL字型のプランを提案してくれました。

東川の家の室内の様子。南側を全て開口部にしたL字型のつくり 撮影/下村康典

直接会えない時も小石にはビデオ電話で過程を報告。模型が完成した時には病室に持って行きました。その度に小石は「おお、いいじゃない」と顔をほころばせました。東川の家は私たちの希望でもありました。

「東川2M house(ふたりとみんなの家)」で、ひとり夜の雪を眺めた最初の冬

小石は2020年7月に寛解して退院。東川で一緒に2週間の夏休みを過ごした後、病気が再発しました。2020年12月末に臍帯血移殖を受け、2021年3月19日に退院。9日後、小石の退院を待っていたかのように東川の家が完成しました。

小石はこの家を「東川2M house」と名づけてくれました。「ふたりとみんなの家」という意味です。一緒に東川で暮らす日を楽しみに、私たちは前だけを見続けましたが、小石は2021年10月26日に逝ってしまいました。

葬儀の日は何も考えられず、正直、私の人生は終わったと思いました。岐阜から駆けつけてくれた小石のお姉さんたちの「分骨をして連れて行ってあげたら?」という言葉がありがたく、「小石を連れて東川に行きたい」と思いました。

東川に向かったのは、葬儀の3日後でした。友人が「仕事はリモートでできるから」と多忙にも関わらず付き添ってくれ、 1週間ほど一緒にいてくれました。家の完成後、看病で東川には数回しか来られず、部屋には日用品がほとんどありませんでしたが、彼女が買い物から食事の支度まで手伝ってくれました。

その年の冬は、できるだけ東川で過ごしました。東京の家は小石との思い出がよみがえって耐え難く、大きく包み込んでくれる東川の家だけが安らげる場所でした。ひとりの夜、降りしきる雪をただ静かに眺めていると、小石が隣にいるような気がしました。

東川の家からの雪景色

家にこもりがちだった私を、多くの友人たちが訪ねて来てくれました。町の人たちとまだ今のようにはつながっていなかったあの冬、ずっとひとりで過ごしていたら、食生活もいい加減になっていたかもしれません。でも、友人たちが私をそうさせてはくれませんでした。

二拠点生活5年目の現在、月の大半を東川で暮らす

二拠点生活を始めて5年目の春がやって来ました。当初東川で暮らすのは月に1週間ほどでしたが、次第に東川と東京が半々になり、今では東京に行くのは1カ月に1~2度、滞在は長くても1週間です。何かと便利なので、住民票は東川に移しました。

自然に近い場所で暮らしたいと望み、「少しずつならできるかも」と始めることにした二拠点生活。当時は東川を中心とした生活がこんなに早く実現するとは想像していませんでした。コロナ禍はつらいできごとでしたが、リモートワークが一気に普及し、仕事の拠点と別の場所で暮らすことの壁は格段に低くなりました。

東京で働き、東京の友人と会って話をするのは楽しいことですが、今、私は刻々と表情を変える東川の自然の美しさ、豊かさに心を奪われています。冬は時々しか顔を出さない十勝岳連峰の白い山々に映る夕陽のグラデーションや、ある日を境に一気に咲く春の花々を見逃したくありません。ですから、特に用事がなければ東京に行ってもすぐに帰ってきてしまいます。

東川の友人たちと「今日は庭に蕗のとうが顔を出したよ」「向かいの山のエゾヤマサグラが綺麗だから、明日、見に行きませんか?」と連絡を取り合うひとときも、とても大切にしています。ここで暮らしはじめた当初、近所に知り合いはほとんどいませんでしたが、ご近所女子会を開いたりするうちにおつき合いが始まり、少しずつ友人の輪が広がっていきました。先日、高熱で寝込んだ時には友人たちが差し入れをしてくれてとても助かりました。

住んでみたい場所があっても、自分たちに合った暮らしができるのか不安な人も多いかもしれません。私たちの場合は、何度も東川に遊びに来て町の空気や気候を感じ、知り合いもできて、「この歳からの雪国暮らしも、家の立地や断熱を工夫すれば大丈夫だね」などと一つひとつ不安を解消してから一歩を踏み出しました。どんなことでも準備期間は必要です。気になる場所があるなら、季節ごとの旅行や、ウィークリーマンションを借りるなど、まずは何回もそこを訪れてみることをおすすめします。

東川の家に集う友人たちの笑顔が喜び。敷地の隣にリトリートの宿を準備中

この5年の間に、キャリアはひとつの節目を迎えました。50代後半から事業を開拓してきたインテリアのプロ向け会員サロン「MLクラブ」や、個人邸向けスタイリング事業「MLスタイリング」の業績が好調で、60歳で定年後も1年ごとの契約更新を重ねていたのですが、2024年4月、65歳の誕生日に再雇用制度の期間が満了。その後も『モダンリビング』の仕事を続けることが決まっていたので、株式会社2M houseを設立しました。

起業後は、ローカル誌の連載記事の執筆や東川町が主催するインテリア関連のイベントの企画など、地域の仕事もいただくようになりました。二拠点生活についての講演やセミナー、旭川家具を紹介する記事の執筆など東川での暮らしに関連したものも増えています。これまでやってきた仕事や経験のすべてが今につながり、東川の町のことを皆さんに知っていただくお手伝いができていることを幸せに感じています。

「東川2M house」で開催した、地元の作家さんとのコラボイベント

今は、2026年秋ごろを目標に、1日1組2名限定の小さな宿を始める準備を進めているところです。設計はすでに森山さんにお願いしました。敷地の一角に30平米ほどの「ミニ2M house」を建て、日常の疲れを癒すリトリートの宿にしたいと思っています。

着想が生まれたのは、1年半ほど前です。東川で暮らしてから、毎月のように遠方からの友人たちが遊びに来てくれる日々が続いていたのですが、誰もが、この歳になると介護や自身の病気など何らかの事情を抱えていたりします。そんな友人たちがこの家で庭を眺めながら食事をして過ごすうちに、やわらかな表情になっていくことをとてもうれしく感じていました。

また、SNSで発信をしていることもあり、友人以外の方からもこの家に来たいと言っていただくことが増えていました。東川の自然、そして自然をそのままに感じられる住まいの力をもっとたくさんの人に知ってもらいたい。そう考えていた時に、玄関横の敷地が空いていることにふと気づき、「そうだ。宿をやろう」と思ったんです。

私自身、小石が旅立ってどん底の状態で東川に来て、ここの自然にとても慰められました。町の人の優しさや、この家で一緒に料理をし、ごはんを食べてくれた友人たちの存在にどれだけ救われたかわかりません。

友人とはゆるやかにつながる家族のような関係。それぞれ独立した個があり、必要なスペースを確保しつつ、つながりを感じています。ひとりやふたりといった小さな世帯が多い時代、家族以外の身近な人たちと支え合っていくことが以前よりも大切になっているのではと思います。それぞれ自立して生きていくんだという心構えは大切ですが、何でも自分でやろうと思っていると自分が苦しくなってしまいます。人を頼ったり、助けてもらったりすることを拒まない。それも大事なことだと思います。

もうひとつ、ひとりになった時におすすめしたいのは、日々の小さな暮らしの中で自らを楽しませることです。私がいつも大切にしているのは「少しだけ丁寧に」ということ。すごく丁寧にやろうとすると疲れるので、「少しだけ」。朝食のお皿を毎日変えたり、お気に入りのカップでお茶を飲んでみる。それだけでも人は幸せになれます。ただ口にものを入れるだけでは、食べることすら億劫になりがち。自分が楽しい、心地良いと思う瞬間のためのひと手間を惜しまないことが、人生を豊かにすると信じています。

天気の良い日はテラスで朝食を

取材・文/泉彩子 撮影/和田北斗(メイン写真)

 

*ライフシフト・ジャパンは、数多くのライフシフターのインタビューを通じて紡ぎだした「ライフシフトの法則」をフレームワークとして、一人ひとりが「100年ライフ」をポジティブに捉え、自分らしさを生かし、ワクワク楽しく生きていくためのワークショップ「LIFE SHIFT JOURNEY」(ライフシフト・ジャーニー)を個人の方及び企業研修として提供しています。詳細はこちらをご覧ください。

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