私立中学・高校の英語教師として35年間勤務し、59歳で早期退職した萩原有紀さん。「いつかは大好きな紅茶に関わる仕事がしたい」と40代からスクールに通い、紅茶の資格を次々に取得。ライフシフトについても書籍やセミナーで学び、退職後のキャリアを模索してきました。現在は個人事業主として、紅茶教室の開催、カルチャーセンターの講師、イベント企画といった分野で活動の幅を広げています。集客はSNSでPRをしたり、営業活動を行うなど、慣れないことにもチャレンジ。利益はまだまだといいますが、紅茶を通して人や社会とつながることを楽しんでいらっしゃいます。好きを仕事にした萩原さんのライフシフトの過程をうかがいました。

PROFILE

萩原有紀さん(NO.144)

■1965年生まれ。大学・大学院では英米文学を専攻。卒業後、1990年に共立女子第二中学校高等学校に英語教師として勤務。2025年に早期退職し、紅茶・英国菓子の個人事業「Yuki’s Tea」をスタート。ティーコーディネーター、シニアティーアドバイザー、紅茶学習指導員、和漢薬膳師、セカンドキャリアアドバイザー、日本フェムテック協会認定資格2級など多数の資格を持つ。現在、自宅教室でのレッスン、まちゼミ講師、NHK学園国立オープンスクール講師、コラボイベントなどで活動中。

■座右の銘:学び続けること、動き続けること

Yuki‘s Tea

手作りのお菓子と紅茶が日常の幼少期

私が紅茶と出会ったのは、小学4年生のときです。父親の仕事の関係で1年半ほどアメリカに住んでいたのですが、そのとき朝食にパンと紅茶が出てきたことを鮮明に覚えています。母はもともと紅茶が好きで、アメリカでは素敵なティーポットとカップのセットを手に入れました。帰国後もそのセットは大切に飾られていて、母がいつも作ってくれていたケーキやクッキーとともに、幸せな記憶として私の中にありました。高校生になると私もお菓子を作るようになり、紅茶を飲むのが日常に。とはいえ紅茶は「趣味として楽しむもの」と考えていて、将来の仕事に結びつけることはありませんでした。

もう一つ、幼い頃の記憶として残っているのが、父が海外出張から持ち帰る各国の民族衣装を着た人形たちです。棚に並ぶ人形を眺めながら「世界にはこんなにいろんな国があるんだ」と異なる文化や言葉への好奇心が自然と育まれました。そういった背景から大学では英米文学を専攻し、大学院まで進みました。

アメリカ滞在中、家族でディズニーワールドへ。

女性でも一生仕事が続けられる教職に

当時は80年代で、女性が一生キャリアを貫くのはまだまだ難しい時代でした。しかし大学のゼミで、イギリスの女流作家マーガレット・ドラブルに出会ったことで、女性のキャリアと自立に大きな関心を持つようになったのです。彼女は、結婚、出産、育児と自己実現の間で葛藤する現代女性を、知的で鋭いリアリズムで描き、世界中で大人気に。私も作品に感銘を受けて、彼女に手紙を書いたところ、なんとイギリスでの講演会にお招きいただき、ご自宅にまでお邪魔させてもらう機会に恵まれました。彼女から大きな影響を受けた私は「仕事は一生続けていく」と決意が固まっていきました。

また、私がキャリアにこだわったのは両親の影響もあります。父は外資系企業に勤めていたこともあり、「これからの女性はずっと働き続けるべきだ」という考え方で、昭和の男性には珍しいタイプでした。母は専業主婦として温かい家庭を築いてくれましたが、子どものために自分を犠牲にする姿も見てきました。そんな両親の言動からも、自立して生きることは私のテーマとなったのです。

就職先は、男女平等で一生働ける道として教員を選びました。共立女子第二中学校高等学校に就職し、英語教員として35年間勤務。生徒に英語を教え、彼女たちの成長を見守ることに喜びを感じ、やりがいのある仕事でした。当然のことながら結婚・出産後も仕事を続けました。30代は仕事と子育てで余裕がなかったのですが、下の子どもが小学校に上がった42歳のときに、自分の時間を少し持てるようになりました。すると「何かを学びたい」という気持ちが強くなり、大好きな紅茶の勉強を始めることにしたのです。

教員時代の教室での授業風景。

40代は仕事と紅茶と介護の日々

まずは通信教育でティーコーディネーターの資格を取り、翌年にはスイーツスペシャリストの資格も取得。紅茶の世界の深さに触れるほど、もっと知りたいという気持ちがふくらんでいきました。日曜日しか休みのない生活でしたが、日暮里にある紅茶教室に八王子から月1回通い、シニアティーアドバイザーの資格も取得。紅茶のイベントがあると聞けば迷わず駆け付け、40代の休日はほとんど紅茶漬けという日々でした。

一方、40代後半になると介護が始まりました。母が脳梗塞で入院し、父も白血病に倒れ、2つの病院を1日の中でかけ持ちすることもありました。父は診断されてからわずか1ヶ月半で亡くなりました。78歳でした。父は50歳を過ぎてから絵を描き始め、早期退職後は好きな絵と向き合い続けました。本当は画家になりたかったのだと思います。母は紅茶やお菓子が大好きでしたが、70代で寝たきりに。父が亡くなってから5年後に母も静かに逝きました。両親を見送ってからは「人生いつ何があるかわからない。やりたいことはやれるうちにやらなければ」という思いが強くなりました。

この頃から定年後の生き方に関する本をたくさん読み始め、自分のキャリアにもやもやしてライフシフト・ジャパンのワークショップ「LIFE SHIFT JOURNEY」にも参加しました。プログラムで「未来地図」を書いたとき、私が描いたのは「紅茶×キャリア」という組み合わせです。紅茶は好きなことであり、キャリアはマーガレット・ドラブルの時代からの私のライフワークです。それらを合わせて、これからの人生に活かしていきたいと考えました。

多摩信用金庫が実施していた無料の起業相談に行ったのもこの頃です。相談員からは「実践を積まなければだめ」という助言を受けました。そこで知人を集めて紅茶教室を開いたり、シフォンケーキ専門店のイベントで紅茶を淹れたり、教員として勤めながら実践的な活動をスタートさせました。紅茶の仕事をするため、食品衛生責任者の講習会を受講し、製茶業の営業許可申請を実施。個人事業主登録も行いました。とはいえ学校では責任ある立場を任されており、すぐに辞めて新しい仕事をすることは考えていなかったのです。

本をたくさん読み、キャリアについて学びを続けてきた。

ストレスで体調を崩し、早期退職を決意

当時は学年主任を6年間務めた後、進路指導部主任に就いていました。生徒一人ひとりのキャリアを支援するキャリア教育はやりがいがありました。しかし、進学実績を作り、数字で結果を出さねばならない業務がどうしても自分に合わなかったのです。その頃から頭痛、めまい、食欲不振、集中力の欠如といった症状が顕著になり、体重が40kgを切って、栄養が体に入っていかない状態に。病院に行くと自律神経失調症という診断でしたが、仕事を休むことはできません。一日の記憶が丸ごと飛ぶ「一過性健忘症」の症状が出たこともありました。医師からは「休みましょう」と何度も言われましたが、私は「こんなに忙しいのに休めません」と頑なに答えていました。ところがコロナに罹患した後、体が回復しても、気持ちがまったく仕事に向かわなくなり、「もう無理だ」という状態になりました。産業医やメンタルクリニックの意志の助言を受けて、ようやく3か月休職する決断をしたのです。これまで休まずに走り続けてきた私にとって、休職は敗北のような悔しさがありました。でも次第にこれまで自分のケアをおざなりにしてきたことがわかってきたのです。

休職中はシドニー大学のオンライン講座「Positive Psychiatry and Mental Health」を受講しました。いかに自分がワークライフバランスを欠き、ストレスマネジメントも運動もしていなかったことを痛感しました。ウェルビーイングという考え方、公共機関の支援を活用することの大切さを学び、今度は八王子のリワークセンターに通い始めました。認知行動療法、自律神経の意識、セルフケア、マインドフルネスなど、リワークセンターでの体験は、自分の思考の癖や行動パターンを見つめ直す貴重な時間でした。休職中に和漢薬膳師の勉強も始め、食事から自分を立て直すことも意識するようになりました。3か月の休職で、少しずつ気力、体力も回復していったのです。

無事に仕事には戻ったものの、また無理をすると体調を崩すことは目に見えています。「65歳の定年まで今の体力のまま働き続けたら、65歳で新しいことを始めることなんてできない」と悟りました。2人の子どもたちも独立し、学費もかからなくなり、さしせまったお金の心配もありません。住宅ローンも完済しています。それから半年後、35年間勤めた学校を早期退職しました。辞めることを決めてからは、起業を支援してくれるTOKYO創業ステーションに通い、事業計画書も作成しました。先生からは「紅茶専門店なんて難しいよ」と言われましたが、計画書通りに進めば、3年後には赤字を回収できる見通しが立ちました。2025年3月に辞めて、4月から「Yuki’s Tea」を本格スタート。ロゴには私の紅茶の原点でもある、母がアメリカで買ってきたティーポットポットのイラストを描いてもらいました。

母から受け継いだ思い出のティーポット。

うまくいかなかった経験も必ず次に活きる

現在は、自宅を教室にして紅茶レッスンを開催するほか、週1回レンタルスペースのティールームでもレッスンを行っています。マルシェへの出店、紅茶専門店とのコラボイベント、まちゼミ、NHK学園国立オープンスクールの講座など、さまざまな形で紅茶に携わる日々を送っています。湯河原で「BRITISH CAKE HOUSE」を展開する英国菓子の小澤祐子先生のもとでの学びも続けています。

自宅でのレッスン。月に1回、女性限定で開催。

正直なところビジネスとしての道のりは平坦ではありません。守られた組織から離れ、自ら集客し、お金をいただく責任の重さを痛感しています。コンサルティング会社に勤める息子からは厳しいアドバイスがあり、人材業界にいる娘からは営業の厳しさを説かれる毎日です。収入面でもまだ生活費を賄えるレベルには達しておらず、初年度の年収は教師時代の10分の1でした。ただ毎日の通勤がなくなると洋服代などの支出も減り、今のところ何とかトントンで回している状態です。

周りの人からは「趣味が仕事でいいですね」とよく言われます。でも私は最初からビジネスを始めるつもりでスタートしました。趣味は自分が楽しければそれでいいですが、仕事にする以上は、コスト、集客、お客様のニーズ、収益などを考えなければいけません。下手なレッスンはできませんし、納得いかないお菓子は作り直します。お客様からお金をいただく緊張感は常に忘れていません。

今はとにかく思いついたことは試して、需要を探っていくしかありません。英語でのアフタヌーンティー講座、企業向けの紅茶でのウェルビーイングプログラム、スコーンパーティーなど、たとえうまくいかなかったとしても、やってみた経験が必ず次に活きると信じています。娘からは「できないと言うのではなく、どうやったらできるかを考えるんだよ」と言われ、自分の指針になりました。

一方で、利益ばかりを追いすぎると、純粋に紅茶を楽しめなくなっていまいます。組織のしがらみがなく、一緒に仕事をする人を自分で選べるこのスタイルは、今の自分にはとても合っています。自分の手でお菓子を焼き、丁寧に紅茶を淹れ、それを通じて誰かが「ほっ」とする時間を提供できるには何よりも幸せです。学校という閉じた世界から出て、自分の腕や技術で食べている方々とつながれるのも面白いですね。

紅茶を通して人や社会とつながり続けることが今の私のテーマですが、小さなお店を持つことも夢の一つです。紅茶と英国菓子と、知り合ったアーティストさんたちの作品を一緒に並べる小さな空間。近所の商店街が高齢化で寂しくなっていく中で、地域の人が紅茶を飲みながらほっと一息つける場所を作れたらと思っています。また私が長年培ってきたキャリア教育の知見と紅茶を融合させることも考えています。おいしいお茶を飲みながら、キャリアを見つめ直すワークショップを開いたり、多忙な現役世代の方々にセルフケアの大切さを伝えていきたい。やりたいことはたくさんあります。

いまでは頼もしいアドバイザーの子どもたち。退職のお祝い会で。

70歳を一つの区切りにしてそこからまた考える

人生100年時代ですが、私の場合、まずは70歳を一つの区切りにしています。70歳まで全力でやってみて、その後もまだ続けられそうなら次の10年を考えます。80代でもイキイキと人生を楽しんでいる生徒さんを見ていると「70歳で終わりじゃないかもしれない」という希望も持てます。両親を見送った経験から健康でいてこそ好きなことができると実感しているので、毎日散歩をしたり、意識して体を動かすことも欠かせません。

まもなく35年ぶりにイギリスへ行きます。働いている間はお金があっても休みが取れず、ようやく実現したのです。女性の場合、子育てが終わったら更年期、親の介護がやってきて、自分のやりたいことが後回しになりがちです。私自身がそうでしたが、40代で月に1度は紅茶教室に通い続けるなど、好きなことを手放さなかったから、夢を実現させることができました。その時々の役割をこなしながらも、自分の軸を見失わないでいると、点と点は必ず線になります。今、自分の「好き」を見つけられなくても、学ぶことはいつでも、どんな状況でも続けられます。そして、動き続けることで、予期せぬ出会いと機会が生まれると思っています。

(取材・文/垣内栄)

*ライフシフト・ジャパンは、数多くのライフシフターのインタビューを通じて紡ぎだした「ライフシフトの法則」をフレームワークとして、一人ひとりが「100年ライフ」をポジティブに捉え、自分らしさを生かし、ワクワク楽しく生きていくためのワークショップ「LIFE SHIFT JOURNEY」(ライフシフト・ジャーニー)を個人の方及び企業研修として提供しています。詳細はこちらをご覧ください。

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