ライフシフター・インタビュー

これまでの常識や役割意識にとらわれず、自分の価値軸を大切にして人生を選択している人たちを「ライフシフター」と定義して、日本中から(ときには海外からも)発掘し、紹介するコーナーです。ライフシフトのキーワードか、ライフシフトした年代で検索できます。あなたのロールモデルを見つけてください。

 

すべて
20代
30代
40代
50代
60代
70代
R80生涯現役
NPO・ボランティア
ワークライフ・バランス
主夫・イクメン
主婦の再就職
副業・複業
地域
地方創生・移住
大学院・資格・留学
好きを仕事に
家族
海外移住
独立・起業
生涯現役
社会貢献
寺尾雄二郎
シナノケンシスタッフサービス株式会社・常務取締役

人生100年時代をどう生きるのか?自分探しの旅の先にあったのは、「社内起業」という意外な選択肢だった

1972年生まれ、東京都出身。明治大学商学部卒業。シナノケンシ株式会社に入社し、人事の仕事をしながら、父親の育児支援や、仮装マラソン大会への参加など地域社会でも活動。48歳のときに人生100年時代の生き方を考えるワークショップに参加したことをきっかけに、やりたいことが明確になり、50歳で社内起業。地域の企業への人材派遣、人材紹介、教育講師派遣など、シニアに特化した人材サービス事業を立ち上げる。

インタビュー
長井伸之
エーザイ株式会社アジア・ラテンアメリカリージョン

49歳で役職から外れても腐らず学び続け、58歳で希望の国際業務部門へ。シニアがチャレンジする姿を同世代や若手に見せたい(長井伸之さん/ライフシフト年齢58歳)

1964年生まれ、三重県出身。北里大学薬学部卒業後、1987年にエーザイに入社。いくつかの大学病院担当MRを経て、関西部部長、九州部部長、埼玉医薬部部長となる。49歳で部長職を離れ、プレイングマネージャーに。57歳、社内で「ライフシフト研修」を受講したことをきっかけに、「人生100年時代」を意識。20~30代の社員が多数応募する社内研修「グローバルチャレンジプログラム」に応募、その後58歳で希望の国際業務への異動が叶う。

インタビュー
田辺一宏
「暮らすように旅する」じぶん旅プランナー

できることより、ワクワクすることを。メーカーを定年退職して挑戦したのは旅行業、原点は学生時代のバックパックの旅だった。

1954年生まれ、福岡県出身。九州大学経済学部卒業。在学中に1年間休学して、欧州・アジアをバックパッカー旅行する。1978年に商工中金(政府系金融機関)入社。主に融資、国際業務に従事。ニューヨークにも1年滞在する。1998年理想科学工業株式会社に転籍。主に海外営業本部で、海外への高速印刷機の拡販、海外子会社の設立・管理に従事。2014年4月に定年退職し、同12月に千葉県知事登録旅行業を開業。2020年9月に障がい者グループホームを開設し、福祉事業もスタート。

インタビュー
藤山なおみ
「イチリヅカシューズ」靴職人

子どもと向き合うために、ひとりでできる仕事を、生活コストの安い地方で。選んだのは靴職人、そして尾道だった

広島県生まれ。大学進学を機に関西で暮らし、印刷会社勤務、フリーランスのライターを経て1999年、友人と東欧雑貨店 「チャルカ」を開業。2001年長男、2006年長女を出産。仕事と子育てに追われる日々に疑問を感じ、2011年「チャルカ」を退職。家族との初めての海外の旅で出合った子ども靴をきっかけに靴づくりを始め、2013年、広島・尾道市に家族で移住。翌年、尾道で靴工房「イチリヅカシューズ」をオープン。2022年8月からは住まいを広島県三原市に移し、夫、実母と暮らしている。

インタビュー
柴田文啓
開眼寺住職・臨済宗妙心寺派宗門活性化推進局顧問

電機メーカー役員を退任後、出家して僧侶に。84歳で仏教を学び直すため大学入学。生活に直結した仏教の普及を目指す

1934年生まれ、福井県出身。福井大工学部卒業後、横河電機株式会社に入社。横河メディカルシステム株式会社常務取締役、横河電機株式会社取締役、横河アメリカ社社長を歴任。役員退任後、アメリカのNGO「Project HOPE」日本支部代表に。65歳で得度・出家。滋賀県の臨済宗永源寺で1年3ヶ月修行を積む。2001年長野県千曲市の臨済宗妙心寺派 恵日山 開眼寺住職に着任。臨済宗妙心寺派宗門推進局顧問も務める。2023年、88歳で花園大学仏教科を卒業。

インタビュー
松野美穂
シェアハウス運営スタッフ

モノはいらない、人さえいればいい。60代シングルの日々を「シェア家族」とともに暮らす選択

1963年、神奈川県生まれ。インテリアデザイナー、イギリス留学を経て1998年、リフレクソロジスト、アロマセラピストとして活動を始め、2005年から6年間はインターナショナルスクールのアシスタント教師も経験。一方で、2001年に他界した両親の家をひとりで守り続ける。2011年の東日本大震災以来家にこもりがちになるが、2018年にシェアハウスで暮らしはじめたことを機に、社会とのつながりを取り戻す。現在はシェアハウスの運営会社のスタッフとして働いている。

インタビュー
宇佐神悟
H&K株式会社 代表取締役

自分の人生を生きたくて、ビジネスモデルを持たないまま44歳でIBMを退職。46歳で「一生を賭けるに足るビジネス」を見つけた

1995年上智大学卒業後、日本IBM株式会社に入社。SEを経て、2003年より営業部門へ。2006年営業課長、2008年部長と順調に昇進するも、「自分で事業をやりたい」と2015年4月に44歳で退職し、H&K合同会社(現・H&K株式会社)を設立。フランチャイズでのジム経営やコンサルティング業を手がけながら、2017年にスピーキング特化型のオンライン英会話「LAT」を立ち上げる。2020年より「LAT」の経営に専念している。家族は妻と長女。

インタビュー
小川 みどり
小学校教員、株式会社アスリューション代表取締役

人生でやり残したことはこれかもしれない。60歳で未経験から公立小学校の先生に。教員不足の現状がチャンスをくれた

1962年生まれ、神奈川県出身。国立大学の教育学部卒業後、株式会社リクルート入社。キャリア支援関連の業務、本の情報誌の編集部などを経験。1997年に退職後はフリーランスの編集者・ライターとして活動。2008年より公益財団法人日本オリンピック委員会に勤務した後、2016年に退職し、「ひとり株式会社」を設立。アスリートのキャリア支援をライフワークとしつつ、2022年10月、60歳で小学校教師に。時間講師として東京都内の小学校で国語や図工の学習指導にあたっている。

インタビュー
児玉奈緒子
Atelier Panero 代表

会社員生活のかたわら、趣味で続けていたシルバージュエリーの販売を52歳で「本業」に。四六時中自然体の自分でいられることが心地いい

1991年、大学の経済学部卒業後、大手建設会社に入社し、 財務・経理の部署に配属される。 1997年、単身シンガポールへ渡り、シルバージュエリーに出合う。2001年に帰国後、外資系企業に転職。財務・経理部門およびアフターセールス部門で働くかたわら、40代から趣味の一環でシルバージュエリーの販売を始める。2019年6月に退職し、「Atelier Panero(アトリエ・パネロ)」を開業。個人事業主としてシルバージュエリーの輸入・販売を行なっている。

インタビュー
吉田紗栄子
一級建築士

75歳で二拠点居住、80歳で仕事の形をシフト。バリアフリー建築の先駆者が実践する、長く自立して暮らしていく戦術

大学在学中の1964年、東京パラリンピックに通訳ボランティアとして参加し、バリアフリー建築と出合う。卒業後、福祉建築の研究室を経て1969年に独立。日本におけるバリアフリー建築の先駆者として50年にわたって活動を続ける。自らも長く自立して暮らしていくために、2018年に都内のマンションを売却、神奈川県横浜市と娘家族の住む熊本県南阿蘇村との二拠点生活を始める。(一社)ケアリングデザイン理事、NPO法人高齢社会の住まいをつくる会理事。

インタビュー
吉村英紀
合同会社吉村寫眞商店 代表

56歳で富士フイルムを退職し、「ひとり写真店」を起業。80歳まで働きたいから、50代のいま「小舟」で漕ぎ出そうと思った

1988年現・富士フイルム株式会社入社。感熱紙の営業を経て、2000年写真関連部門に異動。「写ルンです」、インスタントカメラ「チェキ」、プリント関連サービスの国内マーケティング、直営写真店「ワンダーフォトショップ」運営などに携わる。「80歳まで働くために50代のうちに準備したい」と考え、2021年10月、56歳で退職。同年12月、合同会社吉村寫眞商店を起業する。一般社団法人写真整理協会理事。2023年4月より相模女子大学大学院社会起業研究科に在籍。

インタビュー
斎藤勝
G3sewing がま口バッグ職人

ほぼ寝たきりの毎日から、82歳でバッグ職人に。85歳の今、朝起きてやらなければならない仕 事がある幸せ

1937年、三重県生まれ。18歳で家業のラジオ店を継ぐ。41歳で電化製品の修理専門会社を開業するが、3年で無職に。自ら設計したオゾン発生器の製造・販売、スナック経営など職を転々とし、68歳からは大病続きでほぼ寝たきりに。82歳でミシンに出合い、小物づくりを始める。2020年7月、Twitterアカウント「G3sewing」でがま口バッグ職人としてデビュー。フォロワー数は6万2000人を超える(2023年2月現在)。

インタビュー
荻原直也
Scooby.co 代表

「好きな人とやりたいことだけをして生きていく」は夢物語じゃない。4つの仕事の組み合わせで叶えた理想の生き方

1983年、神奈川県川崎市生まれ。専門学校卒業後、建築設計事務所、家具店を経て2006年、革製品製作会社に入社。上司のパワハラも乗り越え、デザイナーとしてキャリアを積む。2020年、個人活動母体「Scooby.co」を始動。2019年より地域活動にも携わり、社外の活動の時間を増やすために2022年5月より契約社員に。個人事業主の活動に加え、大好きなクラフトビール店でアルバイトもしながら、地域イベントの企画・運営など町おこしにも尽力している。

インタビュー
山平恵子
上場企業社外取締役・ダンススクール運営

登り詰めた上場企業の社長職も「ゴール」ではなかった。58歳で結婚・独立し、たどり着いた「ありのままの自分」でいられる場所

1960年生まれ、大阪府出身。神戸大学工学部卒業。男女雇用均等法施行3年前の1983年にクボタハウス株式会社(現サンヨーホームズ株式会社)入社。2007年に初めて管理職(課長)に就任してから8年でサンヨーホームズ社長に。関連会社の会長を経て2019年に58歳で退職し、スペイン出身のダンサーと結婚。上新電機など3社の社外取締役を務めるかたわら、夫とともに主宰するダンススクールを運営する。

インタビュー
坪内知佳
株式会社GHIBLI代表取締役

社会人経験ゼロの24歳のシングルマザーが、漁師をたばね漁業を変革。 働く人の命を守り、安全な食を未来に届けるために

1986年、福井県生まれ。大学中退後、結婚を機に山口県萩市で暮らしはじめる。23歳でシングルマザーに。2010年、まったく縁のなかった漁業の世界に飛び込み、2011年11月、3船団・約60名の漁業者とともに任意会社「萩大島船団丸」(個人事業)を設立し、代表に就任。2014年に株式会社GHIBLIとして法人化し、翌年から事業の全国展開を開始。全国でも珍しい取り組みとして注目され、テレビドラマの主人公のモデルにもなった。

インタビュー
古矢美歌
「蒸籠食堂 かえる」店主

東京から港町・三崎に移住し、夢だった「小さなお店」をオープン。自分の人生は自分で作っていくという覚悟が私を変えた

1992年、大阪府生まれ。専門学校の製菓科卒業後、上京。フードコーディネーター事務所、飲食業界専門の人材会社などを経て、2019年より広告代理店に勤務し、フード系メディアの編集者に。コロナ禍の最初の緊急事態宣言が明けた2020年6月、思い立って出かけた「住みたい場所探し」で神奈川県三浦市・三崎に出合い2拠点生活をスタートし、5カ月後に移住。半年後、自宅近くに「蒸籠食堂 かえる」をオープン。

インタビュー
村井満
ONGAESHI Holdings 代表取締役CEO

リクルート、Jリーグチェアマン、そして新たな挑戦の道へ。原点は2歳で亡くなった息子のように「きれいな表情」で生きたいという想い

1959年生まれ。早稲田大学法学部卒。新卒でリクルートに入社し、営業を経て、人事部門へ。人事担当の執行役員、香港の関連会社取締役社長などの要職を歴任。2008年、Jリーグで初めてサッカー界以外から理事に就任。2014年1月にチェアマンに就任。4期8年の任期を全うし、「門外漢チェアマン」の自分とともに夢を追いかけてくれた人たちに恩返ししたいと、2022年4月、株式会社ONGAESHI Holdingsを設立。

インタビュー
清水雅大
繁昌農園スタッフ

これから先はもっと“我がまま”に生きよう。医療・介護業界から「半農半会社員」を経て、46歳で「農」を専業に

1975年、東京都生まれ。幼くして母を亡くす。兄と自分を育ててくれた祖母の介護をしながら、大学の福祉学科で学び、卒業後は20年間医療・介護の仕事に携わる。2021年9月、バーンアウトによる休職をきっかけに自分を見つめ直し、「半農半会社員」で東京青梅市の繁昌農園で農業をスタート。2022年3月より農業に専従している。

インタビュー
渡邊智子
天使のはしご

「主婦ブロック」で自分を縛っていた私を動かした、息子の言葉。 44歳からコーヒーの焙煎を学び、51歳で自宅に工房をオープン

21歳で結婚し、専業主婦に。夫の転勤で各地を転々としながら3人の子どもを育てる。2005年、兵庫県・猪名川町に定住。中学生だった息子の「大人になっても楽しくなさそう」という言葉をきっかけに「自分探し」を始め、40代でコーヒーに出合う。44歳からスクールで学んだ後、コーヒー講座の講師、コーヒー出店、オリジナルドリップパックの製造などを開始。2022年4月、自宅に「天使のはしご 焙煎工房」をオープンした。

インタビュー
川畑清嗣
宮崎海塩工房

商業施設運営事業に失敗して全てを失い、58歳で塩職人として再出発。70歳の今、「塩じい」として二度目の人生をひたすらに生きる

1952年宮崎県生まれ。東京都内のニットメーカー勤務を経て、1974年宮崎県で婦人服店を開業。地元密着で事業を拡大するが、2009年に倒産。全財産1000円から58歳で再出発し、日南海岸を見渡す自宅兼工房で塩づくりを開始。昔ながらの平釜式製法で天然塩製造に取り組んでいる。

インタビュー
54歳の大病を機に、「脱・“会社の高機能部品”」を決意。 10年間の社外活動を活かして次世代リーダー育成に挑む (玉木伸之さん/ライフシフト年齢54歳)
玉木伸之
横河電機株式会社

54歳の大病を機に、「脱・“会社の高機能部品”」を決意。10年間の社外活動を活かして次世代リーダー育成に挑む

1989年横河電機株式会社入社。エンジニアを経て、2004年経営企画室へ。エネルギー・化学分野の業種マーケティング戦略立案、事業変革を推進するグローバル組織横断プロジェクトの企画・推進などをリーダーとして担当。2019年、海外出張で忙しい日々を送る中、突発性難聴を発症し、3週間入院。復職後、自ら希望して人事部門に移り、社外活動で続けてきたシナリオプランニングを生かした次世代リーダー育成、未来共創活動に取り組む。

インタビュー
古岩井一彦
認定NPO法人フローレンス

会社に居続ける方が、辞めるよりもリスクが高い。大企業退職後、「ソーシャル浪人」を経て取り戻した違和感のない自分

大和総研に26年間勤務。おもに人事部門でキャリアを歩み、順調に昇進を重ねるも、精神的ストレスと激務でドクターストップがかかる状態になり、休職。リハビリ期間にライフシフト・キャパンのワークショップはじめ、さまざまな学びのコミュニティに参加して自分と向き合う。2020年6月に会社を退職し、ボランティアでさまざまな活動を経験する1年間の「ソーシャル浪人」期間を経て、2021年6月、認定NPO法人フローレンスに入社。

インタビュー
西村美奈子
株式会社 Next Story 代表取締役

50代を前に一歩ずつ社外活動を始め、「定年の恐怖」がなくなった。「女性のセカンドキャリア支援」をテーマに59歳で「ひとり起業」

1983年、女性エンジニア3期生として富士通に入社。育児との両立に苦労しながらも、海外を含めた展示会、コンテンツ制作、情報システム構築など幅広い業務に携わり、管理職も務める。自身が「定年」を不安に感じていたことから、2016年より仕事の傍ら昭和女子大学現代ビジネス研究所で女性のセカンドキャリアの研究を始め、17年に定年まで2年を残して退職。1年間研究に専念後、女性のセカンドキャリアを支援する会社を設立。

インタビュー
29歳で離婚、40歳で弁護士になるも「幸せ」を見失っていた日々。 心について学び、50歳でコーチングスクールを開業。(中原阿里さん/ライフシフト年齢50歳)
中原阿里
プロフェッショナルコーチ・弁護士

29歳で離婚、40歳で弁護士になるも「幸せ」を見失っていた日々。心について学び、50歳でコーチングスクールを開業。

奈良女子大学卒業後、会社員を経て25歳で専業主婦に。29歳で離婚後、給食調理員として再就職し、医療事務から40歳で弁護士に。弁護士業務を通し、法的な勝ち負けと幸福度の相関性の低さに気づく。心理学などを学び、国際プロコーチ資格を取得。50歳で「ラッセルコーチングカレッジ」設立。現在はエグゼクティブコーチ、コーチングスクールの運営、弁護士として活動している。

インタビュー
土田麻衣
株式会社公文教育研究会

5年間の育児休暇中に自らも成長。学びのコミュニティへの参加をきっかけに「正解探し」をやめ、「挑戦する日常」へ

岐阜県出身。2009年、旧大阪外国語大学卒業後、株式会社公文教育研究会入社。2015年2月に長女を出産。長男と合わせて5年間の育児休暇中に、育休ママの勉強会「ぷちでガチ!子連れMBA」に出合い、運営にも一年間参加。アドラー心理学講師の知識を生かした地元のコミュニティ作り、社会人大学院MBAプログラム入学など活動の幅を広げる。職場復帰後もその活動を続ける。

インタビュー
47歳で「天職」に出合い、58歳で自分の軸を会社から社会に。80歳を前に再婚し、夫婦で育てはじめた新たな「種」(秦 政さん/ライフシフト年齢47歳、59歳、79歳)
秦 政
はたまこと/一般社団法人ひとつぶの種 代表

47歳で「天職」に出合い、58歳で自分の軸を会社から社会に。80歳を前に再婚し、夫婦で育てはじめた新たな「種」

1941年、三重県生まれ。リクルートの営業経理部長を務めていた47歳のとき、障がい者雇用促進特例子会社の立ち上げを任され、専務取締役に就任。57歳で退任後も一貫して障がい者の雇用支援に取り組む。私生活では70代後半に夫婦で沖縄移住を準備していた矢先、妻が他界。悲しみに暮れるが、ひとり移住した沖縄で新たな人生のパートナーに出会い、79歳で再婚。京都に一般社団法人ひとつぶの種を設立し、夫婦で運営している。

インタビュー
高林亮一
TKBrewing 代表取締役・醸造責任者

若手の育成やマネジメントより、モノ作りがしたかった。50歳で大手企業を退職し、趣味を生かしてブルワリーを開業

1989年、東京都立大学理学部数学科卒業。SEとして富士通に入社。30代前半のカナダ・トロント勤務時代に自家醸造に出合い、趣味でビール研究を始める。帰国後は遠ざかっていたが、40歳前後からビールづくりへの思いが再燃し、2016年8月、ブルワリー開業を目指して退社。2017年12月、地元・川崎市にブルワリー「TKBrewing」を開設し、夫婦で営んでいる。

インタビュー
定年まで勤めるつもりだった朝日新聞社を退職し、ベンチャー企業を経て独立した今、目の前に広がる心地よい風景(浜田敬子さん/ライフシフト年齢50歳)
浜田敬子
ジャーナリスト

定年まで勤めるつもりだった朝日新聞社を退職し、ベンチャー企業を経て独立した今、目の前に広がる心地よい風景

1989年に朝日新聞社に入社。新聞記者を経て、1993年より週刊誌の編集に携わり、2014年「AERA」編集長に就任。定年まで勤める予定だったが、『LIFE SHIFT』の著者リンダ・グラットンとの出会いを機に人生の時間軸に対する意識が変わり、「80歳になっても働き続けるために新たな経験を」と転職、オンライン経済メディア「Business Insider Japan」を立ち上げる。2021年1月に独立し、フリーランスのジャーナリストとして活動中。

インタビュー
チャーチル聡子
カプラン・インターナショナル・ランゲージズ アジア地域ディレクター

3つの国で働き、変化の度に「ゼロ」から自分の居場所を作ってきた。その積み重ねが、海外で「個」として生きていく自信に

1997年筑波大学卒業後、日本語教師アシスタントとして渡豪。何もできない自分に衝撃を受け、英語を猛勉強して現地大学院を修了。州立高校に勤務後、結婚を機に渡英。英語教育機関に職を得て安定した日々を送っていたが、30代後半から農業や日本のIT企業で営業を経験。3カ国での経験を糧に、世界規模で語学学校を展開するカプランのロンドン本社で管理職を務めている。

インタビュー
豊田陽介
「カレー屋ヒゲめがね」店主

周りの期待に応える人生から、自分の人生へ。大手食品メーカーを退職し、移住した長野で小さなカレー屋を開業

1980年神奈川県生まれ。早稲田大学商学部卒後後、ハウス食品株式会社に入社。3人目の子どもができたのをきっかけに1年間の育児休暇を取得する。その間に長野県佐久穂町に短期移住。豊かな自然と日本最初のイエナプランスクール大日向小学校に出会い本格的に移住。復職後、2拠点生活も経ながら「自分がやりたいものは何か?」を見つめ直して退社。2020年6月、佐久穂町に「カレー屋ヒゲめがね」を開店する。

インタビュー
子育てと仕事に追われ、チャレンジしていなかった自分に気づき、独立系ベンチャーキャピタルの立ち上げを決意。目指すのは「起業家の最強の応援団」(佐藤真希子さん/ライフシフト年齢39歳)
佐藤真希子
iSGSインベストメントワークス取締役代表パートナー

子育てと仕事に追われ、チャレンジしていなか った自分に気づき、独立系VCの立ち上げを決意。 目指すのは「起業家の最強の応援団」

2000年、サイバーエージェントに新卒一期生として入社。営業部門、新規事業立ち上げを経て、2006年に投資事業部門に異動しベンチャーキャピタリスト(VC)の仕事に出合う。社内VCとして活躍する一方、3人の子どもの母として忙しい日々を送るが、VC仲間のひと言をきっかけに独立を決意。2016年6月、iSGSインベストメントワークスを設立し、取締役 代表パートナーに就任した。

インタビュー
「失敗している姿も誰かの役に立つ」。友人の言葉に背中を押され、48歳からの2度目の起業で「食品ロス削減」に挑む(文美月さん/ライフシフト年齢48歳)
文美月
株式会社ビューティフルスマイル 代表取締役

「失敗している姿も誰かの役に立つ」。友人の言葉に背中を押され、48歳からの2度目の起業で食品ロス削減に挑む

1993 年、日本生命に同志社大学第一号の総合職として入社。3 年間勤務後、韓国留学を経て 26 歳で結婚。2 人の子どもを抱えての再就職に苦労したことから「自分は自分で雇う」と自宅の 一室でネットショップ「リトルムーン」を立ち上げ、人気サイトに育てる。ネットでのトラブルに悩んだ 30 代後半を超え、40 歳から社会貢献活動を開始した。48歳で 2 度目の起業に挑戦、食品 ロス削減事業『ロスゼロ』を立ち上げる。

インタビュー
本間毅
HOMMA, Inc. Founder & CEO

シリコンバレーで未来の住宅を。 もう二度と起業しないと決めてから13年、40代の今だからこそ選べた経営者の道

1974年鳥取生まれ。中央大学商学部経営学科卒業。在学中にITベンチャー設立。マザーズ上場目前まで成長するも、2002年に売却。2003年ソニー入社後、デジタルコンテンツの新規事業開発で活躍し、2008年より米国赴任。米国在住のまま2012年より楽天執行役員を経て、「二度としない」と心に決めていた起業を決意。2016年5月にシリコンバレーにてHOMMA, Inc.創業した。カリフォルニア州サウス サンノゼ在住。

インタビュー
平紀和
スタイリスト

父を看取り、86歳の母を迎えてふたりで暮らすという選択。少年時代から憧れた葉山の海と緑に包まれながら

1964年生まれ、新潟県新潟市出身。劇団員、アパレルメーカー勤務を経て、2008年スタイリストとして独立。同時に神奈川県葉山町に事務所を構え、2019年に父を看取ったのち、2020年からは住まいも葉山に移し、母とのふたりの暮らしを始める。ファッション業界でキャリアを築く一方、2015年慶應義塾大学文学部通信教育課程卒業。総合政策学部編入学後、2018年4月より、同大学大学院修士課程在籍。大学生の息子の父でもある。

インタビュー
高本玲代
「wakarimi」代表

「複業」「リモート勤務」で起業に挑戦。人生を楽しんでいる母の姿を、娘たちに見せたい

1999年お茶の水大学卒業。セブン&アイ、帝人に計16年勤務。夫の海外赴任で滞在した米国でMBAを取得。2018年スタートアップの世界に入り、ヘルスケア分野でふたつの事業に携わる。2020年4月、民間企業によるインキュベーションの仕組みを利用して更年期夫婦向けコミュニケーションサービス「wakarimi」を立ち上げ、「複業」「リモート勤務」で事業責任者を務めている。2児の母、滋賀県大津市在住。

インタビュー
子育てのために会社を退社。棚田の美しい鴨川に移住して、半農半Xの生活へ (福岡達也さん/ライフシフト年齢30歳)
福岡達也
半農半X生活を探究中

子育てのために会社を退社。棚田の美しい鴨川に移住して、半農半Xの生活へ

大学で学んだ造園学をきっかけにコミュニティづくりに関心を持ち、シェアハウスで共同生活をはじめる。偶然同じ時期に入居した女性と結婚し、以来移住とパーマカルチャーが目標になる。長男が生まれ、高齢出産の大変さを目の当たりにして仕事より家庭を選んで勤めていた会社を退社。移住計画を進めて2020年6月、千葉県鴨川の棚田のある農地へ。築100年以上の古民家を改修しながら半農半Xの立場で何ができるか探求中。

インタビュー
夫が突然病に倒れ、57歳で老舗チョコレート会社の3代目社長に。「挑戦する人生」が始まった(前内眞智子さん/ライフシフト年齢57歳)
前内眞智子
株式会社サロンドロワイヤル 代表取締役社長

夫が突然病に倒れ、57歳で老舗チョコレート会社の3代目社長に。「挑戦する人生」が始まった

1955年愛媛県生まれ。中学校の教員を経て、夫が2代目社長を務める(株)サロンドロワイヤルに入社。2012年、夫が突然病に倒れ3代目社長を継承する。女性活躍推進などの経営改革を進めるとともに、「世界を代表するショコラティエ」に育てる。2017年には「産官学」で陸前高田市の農業再生と地方創生を目指す「ピーカンナッツプロジェクト」に参画。ゴールデンピーカン(株)を設立し、ピーカンナッツの日本での普及にも尽力している。

インタビュー
瀬畑一茂
人材紹介、顧問、産業支援コーディネーター、革職人

噛みしめていた奥歯が折れて気づいた「男らしさ」への強迫観念。地方への移住で、自分の人生と家族を取り戻した

1970年。東京生まれ。信州大学経済学部卒。総合化学企業BASFに入社。国内営業、ドイツ本社でのグローバルマーケティングなどの業務を歴任し、最終的には日本法人の常務執行役員、副社長執行役員として経営実務を担う。2018年、退職して長野県松本市に移住。人材紹介業、経営顧問、安曇野市・産業支援コーディネーターなどを通して、地域の中小企業が抱える経営課題の解決支援を行うかたわら、革職人としても活動。

インタビュー
「不安定」より「一本の柱」に依存するほうが怖い。複業生活を続けて16年、コロナ禍ではエッセンシャルワークも経験(伊藤緑さん/ライフシフト年齢37歳)
伊藤緑
広報・専門学校講師・作詞家ほか

「不安定」より「一本の柱」に依存するほうが怖い。複業生活を続けて16年、コロナ禍ではエッセンシャルワークも経験

1966年生まれ、愛知県出身。30歳で作詞家デビューを果たし、派遣社員などをしながら活動を続ける。34歳で入社したITベンチャーで「広報」の仕事に出合って充実した日々を送り、正社員にも登用されるが、「会社に寄りかかりたくない」と37歳で独立。現在の仕事は、広報・PRのコンサルティング、ライティング、音楽専門学校の講師、作詞、女性コミュニティの運営など。「複業」を学びの機会として意識的に続ける。

インタビュー
転職13回、45歳で拠点を海外にシフト。 「ギブ」を続けることで成長してきた (尾原和啓さん/ライフシフト年齢45歳)
尾原和啓
フューチャリスト 藤原投資顧問 書生

転職13回、45歳で拠点を海外にシフト。 「ギブ」を続けることで成長してきた

1970年生まれ。京都大学大学院で人工知能を研究。阪神淡路大震災でのボランティア活動をきっかけに「プラットフォーム(仕組み)づくり」に関心を持つ。マッキンゼー、Google、リクルート、楽天などで事業立上げ・投資にかかわる。娘の教育環境を考え、45歳のときに楽天の執行役員を辞してバリ島に移住。現在はバリ島、シンガポールを拠点に顧問企業のアドバイザーを務める一方、執筆や講演活動も行っている。

インタビュー
競売で見つけた300万円台の老舗旅館に「運命」を感じて落札。証券トレーダーから転身し、長野と東京の二拠点生活へ(石坂大輔さん/ライフシフト年齢34歳)
石坂大輔
小石屋旅館代表、株式会社ヤドロク代表取締役社長

競売で見つけた300万円台の老舗旅館に「運命」を感じて落札。証券トレーダーから転身し、長野と東京の二拠点生活へ

1980年、東京生まれの埼玉育ち。明治大学商学部卒業。International University of Monaco修士課程修了。大学を卒業後証券会社に入社して7年間トレーダーとして働いたのちにモナコに留学して学位を取得する。星野リゾートでホテル経営を学び、いったん証券会社に勤務後、34歳のときに競売物件だった長野県渋温泉の老舗旅館「小石屋旅館」を購入。外国人旅行者向けの宿泊施設として改装して再オープンする。

インタビュー
篠田真貴子
エール株式会社 取締役

社会に貢献できることへの答えを見つけるには、1年3カ月の「ジョブレス」が必要だった

1991年、日本長期信用銀行入行。退職後、米国に留学し、大学で国際関係論を学んだ後、ビジネススクールでMBAを取得。1998年に帰国後は、マッキンゼーなど外資系大手企業でのキャリアを歩むも、それまでの職場とは違う環境に魅力を感じ、2008年に東京糸井重里事務所(現・(株)ほぼ日)に入社。取締役CFOとして10年間活躍した後、退職し、「ジョブレス」を宣言。1年3カ月の自分と向き合う期間を経て、オンライン 1on 1 を提供するエール株式会社の取締役に就任した。

インタビュー
40歳で外資系企業、50歳でソーシャルセクターを目指し、壁にぶつかりながらも、60歳で人生の目標に出会った(永井裕美子さん/ライフシフト年齢40歳、50歳、60歳)
永井裕美子
株式会社LiB 取締役

40歳で外資系企業、50歳でソーシャルセクターを目指し、 60歳で人生の目標に出会った

1981年、営業職として富士ゼロックスに入社。2000年、40歳で外資系企業に移り、GE、エルメスで人事責任者を務める。50歳を機にソーシャルセクターの活動に軸足を移すも、一度は挫折。55歳で再トライし、2団体の運営に携わった後、60歳で仲間とともに女性のリーダーシップ開発を支援する一般社団法人ポテンシアを設立。働く女性のライフキャリア支援を行う株式会社LiBの取締役も務めている。

インタビュー
藻谷ゆかり
経営エッセイスト 巴創業塾主宰

東大卒・ハーバードMBAのワーキングマザーが選んだ「起業」と「地方移住」

1986年東京大学経済学部卒業後、日興證券に入社。25歳でハーバード・ビジネススクールに社費留学しMBA取得。留学先で知り合った夫と結婚後、20代後半で長男、長女を出産。育児と会社勤務の両立に難しさを感じ、33歳でインド紅茶の輸入・ネット通販会社を起業。38歳のときに子育てのために長野県に一家で移住した。55歳で紅茶の会社を事業譲渡し、現在は地方活性化や家業のイノベーション創業を支援する「巴創業塾」を主宰。

インタビュー
「手に職」のない会社員が独立し、人と人を結ぶ「案内人」に。20年間活躍し続ける理由とは?(渡辺幸裕さん/ライフシフト年齢49歳)
渡辺幸裕
株式会社ギリー 代表

手に職のない会社員が独立し、人と人を結ぶ「案内人」に。20年間活躍し続ける理由とは

26年間勤務したサントリーを49歳で退職し、株式会社ギリーを設立。人と人を結ぶ「案内人」としてビジネスコーディネーター業務を手がける一方で、完全紹介制・完全登録制の「ギリークラブ」など複数の活動を主宰。「ギリークラブ」は、開始後18年間で2100回以上開催しており、現在も年100回以上実施している。「技術職でもクリエイター職でもなかった自分が『案内人』という不安定な仕事を長年楽しく続けてこられた理由は、“人”にある」と語る。

インタビュー
大企業を離れ、未経験のドローン業界で起業。人生を自分でコントロールし続けるために (田路圭輔さん/ライフシフト年齢49歳)
田路圭輔
株式会社エアロネクスト 代表取締役CEO

大企業を離れ、未経験のドローン業界で起業。人生を自分でコントロールし続けるために

1991年、電通入社。31歳で電通と米国ジェムスター社のJV、IPGを共同創業。日本初の電子番組表「Gガイド」の開発に携わり、「Gガイド」サービスの市場化を実現。事業を成長させるが、IPG社長の退任を機に、49歳で電通を退職。知財戦略を核に起業家経営者として生きていくと決め、ドローン関連の知財戦略・知財マネジメントを手がけるDRONE iPLABを2017年に共同創業。同年11月、DiPLとの資本業務提携を機にエアロネクストに参画、代表取締役CEOに就任。

インタビュー
争いのない美しい世界に身を置きたい。弁護士から僧侶になる理由はそれで十分だった(堀江利昌さん/ライフシフト年齢29歳)
堀江利昌
僧侶

争いのない美しい世界に身を置きたい。弁護士から僧侶になる理由はそれで十分だった

1987年生まれ。仏教を身近なものとして育つ。法律を学ぶ「かっこよさ」を知り法学部・ロースクールで学び司法試験に合格、弁護士となり法律事務所に入る。一方、学生時代に浄土宗の修行をして僧侶となる。弁護士としては約3年半にわたり、主に民事・家事事件を扱う。2017年、法律事務所を退職。弁護士資格を返上。2018年、大本山増上寺に入職。浄土宗開宗850年の記念事業として重要文化財改修の企画立案やファンドレイズなどを担当する。

インタビュー
大学院で学びの面白さに目覚め、会社を退職。 研究を通じて、ライフテーマを見つけた (池田美樹さん/ライフシフト年齢50歳)
池田美樹
エディター EDIT THE WORLD&CO. CEO

大学院で学びの面白さに目覚め、会社を退職。 研究を通じて、ライフテーマを見つけた

編集者、文筆家。少女時代から憧れていた出版社に勤務し、女性誌の編集者として無我夢中で仕事をしてきた。しかし、40代になったころから「人生100年時代の今、定年後も働き続けたいけれど、このままでいいのだろうか」と焦りを感じるように。ある出会いをきっかけに大学院に通いはじめたところ、学びの面白さに目覚め、退職。研究に専念する日々を経て、「40代前後の女性の支援」というライフテーマを見出した。

インタビュー
地域と大都市の会社員を「副業」「複業」でつなぐサービスで起業。原点は、ひとつの場所にしがみついて苦しんだ自身の経験(猪尾愛隆さん/ライフシフト年齢40歳)
猪尾愛隆
JOINS株式会社共同創業者・代表取締役

地域と大都市の会社員を「副業」「複業」でつなぐサービスで起業

クラウドファンディング事業を手がけるスタートアップで全国の企業の資金調達を支援するなかで、地域企業の深刻な人材不足に課題意識を持つ。30代後半には自分の業績が低迷。「自分の居場所はこの会社しかない」という思いが自らを苦しめたと気づき、複数の居場所や選択肢を感じることの大切さを実感。2017年、退職し、地域企業と、「副業」「複業」で地方で働きたい人材のマッチングサービス事業を手がけるJOINS株式会社を創業。

インタビュー
宮原契子
国境なき医師団日本

自分をいなして働き続けることはできなかった。広告会社から年収約半分のNGOへ

新卒で広告会社に就職し、コピーライターやマーケティングプランナーとして広告制作に携わっていたが、クライアントに振り回される毎日に疑問を感じるように。ある国際協力NGOに寄付をしたことをきっかけに、NGOで働くことに興味を持つ。5年以上迷ったが、2011年に国際協力NGO「ジョイセフ」に転職。2015年に「国境なき医師団」に入団し、現在はマーケティング業務とクリエイティブ開発のほか、人道教育プログラムの開発を担当。

インタビュー
トヨタの海外駐在員から、北海道厚真町へ移住し起業。チャレンジを続けるために(成田智哉さん/ライフシフト年齢30歳)
成田智哉
マドラー株式会社 代表取締役

トヨタの海外駐在員から、北海道厚真町へ移住し起業。チャレンジを続けるために

トヨタの人事部門で5年間、人間関係諸活動に関わる仕事を担当。巨大企業のさまざまな層の人々と話して理解し合う活動を行った。2018年、ブラジル支社に赴任するも4ヵ月で退社を決意。2019年4月、北海道厚真町のローカルベンチャースクールに参加するために移住する。5月厚真町でマドラー株式会社設立。レガシー×テクノロジー、都会×地方、ベテラン×ワカモンという社会の両端を越境し、かき混ぜて結びつける仕事をはじめる。

インタビュー
憧れの海外生活を実現しても満たされなかった自分を変えた、心からやりたい仕事との出会い (コノリー美香さん/ライフシフト年齢39歳)
コノリー美香
パーソナルライフコーチ

憧れの海外生活を実現しても満たされなかった自分を変えた、心からやりたい仕事との出会い

小学生時代から海外に憧れ、大学の英語学科への進学を希望していたが、家庭の事情でかなわず、短期大学の栄養学科に進学。卒業後、情報サービス関連会社に勤務。30歳を前に「夢をあきらめ続けたくない」と基礎から英語を学び直す。外資系企業勤務を経て、パートナーに伴い32歳で憧れの海外移住。38歳でコーチングに出会い、39歳でパーソナルライフコーチとして活動開始。現在は仏・ブルターニュ地方で充実した日々を送る。

インタビュー
現代人がかかえる「そこはかとない不安」を癒す「森の力」に惹かれて事業を起こす(山田博さん/ライフシフト年齢46歳)
山田博
株式会社 森へ 代表取締役

現代人がかかえる「そこはかとない不安」を癒す「森の力」に惹かれて事業を起こす

学生時代は、古典教師を目指していたが、株式会社リクルートに入社。人事、営業、研究事業を経験した後にプロ・コーチとして独立。自身が死の危険に瀕したことを契機に、森での生活から得られる自然の治癒力に気づき、2006年より「森のワークショップ」をスタートさせる。2011年、アメリカ先住民族の儀式「ビジョンクエスト」により、自らのミッションは「ガイド」と知り「森のリトリート」をメイン事業とする株式会社 森へ、を設立。

インタビュー
不確実な時代を生きる戦略が「拡張家族」。得意を活かしながら助け合って(町塚俊介さん/ライフシフト年齢25歳)
武藤麻代
ワークショップデザイナー・食育コンサルタント

がん発症を起点に人生が動き出し、50歳で起業。食と医療を通して、人の縁をつなぎたい

合同会社オールスプラウツ代表取締役。医療機器メーカーに勤務していた41歳の時にがんを発症。患者としての体験をきっかけに食と医療をテーマにしたヘルスケア教育の事業化を決意。43歳で立教大学大学院に入学。勤務しながら学び、MBA取得。2014年1月『学びの食卓』プロデュースを設立、2018年4月に法人化。ワークショップデザイン・企画開発、イベント運営に注力するかたわら、“大人の食育コンサルタント”として活動している。

インタビュー
不確実な時代を生きる戦略が「拡張家族」。得意を活かしながら助け合って(町塚俊介さん/ライフシフト年齢25歳)
町塚俊介
コーチ/料理人/シェアハウス経営

不確実な時代を生きる戦略が「拡張家族」。得意を活かしながら助け合って

経営者向けコーチングの会社を経営する傍ら、北鎌倉の古民家を舞台にして「栄縁」をテーマに「拡張家族」というコミュニティ運営を行う。妻と娘、6人の「家族」とともにシェアハウスで共同生活し、食事、子育てなどを助け合う。現在は、会社経営と3つのシェアハウス運営をしながら、食べ物を通じてコミュニティの生活を豊かにする料理人の修行をつづけ、延長線上に、衣食住が独立した経済システムで動く「村づくり」構想を進める。

インタビュー
子どもの教育とキャリアの両立する場所、カンボジア・キリロム高原に家族で移住(別宮健三郎さん、定松真理子さん/ライフシフト年齢(41歳、38歳)
定松(別宮)真理子
A2A Town (Cambodia) Co., Ltd 経営企画室長

子どもの教育とキャリアの両立する場所、カンボジア・キリロム高原に家族で移住

カンボジア、キリロム高原在住、39歳、夫の別宮さんと同様、アクセンチュア株式会社でコンサルタントの仕事に従事2度目の産休後、アクセンチュアの教育休職制度を利用して、慶應義塾大学のビジネススクールに通い、MBAを取得する。ガードナージャパン株式会社を経て、2019年1月、キリロム工科大学に転職して、娘2人とともにカンボジア移住。現在は経営企画室で、スポンサー集めなどの仕事に関わる。

インタビュー
子どもの教育とキャリアの両立する場所、カンボジア・キリロム高原に家族で移住(別宮健三郎さん、定松真理子さん/ライフシフト年齢(41歳、38歳)
別宮健三郎
vKirirom Pte.Ltd. 取締役 キリロム工科大学 担当副社長

子どもの教育とキャリアの両立する場所、カンボジア・キリロム高原に家族で移住

カンボジア、キリロム高原在住、42歳、アクセンチュア株式会社でコンサルタントとして13年間勤務。自動車会社などをクライアントとして業務改善の仕事に関わった後に、2017年10月、vKirirom Pte.Ltd.に取締役として転職し、カンボジアに移住。のちに妻の定松さんと2人の娘が合流。現在は、キリロム工科大学の運営全体に関わる。座右の銘は「理屈も感情も両方大切」。

インタビュー
企業人事から、32歳で精神科医を目指すことを決意。人間と向き合い、ともに歩くために(青柳潤さん/ライフシフト年齢32歳)
青柳潤
医師

企業人事から、32歳で精神科医を目指すことを決意。人間と向き合い、ともに歩くために

株式会社リクルートで採用を中心とした仕事に関わり、その経験から「他人の人生と出会い、ともに歩く」ことのできる精神科医に興味を持つ。二番目の子どもが双子で生まれることがわかった32歳のとき、「集中して受験勉強できるのは双子が生まれる前の今しかない」と精神科医になることを決意し退社。1年後、滋賀医科大学に入学、37歳で医師免許を得る。将来は多くの人生と出会い「ともに歩く」地域医療スペシャリストを目指す。

インタビュー
IBMを定年退職後、65歳で保育士に。無縁だった「待機児童問題」の解決に取り組む(髙田勇紀夫さん/ライフシフト年齢65歳)
髙田勇紀夫
保育士

IBMを定年退職後、65歳で保育士に。無縁だった「待機児童問題」の解決に取り組む

日本アイ・ビー・エム株式会社を60歳で定年退職後、新聞の記事を見て、日本には女性たちが悲鳴を上げるほどに深刻な保育所の待機児童問題があることを知る。自身が家庭を顧みてこなかった反省もあり、保育士になって現場に入り、微力でも身をもって課題解決に挑戦することを決意。65歳で資格取得し、新設の保育所で保育士として勤務しはじめる。そのなかで得た、あり余るほどのリアリティを基礎にして、待機児童問題の解決策を思案中。

インタビュー
夫婦同時に大企業を辞め、日本と世界を巡る旅へ。世の中をつなげていくために(濱松誠さん/ライフシフト年齢36歳)
濱松誠
「ONE JAPAN」共同発起人・代表、旅人

夫婦同時に大企業を辞め、日本と世界を巡る旅へ。世の中をつなげていくために

パナソニック(株)に勤務しながら、2012年に会社の活性化を図る若手主体の有志団体「One Panasonic」を立ち上げる。さらに、日本の大企業50社で共創や企業変革を推進する若手・中堅有志コミュニティ「ONE JAPAN」を設立。その活動で、日経ビジネス「2017年 次代をつくる100人」に選出。Business Insider JapanのGame Changer 2019 アワード受賞。2018年末、妻と同時に会社を辞め、2019年2月、日本一周と世界一周の旅に出る。

インタビュー
糸原 絵里香
シェアワーカー

自身のスキルを「シェア」という形で活かしたい。新卒シェアワーカーという選択

東京都在住。大学院で心理学を学びながら、シェアワーカーとして平日は民泊の掃除や家事代行、週末は民泊のゲストを迎えるという毎日を送っている。自身にとっては本当に自分の好きなことをしていて、それが不思議と収入につながっている感覚で、大学院卒業後も「新卒シェアワーカー」として生きていくことを決意。出会いを大切に、小さな信頼の蓄積のために1つ1つの仕事に対して常に120パーセントの集中力で臨んでいる。

インタビュー
海野 千尋
NPOメンバー・フリーランス

なぜこの仕事をするのか。クリアな答えのある場所に、複数関わるという働き方を選択

NPO法人ArrowArrow事務局長、NPO法人二枚目の名刺 事業管理統括、任意団体ALTメンバー、自由大学キュレーター「ネオ・ファミリースタイル学」、フリーランス。大学卒業後、メディア業界でのハードワークを経て、東日本大震災を機にライフシフト。「なぜこの仕事をするのか」、クリアな答えのある場所に、複数かかわるというパラレルキャリアを選択。夫、娘の3人家族。

インタビュー
有賀 薫
スープ作家

息子のために続けてきた「スープ作り」が、いつしか自分を表現できる仕事になった

大学卒業後3年間、玩具メーカーに勤務後、フリーライターに。結婚・出産後も子育てをしながら、企業の媒体、雑誌記事などの仕事に携わる。2012年から息子のために朝のスープを作り始め、50歳で「スープ作家」に。スープレシピの開発、執筆やイベント、展覧会などで活動中。『帰り遅いけどこんなスープなら作れそう』(文響社)で第5回レシピ本大賞入賞。近著に『スープ・レッスン』(プレジデント社)。埼玉県在住。

インタビュー
佐久間 憲一
出版社・ブックカフェ経営

60歳を機に、東京から京都へ移住。職住隣接のミニマムライフで生涯現役を目指す

株式会社牧野出版 代表取締役。1957年東京都生まれ、京都府在住。大学卒業後、新潮社、バジリコ株式会社、ポプラ社を経て、2004年牧野出版株式会社を買収し代表取締役に就任する。2017年、60歳を機に、生涯現役を目指した「暮らしのミニマイズ」と、「様々な人が出会う場づくり」というコンセプトを実現するために妻と共に京都に移住。京町家を改修した建物の2階を住居・1階をオフィスにした「職住隣接」生活を送る。

インタビュー
江澤 佑己子
花屋経営

会社の先輩・後輩2人で花屋を起業。原点はカナダで出会った「花のある日常」

NIKO FLOWERS+共同代表。大学で医療経営を学び、企業系診療所に事務職として入社。独立志向が強く、試行錯誤を続けたが、「花の道で行こう」と決意し、28歳で退職。花屋、ホテルでのブライダル装花を経験。会社員時代の憧れの先輩、和久井純子さんが留学することに刺激を受けて、ワーキングホリデーでカナダへ。「花のある日常」に出会い、起業のイメージを固める。帰国後、和久井さんとともに花屋を起業。

インタビュー
和久井 純子
花屋経営

会社の先輩・後輩2人で花屋を起業。原点はカナダで出会った「花のある日常」

NIKO FLOWERS+共同代表。薬科大学を卒業後、企業系診療所にて薬剤師と事務職として勤務。やりがいを感じていたものの、35歳を過ぎたころから「人生でやり残したことはないか」と思い始め、「英語を話せるようになりたい」という思いから、1年間のカナダ・アメリカ留学を決める。カナダで出会った「花のある日常」に魅せられ、帰国後、会社員時代の後輩、江澤佑己子さんとともに花屋を起業。

インタビュー
大関 信武
医師、一般社団法人代表

医師の傍ら、一般社団法人を立ち上げ「スポーツ医学検定」を開催

東京医科歯科大学再生医療研究センター、一般社団法人日本スポーツ医学検定機構 代表理事。再生医療の現場で整形外科医としての仕事をこなす一方で、一般の人が身体やケガの知識を体系的に楽しく学ぶ機会を作る必要性を感じ、39歳の時に「スポーツ医学検定」の創設を決意。一般社団法人を設立して、その全国展開を目指して尽力している。東京都在住。妻・子ども3人の5人家族。

インタビュー
広野 郁子
マーケティング会社経営

53歳で「英語の学び直し」を決意。ハワイ1週間、マルタ島3週間の留学にも挑戦

株式会社アイ・キューブ代表取締役。大学卒業後リクルートに入社し、出産を機に退社。夫の転勤で引っ越した静岡で三菱電機静岡製作所に入社。日経ヒット商品金賞を受賞した「切れちゃう冷凍」の開発に携わる。2000年、再び夫の転勤で関西へ引っ越し、女性目線のマーケティング会社を起業。53歳のとき、英語の学び直しを決意。オンライン英会話に続いてハワイ留学、マルタ共和国留学も経験。夫、娘(28歳)の3人家族。

インタビュー
行廣 和彦
大手総合商社勤務

40歳目前で気づいた「学びたい」という気持ち。商社に勤務しながら自費で大学院へ

「ビジネスを通して世界中の人々を“動機づけたい”」という想いから、大学卒業後は大手総合商社に就職。営業、戦略立案、経営企画等さまざまな業務に従事し、海外生産戦略室室長や新規事業開発責任者を勤めた経験も持つ。2015年4月、勤務を続けながら大学院に入学。2017年3月に修了、事業構想士(MPD)を取得。習得した学びを生かしながら、企業人として日々、成長している。妻、2人の息子の4人家族

インタビュー
小仲 律子
福祉旅行会社経営

もっと自由に生きたい。フランス田舎町での専業主婦生活を飛び出して、パリで起業

仏法人エトワール・サービス代表。京都府出身、パリ在住。25歳でフランスに留学し、その後家業である酒屋を継いでいたが、フランス人の夫と出会い渡仏。田舎町でのんびり子育てしていたが、仕事も少なく窮屈に。もっと自分らしい自由な人生を生きるために、夫と離れ、子どもたちと一緒にパリに移住。福祉旅行会社を起業し、日本からの車椅子や障がいをお持ちのお客様の旅行や滞在のサポート、商業通訳やコーディネートを行う。

インタビュー
西川ノーマン裕子
不動産エージェント(ロサンゼルス)

「いつかは海外へ」という夢を39歳で実現。単身渡米し、今ではキャリアも家庭も充実

RE/MAX Estate Properties 不動産エージェント。ロサンゼルス市在住。大学卒業後、リクルート入社。仕事の面白さに充実感を感じ、気づくと30代後半。動くなら今しかない!と40歳を目前に渡米。日本人向けフリーペーパーの編集長として活躍。現地で出会った夫と順調に暮らしながらも、日本人コミュニティ向けの仕事では渡米した意味がないと45歳で一念発起。不動産エージェントに転職、現在に至る。

インタビュー
高島 優季
フリーランス

「複業」という働き方で、自分のバリューを高めながら、働き方の選択肢を増やしたい!

大学卒業後、求人広告の営業、人事、広報などの仕事を経て、海外ビジネス支援プラットフォーム「Digima~出島~」の相談窓口コンシェルジュに。5年間で約4000社の手配を経験。2018年「もっとたくさんの企業や人に貢献したい」「働き方の選択肢を増やしたい」という想いからフリーランスに転身。海外ビジネスを行う起業家ネットワークWAOJEの事務局や、海外ビジネスを行う企業のHR&PRサポートなどを行う。

インタビュー
黒田 朋子
会社経営

自分ではない誰かのために。大病を機に、「不妊」に向き合う人をサポートする会社を設立

芸術系大学院卒業後、会社勤務を経てインテリアデザイナーとして独立。2011年急性骨髄性白血病を発症。抗がん剤の副作用による「不妊」と向き合う。本質的に不妊治療当事者に寄り添ったサービスを生み出したいという思いから、2016年に株式会社ライフサカスを代表の西部沙緒里氏と共同創業。不妊治療当事者向けのスマートフォンアプリ「GoPRE」の開発、ストーリーメディア「UMU」の運営などを行う。

インタビュー
太田 良冠
地域おこし協力隊・大学院研究員

神奈川から鹿児島県長島町への移住も、大学院進学も「行き当たりばっちり」

神奈川県出身、鹿児島県長島町在住。アメリカ留学中に食に関心を持ち、高級飲食店を顧客とするIT企業に就職。生産現場に近い距離で携わりたいと考え、25歳のとき「地域おこし協力隊」として長島町に移住。同時に、長島町が提携を結んだ慶應義塾大学大学院の「地域おこし研究員」に合格。大学院生という肩書きも持ち、「地方の生産者と都市部の料理人コミュニティの持続発展化」を目指し、理論と実践を行き来する毎日を送る。

インタビュー
中田 敏行
会社経営(ベトナム)・日本語教師

「ダメだったら戻ればいい」。55歳で早期定年退職後、自分が輝く場所を求めて海外へ

CSS Co.,LTD代表取締役社長。ベトナム在住。専門学校卒業後、ソニーに入社。製造・技術・資材の各部門、中国・上海のデジタルカメラ工場の品質保証責任者を経て、55歳で早期退職。海外での日本語学校設立を目指し、日本語教師養成講座で1年間学ぶ。南米、欧州、アジアなど6カ国で市場調査をし、17年にCSS設立、ベトナムで技術指導や日本語指導を行う。前妻(離婚)、子ども2人が日本で暮らす。

インタビュー
稲葉 哲治
会社員、プロデューサー

会社員+多数のエシカルプロジェクトに取り組む「ハイブリッドキャリア」を構築

会社員(HRコンサルタント)、エシカルペイフォワード・プロデューサー。開成中学、高校、東京大学と、いわゆる”エリートコース”を歩むも、大学を中退。ニート期間を経て、28 歳でセゾングループの会社に入社。その後知人と共に起業するも、収益化を急いだため自由な活動ができなくなり、33 歳で会社員に戻る。HRコンサルなどの仕事と、多数のエシカルプロジェクトに取り組むハイブリッドキャリアを築き上げている。

インタビュー
酒井 章
パラレルワーカー

肩書きはいずれ無くなるもの。複業で自分自身を高め、いずれ「自分の名前だけの名刺」へ

広告会社においてクリエイティブ職、営業職、マーケティング職、シンガポール駐在、グローバル部門を経て、現在、人事局で社員のキャリア形成支援と組織開発を担当。2015年よりNPO法人「二枚目の名刺」に参加、大学において各種講座を担当。2018年より、早稲田大学エクステンションセンター・WASEDA NEOのプログラム・プロデューサーとしてリカレント教育のデザインを行っている。東京都在住。

インタビュー
若林 秀樹
大学客員准教授

「教育現場の“言葉の壁”をなくしたい」。安定した中学教員を辞め、冒険の旅へ

宇都宮大学国際学部客員准教授、教育向け多言語システム“E-Tra”主宰、みらい日本語学校事務局長。大学卒業後、地元栃木県の中学校教員に。現場で外国人の子どもの教育について研究を始め、47歳の頃、将来安定の公立学校教員から任期付き大学教員に転身。53歳の頃、経費の関係で大学の固定給がなくなり失業状態になるも、生涯を通して研究してきた「教育向け多言語システム」E-Tra構想が収入を生み始める。茨城県在住

インタビュー
柚木 理雄
社会起業家

戦略を考えるより現場で挑戦を!国家公務員を退職し、「地域創生」をミッションに起業

株式会社Little Japan代表取締役、特定非営利活動法人「芸術家の村」理事長。大学院卒業後、農林水産省に入省。東日本大震災をきっかけにNPO活動を始め、2017年1月「今必要なのは現場の取り組み」と考え農林水産省を退職。地域創生をミッションにLittle Japanを立ち上げる。ゲストハウス「Little Japan」の運営、地域の担い手不足解決につながる事業の立ち上げなど幅広く活動。

インタビュー
並木渉、美緒
起業家・フリーランス

「はたらくに余白を」。夫婦で見つけたライフテーマで起業

カンターキャラバンジャパン代表。夫婦ともにフルタイム勤務をしていたが、妻の流産、不育症をきっかけに、「自分たちはどう生きたいか」というテーマに向き合う。その後「自然の中ではたらく」をテーマに活動するオランダの団体、カンターキャラバンと出会う。夫婦で日本版を立ち上げ、「はたらくに余白を」をテーマに活動開始。同時に夫は営業系フリーランスとして、妻は経理系フリーランスとして働く。神奈川県在住。

インタビュー
岩間 秀幸
医師

妻のキャリア再出発を支えるため時短勤務・主夫に。子どもとの時間は一生の財産に

亀田ファミリークリニック館山・家庭医診療科プログラム統括責任者。小児科医の妻の専門研修のため2015年4月より、主夫として時短勤務。長男のこども園ではPTA会長も務めた。家族の協力のもと、かかりつけ医としての診療のほかに、指導医養成、講演やシンポジストなどにも精力的に挑んでいる。千葉県在住、35歳。妻・長女・長男の4人暮らし。

インタビュー
大杉 潤
コンサルタント・研修講師・執筆業

会社員を経て独立。「トリプル・キャリア」という人生設計図で生涯現役を目指す

大学卒業後、日本興業銀行、新銀行東京を経て、人材関連会社等にて人事責任者を歴任。57歳で独立起業し「定年のない働き方」に移行。フリーのコンサルタント、研修講師、ビジネス書作家として活動中。サードキャリアの目標は「70歳からハワイに移住して執筆業一本で食べていく」。著書に『定年後不安 人生100年時代の生き方』(角川新書、2018年)などがある。埼玉県在住。60歳。妻と子ども2人の4人家族。

インタビュー
宮原 睦子
TV番組ディレクター/NPO代表

仕事120%の生活にピリオド。夜と週末は 外国人をサポートするNPOを運営

幼いころから、将来はテレビ番組の制作に携わりたいという夢を持つ。中学校を卒業後に、英国へ留学。23歳で帰国し、テレビ局でAD、ディレクターとして番組制作に携わる。震災を機に「自分ができること」として特定非営利活動法人日本生活・語学支援機構(通称:エルジェ)を設立。テレビ番組の制作に携わりながら、日本で暮らす外国人の生活や語学習得の支援を行っている。東京都在住、42歳。夫との二人暮らし。

インタビュー
有賀 達郎
TV番組司会

今ここにある事を大切に。「地域」をキーワードに顔の見える関係を意識して活動

文化放送で15年間キャリアを積んだのち、自営業を経て、地域のコミュティラジオ局であるFM西東京へ。地元に根ざした人と人とのリアルなつながりの大切さに気づき、地域や顔の見える関係を意識した人生に。2016年退職。現在も「地域」をキーワードに、J:COM西東京番組「たまろくと人図鑑」司会担当、PlanT(日野市多摩平の森産業連携センター)コーディネーターなどで活躍。家族は母、妻、娘。

インタビュー
山川 倫子
会社員/NPO代表

仲間と共に歌を届ける!企業に勤めながら、NPOとして社会貢献に力を注ぐ

オムロン株式会社勤務、NPOダイアログ・ネット所属。友人に誘われて2000年にゴスペルを始め、ゴスペルシンガーのTAEKO GLORY氏と出会う。2005年、TAEKO氏の呼びかけでNPO法人ダイアログ・ネットを設立。歌で目の前の一人を励まし讃える!を合言葉に歌のボランティア活動を展開。東日本大震災後は「心の復興支援プロジェクト」を立ち上げ、毎年各地でチャリティコンサートを開催。大阪府在住。

インタビュー
片岡 博
会社員

地域活動に参加して、人とつながる豊かさを実感。多くの人と活動を共にする人生へ

大学卒業後、メーカーに勤務。順番で回ってきた町内会役員とたまたま参加したボランティア活動により、「人とのつながりが心を豊かにする」ことに気付き、ライフシフト。人を大切にする社風の株式会社ジャストワークに転職。出会いと縁を大切に、多くの人や団体と活動を共にしている。特定非営利活動法人 湘南NPOサポートセンター会員。神奈川県在住、妻と子ども3人の5人家族。

インタビュー
佐藤 惠理
個人輸入業

鬱とがんを乗り越えチュニジアへ。織物キリムとの出会いでたくましく変化

チュニジア産キリム販売 ”Lone Toujane ”(ローヌ トゥジェン)代表。短期大学卒業後、団体職員として3年間働いた後、専業主婦に。第二子出産後、体調を崩し鬱病に。以来激しい心身の不調を抱え、「とにかく生き延びる」日々を送る。社会的リハビリを目的としてパートタイム事務職に復帰するも、51歳でがんを発症。手術後、チュニジアを旅し、キリムに魅せられ、全くの未経験で「Lone Toujane 」を創業。東京都在住。

インタビュー
渡辺 正寿
セルフビルドパートナー

25歳で東京から長野へ移住、34歳で起業。ストレスのない働き方を手に入れた

横浜市の大手ハウスメーカーで3年勤務後、建築雑誌で見つけた長野県の工務店のビジョンに惹かれて転職、妻と共に移住。5年勤務するも違和感を感じて退職。建築業界を離れ、リゾートホテルの夜勤フロント業務、有機農家のスタッフなどを経て、2015年3月えんがわ商店を創業。セルフビルドパートナー/DIYサポーター/二級建築士/大工として、住まい手が自分で作ることのサポートをしながら家作り・場作りをしている。

インタビュー
綿瀬 麻意子
アクセサリーブランドオーナー

私が私でいるために、専業主婦からアクセサリーブランドを起業

福岡県在住。出産後、夫の転勤で関東に。慣れない環境と母親のくも膜下出血が重なり、産後鬱に。「娘が成長してしまったら、何の目標を持てばいいのか」と悩み考え、「私が私でいるために何かしよう」と決意。2013年にチャレンジショップ内でハンドメイドのアクセサリーの制作・販売をスタート。2015年には小倉織をつかったアクセサリーの制作・販売をスタートし、Itohen.M(イトヘンエム)を創業。夫と娘の3人家族。

インタビュー
蓮見 勇太
Diversity & Inclusion Evangelist

海外と日本の架け橋に!ロンドンと東京を拠点にDiversity & Inclusion Evangelistとして活動

外資系グローバル企業にてアジア太平洋地区の人事のプロフェッショナルとしてキャリアを築くも、「海外で働きたい、そこで日本と海外の架け橋となり恩送りしたい」という思いが強くなり独立。Diversity & Inclusion Evangelistとして、ロンドンと東京を拠点に活動。「誰もが自分らしく”IKIGAI”のある世界を創ります」をモットーに地域・国や業種の垣根を越えて、様々な企業・団体と一緒に協働している。

インタビュー
10年後の海外移住を目標に、夫婦で試行錯誤を6年。 妻が副業で始めた「外国人向け料理教室」が3年で軌道にのって 夫も参加。夢の実現が見えてきた! 富永紀子(とみながのりこ)さん、多賀志(たかし)さん《ライフシフターNo.24》
富永 紀子
外国人向け和食教室経営

10年後の海外移住を目標に、副業から「外国人向け和食教室」をスタート

大学卒業、化粧品会社、製薬会社数社に勤務。2008年、夫婦でニュージーランドを旅した際に、10年後にはここに移住すると決意。実現方法を模索し、2014年に副業として自宅で外国人向け和食教室「わしょクック」をスタート。手ごたえを感じ、2016年、47歳で製薬会社を退職し「わしょクック」に専念。2018年には夫も事業に参加。夢の実現が近づいている。神奈川県在住、49歳。55歳の夫、9歳の息子の3人暮らし。

インタビュー
鈴木 富貴
会社員、キャリア・ジャーナリスト

自分の殻を破りたい!専業主婦の悶々を乗り越え、パラレルキャリアの道へ

静岡県在住。大学卒業後、静岡にUターンしテレビ局に就職。結婚・出産後も仕事優先の生活だったが、夫の海外転勤を機に専業主婦に。帰国後、再就職を模索するも方向が見えず悶々とする。答えを探すために、「働く」をテーマに取材を開始。偶然、株式会社チェンジウェーブ(東京都港区)と出会ってチェンジプロデューサとして入社。リモートワークも活用し、キャリア・ジャーナルストの活動とも両立。夫と娘の3人家族。

インタビュー
森田 亜矢子
子育て講師/マーケター

難病を機に、仕事中心の生活を見直し。自分らしいワーク&ライフバランスを実現

大学卒業後、コンサルティング会社を経て、リクルートへ。仕事優先で生活する中、34歳の時に子宮外妊娠と貧血の難病が発覚。仕事を休職し、生活の抜本的な見直しを行い、自分らしいワーク&ライフバランスが実現する「スラッシュキャリア」を選択。「子育てを学ぼう」まあどれ 主宰/子育てマーケター/Baby&Kids食育講師/マザーズティーチャー/TCS認定コーチなどで活躍。39歳、夫の子ども2人の4人家族。

インタビュー
SAWA
フリーエディター

結婚を機に、夫と2人でバンで日本中を旅をしながら遠隔で仕事をする「Vanlife」へ

日本全国 大学を卒業後、広告代理店、出版社、事業会社の広報職を経て、PR会社に参画。旅のWEBメディアの編集を担当するようになり、一週間の半分は会社へ通い、半分は遠隔で仕事をするという半・ノマドワーカーに。婚約を機に都会を離れ、現在は日本に息づく文化や伝統を自分の足で取材して紐解きたいという想いから、夫と共に、バンで日本を旅しながら遠隔で仕事をするVanlife(バンライフ)を送る。35歳。

インタビュー
高橋 利枝
会社員

介護・育児と仕事を両立するため、「なにをしなくていいか」を行動の軸に

30代はワーカーホリックだったが、子どもを出産したころ、母親の認知症が発覚。介護・育児と仕事を両立するため、人生デザインを見直す。働きやすい会社へ転職し、通勤時間を減らすために引っ越し、在宅ワークも活用。そして「何をしなくていいか」を優先して考える生活に。定年後は起業と住みやすい国への移住を目指し、休みのたびに子どもと一緒に東南アジアの国々をまわる日々。東京都在住、48歳。

インタビュー
田中 公美
会社員

子宮頸がんの告知で死を意識。「後悔しない人生を生きる」ため模索中

スーパーマーケットの営業企画として長く働く中、2015年の春「子宮頸がん」の告知を受ける。死を意識したことで「後悔しない人生を生きる」事を決意。昔から受けたかったメイクセラピスト養成講座や簿記の勉強、「美容部員」の仕事、子宮頸がんの啓発活動などに挑戦。その経験の中でこれから自分が進むべき道に気づき、2018年春より前職に復職。岡山県在住、38歳。夫、18歳長女、14歳長男、7歳次女の5人家族。

インタビュー
小安 美和
社会起業家

40歳で考えたこれからの30年ビジョン。「自身が生きる意味」を考え社会起業を決意

大学卒業後、新聞社勤務を経てシンガポールへ。専業主婦、現地採用社員を経験し、5年後に帰国。リクルートに入社し、海外駐在や事業会社執行役員を経て、45歳で独立。「女性×はたらく」を応援するWill Lab代表、兼、途上国女性の生活向上のためのハンディクラフトショップWill Galleryのオーナーに。仕入れを目的として毎月1回、海外へ。夢だった「東京を拠点に、世界を飛びまわる生活」を実現。東京都在住、46歳。

インタビュー
野口 亜弥
大学職員

プロサッカー選手引退後、スポーツを通じたジェンダー平等社会を目指す道へ

3歳からサッカーを始め、国内でプレー後、アメリカ大学リーグへ。引退後のキャリアも意識し、プレーしながらMBAを取得。スウェーデンのプロリーグを経て26歳で引退。アフリカのザンビアに渡り、スポーツを通じた社会課題解決手法を体験。引退後に取り組むテーマを「スポーツ×ジェンダー×国際」に定める。帰国後はスポーツ庁勤務を経て、大学職員として働きながら、多くのNPO団体や社会活動に参加。東京都在住。

インタビュー
合澤 栄美
会社員

安定した仕事を辞めてベンチャー企業へ転職。国内の社会課題解決の道へ

大学卒業後、独立行政法人国際協力機構(JICA)に勤務し、途上国の障害者の社会参加支援事業、カンボジア、タイ、パラグアイ駐在など様々な仕事を経験。勤続20年の節目を迎え、国内の社会課題解決に腰を据えて取り組みたいと考えるようになり、理念に共感した株式会社ミライロに転職。安定した大組織から、ベンチャー企業への転職で戸惑いはあるが、意思決定の速さや柔軟さにやりがいを感じる日々。東京都在住、44歳。

インタビュー
柳沢 有紀夫
ライター・小説家

広告代理店を辞め、「子育て中心生活」を求めオーストラリアへ移住

外資系の広告代理店で12年間コピーライターとして働いた後、「今しかできない子育て中心の生活をしたい」と退職し、家族でオーストラリアに移住。「海外書き人クラブ」を立ち上げ共著も含めて20冊ほどの本を出版。2013年に竹内雄紀という別名義で新潮文庫から小説家デビュー。「家族」や「子育て」をテーマとした小説を出版している。クイーンズランド州在住、53歳。妻と子ども3人の5人家族。

インタビュー
佐藤 邦彦
会社員・パラレルワーカー

「個人が働き方を選ぶ社会」 のリアリティを体感したい!家族と共に世界を巡る冒険へ

大学卒業後、リクルート入社。HR領域で採用・育成支援業務、シェアリングエコノミーの海外事業開発、リクルートグループの働き方改革を担い、2017年4月に退職。家族4人で世界30か国を放浪しながら海外の働き方を探求。帰国後は企業の働き方・パラダイムシフトや個人のライフシフトをテーマに、パラレルワークに挑戦中。LifeWorksJourney代表。ライフシフト・ジャパンCSO&CHO。妻と子ども3人の5人家族。東京都在住。

インタビュー
橋本 和宏
コンサルティング・アーティスト

請われて継いだ「跡取り社長」を手放し、自分らしい人生を選択

プレイヤーズオフィス太陽と月 代表。東京大学経済学部を卒業し、大企業に就職するも、なじめず福岡に帰郷。心理学の研究者をめざし九州大学の大学院へ。博士課程の途中で父親を亡くし、家業を継承。女性活躍やIT活用の取り組みで注目されるが、興味のない家業で苦しい日々を過ごす。2017年、家業を譲渡し、経営と心理、両面の専門性をもつコンサルティング・アーティストとして独立。福岡県在住。妻、子ども3人の5人家族。

インタビュー
手塚 貴子
プロデューサー

東京を離れ新潟へ移住。のんびり暮らすはずがどんどん新しいことにチャレンジ!

東京で会社員、起業を経験した後、「今一番したいこと」を問い直し、51歳で新潟に移住を決意。都会育ちで虫も苦手だったが、米作りに挑戦し、その苦労や食べ物への感謝を都会の人に伝えるメディア(現「旅する食べる通信」)を創刊。新潟県の6次産業化プランナーにも推薦され、現在は編集やプランナーの仕事、地域の特徴を文化として確立するための活動している。新潟在住、56歳。

インタビュー
中村 大祐
ワイン用ブドウ栽培農家

定年後の長い人生を考えて、決断。会社勤めを辞め、ワイン用ブドウ栽培農家に

トラストアンドアソシエイツ株式会社 代表取締役。大学卒業後、システムエンジニアを約10年、社内の人材育成の仕事を10年経験後、「人生の夏休み」と称して退社。長野県のワインアカデミーに1年間参加。「now or never」と考えブドウ栽培農家となる決断をし、長野県に移住。現在はワイン用ブドウを栽培し、近隣のワイナリーに醸造を委託。自社ブランドのワインを販売している。50歳。東京で妻、子ども2人が暮らす。

インタビュー
寺岡 祐子
町議会議員

子育ての孤独から、NPO設立、里親になる決断を経て、町議会議員に

北海道在住。演劇科高校を卒業後、富良野塾に入塾。塾の先輩と結婚し出産すると生活が一変し、社会から断絶されたような孤独感を味わう。子育ての悩みを解消するために通信教育で保育士の資格を取得、「森のようちえん森のたね」の設立につながる。震災後には里親になる決断をする。2017年、地域の推薦で中富良野町議会選挙に出馬し町議に。47歳。夫、17才、14才、11才、8才(里子)、4才(里子)の7人家族。

インタビュー
大谷 真樹
大学学長

会社員、起業を経て、故郷・青森の大学学長へ。2拠点生活で「人づくり」に挑戦

大学卒業後に入社した大企業を、親族の会社を再建するために退職。結局、清算することになり1人で独立起業。インターネットビジネスで成功し、Yahooに売却し経営引退。故郷の青森の地域活性化を手伝ううちに、請われて50歳で八戸学院大学の学長に。現在、神奈川県藤沢市と青森県八戸市の2拠点居住。毎週往復の超遠距離通勤を行いながら、生徒数をV字回復させる。現在56歳。家族は妻、長男25歳、次男21歳 犬10歳

インタビュー
福川 契生
銀行勤務(ミャンマー)

ミャンマーで失業するも、縁を大事に現地と日本に貢献する道を選択

ミャンマー在住。日本の投資ファンドで企業投資を担当後、日系企業の事業開発プロジェクトでミャンマーに移住。しかしプロジェクトが不調に終わり失業。悶々とするも、これから国づくりが始まるミャンマーに残ろうと決め、現地の銀行へ転職。銀行業務のほか、日系企業とのアライアンス、事業開発を担当。インフラ整備や電力エネルギー事業、自動車関連事業の立ち上げに従事。49歳。妻とヤンゴンで2人暮らし。

インタビュー
小川 美里
ブランド広報

好きなこと、夢中になれる仕事をしたい!居心地のよい職場からの転職を決意

福岡県在住。医療法人寿芳会芳野病院で人事労務、総務課長を経験。ワークライフバランスに理解のある理想的な職場だったが、“自分が本当にしたい仕事なのか”というジレンマがあった。2016年に「好きなことを仕事にしよう」と決意。現代の小倉織ブランド「小倉 縞縞」を取り扱う小倉クリエーションに、広報兼法人担当として入社。企業・団体の窓口としてノベルティなどの制作や広報活動を担当。39歳。1児の母。

インタビュー
小嶋 美代子
ダイバーシティプロデューサー

大手IT企業を退職、多様性と絆をテーマに、自分の軸を大切にした生き方を支援

大手IT企業でエンジニア、人材育成、ダイバーシティ推進を担当。障害のあるネパール人女性との出会いをきっかけに、「自分の軸で生きているか」を問い直すようになり、2017年会社を退職し、株式会社アワシャーレを設立。ダイバーシティプロデューサーとして、講演・研修・戦略支援などを通して、多様性と絆のある環境・場・変化をつくっている。NPO法人GEWEL副代表理事。東京都在住、49歳。

インタビュー
阿部 華奈絵
団体代表・介護施設職員

児童養護施設を経験し、いま仲間と冒険し成長しあうドラクエ人生を歩む

親の虐待をきっかけに、高校3年間を児童養護施設で生活する。高校卒業、テレビ映像編集の職に就くが、心身ともにボロボロに。起業家との出会いをきっかけに、小さいころから憧れた「仲間とともに冒険し目標を達成するドラクエのような人生」をかなえたいと一念発起。養護施設・里親からの自立を支援する団体「ゆでたまご」を立ち上げる。重度訪問介護の正社員としても働いている。東京都在住、20歳。

インタビュー
宮田 麻子
区職員

外資系企業から区職員に。ローカルな視点で地域課題に寄り添う

日本マイクロソフトにて、マーケティングや広報に従事。グローバル企業のトップダウンの経営文化の中、地域課題の解決に関心を持つようになり、豊島区の民間公募で任期付き公務員として勤務。民間企業での経験を活かし、区内の企業や大学、コミュニティとの連携により、女性やファミリー向けのまちづくり施策展開や情報発信を行いながら地域ブランディングを推進。東京都在住、48歳。夫とコザクラインコの"3人家族”。

インタビュー
滝村 雅晴
パパ料理家

子どもの誕生を機に料理を始め、日本で唯一の「パパ料理家」に

PR会社、デジタルハリウッド執行役員を経て、2009年4月に株式会社ビストロパパを設立し、長女の誕生を機にはじめた「パパ料理」の普及活動を開始。料理教室やセミナーの開催、NHK「きょうの料理」「かんたんごはん」出演ほか、一澤信三郎帆布コラボエプロン、BistroPapa Online Shop運営など、日本唯一の「パパ料理家」として幅広く活動。神奈川県在住、47歳。長女(享年8歳8か月)、11歳次女の父。

インタビュー
及川 敬子
保育園経営

これからは会社のためではなく、社会のために。新聞社を退職して保育園を開園

東京都在住。全国紙の新聞記者として、地方勤務で警察回りや役所回りを経験し、本社では芸能、生活・家庭関連の取材、2000年に子どもが生まれてからは子育て・保育などについて取材執筆。ハードワークに疲れ、48歳で退職。これからは会社のためではなく、社会のために働こうと、2017年9月に小規模保育園を開園。ネット発信による地域メディアも運営。東京都在住、51歳。夫と17歳男子の3人家族。

インタビュー
坪井 博一
兼業主夫

働き詰めの会社員生活から「兼業主夫」に。家族との時間を大切にする人生へ

派遣社員時代は連日の残業、休日出勤で精神的にも肉体的にも苦しくなり、東日本大震災を機に、このままでは家族を守れないと退職を決意。現在は家事育児を生活の中心とし、空いている時間でインターネットリサイクルショップを運営。小学校のPTAや図書ボランティア、子育て支援関連活動なども行っている。東京都在住、44歳。妻(会社員)、長女(8歳)、次女(5歳)の4人暮らし。

インタビュー
永崎 裕麻
語学学校マネジャー

システムエンジニアを辞めて世界一周へ。「幸福の国」フィジーに移住

大学卒業後、金融系のシステムエンジニアを約3年間経験。仕事オンリーの生活に疑問を感じ、もっと自分にフィットする国を探そうと世界一周の旅へ。2年2か月の旅を経て、2007年に「幸福感あふれる国」フィジー共和国に移住し、語学学校のマネジャーに。通勤は車で5分、1年のうち「8ヶ月働き、4ヶ月休む」というライフスタイルを確立。フィジー共和国で日本人の妻と息子(2歳)の3人暮らし。

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