PROFILE

濱松誠さん(NO.57)/「ONE JAPAN」共同発起人・代表、旅人

■京都府出身。大阪外国語大学を卒業後、パナソニック㈱に入社。海外営業、人事、新規事業などに従事。本業の傍ら、2012年、若手主体の社内の有志団体 「One Panasonic」の発起人となり、組織の活性化やタテ・ヨコ・ナナメ・社外との交流に取り組む。2016年には、日本の大企業で企業変革を模索する若手のコミュニティ「ONE JAPAN」を設立。妻は、テレビ局で報道記者、キャスターの仕事をしながら、がん患者や家族に寄り添うことのできる居場所をコンセプトとした「マギーズ東京」を設立した鈴木美穂さん。2017年、日経ビジネス「次代をつくる100人」に選出。2018年には、Business Insider Japanの「BEYOND MILLENNIALS 固定観念を打ち破り世界を変える『Game Changer 2019』アワード」を夫婦で同時受賞した。同年、夫婦ともに会社を辞め、つぎの展開を模索するため、1年間で日本と世界を一周する旅に出る。

■家族:最愛の妻と二人暮らし

■座右の銘:「大切な人と後悔のない人生をすごす」

■著書:(ONE JAPANとして)「仕事はもっと楽しくできる 大企業若手 50社1200人 会社変革ドキュメンタリー」(プレジデント社)

 

それは、愛からはじまった。可能性を求めるうちに「人生に必要な旅」が見えてきた

はじまりは、妻の夢でした。10年前に乳がんを診断されたとき、彼女は人生を振り返り、やり残したことが5つあると思ったそうです。親孝行、結婚、出産、番組の企画、そして世界一周。その後の10年間、出産はコントロールできないとしても他はやりとげて、世界一周が残されていました。その話を聞いたとき私は「かなえたい」という強い想いをもちました。

というと、仕事を投げ打って、妻のために人生を捧げる献身的な夫というイメージがわくかもしれません。そのようなエモーショナルな側面ももちろんあります。妻は私にとって、世界でいちばん大切な人。その幸福のためには何でも捧げることができます。でも、それだけではなく—-。

夫婦ともに会社のなかで重要な役割を任されていましたし、妻は「マギーズ東京」、私は「One Panasonic」と「ONE JAPAN」というみずから立ち上げた大切な活動がありました。これらの活動を中断して、収入も失い、旅に出ていいのか。有給と結婚休暇を合わせて3週間で世界一周をするというようなやり方もあるでしょう。でも、そんなスタンプラリーのような半端な旅が「妻の夢」をかなえることになるのか。さまざまなリスクを超えて、世界一周をすることで私たちは何を得るのか。計画を固めていくうちに、ここで一端、これまでの自分たちをリセットして、生涯賭けてやるべきことのために「旅に出る」ことが、「人生の次のステップのための具体的な準備」と思うようになり、迷いがなくなったとき「会社を辞めて、一緒に行こう」と口にすることができました。

夫婦同時に大企業を辞め、日本と世界を巡る旅へ。世の中をつなげていくために(濱松誠さん/ライフシフト年齢36歳)

世界はこうしてできている。この目で見て、一歩進むための旅に出る

妻は、こんなときにも企画書を作成してプレゼンするというタイプの人であり、それに私のアイデアを積み上げていく。そんななかで、ぼんやりとではありますが、見えてきたコンセプトは、「世界はみんなで作る」。「世界はこうしてできている」。といったもの。世界をより良くする人、チーム、コミュニティ、モノ、場所などを直に見て、聞き、掘り下げる――。いまは未完成な部分も多いビジョンに関して、骨格と肉付けを固めていっています。

まず日本一周からはじめる理由。世界を見たいと言ったところで、日本のことを知らないようでは話にならない。私自身「ONE JAPAN」という活動をやりながら、正直、出身の京都や勤めていた大阪、今住んでいる東京のことしかわかりません。海外の人はよく日本のことを勉強していて、新しいビジネスや社会活動について聞かれることもあります。実際に、地域では、面白い活動をしている人たちがたくさんおられます。その知識ゼロでは「日本のことも知らないで」という話になってしまいます。だからまずは日本一周をして、全国の参考になる活動を訪ね、肌で感じてから、世界中の都市や地方で価値ある仕事をしている人々に会いに行こうと思います。

現時点では、たとえば、イスラエルやエストニアでテクノロジーが急速に進歩しているとか、ノルウェーの離れ小島を利用した「開放された刑務所」が社会実験として興味深いとか、いくつかの素案はありますが、具体的な目的地に関しては「動きながら、考える」ということになります。変に目的地を限定することなく、多様な見聞を深めながら、ジグソーパズルを組み立てるように「つぎの仕事」が見えてくるようにする1年間にします。

私と妻の「将来、ライフワークとしたい仕事のイメージ」。それは、さまざまな人生の困難や孤独に突き当たった人たちが、他者とのふれあいの中から、解決策や心の安定を見つけられるようなテーマパーク、もしくはコミュニティのようなもの。「One Panasonic」や「ONE JAPAN」でしてきたように「世の中をつなぐ」仕事になります。すでに妻は、自分自身が乳がんを患った経験を出発点に、患者が病気と向き合い対話もできる場所として「マギーズ東京」という施設を創設しました。将来のプランが、その延長線にあることだけは、間違いありません。ただ、その発展形態をどのように形成していくのか、まだ、全体から細部に関わるイメージとプロセスが固まっていないというのが現実です。

マギーズの全国展開、というだけでなく、認知症の方、うつ病の方など、対象を左右に広げて、より多くの人々が心の安定を得られる場をつくっていくには、どうしたらいいか。ロケーションに対する考え方はどうすればいいか・・・などなど。考えることは無限にあり、一方で「考えるため」の材料が不足しています。それを求めていくことが、今回の旅の最大の目的なのかもしれません。

たくさんの人の話を聞きたい。たくさんの人をつなげたい

「世の中をつなぐ」ということに関して、話は私がパナソニックに入社した2006年の時点にさかのぼります。入社の動機となったのは、松下幸之助創業者の経営理念やすぐれた製品力に加えて、魅力的な先輩たちに会えたことでした。この会社で働くたくさんの人の話を聞きたいという想いはどんどん強くなっていきました。いま話を聞いた人だけではなく、隣のテーブルの人の話も聞きたい。オフィスに入っていって、一人一人の話を聞きたい。でも、それは学生の立場では不可能です。「つなぐ」ことができない限定的な状況を見た。社会人としての出発点で感じたフラストレーションでした。

そして、入社してからも—-。社内には、いくつもの壁がありました。「こことここの部署間は関係がよくないので配慮しなさい」ということが語られていました。「なんでや?」「部門間に距離があるなら近づければいいやん」。私にとってはごく当たり前な発想。「One Panasonic」の出発点は、ここにあります。

夫婦同時に大企業を辞め、日本と世界を巡る旅へ。世の中をつなげていくために(濱松誠さん/ライフシフト年齢36歳)

社内横断的に若手をつなげて、会社を変えていく=「One Panasonic」を立ち上げたとき、周囲からは、応援してくれる声もあれば、その困難さを説くネガティブな意見も聞こえてきました。簡単でないのは、はじめからわかっていました。私が思ったのは、いま「One Panasonic」をはじめなければ、10年後、20年後に別の人が同様な問題意識を持ち、なぜ私たちが会社を変えなかったのか怒りを持って語るだろうということでした。10年後20年後の後輩に同じ怒りを持たせたくはない」。

私がいつも考えてきたことは「この人とこの人が離れているなら、私が間に入って近づければいい」「困難だからといって、おざなりにしたら未来の誰かに申し訳ない」。このように「離れている」人たちを「つなぐ」ことこそ、自分の価値としていきたい、この点において「One Panasonic」も「ONE JAPAN」も今回の旅立ちも、まったく同じモチベーションによるものです。

父性と母性を兼ね備えたリーダーになりたい

もう一つ、私がいつも考えていることは「父性と母性を兼ね備えたリーダーになりたい」ということです。その背景には、母が私たちにしてくれたことがあります。父が蒸発し、借金と3人の兄弟が残されました。母は結婚するまでデザイナーの仕事をしており、結婚してから専業主婦になったのですが、別れを機に調理師の資格を取り、女手一つで3人の息子を育ててくれました。子どもたちを施設に入れずに働いて育てたのは、さぞや大変だったと思います。でも、彼女はいつも私たちに、やさしく接してくれました。自分の人生を考えて、どのような人物でありたいかと考えたとき、脳裏に浮かぶのは、母のような強さとやさしさ両立できる姿です。

夫婦同時に大企業を辞め、日本と世界を巡る旅へ。世の中をつなげていくために(濱松誠さん/ライフシフト年齢36歳)

会社を辞め、「One Panasonic」や「ONE JAPAN」を中断して、新しい機会に向かって旅立つということをしてもいいのかという葛藤は確かにありました。妻からも「会社を辞めて平気なの?」と聞かれました。でも、会社には何十万人という社員がいて、私の代わりはいます。「One Panasonic」に関しては、活動を約7年続けるなかで、その活動を中核的に動かす自慢のメンバーが何人もいて、私が去っても問題はないと判断しました。一方で、「One Japan」はまだ結成2年の若い組織。私の進退については、正直、メンバーの士気に関わるかもしれない危惧はありました。でも、枠にはまらない考え方で会社や日本を変えていくという目的からすれば、代表の私が積極的に外に出て、日本全国や海外の人々との橋渡しをしていくことは、ONE JAPAN本来のあり方につながり、イノベーションの観点からは、今以上にONE JAPANの活動を加速させるのではないかと思えるようになりました。

夫婦同時に大企業を辞め、日本と世界を巡る旅へ。世の中をつなげていくために(濱松誠さん/ライフシフト年齢36歳)

いままで大企業に勤めてきた二人が同時に収入を失うことは、大変なことだと思います。しかし、ありがたいことに、この計画を公開してから、記事連載のお話なんかもいただいています。本当に困ったら、クラウドファンディングのような形で必要な資金を得ることも可能です。できるか、できないかに頭を悩ましているよりも「とにかくやってみる」「どんなことからも学んでいく」そして「一度手にしたものを捨てる勇気を持つ」「また自分の知らないところに飛び込む」、その最適の機会がここにあります。

人生100年時代について—-。
いま私が思うのは、大切な人と過ごす年月は長い方がいいということ。そして、死ぬことがいちばん恐ろしい。死んでしまったら、何もすることができないから。だからと言って、失敗のリスクばかりを恐れていては、何もはじめることはできません。大切な人と価値ある事業をはじめるという機会を逃してしまうことの方が、私の人生にとって、より大きなリスクだと思います。だからこそ、振り向くことなく、大切な人と後悔のない人生を送るために、世界を見に行く旅に出かけることにしました。行ってきます!