PROFILE

鈴木 富貴(すずき ふき)さん《No.24》

・株式会社 チェンジウェーブ  チェンジプロデューサー
・オフィス生土(いきど) 代表
・静岡県在住、48歳。テレビ局勤務の夫、13歳になる娘との3人家族。
大学卒業後、地元・静岡にUターンしテレビ局へ就職。10~15年のスパンでキャリアチェンジをしている。「仕事優先期」、「専業主婦となった家庭優先期」を経て、「パラレルキャリア期」へ。
現在、組織や人の変革に取り組む“株式会社チェンジウェーブ”で、プロジェクトの設計・運営に携わるほか、自社情報の発信業務やブランディングを担当。オフィスは東京都南青山にあるも、出社するのはミーティングの週2日程度。その他はリモートワークを活用し、クライアントの会社に直行直帰したり、事務作業や原稿の執筆は自宅でするなど、業務内容によって働く場所を決めるスタイルで仕事をしている。
また、静岡ではキャリア・ジャーナリストとして活動しており、働き方改革の取材やトークイベントのモデレーターをする他、現在は静岡市男女共同参画審議会の委員を務めている。
影響を受けた本・言葉:
・「一期の堺ここなりと生涯をかけて 能を捨てぬより外は稽古あるべからず」(世阿弥・風姿花伝 より)
・「和よりも積」(南極観測隊第一次越冬隊長・西堀栄三郎さんの言葉)
http://changewave.co.jp/

10~15年のスパンでキャリアチェンジをしていますが、ビジョンを描けたことはありません。目の前のことに向き合い続けたら今につながった、というのが正直な気持ちです。
大学卒業後、地元・静岡にUターン、テレビ局に就職したのがキャリアのスタートです。報道記者とディレクター、あわせて15年勤務しました。もともとは専業主婦願望が強かったのですが、得難い出会いに恵まれ、やりがいを感じていましたので、育休復帰後も実家の母や妹の助けを借りて現場の仕事を続けました。
ただ、仕事をするなら120%の力で、という気負いがあり、残業で娘の顔を見られるのは朝だけ、という日も少なくありませんでした。次第にそうした働き方に限界を感じるようになり、やるべきことはやりきったという気持ちも相まって、夫の海外赴任を機に退職。家族でニューヨークに引っ越しました。
専業主婦生活は予想以上に楽しく、充実していました。家事は終わりがありませんし、効率を上げ、質を高めようと思えば様々な工夫の余地があります。しかも娘とゆったり過ごす時間は仕事に追われていた時には味わえない幸福なものでした。

「今後の自分に成長はないのでは」と寂しさを感じ一念発起

しかし、帰国して生活が落ち着くと、「今後の自分に成長はないのでは」という漠然とした寂しさが募るようになりました。資格もなく、既に40代半ば、何をしたいのかもわからない…。1年くらいは悶々としていたかもしれません。知り合いの紹介で幾つかの仕事をしましたが、ずっと続けていきたいというものには巡り会えませんでした。
一度キャリアブレイクすると仕事に戻るのがこんなに大変なのはどうしてか、専業主婦ではいけないのか、そもそも仕事とは何だろう、などと考えた末、やはり自分で探るしかない、と「働き方」の取材を始めました。それがキャリア・ジャーナリストとしての活動の始まりです。
興味を持った組織、人に片っ端からアポイントをとり、話を伺ううちに、ダイバーシティを推進している企業や行政、NPOなどから仕事を頂けるようになりました。

「自分自身の殻を破りたい」。その想いからのライフシフト

取材を進める中で、「働き方改革なんてかけ形だけ」という現状を多く目にしました。モチベーションを上げるだけでは状況は変わらない、きちんとした解決策を提示できないだろうかという想いが強くなると共に、自分自身も殻を破りたいという気持ちがありました。
そんな時に偶然見つけたのが株式会社チェンジウェーブです。組織や人の変革に携わる会社で、「リミッターを外し、ポテンシャルを最大限引き出す」というミッションを読んで「探していた答えがここにある!!」と思いました。徹底したリサーチ、リアルの追究、精緻に計算された戦略があり、これまでのモヤモヤを解決できる場だと感じたのです。
取材だけでも、という気持ちでメッセージを送ったところ、思いがけずライティングの依頼をいただき、半年ほど業務委託でプロジェクト参加した後に正社員になりました。これからの働き方を自ら実験しているような会社ですし、様々なプロフェッショナルが有機的に結合する刺激的な場なので、参画することに迷いはありませんでした。
オフィスは南青山にありますが、私の自宅は静岡。新幹線通勤です。ただ、オフィスに出社するのはミーティングなど、週2日程度。その他はリモートワークを活用しています。コンサルティングや研修プログラムを提供する会社なので、クライアントの会社に直行直帰ということもありますし、事務作業や原稿の執筆は自宅でするなど、業務内容によって働く場所を決めています。
また、静岡ではキャリア・ジャーナリストとしても活動しています。
働き方改革の取材やトークイベントのモデレーターなどをさせていただいているほか、現在は静岡市男女共同参画審議会の委員を務めています。

私がライフシフトできたのだとすれば、夫のおかげだと思っています。
フリーランスとして活動を始めた当時、取材にこぎつけるまでの難易度は局の看板があった時とは段違いに高く、落ち込んだことは数知れません。やりがいより短時間勤務などを優先し、他の仕事を探そうと思ったこともあります。
そうした時、「本当に目指すものは何?」と問い続け、励ましてくれた夫には本当に感謝していますし、だからこそ今の仕事にも巡り会えたのだと思います。
また、一番の心配は娘と向き合う時間が少なくなることでしたが、むしろ私以上に娘が成長を遂げていることを実感しています。
今思うと、ライフシフトするのに足りなかったのは私自身の覚悟、それだけだったかもしれません。

捉え方を変えることで大きな変化が。一歩踏み出して生まれた相乗効果

自分自身の時間軸、評価軸を持てたことでこんなに迷いがなくなるのか、主体的になれるとこんなに楽しいのか、と驚いています。そこにある事実は同じでも、自分の捉え方が変わると意味が全く変わります。
仕事か家庭か、どちらかしか取れないと思い込んでいた時は窮屈でした。記者なんてつぶしのきかない仕事で、辞めたら何もできないと落ち込みました。
でも、一歩踏み出してみたら、記者のスキルも主婦経験も他で役立ちました。仕事も家庭も、東京も静岡も、交じりあって相乗効果を生んでいます。思えば、多様性の力を教えてくれたのはPTAのママ友ですし、すべて必要な過程だったのだと感じています。
また、時間管理という面では、密度がとても濃くなりました。
チェンジウェーブのメンバー全員がリモートワークを活用し、社内SNSでコミュニケーションを取っていますので、とにかく生産性が高く、スピードが速いです。どんどん物事が決まっていくため、忙しいことに間違いはありませんが、ビジョンがきちんと共有され、お互いを尊重しあう環境ができているので、ストレスを感じない毎日です。

「どう働きたいか」で道が開ける。自分に枠をはめず少しずつ動きながら決めていこう

チェンジウェーブは「変革屋」。組織、個人、自治体などクライアントは様々なのですが、当事者だけでは気づけない既成概念を崩し、ポテンシャルを引き出し、新しい価値を創造していくのが仕事です。とにかく飛び込んだだけという私でさえ、「自分らしい」でも「全く新しい」キャリアの扉を開くことができました。
他方、キャリア・ジャーナリストとしてのテーマは「『わたしを生きる』を伝え続ける」。今後、もっとたくさんの方が自分軸の人生を歩めるように、ふたつの仕事を通して応援していけたらと思っています。

現在48歳、もうこれでキャリアはしぼんでいくのかと思ったら大間違いでした。
今いる場所を大切に、今の自分にできることを見つめ、「何をするか」ではなく「どう働きたいか」に踏み出したら道が開けてきました。12年かかりましたが、あきらめずにもがいていたら、理想の仕事にたどりつきました。
ライフシフトに他人のセオリーは必要ありません。仕事ひとつとっても、組織から独立して起業する、フリーランスから組織に加わる、プロボノ的な参画をするなど、多様な方向性がありますし、行ったり来たりのジグザグキャリアでも良いのではないかと思います。
自分で自分に枠をはめず、少しずつ動きながら決めていく。
そんな歩き方でもきっと何か見つかるはずです。