大学卒業後に入社した医療機器を扱うメーカーに39年間勤務し、最後の5年間は関係会社の取締役を務めた小出さん。62歳で定年退職し、以前から計画していた福祉タクシー事業をひとり起業しました。毎年家族で旅行していたハワイで障がいのある人が車椅子で楽しそうに福祉タクシーに乗って観光している姿を見て感動し、「定年後はハワイで障がいのある日本人ツーリストのための福祉タクシー事業をしたい」と考えるように。しかしコロナ禍や円安、ハワイの物価高などの影響でハワイでの事業は断念し、自宅のある世田谷区を中心に福祉タクシー事業を始めました。明るく、話好きな小出さんは、ハンディキャップを持った利用者の方との「楽しい送迎」をスローガンにし、現在は高齢の乗車リピーターが6割を超えているそうです。人間力も培ってきた小出さんのライフシフトをうかがいました。
小出雅彦さん(NO.145)
■1962年生まれ。駒澤大学卒業後、1986年に東芝メディカル(現キャノンメディカルシステムズ)に入社。CTやMRIなど販売する医療機器メーカーの営業職として勤務。様々な立場の管理職も経験し、最後の5年間は関係会社の取締役に。2025年3月に定年退職し、個人事業主として福祉タクシー事業「K.assist」を設立。普通自動車二種免許・介護職員初任者研修修了・普通救命技能認定資格などを取得し、世田谷区を拠点に活動している。
■家族:妻、息子
■座右の銘:継続は力なり
大手医療機器メーカーに就職し、営業職として活躍
私の大学時代は80年代のバブル直前で、大学にはあまり行かず、サーフィンばかりしていました。千葉・鴨川にクラブハウスを借りていて、そこから大学のある世田谷駒沢までクラブ員と一緒に車で授業を受けに行くといった日々です。年間で100日ぐらい海に行った年も(笑)。当時は体育会競技サーフィンの強豪大学で、毎年全日本大学サーフィン選手権大会に出場していました。
大学時代は、将来について「こうなりたい」といった具体的なものはなく、就職先は、父親の紹介で医療機器を扱う東芝メディカル(現キャノンメディカルシステムズ)に入社しました。営業職として配属されましたが、入社直後は本社勤務で、顧客との接点が薄く、「仕事が面白くない」と感じることも。しかしその後、支社に異動になってからは、医師の先生方や技師さん、病院経営層といった顧客との接点が増え、医療機器営業の仕事がとても面白くなってきました。転職することはなく、39年間同じ会社で勤め上げました。
私の仕事はCTやMRIといった高額な画像診断機器を病院に売り込む営業でしたが、顧客である先生や技師さんからは「小出さんは装置自体の売り込みを、あまりしないよね」とよく言われていました。確かに装置性能の話をするよりも、先生方の悩み事や趣味の話などを聞いてばかり。「商品を売り込む前に、まずは自身を売り込む」のは営業の基本です。世間話や雑談をする中で、しっかりと信頼関係を築き上げ、装置の販売をしていました。「将来えらくなりたい」という野心は薄いタイプでしたが、上司や顧客にも恵まれ、様々な管理職も経験しました。39年間も続けられたのは、営業の楽しさと命に係わる医療機器販売という社会貢献の点が大きかったと思います。当時の会社のスローガンであった「Made For life」「生命・健康の為の社会貢献」は現在の福祉タクシー事業にも繋がっています。

毎年のハワイ旅行が起業のきっかけ
私は大学生時代からサーフィンをしにハワイに行っていたこともあり、結婚してからも毎年家族で旅行するのが恒例になっていました。ハワイではコンドミニアムとレンタカーを手配し、オアフ島では知らない道路がないぐらい通いました(笑)。日本よりもバリアフリー意識の強いハワイでは、福祉タクシーに車椅子で楽しそうに乗車する障がい者を見かけました。その姿に感動し、「ここで福祉タクシー事業をすれば、障がいのある日本人観光客がもっとハワイを楽しめるのでは」と思うようになったのです。こうして40歳くらいから定年後にハワイで起業する夢を温めてきました。
ところが55歳のときに単身赴任で広島に行くことになり、長期休みでハワイへ行く時間を持つことが難しくなってしまいました。さらに、その後はコロナ禍や円安、ハワイの驚くような物価高もあり、ハワイから足が遠のいてしまったのです。定年後にハワイで事業をする夢は断念しても、「いずれは障がいのある人や高齢者に喜ばれる仕事をしたい」という思いは変わりませんでした。会社は定年後も在籍できる雇用延長の制度がありました。でも自分が残ることで若い社員に気を遣わせてしまうのが心苦しく、62歳で定年退職の道を選びました。
退職を決めてから早速、福祉タクシー事業の準備を始めましたが、これが思ったよりも大変でした。まずは、一般のタクシードライバー同様に普通自動車二種免許を取るため、45年ぶりに自動車教習所に通いました。この二種免許クラスは一般のタクシードライバーを目指す若い人ばかりで、自分が最年長でした。苦労したのがこれまでの運転癖です。毎回教官にハンドルさばきを注意され、また普通自動車免許教習ではない、S字コースでのバック走行など、特殊な運転技術教習を受講しなければなりません。なんとか教習所の卒検を通過し、運転免許試験場での100問筆記試験免許にも合格し、念願の二種免許を修得できました。その後、国土交通省の福祉タクシー事業認可を取るまでに約3か月かかりました。複雑な手続きが必要なので、専門のコンサルタントに依頼しましたが、個人で行うには至難の業でした。また区役所に何度も足を運び、自宅を事業所にする申請にも時間を要しました。
同時に、介護職員初任者の資格も取りに行きました。ここでも受講者は若い人ばかりで自分が最年長です。資格の取得までは約1か月かかりました。福祉タクシー事業にこの資格は必須ではありませんが、区の福祉タクシーの登録業者になるときに有利なのと、なにより利用される方やご家族にも安心していただけます。福祉タクシー利用者の方の命を預かる責任の重い仕事なので、準備は入念に行わなければなりません。こうして退職から約半年かかって準備を完了し、2025年10月末に「K.assist」を設立。個人事業主として事業をスタートさせました。

ご高齢のおばあさまたちに人気でリピーターも多い
福祉タクシーは一般のタクシーと違い、流し運転はなく完全予約制です。そのため、いかに利用者の皆さんに自身の福祉タクシーを認知してもらうかが集客の大きなポイントとなります。最初は近所の介護施設や高齢者施設を回って営業活動を行い、世田谷区の福祉タクシー指定業者にも登録しました。また車椅子でも入れる美容室や病院でもチラシを置いてもらい、次第に依頼が増えるようになったのです。利用された方が次の予約をしてくださったり、口コミが広がってご依頼が増え、今ではリピーターが約6割という状況になりました。
事業を始めてみて驚いたのが、利用される方の約7割が高齢者だったことです。当初は障がいがあって車椅子を利用されている方を想定していました。でも私が住んでいる世田谷区は普通のタクシーがつかまりにくく、高齢者が普通のタクシーの代わりに福祉タクシーを呼ぶケースも多かったのです。病院や介護施設への送迎だけでなく、美容室や銀行、買い物、観劇、お墓参りなどに行きたいという方も利用されます。障がいを持ったお子さまたちの通学や通園通所も徐々に増えてきています。パラリンピックを目指す将来のパラリンピアもプールや競技場への移動で利用されました。
福祉タクシーは、乗車される方の人生の「生き様」を垣間見る場でもあり、私も運転しながらそれぞれの人生の話を聞くのがとても楽しいんです。妻からは「あなた、ちょっと聞きすぎよ」と諫められることも(笑)。じつは会社にいたときも、悩んでいる部下たちがいると公私を飛び越えて話を聞いていたので、周りからは「プライベートに深入りし過ぎです」「ハラスメントと言われるリスクがあります」と注意されたことがありました。しかし、病んでいる部下がいるとほっておけない性分で、深く話を聞いてクレームを受けたことは全くありません。福祉タクシー利用者の方も私にはなんでも話してくれるので、その会話を毎回楽しみにしております。
あるとき、ご高齢の利用者の女性から「お母様はご健在?」と聞かれたことがありました。母は私が30代のときに64歳で亡くなっています。その話をすると「あなたはお母さんに親孝行できなかったから、おばあちゃんたちに優しくできるんじゃない?」と言われ、ハッとしました。確かに私は高齢者の方に母の姿を重ね合わせているのかもしれません。タクシーに乗車いただいたおばあさまたちがバックミラー越しに笑っている顔を見ると、安心してとてもうれしくなるんです。逆に元気がないおばあさまがいると心配になり、こちらから様子伺いのご連絡をすることもあります。病院への送迎では、利用者の方の要望で病院内まで付き添うケースもあり、時には診察室で先生の話を一緒に聞くことも。ただ単に送迎するだけでなく、安心安全に診察を終え、一時でも心身のハンディキャップを忘れて、私の車での移動時間を楽しく過ごしてほしい。そんな思いでこの仕事を続けています。
また、この仕事をしていると悲しいお別れもありますが、忘れられない出来事をひとつお話します。福祉タクシー事業を始めてまもなく、ホスピスに入っていた男性の送迎があり、その方の最後のお仕事に私のタクシーで送迎させていただきました。職業は設計士さんで、自身が設計したマンションの竣工前検査に立ち合われたのです。私と一緒に車椅子でマンション内を周り、帰りは関係者数十人に見送られてホスピスに戻りました。帰りのタクシーの中では「小出さん、最後の仕事に付き合ってくれてありがとう」と感謝され、それからも半年ほど、病院とホスピスの送迎が続きました。
ある日、病院からの帰り道で「旨いそばが食べたいなぁ」とおっしゃいました。鼻から酸素を送るチューブが入っている状態でしたが、「行きましょう!」と言って車椅子で入れるそば屋に寄り、一緒にそばをすすりました。すると「旨いそばが食べられた!おいしかった!ありがとう!」ととても喜んでくださって、そのときの笑顔が今でも忘れられません。その後、奥様から「主人が亡くなりました」という訃報をいただきました。仕方のないことだとわかっていても、やはりお別れは胸が痛くなります。送迎の途中に一緒に食事をするのは、福祉タクシーの範囲を超えていることかもしれませんが、利用者の方の願いを叶えることができてよかったと思っています。

1日3~4時間勤務で趣味も楽しむ生活
福祉タクシーは現在、世田谷区登録事業者だけでも100社ほどが存在しており競争相手も多いです。中にはビジネス優先の事業者もいて、それは経営する上で仕方がないことですが、ハンディキャップを持つ利用者の方に寄り添う事業者が少ないようにも感じています。福祉タクシーは単なるビジネスと捉えるのではなく、まずは思いやりが優先です。乗車された利用者の方がいかに満足し、快適な時間を過ごしてもらえるかを心掛けている自分は、利益だけを追求する姿勢には疑問を持っています。
会社員時代の後輩たちから「福祉タクシーの仕事はどうですか」と興味を持って聞かれることも多いです。日本は高齢化が進み、福祉タクシーの需要はますます増えると思います。女性ドライバーも多く、普通自動車二種免許と介護知識があればどなたでもできます。ただし、利用者の方の人生の「生き様」に入り込む仕事でもあるので、一般タクシー的な感覚では到底出来ません。思いやりと人と話すことが好きな方が向いていると思います。
利用者の方を車椅子からベッドまで運ぶこともあり、体力も必要な仕事です。「継続は力なり」で、私はラジオ体操と腹筋・背筋は20年以上続けています。最近は膝が気になってきたので、スクワットも加えました。体の動く限りはこの仕事を続けたいと思っていますが、運転する際の緊張感が薄れてきたら、そのときは潔くやめます。後ろに車椅子の方を乗せているわけですから安全に運転できる自分でいることが第一です。
今は平日に1日3~4時間程度働き、残りの時間は趣味のサーフィンやバイクを楽しんでいます。会社員時代と違い、時間の融通はいくらでも利くので、妻とランチをする時間も増え、会社員時代より話をする機会も格段に増えました。これまで事業にかかった大きな起業資金は福祉タクシーの購入と二種免許取得費くらいです。自宅を事務所兼駐車場にしているので、固定費がかかるのはガソリン代と車の定期点検代のみ。収入は月に15万から20万円ぐらいで当初の計画通りです。規模を拡大しようと思えば、ホームページなどを開設し、予約サイトを作り、車両も増やし、スタッフを雇えば可能でしょう。しかし私は現状のままひとりで働き、好きなときに休んで、送迎の依頼があればやるくらいの今の働き方がちょうどいいと思っています。
定年後の第二の人生、人の役に立ち感謝される仕事。この福祉タクシー事業は私にはぴったりの仕事で、今はとても楽しいです。それぞれハンディキャップを持った利用者の皆さんが「小出さんのタクシーに乗ると元気が出る」と言ってくれる。それを糧にK.assist号のハンドルを握り続けていきます。


(取材・文/垣内栄)
*ライフシフト・ジャパンは、数多くのライフシフターのインタビューを通じて紡ぎだした「ライフシフトの法則」をフレームワークとして、一人ひとりが「100年ライフ」をポジティブに捉え、自分らしさを生かし、ワクワク楽しく生きていくためのワークショップ「LIFE SHIFT JOURNEY」(ライフシフト・ジャーニー)を個人の方及び企業研修として提供しています。詳細はこちらをご覧ください。
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