Crew’s Life:大塚さん。久保さん。タニタは100点満点で何点?

 

 

親の介護、アーティスト活動、そして仕事、すべてができて大満足

PROFILE

大塚武司さん(写真左側)
営業事業本部 営業推進部 営業推進課

この制度がなければタニタと縁が切れていた

大塚武司さんは2015年9月、タニタに中途入社した。2018年末にタニタを退職し、2019年1月から個人事業主となった。日本活性化プロジェクトの第三期生である。
「この仕組みがなかったら、タニタと縁が切れていたかもしれない」と話す。
大塚さんは埼玉県西部にある実家で、人工透析が必要な母親と、認知症を患う父親と同居している。東京・板橋にある職場までは優に片道2時間かかる。親が心配で、毎日の出勤時に後ろ髪を引かれる思いがしていた。そこに降ってわいたように現れたのが、日本活性化プロジェクトだった。
手を挙げるかどうか、迷った。初回の2017年、二回目の2018年はひとまず、様子見をしたが、父親の症状が亢進し、毎朝の心配が増していたところだったので、思い切って決断する。社員でなくなれば、働く時間と場所にとらわれない。つまり、自宅でも働ける。親のことを心配しながら家を空けることも少なくなるからだ。
決断した理由はもう一つあった。大塚さんは東京芸術大学で金属工芸を学び、その技術を生かしたメタルアーティストとしても活動している。こう話す。「タニタの前の会社ではアーティスト活動を封印していたのですが、タニタに入ってから復活させていました。私も50歳になりました。私の作品はバーナーで熱した鉄を叩いてつくるもので、結構な体力を必要とします。年を取ると、できなくなるかもしれない。独立をきっかけに、親の介護と仕事に加え、アーティスト活動にも、今まで以上に本腰を入れようと思ったのです」

 

趣味が事業になり、手取りが増えた

個人事業主になった後も、社員の時と同じ営業推進部営業推進課に所属し、仕事内容も変わらない。担当は体重計、タイマー、クッキングスケールなどの商品企画だ。昨年夏に手がけた、アニメ映画の人気キャラクター「ミニオン」をモチーフにした体組成計は人気商品となった。「仕事は充実しています。社内外、さまざまな人たちとコミュニケーションを取らなければいけないのですが、それが実に楽しい。だからこそ、リモートワークでもやっていけているのです」
社員の時は、月曜から金曜まで毎日出勤していたが、個人事業主になると、週3日に変更、月曜日と水曜日を自宅での仕事日と決めた。その2日は両親のいずれかを病院に連れていかなければならないためだ。場合によっては、仲間と共同で借りているアトリエで創作活動に励む時間にもあてている。
個人事業主となって嬉しかったのは、作品の制作費用、アトリエの賃貸料、作品運搬のための車のガソリン代、展覧会への出品料などが経費として計上できるようになったことだ。「それまで趣味でしかなかったアーティスト活動が、事業になりました。これによって、手取り収入が結構増えました。あとは作品がばんばん売れてくれればいいのですが(笑)」

 

働く場所にこだわらず、仕事に集中できる

大塚さんが、自分は社員とは違う個人事業主であることを始めて実感したことがあった。
ある日の午前中、社外でセミナーを受講していたところに、元上司、つまり、大塚さんの業務を管轄するタニタの社員からメールが入った。明日の会議までに仕上げてほしい資料がある、というのだ。セミナーは午前中で終わるから、通常ならばオフィスに戻り、その仕事にかかることになるが、大塚さんの頭脳は個人事業主のそれに切り替わっていた。オフィスに戻って仕事をするより、自宅に直帰し、そこで仕事にかかったほうが時間短縮になる。移動にかかるエネルギーも節約できると直感した。「それを伝えたところ、OKをもらえ、自宅で仕上げました。働く場所はオフィスと決めつけず、仕事の遂行に一番適した場所はどこかを考え、その通りに実行できた。それは印象に残っています」
コロナ禍となってからは、人との接触を減らすため、出勤日を週1日まで減らした。万が一、自らが感染し、家に持ち込んでしまえば、高齢で基礎疾患のある両親が危なくなるからだ。
大塚さんは今の働き方にとても満足している。「好きな仕事を安定して続けられ、収入も維持しながら、会社というものに拘束されない。親の介護も十分にでき、ライフワークとしてのアーティスト活動にも取り組めているからです」
「独立して100点満点ですね」と言うと、大塚さんはこう答えた。「いやぁ、80点でしょうか。納得のいく作品を多く作り上げ、個展を開くこと。これができれば100点満点です」。

 

タニタという基地があるから、安心してウイングを広げられる

PROFILE

久保彬子さん(写真右側)
ブランド統合本部 新事業企画推進部

100歳まで元気に仕事をしたい

久保彬子さんは2007年4月に新卒でタニタに入り、ネット通販、ドラッグストアやホームセンター向けなど、国内営業を約10年経験した後、2017年1月から個人事業主となった。日本活性化プロジェクトの栄えある第一期生である。

きっかけは、新設された新事業企画推進部への異動だった。同じタイミングで、活性化プロジェクトが社内で発表されたのだ。久保さんが話す。「社外に、専門職のフリーランスとして働いている同性の先輩や、会社に所属しながらも社内外問わずパラレルに仕事をしている方が複数いて、私もこの人たちのように、自分なりのスキルを活かし、仕事の幅を広げたい、個人の看板でも働きたい、という憧れがありました。もともと所属していた部署の上司には『異動したばかりなので止めたほうがいい』と反対され、両親からは『正社員でなくなって大丈夫なのか』と心配されたのですが、決心は揺らぎませんでした」
もともと、久保さんには「充実したキャリアを築き、100歳まで仕事をしたい」という願望があるのだという。「先ほどの先輩たちに影響され、組織に依存せずに、どこでも通用する力を身につけたいと思うようになったのです。でも私は営業が長いので、突出した専門力があるわけでもない。不安は確かにありました。幸いなことに、いわゆる完全フリーランスではなく、主軸をタニタにおいたまま、別の仕事もできる。私はタニタが大好きなので、そのことが最終的に私の背中を押してくれました」
社員時代と最も変わったのは、時間の使い方だ。働く場所や規定労働時間という縛りがなくなったため、土日や、平日の夜に仕事をすることも増えた。もちろん、デスクワークだけではない。「私の仕事は新商品や新規事業の企画と推進です。色々な情報にアンテナを張っておく必要があり、多種多様な人とも人脈を築く必要がある。プライベートと仕事の境がかなり曖昧なのです」

 

自己投資の必要性を痛感、コーチングの勉強をスタート

働く時間ばかりではなく、働く意識も変化した。「コーチングの資格を取るために、今年から完全オンラインのスクールで学んでいます。最近はプロジェクト単位で動くことが多く、今まで接点がなかった人とも仕事をする機会が増え、改めて、人の大切さを実感するようになりました。しかも、同じ人であっても、意識や物事への向き合い方で、仕事の成果は大きく変化します。よりよい成果を出すためにも、その人のもつ可能性を最大限生かすためには、コーチングが有効ではないかと。コーチングに限らずですが、積極的に自己投資をして勉強しなければ、自分の価値が落ちてしまう。そういう意識になったのも、私が個人事業主になったからでしょう」

久保さんは学生時代、陸上選手として活躍し、一時は教師になることも考えており、教育に関する新規事業を立ち上げたいと思っていたが、谷田社長から「ぜひやってほしい」と言われ担当した業務がある。ソニーのゲーム機「プレイステーション4」で遊ぶ、セガの特定ゲームソフト専用の操縦桿型のゲームコントローラー(ツインスティック)をつくり、販売するプロジェクトだ。しかも、クラウドファンディングで資金を集めるという、久保さんはもちろん、タニタにとっても新しいことづくしの事業だった。

結果は吉と出た。総額1憶3000万円に達する資金調達に成功し、その分の商品生産と発送は無事終了。この秋には一般販売分の配送がスタートする。「はじめはなぜ私が担当者なのか、と思ったのですが、今はやってよかったと思っています。ルートセールスが主流で、仕事に未知の部分が少なかった営業と違い、まったくのゼロからプロジェクトを組まなければなりませんでした。しかも、ゲームにも詳しくない私がそのリーダー役です。社員ではないにせよ、私がプロジェクトのリーダーを任せられ、推進させたことは、何らかのよい刺激を社内に与えているかもしれません。ゆくゆくは自分が企画した新規事業の立ち上げにチャレンジしたいです」
他の仕事もプロジェクト単位のものが多い。「ある時はリーダーとして、ある時は営業担当、またある時は工場との折衝担当など、案件ごとに役割が変わります。こうした働き方が違和感なくできるようになったのも今の働き方だからこそだと思います」

 

「働く」とは見たい世界をつくること

「久保さんにとって、働くとはどういうことですか」と聞いてみると、「見たい世界をつくること。わかりやすく言えば、理想とする商品や事業を通して、世界を少しでも変えることです」という答えが返って来た。
タニタから独立して3年半が経ち、「働き方の理想」は実現しているのだろうか。「まだ道半ばですね。どの会社でも重宝される力をつけ、私という個人の看板を前面に出して働くのが私の理想です。タニタ以外の複数の会社の仕事をもっとやりたいと思っています」
そうやって力をつけていったら、将来、タニタを“卒業”する可能性はあるのだろうか。
「私はタニタという会社も、そこで働くメンバーも大好きなのです。その時々によって、タニタの仕事の増減はあるでしょうが、卒業することはないでしょう。私が安心して自分のウイングを広げられるのも、タニタという基地があるからです」