PROFILE

有賀薫さん(No.54)/スープ作家

■埼玉県在住、54歳。大学卒業後3年間、玩具メーカーに勤務。フリーライターに転身、結婚、出産をやりながら、企業の媒体、雑誌記事などの仕事に携わる。2012年から家庭で朝のスープを作り始め、50歳で「スープ作家」に。各種媒体にスープのレシピを提供するとともに、執筆やイベント、展覧会などにて活動中。『帰り遅いけどこんなスープなら作れそう』(文響社)で第5回レシピ本大賞入賞。近著に『スープ・レッスン』(プレジデント社)。
https://note.mu/kaorun

家族:夫・長男(25歳)
影響を受けた本:『あなたのために –いのちを支えるスープ』(辰巳芳子)
影響を受けた映画:『ライフ・イズ・ビューティフル』

主婦業のかたわら、自分の色を出さずに続けてきたライター業

大学卒業後の就職先は、株式会社バンダイ(現・バンダイナムコホールディングス)です。広報イベント企画などの販促業務で制作会社やブレーンの方たちにお会いしているうちに「私も何か自分の手で作ってみたい」と思うようになり、3年勤めて退職したのち、フリーランスでライターの仕事を始めました。
仕事はとにかく雑多でした。カタログ、雑誌広告、新聞の読書欄の新刊紹介、企業のインナー媒体、雑誌記事、書籍……フリーライターに転身した1年後に結婚し、その1年後に出産と、ライフイベントが続いたこともあって、主婦業との兼業でライター活動を続けてきました。
ライター歴は25年以上。仕事より子育てや家事に軸足を置いていたので、あくまでも自分の能力や時間の範囲内で、というのが条件でした。条件というよりも制限ですね。気持ち的には「パートタイム」の感覚に近かったのかもしれません。フリーライターといっても、自分のカラーは表に出さないように、硬い内容のものであっても柔らかい内容のものであっても、「クライアントの意向を一般の方にわかりやすく翻訳する」ような感覚で書いていました。

息子のために始めたスープ作り。SNSのコメントが励みに

スープ作りを始めたのは、約7年前のこと。きっかけとなったのは、当時大学受験生だった息子です。寝起きが悪く、どうしたら朝、気持ちよく起きてくれるだろうと考えていたとき、ふと朝食にスープを出してみたら、息子がつられて起きてきた。こうして息子のためのスープ作りが日常となったのです。

毎日作るスープは、SNSに投稿していました。最初は記録のつもりでしたが、SNSに「美味しそう!」「作り方を教えてください」などといったコメントが入ると、それがまた励みになって、スープ作りを続けることができたんですね。
スープ作りを始めて1年後、「スープ・カレンダー展」を開催しました。それまでの“スープの記録”を発表したこの展示がとても盛況で、これを機に、取材の依頼やレシピを書いてほしいといった仕事がくるようになりました。「スープを仕事にしてみたらどうか」と言ってくれる方々にも背中を押されて、「自分が表現できて、ニーズもある。であればスープ作家として活動してみよう」と決めたのです。2014年の夏、50歳の時でした。

「スープ作家」として、とにかく発信を続け、仕事を広げる

スープを仕事にしようと決めたものの、実際、「料理」での仕事経験はゼロ。一体何を売り込めばいいのかなかなか決められず、「仕事を作ること」について初めて考えました。
考えた形のひとつが、2015年にはじめた「スープ・ラボ」。毎月テーマを決めてイベントを開き、レポートに書いてweb上にあげるというサイクルを作って積み重ねていく、という試みで、イベント開催のための場所を貸してくださる方がいて、実現した企画です。正直、まったく儲けは出ませんでしたが(笑)、そのレポートがたまってくると少しずつ形が見えてきました。
利益にはこだわらず、とにかく「発信」を続ける。そうするうちに、知人経由で「スープの仕事」の話をいただくようになり、私の活動や仕事が少しずつ周囲に認知されていきました。自分の得意な分野でできることをやっていき、少しずつ前進した感じです。
2016年春、ようやく『365日のめざましスープ』(SBクリエイティブ)を出版することができました。これをきっかけに、「スープ作家」としての活動が本格化していきました。

「有賀薫」として認めてくれる相手と仕事をしていく

でも、「スープ作家」と言っても、どのような仕事をする人なのか、分かりませんよね(笑)。いまのところ、web、雑誌、著書などを通じてレシピやコラムを提供すること、イベントや展覧会などを開催してスープや食の面白さ、魅力を伝えることが、主な仕事内容です。

今年ぐらいから、ようやく「スープ作家・有賀薫」として仕事をいただける相手先と仕事ができるようになりました。先方が書籍やweb媒体で有賀薫という人間を知って声をかけてくれることが基本になり、仕事が次の仕事を生む、という循環と広がりが出てきました。
思い返せば、ライター時代の仕事の多くは無記名で、自分の名前が表に出ることはなく、仕事関連での付き合いや広がりはほとんどありませんでした。それが、「スープ作家」になってからは、自身の活動や仕事内容を「有賀薫」という名前とセットで知ってもらえるようになってきたのです。

手間や時間といった労働条件は、ライター時代よりも大変です。パソコン1台あればできるライター活動とは異なり、料理はモノ、食品が動くので、仕入れや保管、イベントのときには物流についても考えなければなりません。でも、「仕事をやっている」という実感が大きくなり、精神的には大変さ以上の安定が生まれました。
経済的にもライター時代と同等ですね。ついイベントや料理の試作などに時間やコストをかけすぎてしまうのですが(笑)、まだまだ駆け出しの時期であることを加味して、気にしないようにしています。実際「スープ作家」としての仕事は順調に増えているし、ステップアップの可能性はライター時代よりずっと大きいと思います。

息子の就職を機に、生活よりも仕事に重きを置くように

在宅で仕事をするという生活のスタイルはライター時代と変わっていません。ただ、昨年春に息子が就職して一人暮らしをはじめたことで、私自身の気持ちに大きな変化がありました。それまでは仕事よりも生活を優先させていたのですが、今は生活よりも仕事に重きを置いています。
とはいえ、私が「スープ作家」として仕事ができるは、寛容な家族のおかげですね。夫は最初の頃、スープ活動は遊びだと思っていたようです(笑)。でも、よく相談にも乗ってもらっていて、常に応援してくれているのを感じます。2冊目の書籍の販売が順調で賞をいただいたことで、「遊び」ではなく「仕事」として認めてくれたのではないかな、と思っています。

新しい家事環境、現代的な食べ方や暮らし方の提案をしていきたい

私自身、これまでは家族や自分のために暮らしてきました。でも、ここから先の人生では、人との関係性を築き、社会に関わるような外向きの仕事をしていきたいです。
具体的には、スープのレシピや情報の提供と同時に、ライフスタイルに焦点を当てた物事の捉え方、考え方を提供していきたいと考えています。会社の組織や働き方はどんどん変化しているにもかかわらず、家庭の構造だけが依然として旧態依然なのは不自然ですよね。夫婦共働きや一人暮らしの家庭も増えた今、新しい家事環境を作りたい。男性、女性、大人、子ども、みんなが自分の食を自分でまかなうことができ、協力しあえるような現代的な食べ方や暮らし方があると思うのです。
夢は大きいけれど、自分の年齢だとこれから頭も体も老いていくわけですから、若い方のように単純に目標を定め、そこに向かっていくようなやり方より、フリーハンドの部分が大きくなってくるのではないでしょうか。若い時より柔軟性が必要だと思います。
一番難しいと思うのは「脱ぎ捨てる」こと。年齢を重ねるごとに、自分がこれまで守ってきたものや成功体験が、逆に自分の可能性を阻むような気がします。やり慣れたことを敢えてやらない、積み重ねてきた考え方にとらわれない、つまり変化を怖がらない。これがライフシフトには大切かもしれませんね。

(撮影/鈴木真貴)

左『365日のめざましスープ』(SBクリエイティブ)
中『帰り遅いけどこんなスープなら作れそう』(文響社)※第5回料理レシピ本大賞入賞
右『スープ・レッスン』(プレジデント社)※最新刊