DepartureⅡ ヒトを幸せにする4つのビジョン/ライフシフト研究所所長 豊田義博

豊田義博
ライフシフト・ジャパン
取締役CRO/ライフシフト研究所所長

 

カイシャ悪者論が意味するもの

カイシャは、いつから悪者になってしまったのでしょうか。

かつては、日本経済を力強くけん引し、人々の暮らしを豊かにしてきました。働く人々には、雇用を保証することで生活の安定をもたらし、また職場の人々との仕事を超えたつながりの場を提供することで豊かな時間にしてきました。多くの日本人に幸せをもたらしていたカイシャは、どこへ行ってしまったのでしょうか。

リストラ、非正規雇用、過労死・過労自殺、ブラック企業、社畜、、、、カイシャを批判的に語る言葉を並べると、世の中がカイシャをどのようにとらえているかがよくわかります。雇う時にはきれいごとを並べているけれど、正社員としての雇用は限られ、カイシャに入るや否や過酷な仕事をあてがわれ、長時間労働を余儀なくされる。頑張る人間には昇進昇格の機会があるが、昔のようにみんなが部長・課長になれなんてしない。そして出来の悪い人間、いうことを聞かない人間はクビを切られる。そんなカイシャ像が浮かび上がってきます。

そんなカイシャはごく一部に過ぎない。多くのカイシャは、今も正社員としての雇用が大半を占め、長期雇用を大切にし、かつてのような長時間労働は今はない。働き方改革の影響も手伝ってワークライフバランスに配慮した働き方ができるようになり、就業形態による差別をなくすために、同一労働同一賃金の実現に向けた施策が採られ始めている。カイシャは、今も従業員の幸せを大切にしている。。。こういった見解を耳にし、それは確かにそうかもしれないけど、と思ったうえで、それでもなおカイシャを快く思わない人がたくさんいる。今の日本は、そんな状況なのではないでしょうか。

 

会社って、何だろう

改めて。会社とは、どのような存在なのでしょうか。誰に何を提供するものなのでしょう。社員には、どのような幸せを提供することが求められているのでしょうか。

会社法の定義では「営利を目的とする社団法人」とうたわれます。「共同目的をもつ複数人の集合体」であり、「法人であるから権利義務の主体」となり、「営利法人であるから構成員への利益分配を目的とする」とあります。つまり、会社という存在が法的には「実在」し、主体者として、従業員や株主には利益分配を行うことが定められています。労働の報酬としての賃金が、そして、投資の対価としての配当が定められています。では、会社が従業員に提供する幸せとは、つまるところ金銭による報酬なのでしょうか。会社とは、その程度の存在なのでしょうか。

会社という概念は、会社法が制定されるはるか以前から世の中にありました。世界の歴史はここでは省きますが、日本において会社という言葉が生まれたのは明治初期。名付け親である福沢諭吉は、原語であるCOMPANYの意味するところを「同じ志をもって物事を行う集団。結社。仲間」と捉えました。会社とは形のないもの。人の集まりにすぎません。しかし、そこには志がある。みんなが同じ志を持っている。そして、その志を叶えるために仲間とともに何かを行う。その最大の報酬とは、志の実現に他なりません。その場に集った人々は、独りでは成し得ないような志を仲間とともに実現するという無形の報酬を手にすることで、この上もない幸せを感じていたことでしょう。そして、さらなる志を掲げ、仲間とともに切磋琢磨していったことでしょう。

それは、明治の話に限りません。高度成長の時代には、あらゆる産業に身を置く人々が、人々の暮らしを豊かにするために働いていました。ここ何年か目にすることの多かった1964年東京オリンピック当時の写真に写る日本人は目を輝かせています。そこからは、自身もまた社会をよりよくしている一員としての喜びや誇りが感じ取れます。かつてのテレビ番組「プロジェクトX」に登場する人々もまた、その典型でしょう。彼らは、所属する会社での仕事を通して、その会社の志を自分のものとし、その実現を通して幸せを手にしていたのです。

 

 

志は、「社会への想い」は、どこへ行ってしまったのか

その志はどこへ行ってしまったのでしょうか。日本が豊かになり、西欧諸国と肩を並べ、高度成長期に掲げた志が実現した。その次の志は、どこへ行ってしまったのでしょうか。世の中をもっとこういう風にしたい、人々にこんな世界を見せたい、という「社会への想い」は、どこへ行ってしまったのでしょうか。

今も、どのカイシャのホームページを見ても、企業理念やビジョンが掲げられています。志は潰えていないように見えます。しかし、その大半は形骸化してしまっています。そこに謳われる美辞麗句と、カイシャの実態は激しく乖離しています。素晴らしい企業理念を掲げていながら、カイシャで日々見かけるのは、市場でのシェアに一喜一憂したり、競合との戦いに心を砕くような光景です。カイシャは、いつしか志を見失い、その存続や業績拡大を自己目的化してしまっています。

優秀な若手人材や中堅人材が、採用市場で人気を誇る大企業から流出しています。その主たる要因は、少し前までは「ここでは成長できない」。責任ある仕事を任せてもらえない焦りでしたが、今は、「自分の仕事が、世の中の役に立っていると感じられない」という手ごたえのなさが加わります。その会社が掲げている志や「社会への想い」に惹かれて会社に入ったのに、その志とは全くかけ離れたような仕事をあてがわれ、そこに未来を見いだせずに離脱を決意するのです。しかし、もっと深刻なのは、それが氷山の一角に過ぎないことです。離脱していない多数派もまた、手ごたえを感じられずに、仕事への主体性を失っているのです。

日本人のワークエンゲージメントは139国中132位、というショッキングなデータがあります(“State of the Global Workplace”GALLAP《2017》)。「仕事にのめり込んでいますか」という調査質問に対して、欧米や中国では前向きな回答が過半を占めるのに、日本では半数近くが否定的な回答を示しているデータもあります(「5カ国リレーション調査」リクルートワークス研究所《2019》)。そして、同じ調査では、「会社の経営理念に共感していますか」との問いに、日本のデータだけがネガティブな結果を示しています。

会社とは「同じ志をもって物事を行う集団。結社。仲間」。その会社が社会に存在を許されるのは、人々の願いや社会からの期待に応える志を掲げているから。そして、その志を着実に実現していっているから。それが、会社本来の姿です。その本来の姿を見失い、存続や業績拡大を自己目的化した組織は緩やかな崩壊を始める。人材の心が離れるという形を取って。かつては、市場からの評価を失う、つまりは業績が低迷するという形で崩壊は始まりましたが、今は違う。人が反旗を翻し、心を閉ざすのです。その瞬間に、その人は「仲間」であることを放棄するのです。志に共感し、その実現に向けて主体的に取り組む「仲間」ではなくなるのです。しかし、辞めはしない。後ろ向きな気持ちのまま、「仲間」ではないまま、そのカイシャにとどまっている。今、日本には、そんなカイシャがたくさんあります。

 

存在目的は、会社にはない。志にある

また、その志は、社会の変化とともに見直され、刷新されなくてはなりません。昭和後期の安定成長期から一変し、平成から令和の今に至る激動期、転換期に、社会はすさまじいスピードで変化してきました。市場は飽和し、テクノロジーの進化は目覚ましく、社会構造・産業構造は大きく変容しています。時として不連続な、パラダイムの変革を伴う変化も起きています。新型コロナウィルスがもたらそうとしている変化は、その典型となることでしょう。
そのような時代の変化をとらえて、志を見直し、刷新し、そして深めていく。志を変身させていく。それが会社の使命です。

イノベーションを生み出せない課題やビジネスモデルの変化の必要性が長きにわたって問われています。近年では『両利きの経営』への関心が高まり、『コーポレート・トランスフォーメーション』の必要性が唱えられています。こうした組織変革の方向性に強く共感します。しかし、その上で。そうした取り組みは手段であり目的ではない。イノベーションもビジネスモデル変化も事業アーキテクチャーの再創造も、すべては志の実現のための手段です。時代に即した志の変身、「社会への想い」のトランスフォーメーションなき組織変革は、誰も幸せにはしません。ソーシャルストーリーを欠いたままでビジネスストーリーだけが走っているような会社や事業を、もうこれ以上見たくはありません。

そして、もしその志がすでに実現してしまったら、つまりこれ以上の刷新の必要性がなくなったとしたら。あるいは時代にそぐわないものになったとしたら。その志は意味を失います。集まった仲間は仲間としてのつながりの意味を失い、離れ離れになっていく。つまり、会社は解散する。会社とは、そのようなものであったし、これからもそうあるべきです。会社そのものに存在目的があるのではなく、志に、「社会への想い」に存在目的があるのです。

 

人生100年時代をひとことで言いかえれば

志に共感し、「社会への想い」を同じくする「仲間」が集まり、社会の変化を常に感じ取りながら「変身」し続けていく。そういう会社の原点に、今こそ戻るべき。私たちはそう考えています。それは、日本人の生き方、働き方が劇的に変わろうとしているから。その起点は、人生100年時代の到来にあります。

人生100年時代の表の側面は、人が長く生き、長く働くことになる、というシンプルなもの。しかして、裏には、社会の変化が激しさを増している、という側面があります。この両側面から明確なことは、人生の転機の機会が増える、ということです。

昭和後期の安定成長期には、人生の転機は見通しが概ね可能でした。大学、学校を卒業し、就職する≒会社に勤めはじめる。結婚する。子供が生まれる。異動する。転勤する。昇進する。そして定年を迎える。仕事人生はもちろん山あり谷あり、いろいろな出来事があったでしょうが、ある会社に勤め、そこで様々な仕事にかかわり自身の経験の幅、可能性を広げ、自分なりの仕事の仕方を身に着け、やがては自分らしくいられる役割や専門領域を自覚し、より深めていく、つまり「広げる⇒深める」というひとつの大きなサイクルで生きてきた人が主流。そんな時代でした。

しかし、平成に入り、局面は大きく変わります。会社が倒産する、部門が売却される、担当業務が他社や他国に移管される。激しく不連続な変化が、仕事人生の大きな転機をもたらし、新たなサイクルへの予期せぬトランジションが起きる。そんな経験をする人が増えました。定年後の再雇用や役職定年後の職務変更で、これまでとは全く異なる部門、業務に就く。そんな人も増えました。転職という選択肢は一般的なものになりました。出産を機に仕事を離れたが、子供の成長を機に再就職する、そんなワーキングマザーの存在が当たり前になりました。そして、近年では複業を持つ人も増えてきました。そんなマルチサイクルな仕事人生が増えてきました。人生100年時代とは、さまざまな転機とともに働き方を変え、マルチサイクルな仕事人生を送る人が当たり前になる時代です。

ライフシフトの旅に共通する法則

転機にはさまざまありますが、背景には共通したものがあります。それは、自身が大切にしている「想い」が変わる、ということです。例えば、ある仕事経験を通して、自分の強みを発見し、その強みを生かした仕事をしていきたいという「個性への想い」が生まれる。出産を機に「子供との時間を大切にしたい」という「生活への想い」が生まれる。ある出来事や書籍などの情報から社会の知られざる一面を知り、自分も関わりたいという「社会への想い」が生まれる。こうした新たな「想い」の創出や、「想い」のバランスの変化が、新たな働き方へのシフト、次のサイクルへのシフトを促します。そして、シフトを遂げ、そうした「想い」を自分のものにすることで、人は幸せを感じます。

逆の言い方をすれば、何かの「想い」がありながらも、それが叶わないときには、人は幸せを感じられません。また、そうした自身の「想い」をはっきりとわかっていない人もたくさんいます。日々の暮らしが何とはなしにしっくりこない、違和感があるけれど、なぜだかはよくわからずに悶々としている。あるいは、心は騒ぐ理由に気づいてはいるけれど、目の前の仕事が忙しかったりして、問題を先送りしてしまう。そんな人たちもまた、幸せとは言えない状況にあります。

しかし、そんな「心が騒ぐ」状態にある人が、ふと自分と向き合い、何かをしてみようと思い立つ。そんな変化が訪れるとき、そこには必ず「仲間」がいます。人生という「旅の仲間」が。そんな仲間との何気ない対話の中で、人はふと思い立つのです。何かをしてみようと。そして新たな「旅に出る」。これまでしたことのない何かをはじめてみる。大学院に通い始める、留学する、といったビッグイベントから趣味などのコミュニティに参加する、ソーシャルメディアで何か発信してみるといった小さな一歩まで、何かの中身は様々。そして、その何かをしていく中で、人は自分の「想い」と出会います。ああ、私はこういうことを大切にしたかったんだ。今まで気づいていなかったこういう心の声があったんだ、と。

自分の中の新たな「想い」に気づいた人は、驚くように学んでいきます。座学や書物で新たな知識を身に着けるだけではなく、誰かに話を聞きに行ったり、何かを試しにやってみたり。そうして「学びつくす」ことを通して、自分の「想い」を実現していきます。自分の人生というストーリーの「主人公になる」のです。それは、こよなく幸せな状態といえるでしょう。

このサイクルは、主人公として新たに生まれ変わる、変身していくという旅です。平たんな道のりではありません。時として立ち止まったり、後戻りしたりの繰り返し。そんな道のりを前に進ませていくうえでは、自身の変身を推進していく「変身資産」が必要です。

「変身資産=Transformational Asset」は、書籍『ライフシフト』に登場している新たなコンセプト。変化成長し続けるための意思と能力と定義され、 大切なのは「新しい経験への開かれた姿勢」「自分についての知識」「多様性のある人的ネットワーク」と記されています。こうした資産を十分に持っている人は限られるでしょう。しかし「旅の仲間」との出会いを通じて自身の変身資産に気づき、活かし、あるいは新たな資産を蓄積しながらライフシフトの旅を続け、やがては主人公となっていくのです。

そして。ライフシフトの旅は、一度サイクルを回せば終わり、ではありません。このサイクルを、幾度となく回していく。それが人生100年時代の生き方、働き方です。

 

“ヒト・ドリブン経営”4つのビジョン

では、翻って今、このようなライフシフトの旅を自分のものとし、人生の主人公として100年ライフを楽しみ、幸せを感じている人はたくさんいるのでしょうか。残念ながら答えはノーです。仕事に手ごたえを感じられずに、このままでいいのかと「心が騒ぐ」状態にありながらも、その状況を放置している人が圧倒的な多数派なのです。そしてそれは、カイシャが、『志に共感し、「社会への想い」を同じくする「仲間」が集まり、社会の変化を常に感じ取りながら「変身」し続けていく』という本来の姿を見失っているからに他なりません。

会社とは、人が自身の「想い」に気づく場所であってほしい。「旅の仲間」に出会う場所であってほしい。「変身資産」を高める場所であってほしい。そして人生の「主人公」になれる場所であってほしい。だから。

 

「想い」ビジョン
会社は志を、「社会への想い」をもっと明確に表現してほしい。発信してほしい。そして、人と会社は、「社会への想い」でつながってほしい。それは、会社自身が私的な営利企業の域を超えて、問題意識やありたい社会像を示し、ユニークで存在価値の明確な「社会企業」になること、そこに集う人々は利他の心、長期の視点を持った「市民」になることにつながります。同時に、人が抱いている「個性への想い」「生活への想い」を大切にしてほしい。人のトータルな「想い」への理解と受容が、その人を幸せにし、モチベーションやコミットメントを最大化するのです。 また、一人ひとりが「想い」に気づける機会を創ってほしい。自分で気づかない「想い」や、「想い」の変化に気づき、語ることができる安心・安全な場を創ってほしい。そして、そのためにも会社を「小さく」してほしい。大きすぎる会社の「想い」は、なかなか自分事になりません。「想い」がクリアになる適切なサイズを大切にしてほしい。大企業も「想い」で再編成された小集団の連合体を目指してほしい。
「旅の仲間」ビジョン

「想い」でつながることは「旅の仲間」との出会いを増やすことにつながります。それをさらに加速するために、かつての日本の会社が持っていた良質な共同体性を取り戻してほしい。人がありのままでいられる場であってほしい。その前提になるのはメンバー同志の相互理解です。また、共同体の一員であることを強く再認識するハレの場や「祭」もまた、出会いの創出につながるはずです。

「旅の仲間」は、社内のメンバーに限りません。人が一つの会社の中だけで育つ時代は終わりました。だから、社外の多様な「旅の仲間」との出会いを応援してほしい。そして「複業」も奨励してほしい。子育てもNPO活動も、すべての社会活動が「複業」です。また、会社を超えた職能コミュニティでのつながりを後押ししてあげたい。専門性の確立は、とても大きな無形資産。その確立は、他社で同じ専門性を確立していく人たちとのつながりの中で、間違いなく高まります。そうした機会の創造を含めて、会社同士がもっとつながってほしい。人材の採用、育成、活用は、もはや競争の時代ではなく共創の時代です。

「変身資産」ビジョン

「変身資産」を高める基本は、新たなチャレンジの機会を提供すること。一人ひとりを信頼して、託そう、任せてほしい。自発的な行動や意思決定を重ねることで、一人ひとりの変身資産は高まります。
そして、人が自分と向き合い、自身の「変身資産」の棚卸しにつながる機会を生み出してほしい。自分を知ることが次の行動を生み出すのです。また、「有形」「無形」の報酬を一人ひとりと対話してほしい。「想い」が違えば、望む報酬も変わります。給与などの「有形」報酬、成長機会や働く自由度などの「無形」報酬を、対話を通して明確にし、共有してほしい。
このような機会を組み込み、回していくと、そこには「変身資産」が増えるエコシステムが生まれます。それは、会社自身の「社会への想い」の、そしてビジネスモデルや事業構造のトランスフォーメーションを可能にする貴重な組織資産です。

「主人公」ビジョン

そして、多くの人に人生の「主人公」になってもらうために、会社は、「いろんな人」とつながってほしい。いろんなワークスタイル、いろんな就業形態の人を受け入れてほしいし、社員という形にこだわらず、外の人ともつながってほしい。メンバーシップ型、ジョブ型どちらがいいか、という偏狭な考え方はやめて、どっちもあり、で行ってほしい。

人が「シフト」しやすくなる仕組みを創ってほしい。自分の「想い」を叶えられるような社内外のチャレンジの機会をオープンにしてほしい。「想い」が高まり、会社を飛び出したいと思っている人には、その卒業を応援してほしい。たくさんの卒業生が社外で活躍することを誇りに思ってほしい。そして、会社は「去りし人」ともつながっていてほしい。「想い」でつながっていてほしい。「想い」でつながっているアルムナイ・ネットワークもまた、未来に向けての貴重な組織資産になります。

その上で、会社は自立&自律した個の育成に責任を持ってほしい。特にキャリアのファーストステージにいる人材を大切にしてほしい。彼らの「ワクワク」が日本の未来を創ります。
そのためには、「就活」を改革してほしい。「就活」は「想い」に気づく大切なステップです。右に倣えのお仕着せの採用活動ではなく、自社の「らしさ」にこだわってほしい。また、働いてみないと自分の「想い」はわからないもの。だから、長期インターンシップの門戸を開いてほしい。未来の人材をみんなで創造していってほしい。

 

この連載を通して新たな発見をしていきたい

“ヒト・ドリブン経営”。それは、社員一人ひとりが、その会社で働くことを通して、人生の主人公として、「100年ライフ」を楽しむことそのものが、マネジメントのコアとなっている経営モデルです。Driveという単語には、《駆り立てる》という意味があります。その活用形であるDrivenは、《(何らかの想いに)駆り立てられた、突き動かされた》状態・状況を意味します。事業を成功させたい、売り上げを拡大したい、という意思がDriveで、ヒトはその実現の手段である「ジギョウ・ドリブン」「カネ・ドリブン」な経営ではなく、ヒト=社員一人ひとりが大切にしたい「想い」がDriveであり、事業成功や収益拡大は、その「想い」の実現の結果である「ヒト・ドリブン」な経営。21世紀に、人生100年時代に待望される経営モデルです。そしてそれは、ヒト中心社会へのルネッサンスでもあると考えています。

“ヒト・ドリブン経営”というコンセプト、そして先に掲げた4つのビジョンは、2018年末に発足した「カイシャの未来研究会2025」(リンク)でのディスカッション、ダイアローグから生まれたものです。このウェブ連載では、ビジョンを先んじて実現している“ヒト・ドリブン経営”のフラッグシップ企業にスポットを当てます。

代表者へのトップ・インタビューにより、会社や人に対する「想い」を引き出します(Captain’s View)。2名のメンバーへのインタビューを通して、会社で得ているもの、大切にしている「想い」を浮かび上がらせます(Crew’s Life)。そして、インタビュー内容をもとに、さまざまな情報も交えながらフラッグシップ企業のマネジメントのエッセンスを抽出していきます(Company Analysis)。

この連載=航海の旅での発見を通して、“ヒト・ドリブン経営”という新たなコンセプトは、より確かな輪郭、より豊かな表情を描くことになるでしょう。私たちも、読者の皆様と一緒に学んでいきたいと思っています。