PROFILE

髙田勇紀夫さん(No.58)/ 保育士

■1951年12月、千葉県生まれ、東京都立大学経済学部卒業して1974年、日本アイ・ビー・エム株式会社に入社。SE、営業課長、常務取締役補佐、富山営業所長、業務改革推進担当、北アジア太平洋地域の需給管理担当、米国IBMでのオプション・モニターの需給管理担当、社長室CS(お客様満足度向上)担当、ビジネス・コントロール(内部統制)担当などを経験し、2011年12月定年退職。2017年、保育士資格を取得して、4月より都内の認可保育所で保育士として勤務。

■著書:「じーじ、65歳で保育士になったよ」(幻冬舎)

■家族:40代の娘と30代の息子は結婚・独立し、現在は妻と二人暮らし。

■座右の銘:「考えは言葉となり、言葉は行動となり、行動は習慣となり、習慣は人格となり、人格は運命となる」(マーガレット・サッチャー)、「あせらず、あきらめず、あてにせず」。

 

64歳までずっと気づかずにいた大きな社会問題

IBMを定年退職後、65歳で保育士に。無縁だった「待機児童問題」の解決に取り組む(髙田勇紀夫さん/ライフシフト年齢65歳)

日本アイ・ビー・エムで38年。60歳で定年するときには、この会社での仕事は「やりとげた」という気持ちになっていました。「今まではコンピューターの相手をしていたので、これから人に関わる仕事をしたい」と考え、サービス付き高齢者向け住宅を開発する上場企業に再就職。営業部長として2年務めた後、IBMの関連会社で非常勤の研修インストラクターの仕事をしていました。まさか自分が保育士になるとは想像もしていませんでした。

ある日のこと、新聞を見ていると、保育所の待機児童に関する記事が目に入ってきました。幼児が保育所に入園できないために、母親が働くことができず、多くの家族が困っている。「保育園落ちた。日本死ね」という匿名ブログの発言が流行語大賞をとった年です。新聞の紙面から「女性たちの叫び」が聞こえてきました。

私は最初、その意味が理解できませんでした。私の世代では、男が働いて家族を養い、奥さんは家を守り、子どもを育てる考えが一般的でした。だから保育所は必ずしも必要ではなかった。一方、雑誌や新聞で研究してわかってきたのは、待機児童は20年以上前からつづく問題で、その間ずっと国は待機児童対策の施策を打ってきているけれど、状況は改善されていませんでした。その理由を知りたいという気持ちがあっても、保育所は子どもの安全のため、セキュリティ対策上、事前登録した人以外には入れないようになっています。それを知るには、自分が飛び込んでみるしかない。私の座右の銘であるマーガレット・サッチャーの言葉にあるように、考えは言葉になり、言葉は行動となり・・・。まず、動き出し、体験することにより、この大きな社会問題を解決するヒントが見つかるはずだ!私自身、情熱を傾けられるテーマを探していたのかもしれません。気持ちは日に日に高まって、保育士資格受験を決意したのは64歳のときでした。

「あなたに保育士は無理です」。妻の一言にさらに気づきが・・・

「保育士になろうと思うんだ」。妻に打ち明けたとき、1秒後「無理です」と返ってきました。「ウチの子どもたちが小さいとき、家族のために何もしなかったじゃない。泣いていても、あやすこともできないし、夜泣きで私が苦しんでいるときも、明日仕事だ、会議だと言って、横で眠っていた人に保育士が務まるとでも思っているんですか?」。そう言われると、ぐうの音も出ませんでした。

自分の過去を振り返ってみて、妻にも娘にも息子にも申しわけないことばかりしてきたと思い当たりました。しかし、娘も息子も30代後半でともに家庭を持っていました。今さら、自分の子どもへの罪滅ぼしのために何かをするということもできません。だとしたら、世の中で困っている人たちのために働くことこそ、私ができる唯一の贖罪ではないかと考えて、保育所を巡る社会的な問題を解決する力に少しでもなりたい、と、資格試験のための勉強を開始しました。

通信教育を頼りに4ヵ月で受験、1年後には保育士資格を獲得

比較的安価な通信教育を利用することにしました。そのときには、試験があれほど大変だとは思いも寄らないことでした。段ボール箱一つにぎっしり、重たい教材が届きました。一次試験には、筆記試験が9科目あり、そのすべてで合格点を取らなくてはいけません。保育原理、教育原理および社会的養護、児童家族福祉、社会福祉、保育の心理学、子どもの保健、子どもの食と栄養、保育実習理論、どれをとっても、今まで一度も触れたことのないゼロから学ぶものでした。

幸いなことに筆記試験は毎年4月と10月の2回行われ、合格科目は3年間有効です。そこで、1回目の試験でできるだけ多くの合格科目を稼いで、2回目には不合格科目に全力を注ぐという作戦を考えました。とはいうものの、テキストが届いてから最初の試験まで4ヵ月しかありません。テキストにびっしりマーカーを引き、ノートにまとめていく勉強を1日に8時間はしました。

最初の試験で9教科中7教科合格。2回目の試験は2教科に集中できたので、少しは気が楽になりましたが、実技試験でまた苦労しました。音楽表現、造形表現、言語表現のなかから2教科を選び、表現技術を示すというもので、音楽が苦手な私は造形と言語を選びました。造形表現はお絵かき、当日に与えられる課題をもとに、保育所で起こりうる場面を描写します。子どもや保育士の服装や靴、壁に貼ってあるものが保育所によくあるものでなくてはならず、子どもたちの表情についてもきびしくチェックされるというむずかしいものでした。言語表現は、子どもたちが目の前で見ているという前提で、物語を話して聞かせる。言葉の選び方や、目の動き、体のポーズなどに細かい注意を払った上で、3分ちょうどで収めなくてはいけないという制約がありました。

IBMを定年退職後、65歳で保育士に。無縁だった「待機児童問題」の解決に取り組む(髙田勇紀夫さん/ライフシフト年齢65歳)

通信教育機関が主催する模擬試験を受けたら、造形・言語ともに駄目出しだらけになりました。筆記試験の結果発表から、実技試験まで、一月ぐらいしかありません。毎日、お絵かきの練習をし、タイマーを3分に仕掛けて、散歩のときもモゴモゴと練習して、実戦に挑み、なんとか合格を得ることができました。合格率約20%といわれる難関を乗り越えたことは誇らしくも、うれしかったですね。

シニアの男性が保育士をつづけるには、プライドを捨てる覚悟が必要

保育士の資格をとっても、就職することには、また苦労しました。いくつかある保育士の人材紹介にネット登録しようとしても、年齢入力欄に「60代」という選択肢がない、という屈辱的な経験をしました。「65歳」の「男性」が「保育士」として就職することが、ほとんどありえない異例なことのようでした。やむなく紙の履歴書に、どんなに私が保育士の仕事に情熱を持って取り組みたいかという自己紹介文を添えて、各社に送り、その結果、自宅の隣区の新設保育所で週3日働く保育士としての職を得ることができました。

開所前の顔合わせでは、当然のように男性は私だけ、60歳以上も私だけ。後に同僚として働く人たちから「あの人は何者だろう」という警戒の目で見られました。今の私の上司は、30歳も若い女性で、やはり最初は指示されることに抵抗がありました。IBMの部長であったとか、部下が100人以上いたなどということは、子どもを前にした現場では何ら関係ありません。保育士としてつづけていくには、プライドを捨てることも必要でした。

現場で得た体験と知識を糧に、世の中のためにできることを精一杯に続けたい

IBMを定年退職後、65歳で保育士に。無縁だった「待機児童問題」の解決に取り組む(髙田勇紀夫さん/ライフシフト年齢65歳)

それから2年間、さまざまな葛藤もありましたが、保育士をつづけてきて、なんといってもうれしいのは、子どもたちが朝「じじ先生!」と叫びながら飛びついてきてくれる瞬間です。また、運動会や発表会の場所で子どもたちが成長した姿を見て涙ぐんでいるご両親の姿を見ると、こちらも感激の涙を流さずにはいられません。すべて、保育所という現場で子どもたちと取っ組み合いながらすごさなければわからないことばかりです。外にいて、想像するだけではけっして見えない現実を知ることができました。「身をもって保育問題を知りたい」という最初の動機からしてあり余るほどのリアリティです。

保育士となって2年経過して、今67歳。まずは、70歳まで、できることなら75歳までこの仕事を続けたいと思っています。それと同時に、現在週3日の勤務である残りの4日を生かして、自分の人生を楽しみながら、本来の目的でもある「待機児童の問題を解決する」ための努力もしたいところです。

まずは、私自身の経験をFacebookや書籍「じーじ、65歳で保育士になったよ」などを通して発信して「シニア」で「男性」であっても、情熱を持って挑めば十分に務まることを伝えていきたいと思います。私につづいてチャレンジしてくれる人が増えていけば、保育士不足とシニア層の就職難という二つの大きな問題が解決に一歩進んでいくでしょう。もう一つ、私が力を尽くしたいと思っているのは、若い女性の保育士たちが結婚相手を見つけることに苦労しているという現実です。まさに保育現場に飛び込んだからこそはじめてわかったこと。そのために、男性が多い職場である警察や消防などの人材とマッチングする手段がないだろうか考えているところです。

最初はまったく私を信じてくれなかった妻でしたが、最近では、育児についてちゃんと理解するようになったと着実に評価を上げてくれているようです(笑)。若いころには家庭を顧みない夫だった私の無謀なチャレンジは、夫婦関係を再構築するのにも役立ったのかもしれません。人生100年時代といわれるなか、どんな人の生き方にもはじめと終わりがあります。そのなかで、みんな世の中のためにできることを精一杯やれば見えてくるものが必ずあります。Facebookのページにアップする写真が愛犬と食事と旅行ばかりになったら、さびしい話です。そのためにも、「あせらず、あきらめず、あてにせず」、社会のために少しでも還元できる人生でありたいと思っています。

*文中の絵画作品はすべて髙田勇紀夫さんご自身の作です。