「報われ感」を最大化し「働かされ感」を最小化する究極の働き方改革
同プロジェクトでは、自ら希望する社員を、雇用契約から業務委託契約に転換します。転換後は「3年契約の1年更新」で、タニタから業務を受注します。その間、もちろん他社の業務を受託することも可能です。
いわば、収入が安定した会社員と、自分の裁量を発揮し好きな仕事で稼げるフリーランスのいいとこ取りを目指した、ヒト・ドリブンな 仕組みといえるでしょう。
「タニタ活性化」ではなく「日本活性化」と名付けたのは、このプログラムが他社にも広がってほしい、という願いがあるからだそうです。当プロジェクトもいよいよ4年目に入りました。発案者である同社社長の谷田千里氏に、その背景にある企業観とプロジェクトの進捗状況を伺いました。
タニタ:代表取締役社長 谷田千里氏
聞き手:ライフシフト・ジャパン 代表取締役CEO 大野誠一
将来に対するネガティブ思考から生まれた仕組み
―― 日本活性化プロジェクトがスタートして今年で4年目に入りました。この仕組みを走らせようと考えたきっかけは何だったのでしょうか。
谷田 タニタは祖父が興した会社で、私が3代目の社長を継いだのが2008年でした。その時に自問自答したのが、自分は何を継いだのだろう、ということでした。土地や建物はそうで しょう。タニタというブランドも継ぎました。でも究極の継承物は何かといえば、やはり人だろうと。その人、つまり、社員は自分が幸せにならなければタニタにいる価値を感じないだろうから、社員を幸せにしなければならないというのがまず改めて認識したことでした。
―― 2008年といえば、リーマンショックの年ですね。
谷田 そうなんです。実際、業績も悪化し、体脂肪計のヒットで急拡大したシェアも、特許が切れたことで萎み始め、量販店の売り場が競合他社に奪われている真っ最中でした。そんな状況で社長になったものですから、自分が会社を潰してしまい、債権者や株主、社員を前に土下座して謝っているという悪夢を毎晩、見ていました。
せっかく会社を継いだのに、「会社を大きくしたい」というポジティブ思考ではなく、「どうしたら会社を潰さずに経営できるか」というネガティブ思考に駆られて、社長としてのスタートを切っていたのです。
せっかく会社を継いだのに、「会社を大きくしたい」というポジティブ思考ではなく、「どうしたら会社を潰さずに経営できるか」というネガティブ思考に駆られて、社長としてのスタートを切っていたのです。
―― そこからどうやってこのプロジェクトに結びつくのでしょうか。
谷田 ネガティブ思考の究極として、日本の少子高齢化がますます進み、社会保障費などの増大によって財政再建が不可避になり、大幅増税が実行されたらどうしよう、というシミュレーションをしてみたのです。法人税、所得税が上がり、そこに消費増税も重なれば社員の手取り収入が大打撃を受け、生活が立ち行かなくなる社員が出るかもしれない。そうなったら、人材の流出が起こるはずです。
―― そうですね。それもできる人から辞めていく。
谷田 その通りです。実際、そのリーマンショック後の苦境時にはそれと同じ状況が起きていました。みんな一生懸命残業し、休日出勤もいとわず、働いているのに、手取りが一向に増えない。「報われ感」がまったくない状態です。
この状況を打開するために、雇用にこだわるのを止める、という選択肢を思いついたのです。雇用関係を終了し、業務委託契約に変えれば、同じ報酬を支払っても、彼らの手取りを増やせる可能性が高い。 弊社以外の仕事を受注すれば、さらにそれが増えます。報われ感が出てくるだろうと。それを実現するための方策を会計事務所に相談し、形になったのがこの仕組みなのです。
物理的健康と精神的健康、どちらも大切
―― 昨今の働き方改革の流れとはまったく無関係ということですね。
谷田 そうですね。もうひとつ、このプロジェクトを進めた大きな動機があります。社長に就任するとともに、社員の健康を維持し、増進させるため、通信機能を持つ歩数計や体組成計とインターネットを活用し、社員の身体 や活動の状態を「見える化」する試みを始めました。これが「タニタ健康プログラム」です。これが評判になり、タニタは健康経営の先駆けとして、よくメディアにも紹介していただきました。
また、2012年に出店した、タニタの社員食堂で出しているメニューを揃えた一般向け レストラン「丸の内タニタ食堂」が大当たりしました。これらにより、「タニタ=健康」のブランドイメージが高まっていくのですが、 その一方で、 メンタル不調で倒れてしまう社員 も出ておりました。そうした社員の勤務時間データを見ると、確かに数カ月間、働きづくめだったことがよく分かりました。これなら メンタル不調になっても仕方がないだろう、と思ったのですが、いや待てよと、 私自身もそうですが、 同じ時期、それをはるかに上回るペースで働いている社員は他にもいた のです。
年齢はほぼ同じ で、同じように働いているのに、なぜ倒れる人と倒れない人がいるの か。
答えは「働かされ感」だと思 いました。自ら望んで働くの であれば、たとえ長時間であってもモチベーション高く頑張れるけれど、 「やらされ仕事」で仕方なく働かなければならないという状態だったら、長時間労働は過大なストレスになってその人の心身 を蝕むはずだと。
―― 個人事業主になれば、働かされ感がなくなるというわけですね。
谷田 そうな のです。先ほどの健康プログラムは 、いわば フィジカルな健康状態をケアするものでした。それに対し、このプロジェクトは、働かされ感をなくし、メンタルヘルスを改善するものでもあるといえます。 肉体的健康と精神的健康、双方のケアがセットになって、タニタもはじめて胸を張って健康経営を標榜できると思っています。
企業機密やノウハウ流出は恐れる必要なし
―― よくわかりました。ではその肝心のプロジェクトの進捗具合を教えてください。
谷田 プロジェクト参加者、つまり、元タニタの社員で、業務委託契約で働いてもらっている人が24名 になりました。工場の従業員などを除き、 私たちが対象者として想定する、本社勤務社員の約1割といったところです。
うれしいことに、つい最近、同じような 仕組みを導入したいという企業から、導入コンサルティングの 業務を受注しました。その 業務も、プロジェクトの第一期生で、人事を取り仕切っていた、当時、総務部長 を務めていた元社員 が受注しています。当初から彼には、「この仕組みをあなたの営業ツールとして使いましょう」と話していたので、想定通りの流れです。
―― もともと、タニタだけではなく、社外にも同じような 仕組みを広げたいという思惑があり、名称にタニタではなく日本を冠したわけですよね。4年目でようやく、そういう業務が発生したと。
谷田 コロナ禍がなかったら、この動きはもう少し早かったかもしれません。各社とも今はコロナに対応するのに精いっぱいですから。でも、この動きが加速しない理由はほかにある のです。それは、自社の機密やノウハウが個人事業主となった元社員を通じ、外に漏れてしまう ということを心配する方が多いからだと思っています。
―― それは経営者としては気になるでしょうね。
谷田 私はそうは考えません。それは杞憂に過ぎないと思ってい ます。
―― どういうことでしょう。
谷田 まず、その人が社員から個人事業主になった時点で、その機密やノウハウは個人のものになります。その場合、他の誰かにそれを明かしてしまうと、その人の価値が下がってしまう。だから容易には明かさないはずです。
―― それをお金で買うという人間が現われたらどうでしょうか。
谷田 売ってしまったら、 ノウハウではなくなり一般知識となります。そうなったら、タニタはその人との契約を打ち切ればいいだけです。そうならないように情報の扱いにも気をつけるはずです。
―― そのリスクがあるから、ノウハウを漏らさないだろう、というわけですね。では、その人が抱えてしまったらどうでしょう。タニタがその貴重な情報やノウハウにアクセスできなくなります。
谷田 その場合のこともちゃんと考えています。そういうケースはまだありませんが、その元社員に、貴重なそのノウハウを社内に伝承するという仕事を業務として発注します。対価で合意すれば、 その人も喜んで取り組んでくれるはずです。
―― なるほど。
谷田 しかも、その仕事が終わると、元社員は自分の飯の種がなくなってしまうわけですから、今度は別の飯の種を探し、あるいは育てようとするでしょう。それが価値あるものだったら、再び社内伝承の業務を発注すればいい。つまり、社員の個人事業主化を進めても、ノウハウは守られるし、伝承できるし、アップデートできる。
これが雇用だったらどうでしょう。「退職後、一定期間は競合他社に勤務してはいけない」という競業避止義務を課せば、退職後の数年は守られるかもしれませんが、その期間が終了したら、何の縛りもなくなってしまう。ましてや、社内伝承もアップデートも無理です。この事実が世間に広まれば、この仕組みを取り入れる企業がもっと増えるのではないでしょうか。
―― なるほど。社員が個人事業主になっても良好な関係を保つ、のが味噌なのでしょう。決して特殊ではない、コンサルファームでは当たり前の仕組み
谷田 そうですね。あとはやはり、大きな話になりますが、正社員の解雇がなかなか認められない日本の労働法理が普及の足かせになっている気がしますね。
―― どんな意味でしょう。
谷田 雇用が守られているというのは、個人が能力を磨かなくてもいい状態だと私は考えます。朝出社して会社に8時間いれば、毎月、一定の給料が振り込まれ、一年経つと、少しだけ、昇給している。解雇がしやすいという意味で日本とは対極のアメリカであれば、個々人が能力やスキルを磨き、「去年は今年と比べ、こんな新しいことができます」とアピールしなければ給料は上がらない。あるいは、「もう要りません」と解雇され、他の人に職を奪われてしまうかもしれない。この仕組み はアメリカ企業 から見れば当たり前のことだと思われるかもしれません。
―― おっしゃる通りかもしれません。それはまさに、人に仕事がつく日本のメンバーシップ型と、仕事に人がつくアメリカのジョブ型という雇用システムの違いですね。ところでこのプロジェクトの最終形はどのように描いていますか。たとえば、本社で働く社員の8割が個人事業主になっていることを想定しているとか。
谷田 8割は行かないでしょう。組織の中の変わり種は2割くらいだとよく言われますから、そのくらいがちょうどいいのではないかと。もちろん、フリーランス重用のほうに世の風潮が大きく変わったら、比率はもっと高まるでしょう。
私が強調したいのは、この仕組みは特殊なものではない、ということです。たとえば、コンサルティング会社や会計ファームでは、入社して5年程度は社員として安定して働けるけれど、その後はパートナーという形で独立し、個人事業主としてその会社と関わる。それと同じことを、タニタというメーカーでやっているに過ぎないと思っています。
―― あえて課題を上げてもらうとどんなものがあるでしょうか。
谷田 山積みです。そのために、部長クラスが定期的に集まって情報交換する「評価者会」とう場を設けてい ます。そこでは、この人には報酬を払い過ぎだ、この人は逆に少な過ぎる、といった議論がさかんに行われています。それでも、「新しい仕組みなのだから、マイナスばかりあげつらうのは止めよう」という合意は出来ているので、 この運用がストップすることはないでしょう。
慈善事業ではなく、最後の帳尻は合っている
―― 社員の雇用を守るのは自分たちに課せられた責務だ。そう考える経営者はいまだ多いはずです。谷田さんは違いますよね。
谷田 違います。最近、「社員の生活を守る」と社是に掲げた経営者にお会いし、こう言った のです。「個人事業主は社員には入りません。御社から仕事を受けて生活が成り立っている個人事業主もたくさんいるはずですから、『社員』ではなく、『仲間』に変えたらどうでしょう、と。
―― この試みは谷田さんにとって、雇用を経営の核においた従来の会社のあり方に対するひとつのアンチテーゼなのでしょうか。
谷田 そうですね。もちろん、雇用を核とした社員というシステムも、いいところがたくさんあります。 しかし、変化の激しい時代、それだけに頼らない経営があってもいいはず です。そう考えて、極端な方向に振ってみたわけです。これで完成形だとは露とも思っていませんし、揺り戻しがあるかもしれません。今後も中身は変化していくはずです。
―― 社員の手取り収入を増やすというならば、副業を全面的に認めるという方法もあります。
谷田 もちろん検討しました。その場合、就業規則の改訂が必要になりますが、 弊社の組合はなかなか力が強く、難しい交渉になることが予想できたので、あえて選択しませんでした。 そもそも私は副業・本業という言葉が嫌いな のです。お金をもらっているわけですから、あらゆる仕事は本業であるべきだと思っています。
―― なるほど、明解です。われわれは、利益の創出や事業の推進ではなく、社員の幸せやキャリアの充実に重きを置く経営のあり方をヒト・ドリブン経営と定義しています。日本活性化プロジェクトに取り組む御社はヒト・ドリブン経営の典型だと思います。
谷田 ありがとうございます。でも誤解していただきたくないのは、これは社員―正確にいえば元社員ですが -の幸せを第一義に考えた慈善事業ではない、ということです。
タニタに留まらず、他社にも同じような仕組みが導入されれば、フリーランスという働き方が日本でも広まり、彼らがばんばん稼ぎ、お金も使ってくれ、さらにわれわれが窮地に陥った時も助けてくれれば、日本経済はどんどんよくなっていくはずです。法人税は下がり、消費税を上げる必要もなくなる。会社の業績も上がりますから、社員の手取りも増え、それがまた日本経済を大きく成長させていく。長期で考えると、株主にも大きなメリットがある。そういったお金の帳尻をあわせることも含めて、私は日本活性化プロジェクトという仕組みを、ヒト・ドリブン経営をやっているつもりです。
―― そういうことですね。このプロジェクトが御社の採用にどのような影響を与えているのでしょうか。つまり、この仕組みがあるから入社を希望したという人が増えているのかどうか。
谷田 今年の新卒説明会で、この 仕組みの紹介を詳しく行いました。つまり、来年4月入社してくれる人はこの 仕組みに納得し、魅力を感じて 弊社に入ってくれた人たちということになります。
―― この 仕組みがスタートした後、新卒で入ってきた人たちが手を挙げ、当時者になると言う流れができたら、 これまでの取り組みに一本、芯が入ることになりますね。
谷田 その通りです。私もそれを見届けたいと思っています。
谷田千里(たにだ せんり)
1972年大阪府吹田市生まれ。1997年佐賀大学理工学部卒。船井総合研究所などを経て2001年タニタ入社。2005年タニタアメリカ取締役。2008年5月から現職。48歳。レシピ本のヒットで話題となった社員食堂のメニューを提供する「タニタ食堂」事業や、企業や自治体の健康づくりを支援する「タニタ健康プログラム」などを展開し、タニタを「健康をはかる」だけでなく「健康をつくる」健康総合企業へと変貌させた。