PROFILE

池田美樹さん(No.69)/エディター EDIT THE WORLD&CO. CEO

■1967年、熊本県生まれ。熊本大学文学部仏語仏文コース卒業。学部在学中より地域情報紙『タウン情報クマモト』の編集に携わり、卒業後、同誌を発行する有限会社ウルトラハウスに3年間勤務。92年、退職し、上京。株式会社コアマガジンを経て、95年、マガジンハウスに入社。『Olive』『anan』『Hanako』『クロワッサン』等10代から60代までの年代にわたる女性誌、WEBの編集者を歴任した後、2017年7月にエディターとして独立。2017年4月、慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科に入学。2019年3月、修士課程を修了後は、研究員として所属。研究領域は「女性のアイデンティティの再構築」。シャンパーニュ騎士団シュヴァリエ。俳人・如月美樹としても活躍している。
■家族:ひとり暮らし

■座右の銘: “Tomorrow is another day(明日は明日の風が吹く)”
映画『風と共に去りぬ』で、主人公スカーレット・オハラが最後に言う台詞。「いろいろ考えてみたのですが、見事にこれしか思い浮かびませんでした」と池田さん。

EDIT THE WORLD & CO.

 

少女時代からの憧れの仕事に就き、40代半ばまでは何の迷いも揺らぎもなかった

熊本で生まれ育ち、大学在学中から地元のタウン誌を発行している出版社でアルバイトをしていました。卒業後はその会社に就職しましたが、広い世界が見てみたくなって25歳で、生まれて初めて上京。アルバイトをしながら雑誌編集の仕事を探し、コアマガジンという出版社に転職をしました。いわゆる「エロ本」を作っている編集部でした。女性は当時とても少なかったので、面白がられましたね(笑)。

その後、新聞で求人広告を見つけ、29歳のときにマガジンハウスに転職。入社後は『Olive』『Hanako』『anan』といった女性誌の編集を担当し続け、デジタル化の波が来てからは、Webの雑誌づくりにも携わりました。10代に雑誌『Olive』に出合い、パリのファッションや東京のお店といった自分の知らない世界を見せてくれる記事に心を躍らせて、「こんな情報を伝える側に自分もなりたい」と編集者を志した私にとって、まさに夢に描いた日々。雑誌編集の仕事は地道な作業も多いですから、大変なこともありましたが、この仕事が好きという思いはあせず、20代、30代は全力で駆け抜けるように仕事をしました。何の揺らぎも迷いもありませんでした。

大学院で学びの面白さに目覚め、会社を退職。 研究を通じて、ライフテーマを見つけた (池田美樹さん/ライフシフト年齢50歳)

このままでいいのかなと感じはじめたのは、40代になってからです。人生100年と言われる今、60代、70代になっても仕事を続けていきたいけれど、このまま会社に定年までいて、その後のキャリアを継続できるんだろうかと考えるようになりました。経験や勘で仕事をこなせるようにはなったものの、自分のキャリアが会社の外でも通用するという自信はありませんでした。この先ずっと、「やりたい」と思える仕事を続けていくためには、今のうちに「助走」として何か準備をしておく必要があるんじゃないか。そう思いながらも、何をすればいいのかわからず、モヤモヤとした気持ちが募っていきました。

失恋の悩みを相談していた産業カウンセラーさんとの会話をきっかけに大学院に

当時は、焦って答えを探そうとして、失敗もしました。習い事の教室に通ってみたものの、長続きしなかったり、高い受講料を払って資格を取ったものの、資格を生かして活動するほどの興味が続かなかったり…。転機となったのは、会社員時代にお世話になった産業カウンセラーさんとの会話でした。

産業カウンセラーさんのカウンセリングを受けはじめたのは、40代半ばだったと思います。最初は失恋の悩みを相談したくてカウンセリング室を訪ねたのですが、1時間ほど話をしたら、予想していた以上にスッキリとして。友人でも、知人でもない第三者に話を聞いてもらうってすごくいいなと思いました。以来、とくに悩みがなくても、月に1回、産業カウンセラーさんと話すことを習慣にしていたのですが、実は、心理学には高校時代から興味がありました。大学でも学びたかったのですが、地元の大学には心理学科がなく、親から地元を出ることを反対されて、かなわなかったんです。

あるとき、カウンセリングでその話をしたところ、心理学について話題が広がり、産業カウンセラーさんが「一般的な臨床心理学は精神的にマイナスの要素を抱えた人をいかにゼロの状態にするかに重きが置かれてきたんです。一方、今は“ポジティブ心理学”と呼ばれる、ゼロ以上の状態をさらにプラスにするためにはどうすればいいかを研究する分野もあって、池田さんの関心はそちらに近いかもしれません」と教えてくれたんですね。「そんな学問があるんだ」と衝撃を受け、いろいろと調べてみたところ、慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科(慶應SDM)の前野隆司教授が研究している「幸福学」に出合いました。興味を持ったら、取材しなければ気が済まないのが編集者の性質。アポイントを取って前野教授にお話をうかがったところ、気軽な感じで「うちの大学院で学んだら?」と言われ、「あ、そういう選択肢もあるんだ」と大学院に行くことを決めました。

「幸福学」を学ぶはずが、修士論文のテーマは「中年期女性のアイデンティティの再構築」

大学院で学ぶために、会社を辞めようとは当初は考えていませんでした。ところが、実際に通いはじめてみると、想像していた以上に大学院が面白くて。というのも、私が在籍していた学科の学生は3分の2以上が社会人で、バックグラウンドが本当に多種多様だったんですね。自分がそれまで出会ったことのない価値観に触れたり、新たな学びからさまざまな刺激を受けるうちに、大学院の2年間は腰を据えて勉強したいと思うようになり、入学して3カ月で退職しました。

20年間以上勤務した会社を辞めることに、生活面の不安がなかったわけではありません。でも、私、思い切りは割といいんです(笑)。多少の蓄えはありましたし、退職金と失業保険でしばらくは何とかなると考えました。会社員時代の後期はデジタル部門の業務を担当したり、イベントの運営もやったりして仕事の幅が広がっていましたし、社外の友人と40代女性のためのメディア&コミュニティ「Beautiful 40’s」を立ち上げたりもしていたので、雑誌づくり以外にも自分にできることはありそうだと感じていたことも大きかったかもしれません。Webであれ、イベントであれ、材料を集めてきて付加価値をつけ、人に見せるというのは「編集」そのもの。出版社以外でも、「編集」という自分のやりたい仕事はできるんじゃないかなと思いました。それならば、このまま同じ会社にいるより、この機会にキャリアを一度解体し、もう一度組み立て直す方が将来にプラスになるなというふうに思ったんですね。

大学院には「幸福学」を学ぼうと入学し、最初は前野教授の研究室に所属しましたが、慶應SDMというのは、現代の社会の高度で複雑な問題を俯瞰的に解決していく「システムデザイン・マネジメント」を実現するために、さまざまな考え方や方法論を研究する場所でして…。そのための勉強をするうちに「システムデザイン・マネジメント」そのものへの関心が深まり、別の研究室に移りました。宇宙開発事業団(JAXA)でロケットの開発に携わった経歴を持つ神武直彦教授の研究室で、先輩方や同期はかなり「理系」。「文系」で生きてきた私にはかなりハードでしたが、それだけに新鮮でしたし、学んだ方法論に即していれば研究テーマは自由に選べたので、ほかの学生たちの研究もバラエティに富んでいて、すごく面白かったです。

大学院で学びの面白さに目覚め、会社を退職。 研究を通じて、ライフテーマを見つけた (池田美樹さん/ライフシフト年齢50歳)

私が選んだテーマは「中年期女性のアイデンティティの再構築」。最先端のテクノロジーも積極的に使う研究室だったので、チャットボット(AIを活用した自動会話プログラム)を研究に取り入れようと試みるなど、最初はやりたいことが広がり過ぎてしまって。2年間で論文を書き上げるには、核となるもの以外を削ぎ落としていく必要が出てきました。

では、その核となるものは何か、2年間かけてやり続けても情熱を失わずにいられることは何かと考えていったときに残ったのが、モヤモヤしがちな時期にある同世代の女性たちに何か役立つことをしたいという思いでした。背景には、会社員時代に女性誌の仕事でさまざまな世代の多くの女性に取材をしてきた経験があります。私自身だけでなく、40代前後の人の多くが何らかの課題を抱えていることが気になっていました。

「もうやめてやる!」。修士論文を書くのに苦労し、くじけそうになったことも

核となるものが見えてからは、ひたすら研究に没頭。30代〜50代の女性たちに協力してもらってワークショップや「じぶん編集シート」と名づけたツールを使って実証実験を行い、2年で論文を書き上げました。先日、大学院時代のノートを見返してみたところ、びっしりと書き込まれているのですが、今となっては書かれていることが難しすぎて、自分でも意味がほとんどわからないくらいなんですよ(笑)。でも、当時は確かに理解していたんです。それだけ集中していたということなんでしょうね。

論文を書くには、文字通り四苦八苦しました。ジャーナリストの経験を持つ教授から「ものを書く仕事をしてきた人は、論文を書くのに苦労するよ」とうかがっていたのですが、その通りでした。女性誌で読者に「読ませる」ための文章と、テーマに沿った仮説とその論拠を公のものとして発表するための文章では、執筆の方法論がまったく違うからです。とくに大変だったのは、教授からの指導で徹底的に根拠を問われること。曖昧さは許されませんでした。繰り返し「なぜ?」と問われ、窮地に立たされて「根拠はありません。私がそう思ったからです!」とボロボロ泣いたこともあります。何度も、やめてやろうと思いましたよ。「もう修了なんてしなくてもいい!」と暴れたこともあります(笑)。

大学院で学びの面白さに目覚め、会社を退職。 研究を通じて、ライフテーマを見つけた (池田美樹さん/ライフシフト年齢50歳)

それでも、なんとか修了できたのは、学友の存在が大きかったです。休日の朝に勉強会をしたり、くじけそうになったときにみんなで支え合ったり、学友にはとても恵まれたんです。自分と同じような業界で働いて、会社を辞めて来ている人もいれば、20代で起業して成功して、仕事を続けながら勉強していたり、定年退職後に来ている人もいて、たくさん刺激を受けました。多種多様なバックグラウンドを持つ人たちとフラットな関係を築ける場に身を置けたことは、得難い経験だったと思います。

学んだこと、やってきたことは、すぐには実を結ばない。焦らないことが大事

大学院在学中に個人事業主の届けを出し、現在はフリーランスのエディターとして、さまざまな媒体の記事の編集・執筆や、イベントの企画・運営などをしています。まだ大学院で学んだことが、目に見える形で仕事に結びついているわけではありませんが、大学院でものの考え方や方法論を体系的に教わり、身につけることによって、ひとつの仕事に対して、以前よりも多角的な視点を持ってアプローチできるようになりました。結果として、同じ仕事であっても、より深められたり、広げられたり、以前と比べて自由にできる感じがあります。

大学院で学びの面白さに目覚め、会社を退職。 研究を通じて、ライフテーマを見つけた (池田美樹さん/ライフシフト年齢50歳)

大学院の思わぬ収穫は、修士論文のテーマを決めるために、自分が本当にやりたいこと以外を削ぎ落とす過程を経て、「40代前後の迷える女性の支援」というライフテーマを見つけたこと。もちろん、大学院に通わなくても、ライフテーマを見つけることはできますが、私の場合、「ある期間で、修士論文を書き上げる」という大学院のシステムが「装置」として機能し、モヤモヤと抱えていた「自分が本当にしたいことは何か」という問いに、答えを見つけるための方向性を示してくれたように思います。

大学院には今も研究員として所属し、女性支援のためのワークショップを実施したりしています。修了後も「学びたい」という思いは尽きません。「中年期女性のアイデンティティの再構築」の研究を通して心理学の知識の重要性を感じたこともあって、改めて心理学を体系的に学ぶべく具体的な準備をしているところです。目標は、60歳くらいまでに臨床心理士の資格を取ること。学問的根拠のあるちゃんとした知識を身につけ、会社員の方々が定年するくらいの時期になったら、心理カウンセラーとして後輩世代の迷える女性をサポートできたりしたらいいなと考えています。

大学院に入学したときは、まさか自分が理系要素の強い研究室に身を置くとは考えていませんでしたし、修了後に、後輩世代の女性を支援したいという思いを強めるとも想像していませんでした。大学院が思いもかけないところに自分を運んでいってくれたという感じです。ただ、行ってみて実感したのは、大学院というのはたくさんの学びのフックを用意してくれているけれど、それをつかむのは自分。教授は何も面倒を見てくれません(笑)。大学院に行くことで、何かが解決するとは期待しない方がいいかもしれません。

最後に、これはぜひ皆さんにお伝えしたいことなのですが、学んだことや、やってきたことは、すぐには実を結ばないもの。これまで経験から、数年のタイムラグがある気がするんです。だから、何をやるにしても、形にすることを焦らないことが大事だと思っています。