PROFILE

豊田陽介さん(No.87)/「カレー屋ヒゲめがね」店主

■1979年神奈川県生まれ。3児の父。早稲田大学商学部卒業後、新卒でハウス食品株式会社に入社。営業、営業企画推進、新規事業、ダイバシティ推進など様々な業務を歴任。3人目の子どもができたのをきっかけに会社初となる1年間の育児休業を取得する。その期間中に長野県佐久穂町に短期移住。豊かな自然と日本最初のイエナプランスクール大日向小学校に出会い、本格移住を決意。育児休業終了後、いったん復職するが「自分の本当にありたい姿は何か?」を見つめ直した結果、17年間勤めてきたハウス食品を退社。2020年6月、佐久穂町に「カレー屋ヒゲめがね」を開店する。

■妻、10歳の息子、5歳と2歳の娘

■座右の銘:一「笑」懸命。1つ1つの事象やご縁には必ず何かしらの意味がある。1つ1つの目の前のでき事を面白がり、笑い飛ばしながら生きる。

カレー屋ヒゲめがね

 

自分らしいありたい姿を成し遂げるべく、Ⅰターン起業を選択

「まわりの期待がどこにあるかを探り、期待から外れないように自分自身を寄せていく」。長い間、そんな人生観のなかで周囲の要求に応えることを自分自身に強いてきましたが、30代後半になり、3人の子どもが生まれ、育児休業と短期移住などの出来事を経る中で、ようやく自分らしいありたい姿が見つかりました。それは「自然豊かな環境で、家族ファーストをぶらさずに、自分らしくゆったりと暮らす」こと。そのための手段として選んだのが、長野県佐久穂町への移住と「カレー屋ヒゲめがね」の開店でした。

小さな子どもが3人いながら、安定した一部上場企業を脱サラし、Iターンしてカレー屋を始めるのは、自分の中でもかなり葛藤がある選択でした。にも関わらず、なぜそんな道に踏み出したのか。あくまでも私のケースではありますが、その背景を知っていただくことは、皆さんがライフシフトを考える際の何かの参考になるかもしれないと思ってお話させて頂ければと思います。

「カレー屋ヒゲめがね」。元スナックをリノベした。妻と二人三脚で切り盛りする。

「カレー屋ヒゲめがね」。元スナックをリノベした。妻と二人三脚で切り盛りする。

荒れた中学時代に形成された2つの価値観

小学生までは、陽気でお調子者な子だったように思います。けれども、中学生となった時期に、世界観が変わる事件が起こります。浮気が本気になったのか父が失踪、突如母子家庭に。大人になった今でこそ、そのような事態は起こりうるものだと理解もできますが、当時は多感な思春期だったこともあり、実の肉親に捨てられたという現実をなかなか受け止めきれず、気持ちはずいぶん荒みました。

そんな経験を通して自分の中で芽生えたものが、「人に捨てられることの怖さ。人から嫌われたくない」、そして「自分が父親になったらあたたかい家庭を築きたい」という強い想いでした。

自然と人に嫌われないための方法論を自分の中で模索するようになりました。たどり着いた答えは「周りの期待がどこにあるのかを探り、その期待から外れないように、自分の言動を寄せていく」こと。

こうやって文字に起こすと、なんとなく卑屈な生き方のような気もしますが、人の期待に応えようと努力をすることで、自身の成長にもつながり、成果も出るようになり、人にも喜んでもらえ、自分の価値も感じられる。成果が出ると更に期待値があがってそれに応えるために、もっと努力をするという「成長スパイラル」に入ることができました。この生き方が自身の成功体験として積み上がり、自分の生き方の軸となっていきました。

仕事の報酬は仕事。会社の期待に応えるべく仕事に没頭

良い高校、良い大学と進み、就職の時期を迎えた時も、自分が何をしたいのかといった内なる声に耳を傾けたというよりも、一般的に良いと言われている名の知れた安定企業を中心に就活しました。そんな中で、食べることが好き、特にカレーが好きだという単純な理由ながら、ハウス食品とご縁を頂くことに。ハウス食品は「日本中の家庭が幸福であり、そこにはいつも温かい家庭の味ハウスがある~幸せな家庭のマーク~」という創業理念があり、就職活動で出会った諸先輩方も理念と違わず温かく紳士的で、いまにして思えば「あたたかい家庭を築きたい」と考えていた私の考え方とシンクロする部分があったのかもしれません。

ハウス食品入社後も、周りの期待を糧に、全身全霊で働きました。全力で働いたからこそ、自分自身でも成長を実感できましたし、会社もそんな私に期待をかけてくれ、量販店営業、営業企画推進、新規事業、ダイバシティ推進と、やりがいのある面白い仕事を次々と任せてくれるようになりました。「仕事の報酬は仕事」、当時の自分がよく口にしていた言葉です。仕事はもちろん大変なことだらけでしたが、それでも期待に応えて成果を出し、周りに認めてもらえて、更なるチャレンジングな仕事ができる。これが、嬉しくて、楽しくて。充実した社会人生活を送っていました。

そんな多様な業務に携わる中でも、特筆すべき仕事が、スパイスの魅力をもっと広く世の中に伝える役割を担う「スパイスマスター(ハウス食品の社内資格)」という業務でした。元々カレーが好きだったということもありますが、業務としてスパイスマスターに任命をされたことをきっかけに、スパイスカレーの探求が始まります。一口にカレーといっても、スパイスの配合の仕方はもちろん、スパイスへの火の入れ方、素材との合わせ方等々、様々な要素の掛け合わせでできるカレーは、まさに無限の可能性を秘めており、そのカレーの美味しさを追求することに面白みを感じるようになっていきました。

期待に応え、成長し、成果を出し、感謝されたハウス食品時代。ヒゲはまだない(撮影/ヤマグチイッキ)

期待に応え、成長し、成果を出し、感謝されたハウス食品時代。ヒゲはまだない(撮影/ヤマグチイッキ)

人の期待に応える人生への疑問、そして流産からの育休取得

そんな順調なサラリーマン生活を送る中で変化が生まれます。きっかけは、新規事業担当となり、盛んに社外との交流を持つようになったこと。そこで出会った人々は、「会社から新規事業をやれ」と言われて動いている自分とは決定的に違う人たちでした。それぞれに「自分がやりたいこと」を明確に持ち、そのことを熱く語れる人たちばかり。自分もそんな彼らと同じように熱く語ろうとするのですが、期待に応えて周りに喜んでもらうことばかりを考えてきた自分には、自身の内側から語れるようなアツイモノが無いことに気付いてしまったのです。こういう人々もいるのか凄いなと思う一方で、自分はいったい何がしたいんだろう、このまま人の期待に応えていくという生き方でいいのか、と思い悩むようになりました。

そして、同時期に立て続けに流産を経験。子どもが無事に生まれてくるのは決して当たり前ではない、奇跡的なことなのだと痛感させられました。と同時に「自分はあたたかい家庭を作る」と強く思っていたにも関わらず、仕事一辺倒だったことにハタと気が付き、愕然とし、自分の根っこにある価値観を改めて思い返すのでした。

そんな経験も重なって、3人目の子どもが無事に生まれた時に、思い切って1年間の育休取得に踏み切りました。仕事大好き人間が、突如1年の育休取得をするということで、少なからず会社をザワツカセ、職場にご迷惑もおかけしましたが、「シュフの実態を身をもって経験することは、新規事業の立案に必ず役に立つはずだ!」との思いもぶつけるなかで、最終的に上司も私の決断を力強く後押ししてくれました。

子育ての苦楽を分かち合えれば、家族はもっと家族になる

育児休業はシュフの実態を体験する機会と考えていたこともあり、家事も育児もフルコミットしてチャレンジしたのですが、これが本当に大変でした。特に苦労したのが深夜の授乳。ミルクを飲んでようやく眠りについたと思ってベッドに置くと火が付いたように泣き出す、俗にいう「セナカスイッチ」にはホトホト参ってしまい「泣きたいのはこっちの方だっ!」と、赤ん坊相手に何度毒づいたか分かりません。本当に苦労しました。ただ育休を取り、家事育児にフルで関わることで、初めて子育てや家事の大変さを実感することができ、実感できたからこそ、上2人の子育てと家事とを1人で担ってくれていた妻に対して、心からのありがとうが言えるようになりました。元々妻との仲は良好だったとは思うのですが、子育ての苦楽をリアルに分かち合えるようになったことで、真の夫婦になれたような気がします。

また育休中は妻と語らう時間も多く、「どのような家庭を築いていきたいか」を話し合うように。「どちらかが仕事、どちらかが家事育児に専念するのではなく、夫婦どちらもが、仕事も家事育児もできるようになった方が良いのでは。お互いに社会との繋がりも広がるし、万が一のリスクヘッジもできる。育休を機にそのような形を模索していこう」といった考え方をすり合わせ、結果として専業主婦だった妻は、自分が育休中に働きに出ることになりました。これも育休を取ったからこその大きな変化でしたね。

妻と3人の子どもたち。世の中には子育てほど楽しいことはないと思う

妻と3人の子どもたち。世の中には子育てほど楽しいことはないと思う

短期移住に挑戦。豊かさとは何かを考える

また、育児休業中だからこそできるチャレンジをしようと、息子の夏休み期間を利用して、自然豊かな地域への短期移住を計画。長男は昆虫採集が好きで、また妻も就農に興味があったので、その両方が実現できることを条件に場所を探し、縁あって長野県佐久穂町という人口約1万人の自然豊かな町で1か月間、生活することになりました。

八千穂レイク(写真)、駒出池キャンプ場、乙女の滝など美しい自然に恵まれている佐久穂町

八千穂レイク(写真)、駒出池キャンプ場、乙女の滝など美しい自然に恵まれている佐久穂町

実際に1か月住んでみて、豊かな自然、たくさんの生物、魅力的な人達との出会い、そして新鮮で美味しいお野菜たち。豊かに生きるとは何かを考えさせられ、都会とはまた違った自然の中で暮らす良さにすっかり魅了されていきました。こういう生活ってありなんじゃないか、こういう町で暮らせたら最高じゃないかと考えるようになりました。

また、子どもを育てる環境という点でも出会いがありました。偶然にも短期移住した先の佐久穂町で、翌春に向けて開校の準備を進めていた、日本初のイエナプランスクール「大日向小学校」との出会いです。イエナプランがどんなものかを話し出すと長くなるのでここでは割愛しますが、興味がある方は、ぜひ調べてみてください。そんな大日向小学校の体験スクール「夏のがっこう」があるという話を聞きつけ、これも何かの縁だと思い、息子を連れて参加したのですが、本当にイキイキと楽しそうにしている息子の姿を目の当たりにし、こんな学校もあるのかと衝撃を受けるのでした。

大日向小学校の体験スクールで作った息子の作品。独特の空間使いを認めてくれる学校のあり方に感動した

大日向小学校の体験スクールで作った息子の作品。独特の空間使いを認めてくれる学校のあり方に感動した

当時は育休中ということもあり、息子の通っていた公立小学校の行事にもよく参加していたのですが、そこで見たのは、効率的な学校運営のためのルールがどうしても優先されてしまい、1人1人多様であるはずの子どもの想いは二の次にならざるを得ない光景でした。このような環境下で育った子どもに「自分らしく生きなさい」と言ったところで、自分の意志で渡り歩けるような子に育つだろうか、そんな疑問が生じるようになっていたこともあり、大日向小学校の『すべての人が【個】として大切にされ、それぞれの違いを認め合い、互いに協働することを通して世界平和に貢献する』といった考え方に非常に共感し、また実際に息子の楽しそうな表情を見る中で、こんな学校に通わせてあげたい、この学校で育つ子どもを見てみたいと思うようになりました。

思いは募り、2019年の3月末、家族で神奈川県川崎市から長野県佐久市に引っ越し、息子は大日向小学校に通い、自分は平日は都心で働き週末に長野に帰る二拠点生活がスタートしました。

育休復職後の落とし穴。期待が苦しみに変わる

1年の育休取得は、大変なことも多々ありましたが、本当に素晴らしい経験になりました。子どもたちの劇的な変化を間近で見られる、世の中には子育てよりも楽しいことはないんではないか、なんなら専業主夫になりたい!と本気で思うぐらいでした。

更には育休は「自分で取りたい」と思って取ったわけですが、これが本当に良かった。誰かの期待に応えるのでもなく、自らの意思で決定すると、自己効力感はこんなにも高まるのか!?と、新しい世界が開ける感じがして。こんな生き方もあったことを、恥ずかしながら40歳になって初めて、実感することができました。

ただそのような実感を持って職場復帰すると、困った問題が起きました。それは、今までのように周りから寄せられる期待が、自分自身のやる気の源にならず、かえって重荷に感じるように。自分が本当にやりたいことでないと、出力が上がらないような状態に陥ってしまいました。

そんな思いが生まれたことに、自分自身、大いに戸惑いました。そんな思いを持つこと自体「育休1年取って、シュフを実体験して、新たな視点を持って復職します!と豪語しておきながら、なんて身勝手な・・・」と自分を責めるようになりました。そうやって自分をダメだと思うようになると、あらゆる場面でできない自分に目が行くようになり、自信を失い、成果も出ない。仕事で成果を出せない自分には価値がないと思い込み、さらに自己嫌悪に陥るという「負のスパイラル」にはまっていきました。

誰かの期待に応えることを起点に、成長し、成果を出し、感謝され、自分の価値を感じるという、長年に渡って積み上げてきた「自分の生き方の軸」が、ここにきて完全に崩壊してしまいました。この時は、会社に行くのも、人に会うのも本当にしんどくて、心療内科にお世話になるぐらい、精神的に辛い時期を過ごしました。

高速バスからの車窓。佐久平5:40発の始発高速バスで出社。バス内で涙が止まらない日も。

高速バスからの車窓。佐久平5:40発の始発高速バスで出社。バス内で涙が止まらない日も。

苦しんだからこそ浮かび上がった本心

そんな落ち込んだ状態からどうやって脱したか。きっかけは3つあります。

1つは、上司に恵まれたこと。会社からしたら「何を勝手に自爆してるんだ?育休取った分も働け!」となると思うのですが、上司との1on1ミーティングの中で「何か悩んでることある?もっと喜怒哀楽を表に出せると良いのでは。豊田さんには、本心に素直に生きて欲しい。豊田さんはどう生きたい?」と、鬱々として、ふさぎ込みがちな自分に対して、丁寧に、時間をかけて、ゆっくりと問いかけてくれました。会社に対しての罪悪感に駆られまくっていたこの時期に、もし厳しい詰問にあっていたら、きっとより深い闇に陥ってしまっていたと思いますし、この時間をかけた問いかけがあったからこそ、自分はどうありたいのかを考え出すことができるようになりました。

1つは、社外で培ってきたコミュニティの存在。シンドイ時にシンドイと吐露しても、無理にポジティブシンキングを押し付けるでもなく、かといって落ちた私を否定したり避けたりするでもなく、ありのままに受け止めてくれる、そんな仲間がいたこと。生きていく上で、会社というコミュニティは同じ価値を生み出す仲間として関係性が深まりやすいと思いますが、一方で仕事から文脈が離れたところで、赤裸々に自分をさらけ出すのは難しいと思います。そんな時に、会社とはまた別に、素っ裸になれるサードプレイスがあったということが、自分の本心を見つめ直すのにとても重要でした。

そして何よりも大きかったのが、妻の存在。「会社に行きたくない、家族の近くで暮らしたい」と、不甲斐ない自分をさらけ出した時に、「一度きりの人生なんだから、誰かのために生きるのではなく、自分らしい生き方を選んだら良いんじゃない。仕事はあくまでも手段。選択肢はいくらでもある。あたなは家族の近くにいたいんでしょ?だったらそういう方向で考えたらいいんじゃないの?」と受け止めてくれて。正直なところ、「いやいや、そんなこと言われても困る、子ども3人もいるのに。家計はどうするの!?」っといった反応が返ってくると思っていたので、良い意味で驚きました。妻が、ドーンと構えて、どうにかなるでしょというスタンスで居てくれたことは、自分にとって本当に大きな救いとなりましたし、その妻の一言があったからこそ、一歩を踏み出すことができました。

そんな3つのきっかけもありながら、長い年月をかけて自からブクブクに着飾ってしまった「期待値ハンターという鎧」を、恐る恐る、1枚1枚、脱ぎ捨てていきました。そうしてスッポンポンになった先に、自然と出てきたのが、「自然豊かな環境で、家族ファーストをぶらさずに、自分らしくゆったりと過ごしたい」という心からの叫びでした。

選んだのは週4ランチのみ営業のカレー屋

ありたい姿が見つかった後は、家族の近くで働くべく長野県で転職先を探しましたが、これといってピンとくる働き口が見つかりませんでした。そもそも、仮に良いご縁が見つかったとしても、企業勤めになってしまっては「家族ファーストをぶらさない」というありたい姿を追い求めるのは難しいのではないか、自分の想いを成し遂げるためには起業するしかないのでは、と考えるようになりました。

では、自分で起業するとしたら、何ができるか。何がしたいか。しかも、ありたい姿はぶらさずに。突き詰めて考えた結果、選んだのは「カレー屋を起業する」という道でした。カレーを作ることは好きですし、自分の作ったカレーを食べてもらって、喜んでもらえる姿を直接見られることは、本当に楽しくてうれしいことです。また「元ハウス食品のスパイスマスターが作るカレー」というフレーズが使えることは、自分だからこその強みであり、これを使わない手は無いと考えました。

ただ、そもそもの今回の起業の動機は「家族ファーストをぶらさず、自分らしくゆったりと暮らす」こと。時間のユトリを確保して、あっという間に大きくなってしまう子どもと過ごす時間や、妻と語らう時間を大事にしたい。自分にとっては、これが何よりも大切にしたいこと。朝から晩まで働くような飲食店をやり、汲々としてしまっては意味がないので「週4日ランチのみの営業」という基本方針を定めました。

人生をかけて証明するに足るテーマ

基本方針を定めたものの、次にぶつかるのが「週4ランチだけで生活が成り立つのか」。不安はもちろんありましたが、どうやってその不安を払拭して一歩踏み出したのか。

1つは、衝撃的な先行事例との出会い。京都にある「佰食屋」さんという飲食店をご存じでしょうか。このお店は、売上拡大を求めず、100食限定売り切ったら閉店、従業員の時間的ユトリを第一義に考えた経営をされてらっしゃいます。飲食店は朝から晩まで働きづくめなイメージが強かったのもあり、こういうスタイルの飲食店もあるのかと、雷に打たれたかのような衝撃が走りました。この考え方は、まさに自分自身が目指したいありたい姿と重なるところであり、佰食屋さんのやり方を取り入れてIターンと掛け合わせたらうまく行くのではないか、という閃きが生まれました。

1つは、育休中に話し合った家族の在り方。前述しましたが、育休時代に妻と「仕事も家事育児も5:5にしていこう」という考え方があったため、カレー屋で稼ぐべき生活費は家計全体の5割で良いことになります。全体の5割で大丈夫なのであれば、週4ランチ営業だけでも十分狙える。だからこそ、そんなに気負わずにチャレンジすることができました。

余談ですが「脱サラして、Iターンでカレー屋やる!」と話すと、皆さん一様に驚かれますし「妻の反対は無かったのですか?どう乗り越えたんですか!?」なんて質問をよく頂きます。この質問が頻発する裏側には「そんなリスクを取るなんて信じられない、家計は男性が支えるべきものなのに」という固定概念が根強くあるということなのかと思いますが、皆さんはどう感じられますでしょうか。もちろん、家事育児を女性側が一人で背負い込まされて、やりたことがやれない女性も多々いると思いますが、似たような感じで、必要以上に稼ぐことの責任を男性側が一人で背負い込んでしまい、本当はやりたことがあるのにやれない男性も多いような気もしています。でも、それって、夫婦どちらにとっても、もったいないなと思うのです。家族の在り方は様々で正解はありませんが、どういう家族をお互いに目指したいのかを夫婦で話し合っておくことは、とても意味のあることではないかと思います。

もう1つは、世の中にとって有用な事例になりうるのではないかというワクワク感。週4ランチのみ営業で、自然豊かな環境でゆったり暮らせたら、これってワクワクしませんか。もちろん「ありたい姿」と「生活」とを両立させられるかは、実際にやってみないと分からないですし、リスクも伴うチャレンジです。でもだからこそ、あらゆる試行錯誤の上でその両立が成しえたとしたら、人生100年時代を生きる上での1つの豊かな選択肢として、有用な先行事例になりうるのではないかと考えました。家族の近くで暮らしたいという「利己的」な動機で始めるチャレンジではありますが、この利己的なチャレンジを突き詰めて先行事例として発信することは、結果的に、誰かに豊かな人生の選択肢を提示するという「利他的」なチャレンジになるのではないか、そんな閃きが生まれた時は、「これは自分が人生をかけて証明するに足るテーマだ!」と思って、もう本当にワクワクしましたね。このワクワクが不安を大きく上回ったのもあり、一歩を踏み出すことができました。

そんなきっかけもありながら、湧き出る不安を乗り越え、ここでは書ききれない本当に多くの方のご支援も頂く中で、2020年6月、長野県佐久穂町に「カレー屋ヒゲめがね」は産声を上げました。現在開店して5か月ほどが経ちますが、ありがたいことに本当にたくさんのお客様にご来店頂き「美味しい!」の笑顔を見ることができ、贅沢な暮らしはできませんが、家族との時間も大切にする生活もどうにか両立しており、本当に豊かで充実した日々を送っています。

試行錯誤の1つとしてクラウドファウンディングにも挑戦。ご支援頂いたお金で看板を作成

試行錯誤の1つとしてクラウドファウンディングにも挑戦。ご支援頂いたお金で看板を作成

「カレー屋ヒゲめがね」という名前に込めた思い

「カレー屋ヒゲめがね」という店名、けっこうインパクトもあってか、なぜそんな名前にしたのかを聞かれることがよくあります。単純に店主の見た目をそのままに店名にした訳ですが、そこには自分なりに込めた思いがありました。最後に、この店名の由来についてお伝えして終わりたいと思います。

唐突ですが、皆さん「千と千尋の神隠し」で出てくる「カオナシ」というキャラクターを御存じでしょうか。あの映画を見ている中で、カオナシとは何を表しているかにハタと気付くことがありました。カオナシは、相手の期待を探り、相手の期待に応えられると、その期待を飲み込み、成長します。ところが、千と対峙した時に、取り乱します。なぜなら、何が欲しいかを尋ねても、何も要らないと答えるから。そんな人と出会ったことはない、そんな反応をされたらどうして良いか分からない。分からないから過去の経験則から人が喜ぶ「金」を与えようとするが拒絶され、パニックになる・・・。そんなキャラクターに「カオナシ」と名付けたのは、誰かの期待に応えてばかりで自分自身が無い、それは顔が無いのと一緒ではないかとの想いが込められていたのではないでしょうか。そしてこの映画のタイトルは「千と千尋の神隠し」。自分の名前を神隠しに合って忘れてしまったのなら、千回でも自分に尋ねなさい、そんな意図が込められているのではないでしょうか。真実は分かりません、あくまでも個人の推測です。

ここまで私の生い立ちをお読みいただいた方は、お気づきかもしれませんが、正に自分自身「カオナシ」であり、そのことに悩み、自分は何者かを千回尋ね、ようやく今、このステージに立つまでに至りました。そんな自分が自分らしさを取り戻す大きなきっかけになったのが育休であり、育休中の「ヒゲめがね」の姿こそが自分らしい象徴だと思うようになりました。

これから先の人生も、自分基準ではなく他人基準で物事を考えてしまうことが多々あるかもしれません。そんな時にも、カオナシにならないよう、自分の名前を呼び覚ましやすいよう「ヒゲめがね」という名前を、カレー屋の屋号とすることにしました。この名前、皆様に覚えて頂きやすいですし、個人的にも自分の在りたい姿を端的に表せていて、結構気に入っています。

以上、あくまでも、私個人のケースではありますが、この記事が皆様の人生を考える何かのきっかけになってくれたら嬉しいですし、この事例のおかげで人生が変わりました!なんて話を携えて、「カレー屋ヒゲめがね」にいつの日か遊びに来てくれたら最高ですね。そんな日が来ることを夢見つつ、これからも自分のありたい姿をぶらすことなく、「カレー屋ヒゲめがね」を通じて、たくさんの笑顔を生み出せるよう、頑張っていきたいとい思います。長い文章を最後までお読み頂き、ありがとうございました!

(文・豊田陽介)

皆様のご来店、家族一同お待ちしております!

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