精密小型モータを開発する長野の会社・シナノケンシで人事の仕事に携わってきた寺尾雄二郎さん。父親の育児支援や、仮装マラソン大会への参加など仕事以外の場でも精力的に活動し、地域の人たちとのつながりを深めてきました。48歳のときに「人生100年時代」の生き方を考えるワークショップに参加して「笑顔いっぱいで暮らせる社会をつくる」というミッションに目覚め、シニアと地域を元気にする事業を考えるようになります。退職して起業することも視野に入れながら上司に相談したところ、「社内で新規事業を立ち上げないか」という意外な選択肢を提案されました。人との出会いを大切にし、素直に学んできたことで、道が拓けた寺尾さんのライフシフトの過程をうかがいました。

PROFILE

寺尾雄二郎さん(NO.116/シナノケンシスタッフサービス株式会社・常務取締役)

■1972年生まれ、東京都出身。明治大学商学部卒業。1996年にシナノケンシ株式会社に入社。人事部門に配属、人事部長となる。50歳で部長職を離れ「社内起業」で子会社シナノケンシスタッフサービス株式会社常務取締役に就任。70歳現役社会を見据え、トリプルウィン(社員の働きがいの向上、求人企業の人手不足解消、地域の活性化)の実現をスローガンに地域の求人企業への人材派遣、人材紹介、教育講師派遣など、シニアに特化した人材サービス事業を開発中。

■家族:妻、長男、次男

■座右の銘:仮装で世界を笑顔いっぱいにする

自然環境に魅かれ、東京ではなく長野での配属を希望

私はちょうど就職氷河期の世代で、第一志望の会社には落ちてしまいました。そこから就活が白紙に戻り、大学に来ている求人情報から探しているときに目に留まったのが、長野県上田市に本社のあるシナノケンシでした。世界に通用する技術力を持ち、自分の仕事が形として見えるような規模感の会社を探していたのです。内定をもらい、長野が本社の会社でも問題ありませんでした。私は、生まれは東京、大学も東京で、当初は東京の営業所に配属される予定だったのです。

しかし、新人研修で3ヶ月間、長野に滞在した際、美しい自然環境に感動し、気候も自分に合っていると感じ、「東京ではなく長野で暮らしたい」と思うようになりました。そこで本社の人事部門への配属を希望したところ認められ、長野で働くことになったのです。人事を志望したのは、長野の人たちが新入社員の私をとても温かく歓迎してくださり、地域の方の優しさや社員のウェルカムな雰囲気に非常に好感が持てたからです。

人事部門では、これまで福利厚生、採用、異動、労務、ワークライフバランスの推進、マネジメントなど多くの業務に携わってきました。入社から28年間、人事畑を歩んできました。

長年、人事部門で勤務。入社2年目の24歳の頃。

ファザーリング・ジャパンで地域との絆を深めた

自分の人生を考える上で大きな転機となったのが、「笑っている父親を増やす」ことをミッションに父親の支援事業を展開するNPO法人ファザーリング・ジャパン代表の安藤哲也さんとの出会いです。2015年、私が42歳のときでした。安藤さんには会社の講演にお越しいただいていたのですが、そのときの話が目から鱗だったのです。「家事の中でゴミ捨てをしているという男性は多いけれど、それはゴミを玄関からゴミステーションに移動しているだけ。それはゴミ袋移動と言ってゴミ捨ての最後の一工程に過ぎない」と指摘されました。まさに自分がそうで、家事をやっているつもりでも、全然できていなかったことに気づいたのです。「このままでは家庭に黄色信号が灯ってしまう」と危機感を持ち、そこから行動を改め、もっと積極的に家事に参加するようになりました。

その後、2015年に父親の育児サークル「パパカレッジ上田」を結成し、2019年にはファザーリング・ジャパンの傘下に入って、信州支部を立ち上げて、長野県全域に対して父親の育児・家事推進活動を行ってきました。活動を始めた理由は、家事をやっているつもりが、全然できていなかったことへの気づきや、子どもとの向き合い方に悩んできた経験があるので、父親同士のつながりや分かち合いが大切だと考えたからでした。笑っている父親が増えれば、家庭も円満となり、少子化も改善し、地域の活性化にもつながるはずです。この活動で、同じ想いを持つパパ友に恵まれ、視野が広がりました。

育児サークルでの知見は社内でも活かすことができ、男性が早く自宅に帰って家事や育児に参加できるよう、ワークライフバランスを推進し残業を減らす活動をしてきました。弊社は社長も理解があり、2007年から男性も育休を取得しています。今春、小学校を卒業する次男は、卒業文集の未来年表に「パパ友を作る」と書いていました。私がやってきたことを見ていて、その活動を息子が認めてくれて今まで活動をしてきた中で、一番嬉しかったです。

「パパカレッジ上田」を立ち上げ、地域の人たちと父子で集まる機会を増やした。

ライフシフトのワークショップでミッションが見つかった

ファザーリング・ジャパンの安藤さんを心の師として仰ぎ、父親の育児サークルの活動でアドバイスをいただくことも多かったのですが、そんな安藤さんに薦められたのがライフシフト・ジャパンのワークショップ「ライフシフト・ジャーニー」でした。世界的に話題になった書籍「ライフシフト」は読んでおり、人生100年時代をどう生きていけばいいのかは気になるテーマでした。ただ本を読んだだけでは、なかなか行動まで移せません。ちょうどよい機会だと思い、また人事という立場からキャリア研修も行っていたので、仕事にも役立つのではと考えました。

2020年に受講した「ライフシフト・ジャーニー」では、実際たくさんの気づきがあり、一緒に受講した方たちからは大きな刺激をいただきました。当時、48歳でしたが自分より年上の方が、「こういう生き方をしたい」とモチベーションを高く保って前向きにキャリアを考えており、「海外で仕事をしたい」という方もいて、「自分もまだまだこれからなんでもできるんだ」とすごくワクワクしたのです。

ワークショップで作った私のミッションは「人生100年時代を笑顔いっぱいで暮らせる社会をつくる」です。昔から人を笑わせるのが好きで、みんなの笑顔を見ていると自分も幸せな気持ちになります。それが自分の原点であることがわかったのです。キャリアの目標は「人材ビジネスを軸に人と人をつなぐ仕事をする」「社会貢献できる人材になる」という2つを作りました。

これまで私は「人前でキャリアプランを話すなんて恥ずかしい」という気持ちがありました。でもワークショップの中で自分のキャリアについてほかの人に話すうちに新たな発見があり、ぼんやりしていたミッションが明確になりました。これまでは遠慮があり、自分よりも周りの人を優先しがちな人生でしたが、もっとありのままの自分を出してもいいんだという気持ちにもなれました。ライフシフトを実現するためには「自分の人生を主人公になって生きる!」ことが大切だということにも気づきました。これからは自分のやりたいことをもっと周囲に話して、そこに向かって進んでいこうと思えるようになったのです。

「ライフシフト・ジャーニー」の中で作った未来地図。

上司に夢を語ったことが、「社内起業」というチャンスにつながった

ライフシフト・ジャーニーに参加後も、スモールステップとして、いろんな研修やセミナーを受講し、仕事をしながら一年間ほど「自分を知る旅」を続けました。そこで、人生100年時代を見据え、人がいくつになってもイキイキと活躍できる人材サービス事業をやっていきたい、自分はそれで社会の役に立てるということに自信が持てるようになったのです。自分を育ててくれた信州・上田の地域の活性化や地域貢献のために、人事の経験を活かして10年後には人材会社の社長になっていたい。そういった夢を持つようになって、将来、転職や起業するという考えもでてきました。

しかし、起業というとリスクもあります。そこでまずは上司に自分の夢を伝えて、アドバイスをもらうことにしたのです。「自分の将来のキャリアを考えた時、人事の経験を活かして人材会社をやってみたい」と話しました。すると上司からは「当社の子会社のシニアの活躍は、重要な課題。シニア人材の活躍をテーマにした新規事業を今すぐ立ち上げてみないか」と予想もしていなかったことを突然言われ、夢が「社内起業」という形でいきなり実現することになったのです。そのとき、当社のシニア人材が地域社会で活躍している様子が瞬時にイメージできて、とてもワクワクしたことを今でも鮮明に覚えています。自身で起業するより、社内の新規事業としてチャンスを頂き、挑戦できるのは大変ありがたい話でした。また自分が今まで人事でやってきたことを上司がしっかり認めてくれたことを知り、その期待に応えたいと覚悟を決めました。

思えばライフシフト・ジャーニーをきっかけにミッションに目覚め、道が拓けていきました。「意志のあるところに道は拓ける」と言いますが、思いがないと伝わらないですし、チャンスはやってきません。心の師である安藤さんと出会い、相談できる上司にも恵まれましたが、素直に人の話を聞いて、学び、自分の思いを伝え、行動に移してきたこともチャンスにつながったのだと思います。

私が新規事業をまかされた子会社のシナノケンシスタッフサービスには、54人ほど社員がいます。親会社で60歳の定年になるとこちらで再雇用して、親会社に派遣されるという仕組みです。最長65歳まで働けますが、今後、定年後の再雇用が増えると、数年後には社員が100人近くになる可能性もあります。

人生100年時代、働く時間も長くなり、そして多様化していきます。親会社でキャリアを終えたいという人もいれば、他の会社でスキルを活かしたいという人も出てくるでしょう。また、車で遠方から通っている人は、年齢とともに自宅近くで働きたいと考えるケースも出てきます。今までは定年後のキャリアの選択肢が子会社での再雇用ひとつだけでしたが、今後、他社へのキャリアチェンジという選択肢があっても良いと思います。自分の暮らす地域で、社内だけでなく社外でも専門性を活かせるような仕事があって、それが本人の働きがいや生きがいになれば素晴らしいことだと思います。その地域の会社にとっても人手不足が解消し、地域活性化につながることも期待できます。私の役割は、人生100年時代に個性を輝かせられるキャリアの選択肢を増やすことです。

こうして私は親会社に籍を置きながら、子会社でシニア活用の事業を推進することになり、今に至ります。定年退職した社員を親会社に派遣するだけでなく、他社にも派遣できるよう雇用先を開拓している最中です。子会社のスローガンは「トリプルウィンの実現」です。社員の働きがいの向上、求人企業の人手不足解消、地域の活性化の3つの実現を目標にしています。これはもともと私の10年後の夢でしたが、すでにほぼ実現してしまいました。

もちろん、これから事業を成功させなければいけないのでプレッシャーもあります。これまで営業経験はありませんでしたが、今は求人開拓のため自ら営業しています。地元企業の経営者の方と話す機会が増えて人生のステージが変わったことを実感しています。、求人企業のニーズに合う人材を探し、マッチングが成立した時、「トリプルウィンの実現」に貢献できたことにやりがいや達成感を持つことができます。自分が主人公として仕事をしているという感覚も増えてきました。

子会社の常務取締役となり、シニア社員とともに事業を推進中。

社外での活動でキャリアのチャンスが増える

私は人事部門ではキャリア研修を担当してきましたが、「キャリアの3つの輪」という話をよくしました。Will(=やりたいこと)、Can(=できること)、Must(=やるべきこと)の3つの輪の重なりが多くなればなるほど、チャンスが増えていきます。この重なりを増やすためには、社内だけではなく、社外にも目を向けることが大事だと考えています。

私はファザーリング・ジャパン信州支部などで社外活動もしてきましたが、昔から楽しいことや人を笑わせることが大好きで、仮装がライフワークにもなっています。仮装マラソン大会への出場のほか、テレビ番組の「欽ちゃんの仮装大賞」にも挑戦しています。

仮装をするようになったきっかけは、長男が小学校のときにマラソンを始め、私も走るようになったことです。記録を出せるほどは走れないですが、みんなを盛り上げるために仮装してマラソン大会に出たら楽しいのではと考えたのです。実際、仮装で走ると周りがとても喜んでくれて、それから仮装マラソンが趣味となりました。わさびの産地として知られる安曇野のマラソン大会では、わさびの仮装をして出たり…。全国的な仮装マラソン大会として知られる小布施見にマラソン(長野県)では、仮装コンテストもあるので毎年挑戦し、10回目でやっと優勝することができました。一緒に仮装して走る仲間も増え、笑顔の輪を広げていったのです。

話題の大谷翔平選手となって、仮装マラソンを楽しむ。

その後、「欽ちゃんの仮装大賞」にも出場するようになり、毎回、書類審査、地区予選から本選を目指して、難関突破のため頑張っています。みんなの笑顔が私の仮装の原動力です。2007年からこれまで400回近く仮装をしてきたのですが、60歳までに1000回達成するのが目標です。

人生100年時代、今、自分がワクワクしているか?自分に問いかけるようにしています。ワクワクしている時間が多いと人生が楽しくなります。そして自分がワクワクしていると他人にも刺激を与えられると思います。そして年齢とともに、とことん楽しむことへの制限がなくなってきたように思います。こうして全力投球で仮装を楽しんでいると、イベントにお声がけいただくことも増え、今年からは芸人・タレントとしての活動も楽しみながら挑戦しています。

家族で「欽ちゃんの仮装大賞」に参加し、本選出場&合格を果たす。

最近はサウナにもハマっています。サウナは健康にも良い影響があると言われており、コミュニケーションツールにも適しています。そこで社内にサウナ部を創設しました。長野県に対して「信州をサウナ県にしよう」という活動にも力をいれています。自然豊富な長野県はサウナに適した環境が全て揃っています。また、荒れ果てた里山を整備する活動も行っています。貴重な資源に感謝しながら、農作物が作れるよう木を切ったり、その木をサウナの薪にしたり、SDGsにもつなげています。

人生100年時代ですが、健康寿命が80代前半だとしたら、私も元気に動けるのはあと30年くらいです。そう考えると「地域をもっと活性化させたい」「地域のために役立ちたい」という思いが40代よりもさらに濃くなってきました。長くモチベーションを維持しながら働くコツは、刺激をもらえるようなイキイキとした人たちと出会い続けることだと思いますし、そういう人材をこれから地域に輩出していくことも自分の仕事だと考えています。人生の本番はまさにこれからです。

家族も地域も笑顔でいっぱいにしたい。

(取材・文/垣内 栄)

*ライフシフト・ジャパンは、数多くのライフシフターのインタビューを通じて紡ぎだした「ライフシフトの法則」をフレームワークとして、一人ひとりが「100年ライフ」をポジティブに捉え、自分らしさを生かし、ワクワク楽しく生きていくためのワークショップ「LIFE SHIFT JOURNEY」(ライフシフト・ジャーニー)を個人の方及び企業研修として提供しています。詳細はこちらをご覧ください。