PROFILE

土田麻衣さん(No.92)/株式会社公文教育研究会

■1985年生まれ、岐阜県出身。2009年、旧大阪外国語大学外国語学部インドネシア学科卒業後、株式会社公文教育研究会入社。西宮事務局で公文式教室のコンサルティング業務を担当する。2015年2月に長女、2017年6月に長男を出産。5年間の育児休暇中より、関西の育休ママのための勉強会「ぷちでガチ!子連れMBA」に参加。2017年に取得したアドラー心理学講師の知識を生かし、地元のママたちのコミュニティ作りにも携わる。2020年5月に職場復帰後は、大阪本社で公文式指導者の募集を中心とした企画業務を担当。2019年10月よりグロービス経営大学院英語MBAプログラムで学ぶほか、2020年4月「ぷちでガチ!子連れMBA」でオンラインの読書会を立ち上げるなど社外活動も継続的に行っている。

■家族:夫、長女(5歳)、長男(3歳)

■座右の銘:「見たいと思う世界の変化にあなた自身がなりなさい」(マハトマ・ガンジー)

 

出産したら、なるべく早く職場復帰したいと思っていた

大学ではインドネシア語を専攻する一方、中学・高校国語の教員免許も取得。卒業後は、独自の教育法を強みに世界各国に展開していることに魅力を感じて、株式会社公文教育研究会に入社しました。教師の道も考えましたが、まずは広く社会を見たいと思ったんです。

入社後は兵庫県の西宮事務局に配属され、フランチャイズ経営の公文式教室の立ち上げ時から運営をサポートするコンサルティング職を担当しました。教室を発展させるための戦略を考え、生徒募集の広告をポスティングするといった地道なことも積み重ねながら、先生と一緒に実践していく仕事です。どの教室の先生も私よりも経験の豊富な方ばかり。一方、私には公文式を学習した経験も、経営に関する知識もなかったので、とにかく自分にできることを一生懸命やりました。

西宮事務局時代の同僚と。同僚や同期とは育児休暇中も折にふれて連絡を取り合っていた。

担当した教室は多い時で50教室ほど。ものすごく忙しい日々でした。今思えば、いっぱいいっぱいでしたね。それでも、先生方と二人三脚で教室を作っていく仕事はやりがいがあり、大好きでした。だから、長女の妊娠がわかった時は、喜びとともに強い寂しさを感じ、産休に入った時点では、できるだけ早く職場に戻りたいと思っていました。

「じっくりと子どもに向き合い、一緒に成長したい」と育児休暇を延長

ところが、娘の出産後、目の前の子どもの存在が私を変えていきました。慣れない育児に追われながらも、子どもはやはり可愛いし、子どもとの生活は楽しい。また、娘の成長を間近で見ることを親としてだけでなく、教育の仕事に携わってきた視点から「面白い」と感じました。

そんな日々を過ごすうち、「じっくりと子どもに向き合い、一緒に成長していきたい」という気持ちが高まり、育児休暇を延長しました。「公文」には、育児休暇を1回に限って延長でき、出産から最長3年間取得できる制度があり、使わせてもらうことにしたんです。2017年5月の長男出産後も3年間育休を取り、結果的に、私は長女の出産から約5年間職場から離れることになります。

長期間キャリアを中断することに、迷いもありました。同じ職種に1年以上の育児休暇を取得した前例がなく、勇気の要る決断でもありました。背中を押したのは、「仕事は代わりがいる。子育てはあなたしかいないのよ」という母の言葉です。頑張ってきた仕事に「代わりがいる」と言われたのは悔しくもありましたが、反論する根拠はありませんでしたし、当時の私には「幼い子どもとできるだけ一緒に過ごしたい」という思いとキャリアの継続を両立する術がほかにありませんでした。

キャリアに対する私自身の捉え方の変化も、選択に影響したと思います。出産を機に仕事から離れ、ふと入社以来走り続けた5年間を振り返ってみると、アウトプットばかりでインプットの余裕がなく、自分の中がすっかり空っぽになっていたことに気づきました。

だから、長くキャリアを継続していくためにも、一度充電期間があるのはいいことかもしれない、と考えたんです。教育業界で仕事をするひとりとして、「この瞬間にしかない、幼少期の子どものめまぐるしい成長をつぶさに見ることによって、教育のエキスパートになろう」というような思いもありました。

長女が1歳になったころ。長女とは幼稚園入園前の3年間自宅で一緒に過ごした。

育休ママが立ち上げたコミュニティ「ぷちガチ」との出合い

ただ、気持ちの揺れは常にあり、社会とのつながりが薄れていくことへの漠然とした不安や寂しさも感じていました。そんなときに新聞記事で知ったのが、育休ママたちが子連れでビジネスを学べる勉強会「ぷちでガチ子連れMBA(以下「ぷちガチ」)」です。

「ぷちガチ」(「一般社団法人ぷちでガチ」として2017年に法人化)は関西の育休ママたち数人が自分たちの「学び合いの場」として作ったコミュニティで、当時は立ち上げから半年ほどでした。育休ママたちのこうした取り組みはそのころ関西ではほとんどなく、「これはチャンス!」と1歳の誕生日を迎えたばかりの娘を連れて勉強会に参加しました。

その時に、ママ同士で仕事の話ができたり、自分の知らないことを学べることをすごく楽しいな、と感じたんですね。しかも、子どもを連れて行けるというのが素晴らしいな、と。何度か参加するうち、創立メンバーから「職場復帰を間近に控えているけれど、せっかくだから継続していきたい」という思いを聞き、「手伝わせてください」と運営に参加するようになりました。

始めてみると思いのほか忙しく、「育休中なのに、育児以外のことに時間を使っていていいのかな」とジレンマもありました。でも、まだ新しい組織で、一つひとつの物事をみんなで相談しながら進めていくのはとにかく楽しく、無我夢中でした。

子育てに「正解」はないとわかり、以前よりラクになった

「ぷちガチ」の運営は、長男出産までの約1年間お手伝いしました。その後も会員として参加し続けており、「ぷちガチ」との出合いは、私の人生を変えたと感じています。他業種のママと話し、仕事やキャリアについて視野が広がったのも貴重な経験でしたが、私にとって衝撃的だったのは、子育ての考え方、あり方は多様だと知ったことです。

私は母の考え方にかなり影響を受けていましたし、教育業界でさまざまな子どもたちを見てきたことから、子育てに対して「こうあるべき」「こうしたい」「こうしたら、こうなるはず」という思いがたくさんありました。ひとつの「正解」にたどり着かなければ、という感覚があったんです。長女が赤ちゃんのころはとくにその傾向が強かった気がします。

ところが、運営事務局で一緒に活動していたママたちは二人目や三人目のママが多かったこともあって、「子どもって、少しくらい転んでも大丈夫なのかも」という発見が(笑)。それでも、最初は「やっぱり、こうしなければ」と頑なだったのですが、みんなと過ごすうちに「子育てに正解はない」とわかり、何をするにしても、以前よりもラクになりました。

「ぷちガチ」の運営を同時期に手伝っていた仲間と。

挑戦する人たちに囲まれるうち、少しずつ新しい一歩を踏み出すように

「ぷちガチ」には新しいことに挑戦するママたちが多く、起業や複業、転職といった仕事関連のチャレンジだけでなく、何かを学んだり、趣味を楽しむなど、それぞれが好きなことを全力でやっていました。最初はその姿を傍で見ているだけだったのですが、挑戦する人たちに囲まれるうち、私も少しずつ新しい一歩を踏み出すようになりました。

そのひとつが、長男出産後に学び始めたアドラー心理学の勉強会を通した、地域のコミュニティ作りです。アドラー心理学にはかねて関心があり、2年間学んで、講師の資格を取りました。以前の私なら、「子育てにも役立つし、学んで良かった」と満足して終わっていたと思いますが、「ぷちガチ」でコミュニティの運営に携わり、みんなで学び合う場の良さを感じていたことからそれまでの自分にはない発想が生まれました。

私を含め、地元のママには出身地から離れて暮らしていて親族に頼れなかったり、夫の仕事が忙しくて子育てに苦労している人たちが多いと感じていました。そこで、「学んだ知識をシェアすることで、地域で協力し合って子育てをできるようなコミュニティを作れないかな」と考え、ママ友に声をかけて子育ての相談をしたり、子どもたちを遊ばせたりしながら、勉強会のようなものを始めたんです。

最初は自宅でやっていたのですが、参加者が増えて地元のコミュニティーセンターに場を移し、コロナ禍と私の職場復帰で会をお休みするまで、隔週で平日に1日と、月1回日曜日に開催するペースで1年ほど続けました。多くの方に喜んでもらえてうれしかったですし、私自身もママ友が増えてさまざまな場面で助けてもらえたり、情報交換ができたりといいことづくし。地域が自分にとって暮らしやすい場所になっていきました。

アドラー心理学の勉強会の様子。自宅で開催していたころ。

あらゆる幼児教育に手を出した果てに、気づいたこと

次に踏み出した一歩は、MBA取得を目指し、社会人大学院で学ぶことです。もともと私は「MBA」が何の略かも知らず、「ぷちガチ」でMBA科目関連の講座を受けるようになってからも、大学院の費用まで出して学ぶ必要性は感じていませんでした。社会人大学院で学ぶことを決めたのは、職場復帰を視野に入れ、今後どう仕事をしたいかを考えた結果です。

子育てでもそうであったように、仕事においても、かつての私は「正解探し」をしていました。そのことに気づかせてくれたのも「ぷちガチ」でした。もともと私には「自分の意見を言う」という感覚があるようでなく、会社の会議でも場を読むことに意識が向きがちでしたが、「ぷちガチ」の話し合いや議論では、ママたちが思いついたことや、疑問を自由に口にしていていました。そうした場で、自分の「常識」が壊されていったんです。

育休に入る前の私は会社でも「正解」を探し、その「正解」に違和感を抱くことがあっても、ひたすら前を向いて走り続けてきました。でも、これから先仕事を続けていくには、ビジネスの根本を学んで違和感の正体をつかみ、既存のやり方を否定するだけでなく、きちんと新しいことを提案できる力をつけたい。そのために、ほかの学生の多様なものの見方、考え方にも触れられる「社会人大学院」という場で、一度体系的にMBA科目を学んでみよう、と思い至りました。

大学院は、子育て中でも学び続けやすいよう平日夜と土日に授業のあるオンラインのクラスを選びました。また、この機会に英語力をレベルアップしたいとインターナショナルコースで学ぶことを決め、その準備として半年間毎日オンライン英会話を続けて、2019年10月に入学しました。

正直なところ、大学院の1年目はしんどかったです。英語力が足りないために授業を理解しきれず、追いつくために子どもたちを20時に寝かせた後や早朝にひたすら勉強。入学して1年たってようやく、授業を「面白い」と感じられるようになりました。

子どもたちにとって、物心ついてからの私は「いつも勉強しているお母さん」かもしれません。長女が生まれたころの私なら、あり得なかったことです。自分が学ぶ時間とお金があるなら、育児に力を注ぐのが「常識」だと考えていました。マーケティングの勉強を兼ねて、あらゆる幼児教育の教材を試してみた時期もあります。長女はたまたまインプットへの反応が早かったこともあって、当時の私は自分のやっていることを正しいと思い込んでいました。

でも、長男が生まれ、子どもの個性や人格はそれぞれで、ひとつのやり方を親が押しつけてはいけないと気づかされました。また、子どもがふたりになって日々を送るだけでいっぱいいっぱいの状態になったことによって、自分に足りないものがたくさんあることを思い知らされました。

「子どものころに出会いたかった大人に、私はなれているだろうか」と自問した時に、それすら胸を張れない自分が娘や息子に「夢を持て」とは言えない。だから、まずは自分がそういう大人になるために、私自身が学ぼうと考え、挑戦が「常識」の「ぷちガチ」のおかげで加速度もついて、思いを行動に移すようになったんです。

長女3歳の七五三で写真スタジオにて。長男は1歳。

職場復帰後、以前にも増して仕事を楽しいと思えている自分がいる

育児休暇を終え、職場復帰したのは2020年5月。本社に配属され、公文式の指導者募集の企画を担う部署のメンバーとして会社員生活を再スタートさせました。5年間のブランクを経ての復帰。子どもたちは大きくなったとはいえまだ5歳と3歳で、大学院も在学中で、「ぷちガチ」では「読書部」を立ち上げたばかり。職場復帰前は果たして何足ものわらじを履けるのかと不安でしたが、やってみると何とかなるものです(笑)。

最初は時短勤務制度を利用していましたが、ペースがつかめたので、復帰半年目からフルタイムで働いています。夫は長男が生まれる少し前から会社の中でも忙しい部署に所属していて、平日は早朝に出かけ、夜遅く帰宅することが多いのですが、出来る限りの家事を担い、休日は家族との時間を何より大切にしてくれています。夫の協力がなければ、今の生活は成り立たないと思いますね。

職場復帰して気づいたのは、以前にも増して仕事を楽しいと思えている自分がいること。もともと仕事は大好きでしたが、さらに楽しいのは、育児休暇の5年間で軸足を置ける場所が複数できたからだと思っています。

子どもとの生活が始まるまでの私には、家庭以外に会社しかそういう場所がありませんでした。でも、今は「ぷちガチ」や大学院もあるし、地域のママたちとのつながりもある。軸足を置ける場所が複数あると、ひとつの場所でうまくいかないことがあっても、別の場所に答えを探しに行けるので、心にゆとりが生まれ、仕事の楽しさをしっかり味わえるようになりました。

子どもとの出会いで知った「不自由さ」が、私を成長させた

現在は、2021年2月に新たに設立された公文式指導者のブランドを強化していくチームで仕事をしています。以前からやりたかったことを形にできる、まさに私の希望通りの部署です。復帰後、機会があるごとに自分の想いを周りに伝えていたことが功を奏し、拾ってもらえたのかなと思っています。

担当のプロジェクトでは、育休中に得た視野や大学院で学んだ考え方も思いっきり生かすことができ、いよいよこれからという時に、3人目の子どもの妊娠がわかりました。予想外のことで、今はまだ心の葛藤があります。本音を言えば、せっかく走り出したプロジェクトから離れることが悔しい、というのが最初に心に浮かんだ気持ちでした。

でも、「人生100年」の時代、長いスパンで考えれば、予想外のことも起きるのが人生なのかなと思ったりもしています。長女の妊娠がわかった時も仕事を離れるのがあんなに寂しかったけれど、子どもとの出会いが私の価値観を大きく変えました。

長女を妊娠するまでの私は、環境に恵まれたおかげで自分のやりたいことをやりたいようにやって生きてきました。ところが、妊娠したら、つわりはいつ始まっていつおさまるかわからないし、子どもが生まれてきたら、自分では思い通りにならないことばかり。そんな状況に身を置いて初めて、他者のことを配慮したり、しんどい思いをしている人たちに気持ちが及ぶようになりました。

自分のことばかりで余裕がなかった私を成長させたのは、子どもとの出会い。不自由させてくれてありがとう、という感じです(笑)。「ぷちガチ」や地域の仲間たちとの出会い、MBAやアドラー心理学での学び、そして仕事の充実も、子どもとの出会いの先にありました。お腹にいる子との出会いによって広がる世界もきっとあるでしょう。だから、今は前を向いて、この子が生まれてくるまで、職場で自分のできることに全力を尽くしたいと思っています。

(取材・文/泉彩子)