PROFILE

永井裕美子さん(No.74)/株式会社LiB 取締役・一般社団法人ポテンシア 共同代表

■京都府生まれ。1981年、関西大学社会学部卒業後、富士ゼロックス株式会社に入社。1989年、企業派遣留学により渡米。コーネル大学産業労働関係学修士課程修了。1991年に帰国後、グローバル人材育成、人事制度改革を担当。2000年、ゼネラル・エレクトリック・インターナショナル・インクに入社。GEキャピタル・コンシューマー・ファイナンス株式会社の人事ディレクター、GEキャピタルリーシング株式会社の執行役員人事本部長を務める。2005年、エルメスジャポン株式会社執行役員人事総務ジェネラルマネジャー、2010年、アボットジャパン株式会社人事本部長。2014年に非営利セクターに転じ、公益社団法人日本フィランソロピー協会常務理事、米国最大の非営利法人ユナイテッドウェイ・ワールドワイド日本担当ディレクターとして、企業のCSR活動を推進。2019年4月、株式会社LiBに参画。2019年7月、一般社団法人ポテンシアを設立し、共同代表を務める。

■家族:夫

■座右の銘: Cool Head but Warm Heart(冷静な頭脳と温かい心)
経済学者J.M.ケインズの師であり、近代経済学の祖であるA.マーシャルの言葉。「このふたつのバランスは人事に携わるうえで大事にしてきましたし、NPOの活動においても同じだと思っています」

株式会社LiB

 

女性は3年で「寿退社」が当たり前の時代に、営業職として富士ゼロックスに入社

2019年4月、働く女性のライフキャリア支援を行う株式会社LiBに参画し、現在取締役を務めています。7月には仲間と、女性のリーダーシップ開発を支援する一般社団法人ポテンシアを設立。週4日はLiBで働き、1日はポテンシアの活動を行っています。

60歳を迎えてもなお働き続けているとは、大学を卒業して就職をした1981年当時は想像していませんでした。女性は3年で「寿退社」が当たり前の時代でしたから。ただ、私は性格的に「もったいないこと」が好きではなくて(笑)。せっかく働くなら、その時間をいいものにしたいと考え、性別にかかわらず実績を認めてもらいやすい仕事をと営業職を志望。当時としては珍しく女性営業職を採用していた富士ゼロックスに入社しました。採用面接で「なんとか5年は働かせてください」とお願いしたのを覚えています。

40歳で外資系企業、50歳でソーシャルセクターを目指し、壁にぶつかりながらも、60歳で人生の目標に出会った(永井裕美子さん/ライフシフト年齢40歳、50歳、60歳)

入社後、性別をハンデだと感じる場面も少なくありませんでしたが、日々の営業の成果が数字に表れるようになると、周囲の評価が変わっていきました。どんどん仕事が面白くなり、男女雇用均等法施行の「追い風」もあって「長く働き続けるために、何か専門性を身につけたい」と考えていたときに社内留学制度があることを知りました。英語は苦手だったのですが、頑張って勉強して社内選考に合格。入社9年目、30歳の時に米国コーネル大学大学院産業労働関係学科に留学し、人事について学びました。

留学にあたり、当初はMBAも考えましたが、ちょうど労働者派遣法が成立して新しい雇用形態が生まれ、派遣社員の方がチームメンバー加わったり、また担当していた業務を関連会社に移管するなどという経験もし、これからの社会で雇用や賃金がどうなっていくのか、非常に興味がありました。そこで、社内の先輩に相談したところ、米国駐在中の人事の方を紹介いただき、「それであれば、人事を専門に学ぶ方がいい。コーネル大学にすばらしいプログラムがある」と教えていただいて、留学先を決めたんです。

40歳で外資系企業、50歳でソーシャルセクターを目指し、壁にぶつかりながらも、60歳で人生の目標に出会った(永井裕美子さん/ライフシフト年齢40歳、50歳、60歳)40歳で外資系企業、50歳でソーシャルセクターを目指し、壁にぶつかりながらも、60歳で人生の目標に出会った(永井裕美子さん/ライフシフト年齢40歳、50歳、60歳)

人事分野を選んだのはこうしためぐり合わせによるものですが、外資系企業による日本企業買収が盛んになる直前に、米国の人材マネジメントの考え方や手法を学んだことは、私のキャリアにとって、大きな意味を持ちました。このときに限らず私は、節目節目で周囲に導かれ、「大変そうだけど、やってみよう」と感じたことを行うことによって、結果的に時代の波に乗れたということが多いような気がします。

企業留学で学んだ知識をベースに、人事畑で活躍。40歳を機に外資系企業へ

留学中に結婚もしましたが、会社を辞めることは選択肢にありませんでした。留学して人事を学んだのは、ただ長く働くためではなく、会社に貢献できる力をつけたいという考えからでしたし、それまで投資していただいたことに対し、できる限りお返しをしたいという思いが強かったからです。大学院修了後、半年間米国ゼロックスで研修したことで、大学院で学んだ知識が現場で生かせるものであることを確信し、人事の面白さをますます感じるようにもなっていました。帰国後は希望を聞いていただいて、人事畑へ。国際課の人材教育担当からスタートし、人事企画担当のマネジャーに。大きな人事改革にも携わることができ、本当にやりがいがありました。

40歳の時にグローバル企業GEに転職したのは、人事の世界でさらなるチャレンジをしてみたかったからです。富士ゼロックスは、本社単独で1万5000人以上(当時)の社員を抱え、人事スタッフが150人もいる大きな組織。私自身が携われる仕事は、人事領域全体のほんの一部に過ぎません。折しも、企業のリストラが社会問題となっていた時期。人事の光と影に思いを馳せたとき、自分の仕事を「机上の空論」に終わらせないためには、厳しい仕事も経験し、人事全体を見渡す視点を得る必要があると考えました。

年齢もかなり意識しました。当時は「人生80年」と考えていて、40歳は折り返し点。富士ゼロックスにおいて、人事全体を把握できる部長クラスに就ける年齢は、どんなに頑張っても50代。富士ゼロックスにはたくさんのチャンスを与えていただき、今でも感謝をしていますが、40歳という節目をバネに、思い切って居心地のいい環境を出ることにしたんです。

40歳で外資系企業、50歳でソーシャルセクターを目指し、壁にぶつかりながらも、60歳で人生の目標に出会った(永井裕美子さん/ライフシフト年齢40歳、50歳、60歳)

先進的な人事組織制度で知られるGEでの仕事は非常にエキサイティングでした。徹底した実力主義で、属性に関係なく評価する。派遣社員から契約社員、正社員、管理職と昇進していく人が珍しくない環境でしたし、仕事をするうえで女性であることを意識させられることもありませんでした。「女性でも大丈夫です」と説得するなどの余計な力を使わずに働け、成果を出せば新しいことをどんどん任されて、仕事が面白くてたまらず、振り返ってみると、ワーカホリックの極致でしたね(笑)。このころには夫が「専業主夫」になってくれていて、プライベートでは穏やかな時間を過ごせたので、おかげでなんとか心身ともに健康でいられたのかなと思います。

母の他界で人生の短さを痛感。これまでと違う文化・環境も経験したいとエルメスへ

GEでの5年間を経てエルメスに転職したのは、母の他界が大きく影響しました。元気だった母が突然癌の宣告を受け、60代という若さで亡くなり、人生80年と思っていたのに、それは皆に与えられていることではないことを痛感。自分自身の残りの人生を考えたときに、これまでとは違う文化・環境で働くことも経験してみたいと思いました。そこにちょうどフランス企業のエルメスからのお話をいただいたんです。

GE、エルメスともに確固たる企業理念を持った企業ですが、その文化は両極端と言えるほど異なります。GEはアメリカらしい合理主義で、常に新しい挑戦を求められるのに対し、エルメスでは歴史や文化が重んじられ、100年先も変わらない価値あるものを生み出していくことを期待されました。

本社の経営陣とのディナーにおいても、GEではビジネスの話が中心ですが、エルメスでは歴史や文化が話題になります。日本のことを問われたときにきちんと答えられない自分が恥ずかしく、歴史を勉強したり、歌舞伎を鑑賞するようになったり、ヨーロッパの文化に触れようとオペラも観るようになりました。このときに学んだことが、その後もプライベートで大切な趣味となっています。また当時、さほどものにならなかったフランス語も、今趣味のシャンソンを歌う時には、とても役立っています。(笑)

40歳で外資系企業、50歳でソーシャルセクターを目指し、壁にぶつかりながらも、60歳で人生の目標に出会った(永井裕美子さん/ライフシフト年齢40歳、50歳、60歳) 40歳で外資系企業、50歳でソーシャルセクターを目指し、壁にぶつかりながらも、60歳で人生の目標に出会った(永井裕美子さん/ライフシフト年齢40歳、50歳、60歳)

「ライフワークバランス」という言葉がありますが、私自身は「人生」と「仕事」をわけて考えたことがありません。「人生」の中に「仕事」があり、「趣味」も「健康」も「家族との生活」もすべてを丸ごと豊かなものとしたい。エルメスの企業文化や、「人生」や「生活」を豊かにするというライフスタイルに触れ、仕事だけではないより彩りのある人生を楽しめるようになったと感じています。もちろん、仕事では求められるレベルも高く、様々なチャレンジもありましたが、エルメスでの日々は、公私ともに多くの学びのある大変充実したものでした。

かねての計画通り50歳でソーシャルの活動に専念を決めるも、壁にもぶつかった

エルメスを退職したのは、以前から思い描いていたライフプランを実現するためです。50歳でビジネスの世界を卒業し、ソーシャルの活動にシフトすることを富士ゼロックス時代から目標にしていました。私は「キャリアプラン」はつくったことがないのですが、30代後半にシニア社員のための「ライフデザイン」という研修に関わり、自分でもライフプランを作成しました。当時、50歳という年齢を設定したのは、頑張って人より早く次のステージに向かうことを目標にしようと思ったことと、60歳で定年を迎えた後に新しいことにチャレンジするのは難しいだろうと考えたから。今思えば、失礼な話ですよね(笑)。

ソーシャルセクターでの活動は、30代前半から続けていました。学生時代から障害者支援に関心があり、知人から誘われて民間ボランティア団体の活動に参加したことがきっかけです。会社で働いているだけでは得られない出会いがあり、多くを学びました。同時に、世の中にさまざまな社会課題があることを知り、それらの解決に向けて、ビジネスで培ってきた経験をソーシャルセクターで役立てたいと思うようになりました。

ライフプラン通りに50歳でエルメスを退職し、いざソーシャルセクターへ。ところが、いきなりの挫折を経験しました。友人からの誘いで、ミャンマーの子どもたちの教育支援を行うことになり、現地にいってすぐ、自分がいかに「世間知らず」であるかに気づきました。それまでいろいろな業界を経験し、多くの国の様々な文化の方々と仕事をしてきたという自負があったのですが、それは社会の中では、「外資系」「大企業」という一つの小さな世界にすぎず、そして会社というバックボーンがあってのことだったということに気づいたのです。また、利益というわかりやすい目標がない中で、いろいろな考えを持つ人たちを巻き込んで活動を進めていく難しさを感じ、自分にはまだNPOで一人前の活動をしていくだけの力が足りないと思い知らされました。

40歳で外資系企業、50歳でソーシャルセクターを目指し、壁にぶつかりながらも、60歳で人生の目標に出会った(永井裕美子さん/ライフシフト年齢40歳、50歳、60歳)

結局、わずか一か月で、「50歳でソーシャルセクターへ」という夢を断念し、米国系企業・アボットの人事本部長としてビジネスの世界に戻りました。ビジネスセクターからの卒業を決めたとき、人事の仕事を離れることには少し心残りもありました。アボットでは、企業買収だけでなく、はじめて企業分割という仕事も経験し、やり切ったという感覚をもてたことは、結果としてとても良かったと思っています。

55歳で再びソーシャルの活動に軸足を移し、60歳で仲間と一般社団法人を設立

アボッドを退職し、55歳で再びソーシャルセクターにシフト。企業のCSR活動を支援する公益社団法人日本フィランソロピー協会の常務理事、米国の慈善事業団体・ユナイテッドウェイワールドワイドの日本担当ディレクターを務めた後、ジェンダーギャップを解決する活動をしたいと60歳を機にソーシャルセクターでの起業を考えました。同じタイミングで女性のライフキャリア支援事業を行うLiB(リブ)との出会いがあり、事業の目的に共感し、参画。セクターを超えた女性のネットワーク構築と女性に特化したリーダーシップ開発を実現するためにポテンシアも立ち上げたという経緯です。

ポテンシアは、ラテン語で「可能性」を意味します。人は誰しも様々な能力、可能性を持っているのだから、それらを最大限に発揮できるようにしたい。障害者支援への関心も、人事の仕事においても、根底にはその思いがありました。ジェンダーギャップに関しても同様で、その解消こそが、60歳にしてようやくたどり着いた人生の目標だと感じています。

40歳で外資系企業、50歳でソーシャルセクターを目指し、壁にぶつかりながらも、60歳で人生の目標に出会った(永井裕美子さん/ライフシフト年齢40歳、50歳、60歳)

私自身、男女雇用機会均等法が制定される前の時代にキャリアをスタートし、女性であることゆえの働きづらさも経験しました。40代からは外資系企業で働き、性別を気にすることがなくのびのびと働くことができていましたが、ソーシャルセクターでの仕事を通して、シングルマザーへの偏見など女性にまつわる社会課題を多く目の当たりにし、まだまだ日本は女性が生きづらい社会だと感じました。そんな中2018年の秋に、世界経済フォーラムが発表した、社会の男女格差を示す「ジェンダーギャップ指数」の2018年のランキングを見て愕然としました。携わってきたビジネスでは、どこも日本の売上は世界1、2位で素晴らしいと称賛されてきたのに、ジェンダーギャップに関しては、日本はなんと149カ国中110位、G7で最下位という結果でした。日本の未来に危機感を抱き、「この状況を何とかしなければ」と思ったのです。

どんなときも、「何をしたいか」だけを考えて道を選んできた

40歳で外資系企業、50歳でソーシャルセクターを目指し、壁にぶつかりながらも、60歳で人生の目標に出会った(永井裕美子さん/ライフシフト年齢40歳、50歳、60歳)

55歳でソーシャルの活動に大きく移行した後、収入は激減しました。30代からライフプランを立てて準備をしていたこともあって生活面で困ることはありませんでしたが、ひとつだけ悩ましかったのは、以前のようなレベルでの寄付ができなくなったことです。ソーシャルでの活動は企業で働きながら継続的に続けてきましたが、仕事もどんどん忙しくなり、自分が活動をする代わりに、さまざまなNPOへの寄付を続けてきました。

「こんなことであれば、企業で働いて寄付したほうがいいのでは」そんな風に自分自身が感じることがないよう、意味のある仕事をしなければと、ソーシャルセクターに移ってからは、ずっとそんなプレッシャーを感じていますね。

ただ、収入自体を軸に物事を考えたことはないです。外資系企業で高いお給料をいただいていたときも、稼ぐことが目的ではありませんでしたから。振り返ると、どんなときも、「何をしたいか、何で自分が貢献できるか」だけを考えて道を選んできたように思います。

日本社会のジェンダーギャップを解消していくためには、「アンコンシャス・バイアス」が重要なキーワードだと考えています。「アンコンシャス・バイアス」というのは、誰もが無意識に持っている偏見のこと。私自身は留学中に結婚後、夫より先に帰国して別々に暮らしていた時期に、初めて「アンコンシャス・バイアス」の存在を意識しました。頑張って仕事をして企業派遣留学に選考され、結婚前は「頑張り屋さん」として褒められていたのに、結婚後は「ご主人よりも仕事を優先するダメ奥さん」のレッテルを貼られる。私自身はまったく変わらないのに、ものの見方や捉え方のゆがみによって、評価がこんなにも変わるのかと驚きました。

このゆがみが女性の活躍を妨げていることに一人でも多くの人に気づいてもらい、企業や社会の固定概念を変えていきたい。そして、女性自身も「こうあらねばならない」という既成概念から放たれ、自信をもって自分の人生を選択できるようになってほしい。その願いを、LiBやポテンシアの活動を通じて実現していきたいと思っています。

新型コロナウイルス感染症の影響で、世の中は急激に変化しており、私たちの活動もこの先平坦ではないでしょう。今までに経験したことのない苦労もあると思いますが、さまざまな価値観が大きく変わるタイミングだとも思っています。しっかりと変化の波をとらえて、自分をアップデートさせながら、このタイミングをチャンスとしたいです。やりたいことはまだまだありますから、この先さらにどんなライフシフトを自分が経験していくのか、とても楽しみです。

<お知らせ>

2020年6月12日(金)20時~、永井裕美子さんのお話を直接聞けるトークイベント【大人女子会】『40歳、50歳、60歳。節目に考えるライフシフト』を開催します。詳しくはこちらをご覧ください。