PROFILE

高本玲代さん(No.82)/「wakarimi」代表

■1975年生まれ、滋賀県出身。1999年お茶の水大学文教育学部言語文化学科卒業後、株式会社セブン&アイ入社。2006年、帝人株式会社に転職。2016年、米国MBAを取得。2018年スタートアップの世界に入り、ヘルスケア系企業を経て、医療向けAI、ロボットソフトウェアベンチャーに参画。2018年より2年連続で神戸市と米国のベンチャーキャピタル「500 Startups」によるスタートアップ育成プログラム「500 KOBE ACCELERATOR」に参加(連続採択は同プログラム初)。2020年4月には、株式会社uni’queのインキュベーション事業「Your」の仕組みを利用し、更年期夫婦向けコミュニケーションサービス「wakarimi」を立ち上げた。子育てをしつつ「複業」「リモート勤務」で事業責任者を務めている。滋賀県大津市在住。

■家族:夫、長女(10歳)、次女(4歳)

■座右の銘: 「ケ・セラ・セラ(なるようになる)」
「悩むことも多いのですが、ふと、1年前に自分が何を悩んでいたか振り返ってみると、思い出せなくて(笑)。今では、たいていのことは、なるようになると考えています」と高本さん。

wakarimi

 

就職氷河期に社会へ。まずは置かれた場所で頑張ろうと考えていた

2020年4月、更年期世代のカップルのコミュニケーションプログラム「wakarimi」を立ち上げました。テスト期間を経て7月から本格始動し、まだユーザーは多くないのですが、サービスのアクティブ率は80パーセント以上と高く、手ごたえを感じています。

ヘルスケアに対する関心は、10代のころからありました。理数系が苦手で断念しましたが、大学受験では医学部を目指していたほどです。ヘルスケアの中でも、興味のあったのは、人の心。大学では中国文学を学び、中国に留学しましたが、現地でいろいろな人と関わりながら、「この人の考え方は、どうやって形作られたのかな」といつも考えているような女子大生でした。

大学の卒業式。直前まで約半年間、留学で中国に滞在していた。

大学を卒業したのは、いわゆる「就職氷河期」。同じ学科の13名のうち、正社員として就職できたのは数名でした。セブン&アイに入社したのは、同社が中国での出店を本格化させる時期で、中国関連の仕事ができるのではと期待したからです。入社後に配属されたのは、店舗での営業でしたが、就職できただけでもありがたいという気持ちもあって、まずは置かれた場所で頑張ろうという考えでした。

ただ、私には昔からどこかお行儀よくは収まらないところがあって(笑)。中国に関わる仕事がしたいと人事部にお手紙を書いて、苦笑されたこともあります。あきらめきれず、転職サイトに登録し、「中国」というキーワードで見つけたのが、帝人の求人。原材料などを調達する購買の仕事で、まったくの畑違いでしたが、採用してもらえました。調達の仕事では、ただモノを仕入れるのではなく、コスト戦略を立て、社内のさまざまな事業部や工場の人たちとコミュニケーションを取りながら、新たなアイデアを実現することが求められます。それはまさにセブン&アイで私が得意としていたことで、その点を評価していただけたのかもしれません。

30代半ばで出産。思うように仕事ができない自分を責め、うつ病に

帝人に転職したのは、31歳の時。目の前のことを一生懸命やっていたら、責任のある仕事をどんどん任せてもらえるようになり、毎日がとても充実していました。転職2年目に社内結婚した後も仕事のペースは変わらず、海外出張にも行っていました。ところが、長女を出産し、職場復帰後は思うように動けなくなりました。以前のようなパフォーマンスを出せない自分を責め、うつ病で数カ月休職したこともありました。

ようやく仕事と育児のペースをつかんできたころ、夫の米国赴任が決まり、長女の成長環境を考えて、家族で一緒に行くことに決めました。私は休職し、帰国後は復職できるという話でした。キャリアを継続したいという思いがあり、米国で何らかの仕事を与えてもらえないかと上司に相談してみましたが、「海外赴任をするには、もう少し力が必要」というお返事でした。会社の事情も理解できますが、自分と経験やスキルに差がない男性が海外赴任をしていたこともあり、「自分が女性でなかったら、どうだったのかな」とは思いましたね。

米国で暮らしながらMBAを取得し、起業を身近に感じるようになった

米国では1年半暮らし、その間にMBAを取得しました。当時を振り返ると、本当に忙しかったですね。自由になる時間のほとんどを勉強にあて、デイケア(保育園)の送り迎え以外は外の景色を見ていません(笑)。そこまで勉強に打ち込んだのは、「悔しさ」からでした。出産後も以前と変わらず、目の前のことを一生懸命やっているのに、成果が出ない。女性であることによる働きづらさや、キャリアの「頭打ち感」が悔しくて、「MBAでも取れば、何か変わるかも」と考えたんです。

一方で、いざMBA取得に向けて動き出してみたら、肩の力が抜けていきました。ビジネススクールで学んだことが新鮮だったというのもありますし、娘のデイケアの園長さんなど米国で出会った人たちに起業家が多く、彼らを通して米国の自由な文化に触れたのが大きかったですね。とくに、「失敗」に対する価値観が日本とは違うと感じました。「失敗」も「経験」としてプラスにとらえ、起業にもどんどん挑戦する。彼らの姿を見ているうちに、「あ、自分で何か事業を立ち上げるのも、面白かも」と考えるようになったんです。米国に行くまでは想像もしていなかった変化でした。

米国滞在中、長女のデイケアの“Hooding Ceremony(卒業式)”

自分にブレーキをかけていたのは、自分自身だということに気づかされた

自分で事業を立ち上げれば、もっとフレキシブルな働き方ができて、自分の思い描いた人生を実現しやすくなるかもしれない。そんな思いから、帰国後は復職の道を選ばず、起業に関する情報を集めはじめたものの、関西に住んでいることもあり、最初はなかなか起業関連のコミュニティーにアクセスできませんでした。そんな時に参加した起業セミナーで、「行ってみたら?」と教えていただいたのが奥田浩美さんの講演会でした。

奥田さんはITベンチャー業界で活躍しながら、数多くの企業のスタートアップ支援に携わってきた経験の持ち主です。「IT業界の女帝」と呼ばれるほど名を知られた方ですが、私はまったく知らないまま講演会に参加。奥田さんとお話ししたところ、「女性起業家の育成プログラムをシリコンバレーで開催するので、行きませんか?」と誘っていただきました。

当時は、次女を出産して間もないころ。「子どもが小さくて」とお断りしようとしたところ、奥田さんが「それを言い訳にしていたら、ずっと動けないわよ。あなた、起業するんでしょ」とおっしゃり、背中を押されました。つい、「行きます!」とその場で答えてしまい、「どうしよう。夫に何て言おう」と(笑)。そこで、プログラムに参加する目的や、自分が何をしたいのかを書いて夫にプレゼンをしたところ、理解をしてくれました。留守中は、義母も協力して娘たちの面倒を見てくれ、助かりました。

シリコンバレーに行って良かったことはたくさんありますが、中でも、プログラムに一緒に参加したメンバーとの出会いは得難いものでした。すでに起業をしていたり、起業を考えている女性がたくさん集まっていて、そういう場に身を置くこと自体、私にとって初めてのこと。しかも、彼女たちの多くが自分と同じように家庭を持ちながら、自ら何かを作り、社会を変えていこうという気概を持ってビジネスに向き合っていることに大きな刺激を受けました。それは今でもそうで、彼女たちの常に変化していく姿を見ると、「ああ、自分も頑張ろう」と思えます。

シリコンバレーの起業プログラムでの写真。後列左端が高本さん。

ただ、シリコンバレーに行ったこと以上に、「行きたい」という思いを家族に伝えられたことが、私の人生にとって大きな意味がありました。奥田さんのひと言がなかったら、夫に相談することもなく、あきらめていたんじゃないかなと思うんですね。でも、あのひと言のおかげで、自分にブレーキをかけていたのは、自分自身だということに気づかされた。ブレーキを外すにはどうすればいいかを学び、前に進めるようになったんです。

つらいことを「つらい」と言える社会を作りたくて、「wakarimi」を立ち上げた

シリコンバレーから戻った後は、2018年にヘルスケア関連ベンチャーの立ち上げに参加。2019年からは、東京拠点の医療系AIロボットシステムを開発するスタートアップに参加し、リモート勤務でマーケティングや企画を担当しています。

両社の業務の一環で、神戸市と米国のベンチャーキャピタル「500 Startups」によるスタートアップ育成プログラム「500 KOBE ACCELERATOR」に2018年から2年続けて参加しました。「500 KOBE ACCELERATOR」は、採択されたスタートアップが次のステップに向かうために、米国の投資家や起業家など起業に関して世界トップクラスの知識と経験を持つメンターの指導を受けながら、事業をブラッシュアップしていく約6週間のプログラム。メンターのフィードバックは厳しく、精神的にも肉体的にもハードでしたが、大変勉強になりました。

1回目の「500 KOBE ACCELERATOR」では、プレゼンテーションを担当した。

「wakarimi」を立ち上げたのは、スタートアップに参加することによって刺激を受け、自分自身で事業を起こしたいという思いが強まったからです。自分から発せられた、心の底から語れるものを事業として生み出したかったんです。

将来の起業に向けていざ歩み出そうとしていたころ、私は心身の不調に悩まされていました。疲れが取れず、イライラや落ち込みが増えて、夫とのケンカも増えてしまって…。最初はうつ病が再発したのかなと考えたのですが、医療機関で働く友人のアドバイスで検査を受け、更年期の症状だと気づくことができました。当時、私は40代前半。更年期というのは50代前後から始まるものだと思っていましたので、驚きました。

私自身もそうだったように、更年期障害に関する情報は女性にも意外と知られていないもの。男性なら、なおさらです。更年期と診断されてからも、夫にすぐには理解してもらえず、夫婦間のコミュニケーションがぎくしゃくし、どうすればいいのかと悩みました。ただ、このときは過去にうつで自分に向き合った経験が役立ちました。更年期について調べ、そこで得た知識や自分が相手に望んでいることをコミュニケーションの工夫をしながら伝えることで、ある程度時間はかかりましたが、夫の理解を得られ、更年期を過ごしやすくなりました。

この話を友人にしたところ、かつての私と同じ悩みを抱えている人が多いと知り、自分が実践したコミュニケーションの方法や、更年期障害について学んだ専門的な知識をプログラム化したのが「wakarimi」です。更年期障害もうつ病も一番つらいのは、そのつらさを周囲に言いづらいこと。「つらいのは私だけじゃないから」「話しても、わかってもらえないから」と我慢してしまう人が多いんです。でも、それでは人と人との関係がギスギスしてしまう。「wakarimi」を通して、つらいことを「つらい」と言える社会を実現したいと思っています。

起業に向いているのは、「賢い人」よりも「たくさん動く人」

「wakarimi」は、株式会社uni’queの運営する女性に特化したインキュベーション事業「Your」に出会ったおかげで実現できました。きっかけは、シリコンバレーの女性起業家のネットワークです。応募した事業が採択されたら、「Your」のスタッフのサポートを受けながら、新規事業として立ち上げることができるというシステムで、あらかじめ決められた条件まで事業が成長すれば、子会社化して株式を取得し、代表に就任することができます。

起業にあたり、地方在住、育児中で働き方に制限があることを課題と感じていましたが、「Your」は事業の成長スピードよりも持続可能性を重視する運営方針。子育てを含め「複業」が可能であり、さらに、リモートでやりとりができるので、私の状況に合っていました。現在は、医療系AIロボットシステムの会社と複業中です。また、スタートアップに身を置く中で、女性にとって起業のネックになりがちなのは、システム開発やファイナンス関連だと感じていました。この点も「Your」ではそれぞれチームとしてバックアップしてくれます。

起業までの過程では、さまざまな方からアドバイスをいただきました。中でも、「起業に向いているのは、“賢い人”よりも“たくさん動く人」という言葉が印象的だったのですが、最近、その通りだなと感じています。動けば、出会いが多くなりますし、動くことによって、失敗も含めすべてが「経験」となり、「怖さ」がなくなります。「wakarimi」もまだまだスタートしたばかりで試行錯誤ですが、「あ、こっちじゃないんだ。じゃあ、こうしてみよう」と動くことによる変化が面白い。その面白さが、仕事のモチベーションになっています。

もうひとつ、今の私にとって大きなモチベーションは娘たちです。娘たちに女性であることを悲観するような人生を送ってほしくないし、これからの時代がそうであってほしくない。母として、人生に希望を持てるような背中を娘たちに見せられたらと思っています。母親が人生を楽しみ、ご機嫌でいると、娘たちにも「楽しい将来が待っている」と感じてもらえるような気がするんですよね。何となくですけど(笑)。

(取材・文/泉彩子)