PROFILE

石坂大輔さん(No.76)/小石屋旅館代表、株式会社ヤドロク代表取締役社長

■1980年、東京生まれの埼玉育ち。明治大学商学部卒業。International University of Monaco修士課程修了。MSc in Finance(金融における理学修士号)を取得。大学を卒業後証券会社に入社して7年間トレーダーとして働いたのちに、30歳でモナコに留学して富裕者のためのファイナンスを学び学位を取得する。修士課程の一部として職業体験のために星野リゾートに入社。長野県のホテルに配属されて北アルプスの自然の美しさを知る。いったん大手証券会社に再就職した後に、34歳のときに競売物件だった長野県渋温泉の老舗旅館「小石屋旅館」を購入。外国人旅行者向けの宿泊施設として改装し、もともとは不動産購入のため2006年に設立した株式会社ヤドロクで運営を開始する。山ノ内町の認知度アップのためのインターンシップ制度を創設して事務局もつとめる。
■家族:損害保険代理店に勤務する妻と3人の子ども(6歳、3歳、0歳)がいる。家族はいまも東京住まい。
■座右の銘:やりたいことをやりたいようにやるのが、いちばん力を引き出せる。
小石屋旅館ホームページ

 

高校時代にバックパック旅行を経験。旅行の魅力にとりつかれる

旅と金融、二つのキーワードの間を行ったり来たり。人に恵まれいろいろと教えていただきながら、やりたいことをやりたいようにやってきました。

母親が英語に堪能で家庭教師の仕事をしていました。そのせいか子どものころから海外に興味はありました。中学二年生のときに住んでいた街の姉妹都市との交流メンバーに選ばれてオーストラリアへはじめての海外旅行。高校時代には沢木耕太郎の「深夜特急」にあこがれてふたたびオーストラリアにバックパッカーの貧乏旅行をしてみました。そのころから「旅」が私のテーマになっていた気がしています。

一方の「金融」に興味をもったのも読書の産物。高校のころに清水一行の経済小説を読んでいるうちに「株のトレーダーだってすごいな」と思うようになりました。高校2年のときにはインターネットでバーチャル株の投資ゲームに参加して1万人の参加者のなかから月間2位になり商品券をもらったのがうれしくて、証券会社の口座を開いたりもしました。

ホテルの客室係のアルバイトをして「ありがとう」と言ってもらえる感動を知る

大学は商学部の産業経営学科に進みましたが、相変わらず旅と金融を両立した生活が続きます。最初のアルバイトは新宿のホテルセンチュリーハイアットで客室係。あるときインターネットが接続できずに困っている外国からのお客様のために設定してあげたら大変に感謝をされて「人によろこんでもらえる感動」「ありがとうと言ってもらえるうれしさ」がわかった気がしました。大学3年目には1年休学してヨーロッパ3ヵ月、アジア3ヵ月の貧乏旅行をしました。まだまだ英語はネイティブにほど遠い会話力でしたが、旅行しているうちにブロークンな英語で話す恐怖感がなくなり物おじせずに動けるようになっていきました。

私が大学を卒業した2004年は就職氷河期の真っ最中。なかなか希望どおりの就職をするのはむずかしい時代でした。「将来は宿屋の親父になりたい」といった漠然模糊とした希望はありましたが、そのためにはまずお金が必要だろう。金融業界ならまとまったお金を稼げるし、最終的には旅行業界にいくにしてもその前にほかの世界を見ておくのもいい経験になるのではないかと考えて小さな証券会社への就職を選択しました。

明日をも知れないトレーダーの生活で気合いと根性を獲得

その会社はちょっと変わっていました。営業活動を行わず社員トレーダーによるディーリングだけで利益を上げていくモデル。トレーダーは売り買いについて何も指示されず自身の裁量で売り買いできます。利益が上がれば高額の給与がもらえ損失を出したら会社にいられなくなる、きわめてわかりやすい世界でした。

入社して最初はなかなか成果が出ませんでした。損失が続き会社にもいづらくなり転職エージェントに相談するほどに悩んだ時期もありました。ある転職エージェントでコンサルタントから「こんな小さな会社で働いているんですか?」と蔑む言葉を投げられたとき、自分のなかに何か火がつきました。いまはまだ「この経験では紹介できる転職先もない」立場。一回も勝負せずに退場するのは嫌だ。転職しないでがんばる気持ちになれました。

おもしろいものです。この経験を契機として利益が上がるようになりました。成功の理由は気合いと根性。「損をしたらどうしよう」と思って消極的になっていると必ず損をします。自分でリスクをとって勝負できれば利益の額も大きくなる、それがディーリングの世界です。給料もぐんぐん増えました。いちばん多かったときの年収は4000万円。最初に買ったクルマはBMWのオープンカーでした。あのお金は一体どこに消えていってしまったのか?!(笑)

一つよかったと思うのは、海外の一流リゾートで遊んだ経験でした。一晩十万円もする高級ホテルにも宿泊しました。学生時代の貧乏旅行とお金を使ったぜいたく旅行と、両方を見てきた経験は現在にも役立っています。

ディーリングは激しい世界です。瞬間的に何百万円もの利益や損失が出ます。うまくいかないときには怒号をあげてパソコンのディスクプレイを殴っていました。「ありがとう」と言われるためにつくすのも私、パソコンのディスプレイを殴っているのも私、両極端が好きな自分はけっして矛盾しているわけではありません。むしろ両方の世界に適応できる希有な存在だと思うようにしています。

狭くて深いトレーダーから広い世界を知りたくて留学

トレーダーとして7年。仕事に不満はありませんでしたが、感じていたのはトレーダーの世界がきわめて狭くて広がりに乏しいという事実でした。もっと違った分野で広範な知識を手に入れたくなりました。30歳で会社を辞めてモナコにあるInternational University of Monacoに留学する決心をしました。学んだのはウェルスマネジメント。世界の富裕者に対する金融サービスをどのように行っていくかがテーマです。各国の税制の研究やお金持ちが集まる国の制度の分析。プライベートバンキング、ユニークな金融製品としてのワインやビンテージカー・・・など。いままでは見聞きできなかった貴重な知識が身に付きました。

競売で見つけた300万円台の老舗旅館に「運命」を感じて落札。証券トレーダーから転身し、長野と東京の二拠点生活へ(石坂大輔さん/ライフシフト年齢34歳)

学位取得のためのカリキュラムは2年間ですが、後半の1年間は「世界中のどんな会社でもいいからインターンをして学んだ知識を生かす」ことになっていました。ちょうどその年、2012年は世界的に景気が悪く雇用がなく、アジア人がヨーロッパで職をさがすのが困難な時期でした。それならば!と発想を変えてみました。「宿屋の親父になりたい」目標をなくしてわけでもなく、だったら当時ぐんぐん伸びていた星野リゾートに入って、そのノウハウを勉強しにいこうと考えました。

ホテル勤務でオペレーションを学ぶ。通勤中に北アルプスの景色に感動する

星野リゾートで出会ったのはモチベーション高く効率的なマルチタスクに対応している人々でした。その理由はなによりも「自分で判断できる」職場環境にあったと思います。職場のなかに地位に関する概念がなく、一つの職場には支配人と一般社員しかいない。上からやれと言われて動くのではなく、自分で考えて決めていい場所で旅館のオペレーションを学ばせていただきました。

勤務地はどこでもいいと言ったら配属されたのは長野県大町市のホテル。ホテルまで車で10分ぐらいのところにアパートを借りて移住しました。初通勤で見えてきたのは雪の北アルプスの風景でした。感動しました。東京のど真ん中で働き、通勤といえば満員電車でぎゅうぎゅうになる生活を送っていたので、「なんてこったい、これは通勤じゃなくってドライブじゃないか」と。それが私と長野県の出会いになりました。

競売で見つけた300万円台の老舗旅館に「運命」を感じて落札。証券トレーダーから転身し、長野と東京の二拠点生活へ(石坂大輔さん/ライフシフト年齢34歳)

実は、それまで私は徹底的に海派の人間でした。レジャーで行くのは日本も海外も島ばかり。離島に行ったり島の不動産を買ったりしていました。「山もいいじゃないか」と思ったあの瞬間がなかったら、私はいまここにはいないでしょう。

収入のためにディーラーに戻る。そこで見つけた300万円台の競売物件

星野リゾートには1年半ほどお世話になりました。そこで、ライフシフトにつながるいくつかの事件がありました。結婚しました。子どもができました。お金がほしくなります。そのタイミングで過去の私の経歴を見てヘッドハンティングしてきた証券会社がありました。星野リゾートは旅行業界では給料は断然高額な部類に入りますがトレーダーにはかないません。ほとんど給与の金額だけを見て転職を決めました。

東京に戻ってディーラーの仕事。もとより嫌いな仕事ではありませんから、毎日は楽しく過ごしていました。そこでもう一つの事件が起こります。私の変な趣味の一つは「裁判所のサイトで競売物件を見る」なんですが、ある日見つけたのがほかならぬ長野県・渋温泉の老舗旅館「小石屋旅館」でした。

渋温泉はスノーモンキーでも有名な野猿公園の近くにあります。雪のなか肌を寄せ合って温泉につかる猿たちの姿は日本よりむしろ海外で有名です。星野リゾート時代には「軽井沢から7万円のタクシー代をかけて見に行く観光客がいる」との話も聞いていました。外国人旅行者を対象とした旅館にしたら人気を集めるのではないかと考えていたので、「これは千載一遇のチャンスではないか」と思いました。

翌日には現地に行き、商売の可能性を確認した

物件を見つけた翌日には、現地に行ってみました。伝統的な温泉街の落ち着いた町並みと周囲の美しい風景を見て、なるほどここなら長野の魅力を感じてもらえると実感しました。

この地域のフィールドワークをしている大学の先生がいたので、面識もないのにアポ取りをして会いに行きました。旅館を買おうと思っていると言い、人間関係の閉鎖性など地域的な特性も教えていただけました。非常に多くの助言や情報をいただき、いまでもいろいろと教えていただける私の恩人の一人です。

小石屋旅館の競売価格は様子見をしているうちに下がっていき最終的には300万円台で購入できました。妻には事後承諾でした。話したときには怒るでもなく、あ、そうなの。私がこういう人間なの完全に見抜かれています。借金をして2,000万円をかけて改装しました。

競売で見つけた300万円台の老舗旅館に「運命」を感じて落札。証券トレーダーから転身し、長野と東京の二拠点生活へ(石坂大輔さん/ライフシフト年齢34歳)

その前に私がしたのは地元で長く商売をしている旅館の皆さんへの挨拶でした。旅館を予約して、宿泊し「実は・・・」とごあいさつする。黒いスーツをビシッと着込んでいる人物だったら逆に警戒もされたでしょうが。Tシャツと短パンで「どーも」と若造が来たので逆に地域が抱える課題などについてもいろいろ話してくれました。

難題が一つありました。競売の情報のなかで「温泉の所有権は物件ではなく個人にあり、旅館の持ち主が変わったら渋温泉からの温泉供給がなくなる」とあり「渋温泉の旅館組合には新規参入の規約がない」。このために温泉地で旅館を開くのに温泉を引けない事態になってしまったのです。救いの手を差し伸べてくれたのは老舗旅館の「よろづや」さんでした。私が再開する小石屋旅館が外湯を使えないと聞き「うちの温泉に入りに来てもいいですよ」と言っていただけました。ご厚意のおかげで国の登録文化財にも指定されている豪華な木造建築の「桃山風呂」を利用させていただけるようになりました。

いろんな過去の経験や人間関係が積み重なって生まれた小石屋旅館

外国人観光客向けの旅館を古い温泉街につくる。懸命に考えたのは「どうすれば、お客さんに喜んでもらえるだろうか」でした。若いころに放浪してきた経験が生きました。宿泊施設にはハードとソフトが両方必要です。私自身一泊10万円の超高級ホテルに泊まった経験もあります。たしかにハードは素晴らしいレベルにありました。しかし、自分自身の思い出のなかでは沖縄の波照間島にある一泊2500円の安宿の方がずっと輝いて見えました。ソフトの魅力でお客様を集められる旅館にしようと思いました。

思い出に残る滞在になるように、いくつかの試みをしてみました。外国人旅行者が抵抗ないように土足で室内に入る。レストランを備えるが食事は別の素泊まりスタイル。スタッフ全員英語を話す。本格派コーヒーをバリスタが入れる。個室のシャワールーム完備。送迎付・・・など。

ちょうどそのころ、最初に勤めていた会社の廃業が決まり「何かほしかったらあげるよ」と言ってもらえました。たまたま会社のビルの中にカフェがあったので200万円もするエスプレッソマシンがただでもらえました。事務所にある私の机もトレーダー時代に使っていた同じデスク、モニターも最初の会社からいただきました。。

インターン制度を創設し学生と観光地両方の「気付き」を模索する

小石屋旅館のリニューアルオープンは2015年、今年で6年目になります。正直言って新型コロナウィルスの影響は少なくありません。売上は激減。しかし、あまり深刻には考えていません。それはたとえば最初の職場で「いつクビになるかわからない」状況を経験したおかげかもしれません。駄目になったらどうすればいいか考えるのではなく、いま何をできるか考えていまできる努力をつづけていけば自然と突破口も見えてくると思っています。最悪商売が立ち行かなくなっても死ぬわけではありません。破産しても生活保護があるぐらいの考えでいた方がむしろ前向きでいられると考えるタイプの人間です。

いま力を入れているのは『インターンシップの受け入れ』です。全国から観光業に興味のある学生を集めて、渋温泉の老舗旅館でビシビシ鍛えてもらいます。若者のなかには考えを他人に伝えるのに苦労する人が多いようです。原因はえてして話の内容よりも口の利き方だったり立ち居振る舞いだったりするでしょう。コミュニケーションの距離の取り方を苦手とする学生を旅館のおかみさんなどにハッキリ言ってもらいながら、気付きがあればいいなと思っています。

競売で見つけた300万円台の老舗旅館に「運命」を感じて落札。証券トレーダーから転身し、長野と東京の二拠点生活へ(石坂大輔さん/ライフシフト年齢34歳)

一方で現在の温泉旅館は若者層の集客に苦労している現状があります。インターンとして若い学生を受け入れる過程を通していろんな意見を言ってもらって新しい方向性を打ち出すために、こちらでも気付きの機会となるのを願っています。

真剣に考えるのも大切。真剣に考えすぎないのも大切

現在も家族は東京に住んでいます。妻は現在も東京で仕事を持ち、3人の子どもと一緒に暮らしています。私は週に1回は東京に戻るという二拠点生活。長野の自然は美しく心和ませてくれますが、東京にだっておいしいレストランはたくさんあります。にぎやかだし、どちらかを選ぶ必要もないと思っています。家族にも半分長野、半分東京の生活はどうですかと提案したりしています。

地方の社会は閉鎖的だとよく言われます。相談に乗っていただいてる大学の先生にも都会から来た人間が地元の人々とうまくやっていく困難は指摘されました。大切なのは、相手の立場の尊重。礼儀をつくしてちゃんと挨拶して、地元の流儀に沿った動きをしていくことで少しずつ受け入れられていくはずです。

競売で見つけた300万円台の老舗旅館に「運命」を感じて落札。証券トレーダーから転身し、長野と東京の二拠点生活へ(石坂大輔さん/ライフシフト年齢34歳)

温泉が引けずに困っていたときに「よろづや」さんに助けていただけてたのも、きちんと挨拶し心を割って話し合える関係ができたからだと思っています。もちろん助けてもらうだけでなく、恩返しも大切です。うちのスタッフが英語を話せる利点を生かして「よろづや」さんの外国人客の対応を引き受けたり、渋温泉の旅館のためにネットからの予約管理・サポートを代行するなど儲からなかったり手間のかかる仕事を引き受けてきたからこそ、いまでは渋温泉旅館組合への加入も認められています。

地方で事業をするという選択は、たとえば東京や大阪でビジネスを立ち上げるのに比べると競争相手が少ないメリットがあります。不動産のコストも安く、またIT化が進んでいないので都会では普通のやり方をしただけで、他に差をつけることもできます。じぶんのアイデアを試してみたいときにも、都会なら現実の壁にぶつかってしまうところが、リスクも少なく思い切った展開も実現できました。

人生100年時代と言いますが、私の家族を見てみると100歳まで生きるのは難しいようです。先々を考えるのは大事でしょう。でも、一方で意固地になってしまっては変化をしつづける世の中からは取り残されてしまうかもしれません。真剣に考えるのは大切。しかし、真剣に考えすぎないのも大切。世の中の動きを見逃さず気楽に生きていきたいですね。