PROFILE

別宮健三郎さん(No.60)/キリロム工科大学 担当副社長、vKirirom Pte.Ltd. 取締役
■カンボジア、キリロム高原在住、42歳。アクセンチュア株式会社でコンサルタントとして13年間勤務。自動車会社などをクライアントとして業務改善の仕事に関わった後にvKirirom Pte.Ltd.に取締役として入社。1年間の単身赴任をへて、妻の定松さん、7歳と4歳の娘も、カンボジアに合流する。

■座右の銘:理屈も感情も両方大切

 

定松(本名:別宮)真理子さん(No.61)/A2A Town (Cambodia) Co., Ltd 経営企画室長
■カンボジア、キリロム高原在住、39歳。アクセンチュア株式会社でコンサルタントの仕事に従事。2度目の育休後、アクセンチュアの教育休職制度を利用して、慶應義塾大学のビジネススクールに通いMBAを取得する。ガートナージャパン株式会社を経て、2019年1月、2人の娘とともにカンボジアへ移住し、現職。

■座右の銘:中庸と情熱

 

キリロム工科大学
キリロム工科大学付属インターナショナルスクール

 

4人の独立した個人としての未来を考えた

子どもの教育とキャリアの両立する場所、カンボジア・キリロム高原に家族で移住(別宮健三郎さん、定松真理子さん/ライフシフト年齢(41歳、38歳)

別宮 キリロム工科大学とは、カンボジアのキリロム国立公園の大自然の中で、先端のITを英語で学び、テクノロジーが加速度的に進化する中で即戦力となる人材を育てようとするプロジェクトです。ソーシャルアントレプレナーである猪塚武が手がける、教育事業を中核にカンボジアにシリコンバレー型の街づくりを目指す事業で、2018年には附属のインターナショナルスクールも立ち上げました。私と妻が、ここに働きの場を移すとともに、7歳と4歳、二人の娘もその環境の中で育てようと考えました。背景には、4人の人生、一つも犠牲にすることなく、それぞれの人生の理想を求めたいという想いがありました。

私自身は、アクセンチュアに入社して13年、そろそろ次のステップに進むタイミングではないかと感じていました。コンサルタントという仕事には不満はなく、恵まれた時間を過ごしていました。しかし、一生の仕事として考えた時、企業経営の主体ではなく、あくまでサポートする存在であることにはがゆさを感じることはありました。私は仕事について考える時「そこに大義はあるか」と考えることが多いのですが、事業の主体側としてこれまで以上に大義を感じられる、そんな仕事にいつか就きたいと考えていました。

定松 私もアクセンチュアに勤めていたのですが、別宮さんと仕事上のつながりはなく、社内の勉強会で出会って結婚しました。最初の娘と2番目の娘ができた時、それぞれに育休をとり、2度目の育休明けに社内の教育休職という制度を使って慶應義塾大学のビジネススクールに通い、MBAを取得しました。その成果を生かす仕事をしたいと考えて、別のコンサルタント会社に転職したのが2017年4月。上の娘が小学校に入ったタイミングで、ちょうど私にとっても大きな転機にありました。

子どもの教育とキャリアの両立する場所、カンボジア・キリロム高原に家族で移住(別宮健三郎さん、定松真理子さん/ライフシフト年齢(41歳、38歳)

小学校1年の授業参観で感じたカルチャーショック

別宮 そのような時期に「たまたま」いくつかの事件と出会いがあり、今回の決断につながりました。最初は、子どもの小学校の授業参観で受けた衝撃でした。そもそも、子どもの教育に関しては、中学までは普通に日本の公立の学校に通わせようと思っていました。私自身が日本の公教育から学んだものが多かったからです。しかし、小学校に入学した子どもの授業参観で見た教室の風景は、驚きでした。まず、世の中が、これほど変化しているのに小学校のコンテンツ、教育スタイルが私の小学校時代とほとんど変わっていません。また、私が子供の頃と比べても、学校のサイズも小さく、クラス数も少ない。集まる生徒さんの生活レベルもほぼ均一で、昔の公立にあった“ダイバーシティ”も無くなっているように感じました。この環境に6年間子供をおいておくことに危機感を感じました。

学校以外の環境についても、東京で暮らしていると、一緒に遊べる子どもの数も少なく、マンションでは騒ぐなと言われ、公園ではボール遊びも思う存分できません。

仕事の「大義」と、教育の理想が両立する場所

別宮 もう一つの出来事。「たまたま」当時同じプロジェクトで働いていた人にキリロム工科大学の株主の奥さんの同級生(笑)がいて、その人から、アクセンチュアの卒業生で、おもしろい事業をやっている会社があるという話を聞きました。「別宮さんとも気が合うんじゃないか」と言われて、それじゃあ、みんなでカンボジアに視察に行こうか、と。現地では、社長の猪塚武とも会って話をしました。最初は、話が壮大すぎて(笑)、内容が理解できませんでした。しかし、これまで私の中にあった経営者やマネジメントクラスの人とは全く異なる特徴を持つ猪塚武に魅了されました。「経営者なのに(いい意味での)“人たらし”的な要素がない」、また「株主に還元するまでは飛行機のビジネスクラスに乗らない」など、私がこれまで期せずして持っていた価値観を壊してくれる新しさを感じ、とても新鮮に映りました。

これまでの仕事を通して身につけてきたものを、会社のブランドを外してどこまで通用するか、この経営者のもとでチャレンジしてみたいと考え始めました。最初はまさかカンボジアに転職することなど思いもよりませんでしたが、2017年3月、5月、7月と3回にわたって、カンボジアや日本で彼に会い、新しい挑戦の場として強く意識するようになりました。「大義」ということでいえば、カンボジアの大自然の中に、ITと英語を教える学校をつくり、日本の教育課題という問題を解決するというキリロム工科大学のそれは大変に魅力的なものでした。

子どもの教育とキャリアの両立する場所、カンボジア・キリロム高原に家族で移住(別宮健三郎さん、定松真理子さん/ライフシフト年齢(41歳、38歳)

定松 以前より、別宮さんが「大義」のある仕事にいつか就きたいと考えていることは知っていましたので、転職の話が来たら背中を押したいとは思っていました。でも、カンボジアの会社で働きたいと打ち明けられたのは、2回目の産休と、その後のMBA取得を経て、まさに私が新しい場所での仕事をはじめた時でしたので「お願いだから、このタイミングだけは避けて!」というのが本音でした。ただ、縁とタイミングが大事なことも理解していたので、結果的には応援することとなりました。

子どものためにも、夫のためにも自分を犠牲にしない決断

定松 子どもをキリロム工科大学の附属小学校に転校させることには、まったく異論ありませんでした。大自然の中で育ち、その中で英語をはじめとするグローバルで通用する力を培っていくというのは、どう転んでも本人たちの財産になるというのが夫婦両方の意見でした。問題は、夫の転職と子どもの学校が、そちらの方向に向かっていく中で、私自身のキャリアをどう位置づけていくか。別宮さんからも「夫と子どものために、妻のキャリアを犠牲にはしたくない」と言ってもらえました。

そこに必要なのは、私自身のストーリーだと考えました。私自身がキリロムの事業とともにありたいか、私のライフワークはどうあるべきか。考えた結果、「ソーシャルインパクト」というキーワードに辿り着きました。社会的に意義のある事業をビジネスとして成し遂げる、経済格差をビジネスを通して克服していく仕組みを創ることで持続性を持ち、底辺から世界を変えていくというコンセプト。学生時代から国際関係を仕事にしたいという思いはありました。そしてアクセンチュアでの経験や慶應ビジネススクール時代にアメリカのビジネススクールに短期留学した経験から、人材教育こそが社会を変える鍵を握ると感じていたことも重なりました。結果、キリロム工科大学は、ソーシャルインパクトを生み出せ、自身がライフワークとして取り組むべき事業であると腹落ちし、私もタイミングが整ったらここで働いてみようと意志が固まりました。

キリロムの自然とコミュニティの中で働きながら生活する

子どもの教育とキャリアの両立する場所、カンボジア・キリロム高原に家族で移住(別宮健三郎さん、定松真理子さん/ライフシフト年齢(41歳、38歳)

定松 タイミングはさておき夫婦のキャリア形成の場が一致したといえ、もう二人の当事者である娘たちの気持ちももちろん大切です。親の決めたワクに無理矢理押し込むようなやり方では、子どもたちの幸福にも結びつきません。そこでまずは別宮さんが2017年10月にカンボジアに渡り、12月に娘2人を連れて翌年できるインターナショナルスクールの体験ツアーに行きました。友達ができた長女はいつか「また、あの子に会いたい」と言うようになっていました。次女も、「ママ、私カンボジア好き、ここに住みたい」と言ってくれました。家族1人1人の気持ちが固まり、残ったのはタイミングの問題だけでした。

最初、キリロムには保育園や幼稚園がなかったので、下の子どもが入学する2020年をメドに移住しようと漠然と考えていました。しかし、思い知らされたのは、家族が離れて暮らす難しさばかり。まだ転職して日が浅い仕事に加えて、ワンオペレーションの育児も、双方の両親に大いに助けてもらったとはいえ、想像以上に負担の大きいものでした。一方、別宮さんは極めて多忙。できるだけ仕事に集中できる環境を整えてあげたいと思いつつも、お互いに手一杯で大げんかになったことも何度かありました。私自身もへとへとになり、これではお互い持たないことが明らかだったので、家族が集結し一緒に暮らすことの大切さを痛感し、2019年1月、家族全員の生活拠点をキリロムに移すことになりました。

子どもの教育とキャリアの両立する場所、カンボジア・キリロム高原に家族で移住(別宮健三郎さん、定松真理子さん/ライフシフト年齢(41歳、38歳)子どもの教育とキャリアの両立する場所、カンボジア・キリロム高原に家族で移住(別宮健三郎さん、定松真理子さん/ライフシフト年齢(41歳、38歳)

別宮 現在、キリロムには現地スタッフが約300人、10名弱の日本人スタッフが働いています。その中で、私は取締役の立場で、キリロム工科大学を中心とした事業オペレーションなど、「組織内」の運営に関わっています。一方で、定松さんは経営企画室長としてスポンサー集めやIT案件の新規開拓など「組織外」に向けた活動を行っています。まだ、人数も少なく、組織も固まっていない中で、一人何役もこなしていかねばならず、その中で、夫婦というより同僚として衝突するようなことも多々あります。

今後に関するリレーションシップ上の問題はまだまだ数多くあります。その一方で、日本では考えられないような職住接近の中で、これまでに比べると、家族で過ごせる時間は、格段に多くなっており、私たちが働いているすぐ脇で子どもたちが遊んでいたり勉強していたりするのは、ごく当たり前になっています。また、カンボジアは親日の国で、人々も親切で、自然なふれあいであふれていて、日本ではありえない「三丁目の夕日」的なコミュニティを感じることも少なくありません。

家族で暮らす時間と、子どもが自立するタイミング、どちらも大切にしたい

子どもの教育とキャリアの両立する場所、カンボジア・キリロム高原に家族で移住(別宮健三郎さん、定松真理子さん/ライフシフト年齢(41歳、38歳)

別宮 小学校時代の環境を整えるのは親の責任ですし、家族全員が一緒に過ごせる時間を持てるのも、長い人生の中でいましかないと思います。キリロムでは、近く、中高一貫校をつくるというプランもありますが、中学・高校と進めば、子どもは自分と友達が大事になり、子ども自身の人生が始まると考えています。人生100年時代という言葉にまだ実感は持てません。まだ誰も100年時代を経験した人がおらず、身近なロールモデルがない以上、家族やキャリアとの向き合い方を大きくシフトするのは難しいという風に思っていますが、パートナーと過ごす絶対量が増え、パートナーとの向き合い方、「どう幸せになるか」を共に考え、実践していく時間が圧倒的に増えることは間違いない変化だと考えています。

定松 私も明日、死んでも悔いがないように、いまを生きることを心がけています。まずはキリロムの事業を軌道に乗せ、社会的インパクトを実現させること、家族で過ごす日々をより豊かなものにし、その幸せをかみしめること。一方で、人生100年時代になった時に、夫婦関係をどう熟成させていけるかがとても大切になると想定しています。別宮さんとは、こちらカンボジアでもしょっちゅう衝突していますが(笑)、信頼できるパートナーシップの上で最善を尽くしていきます。