PROFILE

岩間秀幸さん(No.35)

・亀田ファミリークリニック館山 家庭医診療科 プログラム統括責任者
千葉県在住、35歳。妻・長女・長男の4人暮らし。
琉球大学医学部卒。豊見城中央病院、沖縄県立八重山病院を経て,2011年より現職。2018年よりプログラム統括責任者となる。日本プライマリ・ケア連合学会認定、家庭医療専門医・指導医。小児科医の妻の専門研修のため2015年4月より、主夫として時短勤務。
自身のFacebookに「もし家庭医が主夫になったら」の題で主夫生活の気付きをつづる。長男のこども園ではPTA会長も務めた。家族の協力のもと、かかりつけ医としての診療のほかに、指導医養成、講演やシンポジストなどにも精力的に挑んでいる。座右の銘:煩悩即菩提(ぼんのうそくぼだい:悩みがあるのが不幸せなのではなく、悩みを乗り越えた先に幸せがある。)

長女が2歳、長男が0歳時に、家庭医の専門研修を受けるため、千葉館山に引っ越しました。専門研修中の3年間、そして指導医となった後も、日中の診療以外にも勉強会や夜間の当番、救急の当直などもあり、子供が眠ったあとに帰宅することも少なくありませんでした。
家事や育児はもともと好きだったということもあり、週末積極的にしていましたが、いざという時には仕事を優先できる環境で、子供の突然の発熱や出張中などの育児・家事は全て妻がやってくれていました。

妻の葛藤を知り決心した「時短勤務・主夫生活」

妻は医学生時代の一つ先輩で、当時から2人で、医師としての将来の夢・キャリアを語り合ってきました。通常、医師になって1、2年目は初期研修医として様々な科を回り、医師3年目に自分の専門を決め、専門医となっていきます。妻の場合、3年目の 4月に長女が生まれ、以来、時短勤務で働きながら、妻として母として、家族を支えてくれました。そんな中、私が医師としてのキャリアを重ねる一方で、妻が医師としての自信を持てず、葛藤していることに気が付いたのです。

もともと、妻の研修やフルタイム勤務が再開できることを条件として私の研修場所を選んでいたため、私が勤める亀田ファミリークリニック館山と同法人である、亀田総合病院小児科に妻を受け入れてもらえる状況だったのですが、重要なのはそのタイミングでした。

上司に繰り返し相談をし、快くサポートしてもらえたことから、私が専門医・指導医資格を取ってから1年後の、長女の小学校入学を一つの区切りとして、私が時短勤務・主夫生活をすることを決心しました。

「私が家族を守る」。深夜に行った夫婦会議で腹をきめる

私の両親は、いつも私の進路を応援してくれており、医師になると決めた時や沖縄に進学した時と同様、時短勤務・主夫生活を受け止めてくれました。
私としては、結婚後に専業主婦となり、家や私たち兄弟を守ってくれた母が「本当はもっと仕事をしたかった」という気持ちを聞いたことに対する恩返しのような気持ちもありました。

妻の両親も、妻の医師キャリアの再出発を喜んでくれて、ピンチの時には神奈川から遠路をかけつけてくれて、何度も支えてくれました。

ライフシフトの最終段階で一番葛藤したのは妻自身でした。周囲の協力・応援が得られる中で浮かない表情の妻。「本当にいいのかな?」と悩む妻と二人で、自分の気持ち、家族のことなど、心にあることを全部付箋に書き出して広げてみました。

子どものこと、経済的なこと、体力的・能力的な不安、私が主夫になったのに妻自身結果が出せなかったらという、不安や申し訳なさまで感じていることを知りました。
夫婦で深夜に行ったKJ法(収集した多量の情報を効率よく整理するための手法)を通して、「パラメーターは無数にあっても、妻が安心して研修に集中できることを第一にして、私が家族を守る」ということに腹が決まりました。

職場仲間からのサポート、患者さんの理解に心から感謝

娘が小学生になったタイミングで、フルタイム勤務から週4日勤務に、子供の学校や習い事に合わせ日によって15時・17時には帰る、という生活になりました。夜間の当番や土日祝日の勤務を外れ、その分は時間計算で給与をカットする契約に。人事課の方にも、あまり前例がないと言われましたが、給与に差をつけることで、できないときに仲間に助けを求めることができる「受援力」の支えにもなりました。

勤務日が減る分、患者さんに負担がかかることが一番の懸案でしたが、患者さんに事情を話すと、学校のことを教えてくれたり、おかずをもってきてくれたり、本当に暖かく応援してくれました。ほとんどの患者さんが、私の予定に合わせて外来を調整してくれましたし、噂を聞いて、新しい相談・受診もあり、結果的には患者さんが増えました(笑)。

私がいない間に迷惑をかけないように、勤務時間内に必死で申し送りやカルテ記載を心がけました。それでも十分ではありませんでしたが、勤務日外に受診や相談があったときには、上司や同僚が柔軟にサポートしてくれ、本当に感謝しています。

時短勤務でも出せた成果。成功の要因は?

時短勤務になった時に決めていたことは、時短でいない時もあるけれど、大きな意味で「いなくてはならない人」になること。
時短生活の3年間で、4つの大きなプロジェクトを任せてもらい、経営面、業務改善で成果を出すことができました。この成功の要因は、自分の状態に合わせて仕事量を調整できたこと。通常業務や家族の余裕がある時、すきま時間に集中して仕事することで、やりがいを感じられ、仕事・生活の両面に良い影響がありました。

ライフシフトで、本当の「父」になる。子どもとの深い関わりで得た生涯の財産

ライフシフトをして、私は二人の子の「父」になったと思っています。主夫は一家の最後の砦。できる時とできない時がある育児・家事ではなく、全責任を担う大変さを知りました。トイレなどの生理的反応、感情面やケガなどの、突然のハプニングまで対応できるように準備をすることが必要。そして、仕事以上に高度なタイムマネジメントが必要で、子どもが眠るまで自分の時間もない。
でもその深い関わりの中で知る、子どもの新たな一面に毎日驚き、その成長を見守ることができました。通学への葛藤を、子どもと一緒に涙して乗り越えた経験は、生涯の財産です。

主婦/主夫は一家の健康のコーディネーターといいますが、主夫になったことで、子どもを受診させるまでの深い背景に、改めて気付きました。ただの「風邪」、ただの「胃腸炎」であったとしても、受診まで対応してきた親子の苦労をねぎらい、そして帰宅後の対応について生活を想像したアドバイスをすることで、安心し適切な受診につなげることができます。

時短で限られた働き方をしたことで、時間を大切にするようにもなりました。効率よく働いてよく遊び、よく眠る。そのために時短中から始めた、医師業務のアウトソーシングのプロジェクトも成果が出てきました。

これまでに得た経験を活かし、研修医の教育・指導に取り組む

嬉しいことに、私の後に続いて男女ともに、時短勤務に変更する同僚が続きました。ライフシフトで新たな力を蓄え、公私でしっかりと結果を残す。夫婦二人三脚で新しいキャリアの一つのロールモデルになれたらと思います。

妻が専門研修を終えて、私もこの4月からフルタイムに復帰。それに合わせてプログラム統括責任者という立場で、診療所の教育を担うことになりました。
新しい職責は、16人の研修医の成長を担う立場。患者さんの生活に寄り添った人間性豊かな人財に育つよう、我が子と同じつもりで育てていきます。もちろんイクボスとしても、それぞれの人生をしっかり支えていきたい。支えてもらってライフシフトして得た経験を、全力で職場に還元していくつもりです。

医学部への進学者の3割が女性となった医療界。男性の働き方を見直してみることで、きっと男性にとっても女性にとっても新しい価値をもたらすと信じています。
チャンスがあるなら是非飛び込んでみてください!