「暮らすように旅する」じぶん旅プランナーとして、オーダーメイドな旅を企画している田辺一宏さん。60歳で機械メーカーを定年退職し、起業しました。コロナ禍で旅行業は大打撃を受けましたが、新たに福祉事業をスタート。旅行業も福祉事業もまったくの未経験から始めましたが、黒字経営を続けています。田辺さんがなぜ未経験の分野で起業し、どうやって事業を軌道に乗せたのか、なぜ2つめの福祉事業を始めたのか理由をうかがいました。

PROFILE

田辺一宏さん(NO.114/「暮らすように旅する」じぶん旅プランナー)

■1954年生まれ、福岡県出身。九州大学経済学部卒業。在学中に1年間休学して、欧州・アジアをバックパッカー旅行する。1978年に商工中金(政府系金融機関)入社。主に融資、国際業務に従事。ニューヨークにも1年滞在する。1998年理想科学工業株式会社に転籍。主に海外営業本部で、海外への高速印刷機の拡販、海外子会社の設立・管理に従事。2014年4月に定年退職し、同12月に千葉県知事登録旅行業を開業。総合旅行業務取扱管理者、総合旅程管理主任者、英検1級、公認内部監査人の資格を持つ。2020年9月に障がい者グループホームを開設し、福祉事業もスタート。https://tripplanners.jp/

■家族:妻、長男、次男、長女

■座右の銘:今日を生きる

バックパックの旅を経て、就職は金融機関へ

60歳で会社を退職し、暮らすように旅する「じぶん旅プランナー」として、海外滞在型旅行を企画する会社を始めて10年になります。それまで旅とはまったく関係がない仕事に就いており、トラベルプランナーとして起業するなんて考えたこともありませんでした。しかし、58歳のときに通い始めた起業塾で自分のやりたいことを掘り下げるワークがあり、昔から旅が大好きだったことを思い出したのです。

私の旅好きは大学時代からスタートしました。高校を卒業後、浪人しているときに海外バックパッカーの本に出会い、「大学に入ったら英会話を学んで、旅行費用を貯めよう」と決意しました。

英会話習得のためNHKラジオ英会話を聴き、ESSクラブに入り、いろいろなバイトをして、片道の航空運賃と滞在費用を貯めました。そして大学2年終了時に1年間休学して西欧、北欧、東欧、中近東、アジアの20ヶ国を巡りました。スウエーデン、ポーランド、インドでは2~3か月滞在し、現地でバイトをして、その後の旅行資金を稼ぎました。宗教や文化の違いを肌で感じ、トラブルもありましたが、出会った人たちの人情にも助けられました。

バックパッカー時代。世界中の旅の仲間とともに。

本当にかけがえのない体験ができましたが、旅行業に就職しようとは思いませんでした。会社の仕組みや経営について知りたいと考えていたので、いろんな業種と取引がある銀行を就職先に選びました。商工中金に入社し、主に融資、国際業務に従事しました。会社員時代も趣味として旅はしており、アメリカの銀行での研修のため、約1年間、New Yorkに住んでいたこともあります。

商工中金で新入社員のとき(前列左)。

定年退職を決意するも、やりたいことがわからず起業塾へ

44歳のときに先輩からの誘いで、機械メーカーの理想科学工業に転職しました。海外への市場展開などやりがいのある仕事でしたが、年齢とともに第一線からは退いていくことになります。役職定年で、57歳の時に部長から課長へ、59歳の時に課長から平社員の法務スタッフになりました。定年後は65歳まで嘱託雇用の道がありましたが、給与は大幅に下がります。法務関係の仕事に面白みを感じることもできず、このまま65歳まで働くより、自分が楽しいと思える仕事がしたいと考え、起業塾に通い始めたのが58歳のときです。

理想科学工業の展示会で。

60歳で会社を辞めようと決めたものの、最初は何で起業したらいいのかまったくわかりませんでした。英語が得意だったので、英会話の先生になることを漠然と考えていましたが、起業塾で自分の人生を掘り下げるワークがあり、できることで起業するのではなく、ワクワクすることで起業すべきだと学びました。

ワークでは、記憶に残っている楽しかったことや、自分の人生を変えたことなどをじっくり思い出していきました。すると60年近い人生の中でやっぱり一番ワクワクして楽しかったのは、学生時代のバックパッカー旅行だと気づいたのです。

英会話を教える仕事についても考えましたが、英語は好きでも、教えることは好きでないことにも気づきました。旅行業であれば、英語力を活かしつつ、自分も楽しみながら働けます。旅行業をすると考えたら、ワクワクしてきたので「これだ!」と心が決まりました。もしこのとき英会話の先生として起業していたら、ワクワクする気持ちが足りず、きっと辞めていたに違いありません。

「やりたいことが見つからない」という人も多いと思いますが、長い人生を振り返ってみると、自分がすごく楽しかったこと、ワクワクしたことが絶対にあるはずです。私も旅行業をすると決めるまではモヤモヤしていましたが、決まったら楽しい気持ちが強くなってきて、起業の準備に邁進しました。

一方、会社を辞めることで家計面での心配もありました。子ども3人のうち2人はまだ大学生で学費が必要です。しかし、いざとなれば60歳から年金をもらうこともできましたし、65歳までモチベーションが低下したまま働くのはイヤだったのです。

家族からの反対はありませんでした。じつは最初の妻は乳がんで53歳で亡くなっています。その後、ちょうど起業しようという思ったときに、今の妻と出会って再婚したのです。今の妻は高校の教師をしていて、その後、福祉の仕事を始めたので、私が起業することも応援してくれました。旅行業をすることで「一緒に海外旅行に行ける」と喜んでいたところもあります(笑)。

会社は円満に辞めることができ、今でも当時の同僚たちとは付き合いがあることをありがたく思っています。

集客に苦労し、営業を任せられる人とタッグを組む

2014年4月末に定年退職し、同年12月3日に旅行業を開業しました。旅行業といっても、店舗は構えず、自宅でネットを通じて集客するスタイルでしたので、家賃などの固定費はかかりません。

ただし、会社を設立して旅行業を始める場合には、基準資産額(300万円以上)+保証金(300万円以上)の金額以上を資本金としなければなりません。保証金は、旅行会社が倒産した際にお客様に旅行代金を返すための制度に必要で、廃業した場合には戻ってきます。そのため、最低600万円は起業するのに必要でした。また、旅行業は5年ごとに更新手続きが必要で、更新のためには、基準資産額以上の自己資本が要求されるため、このお金がキープできないと廃業することになります。

在職中から起業の準備を始めましたが、旅行業の会社としてやっていくには、やらなければならないことがたくさんあることがわかり、結構大変でした。

旅行業に登録するには、国内旅行業務取扱管理者、海外旅行も取り扱う場合には総合旅行業務取扱管理者が事業所に必要です。試験は11月の年1回で総合旅行業務取扱管理者の場合、全科目受験の合格率は15%前後でした。試験勉強のための時間も必要なので、慌てて会社を辞めて、半年後の試験に備えました。とくにJRの切符の仕組みが複雑で覚えるのが大変でしたが、必死に勉強してなんとか1回で合格でき、予定通り開業することができました。

弊社がお客様から選ばれるためには、大手旅行会社ではできない旅行を提案しなければなりません。そこでツアーではない「じぶん旅(滞在型海外旅行)」の楽しさを多くの方と共有できる、「暮らすように旅する」を弊社のコンセプトに掲げました。海外でホテルではなく、マンションや戸建てを借りて、暮らすように旅する滞在です。

しかし、当初はお客様が集まらず、集客の難しさを実感しました。ネットで「暮らすように旅する」と検索すると、大手の旅行会社が最初に出てきますし、弊社をすぐに見つけてもらえるわけではありません。妻と一緒に近所でチラシを配ったこともありますが、効果はゼロでした。

その後、次第にお客様が増えてきたのは、「暮らすような旅」カフェ会・交流会を開催したことが大きかったです。旅の情報交換、旅好きの友達の輪を作ることを目的にしており、弊社の少人数旅行参加者には、出発前からの交流スタートとして活用していただいています。

イタリア南部・アルベロベッロのトゥルッリで妻と。

また、旅行業の関係団体に入って知り合った方からご紹介で、タッグを組んで仕事をするようになったのも大きかったです。すでにお客さんがついている営業が好きな方を紹介してもらい、私が旅行を企画するという形を取りました。海外ではなく国内旅行ですが、お客様のリクエストに沿った旅を企画して、アテンドしています。さらに大学時代の友人の紹介で、海外の研修旅行の引率を行うなど、少しずつお客様が増えていったのです。

大きな収益が期待できなくても、一緒に旅を楽しめる

メインの企画である「暮らすように旅する」では、これまで、フランス、イタリア、ウィーン、バルト三国、ベトナム、台湾などさまざまな国を旅してきました。シニアのお客様が多いので、クラシックやオペラ、バレエなどのチケット、有名レストランの予約などを頼まれることも多いです。

宿は民泊で、ホテルと違ってインテリアなどにも特徴があり、その国の文化を感じることができます。一緒にスーパーに行って買い物をして、朝食を作って食べることもあります。下見をしていなくても、今はグーグルマップが現地で使えますし、レンタカーもナビがついているのでほとんど困ることがありません。

「暮らすように旅する」企画で行った、宿泊できるフランス・マルセー城。

ただ、「暮らすように旅する」は少人数の旅ですし、収益が上がる企画ではありません。現地の空港で待ち合わせして、ご案内が終わった後、私がそのまま別の場所をふらりと旅することもあります。お客様と一緒に旅を楽しんだり、ついでに行きたいところへ移動できるので、収益にはこだわりすぎないようにしています。

特に今年は円安と現地の物価高、航空料金の高騰で、海外旅行の費用が以前の1.5倍ぐらいになっていて、なかなか厳しい状況です。「暮らすように旅する」が弊社のメイン企画ではありますが、お客様からの依頼を受けて企画旅行や手配旅行、介護旅行などのほうが収益は大きくなっています。

起業してすごく儲かっているということはありませんが、会社員時代と違って、自分ひとりでなんでも決められるのはとてもラクで、ストレスは少なくなりました。

コロナ禍で福祉事業をスタート。3つの収入源が心強い

旅行業が安定し始めた矢先の2020年、新型コロナウイルスの蔓延によって、予定していた旅行がすべて中止になりました。キャンセルの手続きが大変でしたが、お客様には代金を全額返金することができてよかったです。しかし、当然ながら仕事はゼロになってしまい、先行きが見えない状況でしたので、途方にくれました。

その頃、妻は認知症のお年寄りや障がいのある方の法定後見人を始めていて、住まいが求められていることを知りました。国からの持続化補助金を受け取ることができたので、そのお金で障がい者グループホームの運営を行って、障がいのある方たちをサポートしようと妻と決めました。旅行業に加えて、福祉事業を始めることにしたのです。

まずは中古住宅を購入し、そこに障がい者3~4人が入居し、職員3人を雇ってサポートします。私と妻は日曜日のランチタイムにうかがって、一緒にごはんを食べたり、買い物に行ったりして、コミュニケーションをとっています。事務作業は細々とありますが、決まった時間を拘束される仕事ではないので、旅行業と一緒にやっていけるのです。

福祉の仕事は本当に知らなかったので、すごく新しい世界でした。サポートしながら収入が得られ、入居者とも付き合いがあります。ビジネスではありますが、自分の経験も広がりました。 コロナ禍は大変でしたが、結果的に会社が二つになったことは良かったと思います。

2つ目の事業を始めると、「年金があるのだから新しい事業を始めなくてもいいのでは?」と思われる方もいます。しかし、やはり年金プラスαの事業収入があったほうが気持ちがラクですし、人生に張り合いが出てきます。年金は固定金額で、旅行業・福祉事業は変動しますが、収入源が3つあることは心強いのです。

とくに福祉事業のほうは気軽にやめられる仕事ではありませんが、「いつでも引き受けますよ」と言ってくださるところがあり、我々が将来的にできなくなったときにも入居者の方を路頭に迷わすことはありません。

長期滞在旅行は新しい気づきのチャンス

「よく何歳まで働きますか?」と聞かれますが、いつ病気になるかわからないですし、こればかりは自分では決められません。先輩方を見ている80歳になるまでのあと10年は頑張りたいと思っていますが、その先のことはわからないですね。座右の銘は「今日を生きる」で、年齢を重ねるにしたがって、今日がすべてという感じが強くなりました。

一方で「いくつになっても社会と関わりを持って生きていきたい」という思いがあります。自宅のある地域だけのつながりだと非常に範囲が狭くなります。会社員をしていると地域に馴染みがなく、定年後、いきなり地域に入って活躍しようと思っても簡単ではありません。それなら、地域での活動よりも、自分が好きなことで、起業したり、ボランティアなどをするのがよいと思います。社会との繋がりを持つことが、心身の老化防止にもなると考えています。

旅行業や福祉事業を通じて、いろんな人との出会いがあり、新しい仕事に結びつくことも少なくありません。いくつになっても仕事を持てば、社会とのつながりが自然とできていくというメリットがあります。

伊能忠敬は、50歳からの第2に人生で天文学という好きなことに邁進して、日本地図を完成させ、社会に多大な恩恵をもたらしています。第2の人生も伊能忠敬のように精一杯生きたいと思います。

旅行業のほうでは、11月はヨルダン、来年1月はエジプトに行く予定です。「この指とまれ」ではないですが、行きたい人は一緒に少人数で行きましょうというスタイルです。ご興味がある方がいらっしゃれば、ぜひホームページを見ていただき、一緒に「暮らすような旅」をしましょう。

やりたいことが見つからない方、第2の人生をどうするか迷っている方にも長期の滞在型海外旅行はおすすめです。文化の違いという大きな視点と、今までの人生や暮らしを振り返る個人としての視点とを同時に持つことができ、思いがけない新しい気づきのチャンスがより多く訪れるはずです。

(取材・文/垣内 栄)

*ライフシフト・ジャパンは、数多くのライフシフターのインタビューを通じて紡ぎだした「ライフシフトの法則」をフレームワークとして、一人ひとりが「100年ライフ」をポジティブに捉え、自分らしさを生かし、ワクワク楽しく生きていくためのワークショップ「LIFE SHIFT JOURNEY」(ライフシフト・ジャーニー)を提供しています。詳細はこちらをご覧ください。