PROFILE

佐藤真希子さん(No.86/iSGSインベストメントワークス取締役 代表パートナー)

■1977年、東京都生まれ。清泉女子大学文学部卒業。2000年、株式会社サイバーエージェントに新卒1期生として入社。インターネット広告事業本部にて営業を担当後、同部門では初の女性マネージャーとしてマネジメントを経験。2005年、株式会社ウエディングパークへ出向。同社のビジネスモデル構築、営業部門の立ち上げ、及び新規事業の立案・実行を行う。2006年、株式会社サイバーエージェント・ベンチャーズ(現:サイバーエージェント・キャピタル)出向。国内のシード・アーリーステージのベンチャー企業を対象とした投資事業に従事。同社でのおもな投資実績は、インパクトホールディングス株式会社、株式会社ビザスクなど。2016年6月、株式会社iSGSインベストメントワークスを設立、取締役 代表パートナーに就任(独立系ベンチャーキャピタルにおける日本初の女性パートナー)。文部科学省 科学技術・学術政策局産業連携・地域支援部会委員、文部科学省 次世代アントレプレナー育成事業(EDGE-NEXT)推進委員。経済産業省J-Startup選定委員、城南信用金庫 評議委員など

■家族:夫、長女(11歳)、長男(8歳)、次男(5歳)

座右の銘: なし
「その時々で楽しそう、いいなと思ったことをなるべく素直にやれるように努力しています。普段生活していると、いろいろ忙しいことを言い訳にやりたいことや興味を持ったことをやれないので。特に『座右の銘』は意識していません」と佐藤さん。

iSGSインベストメントワークス

 

学生時代のチア仲間のように、熱い思いを持った人たちと働きたかった

1日24時間のうち、かなりの時間を費やして働くなら、大学時代に打ち込んだチアリーディングのように、仲間と一緒にひとつのことに熱中し、目標に向かって熱い思いを持った人たちと一緒に働きたい。就職活動では、業界業種を問わず、そういった条件にあう会社を探していました。

子育てと仕事に追われ、チャレンジしていなかった自分に気づき、独立系ベンチャーキャピタルの立ち上げを決意。目指すのは「起業家の最強の応援団」(佐藤真希子さん/ライフシフト年齢39歳)

大学時代はチアリーディング部のオフ期間にアルバイトで費用を稼いだり、両親に借金(全部返済済み)して休みごとに海外を旅した。

そんな思いもあり、就職活動では「何かほかに質問はありますか?」と問われると、必ず「この会社に入ってよかったと思いますか?」と面接官に聞いていました。面接担当者は会社の顔。一人でも自信を持って誇らしそうに「はい」と即答してくれたら、きっといい会社なのかなと。ところが、私が聞いた大企業の方たちのほとんどは、一瞬戸惑ったように見えたんです。

そんな基準で就職活動をしていたことや、前代未聞の超氷河期と言われた時代だったこと、女子大学の学生ということもあり、なかなか相思相愛の会社に出合えず、いよいよ「行くところがない」と焦りはじめたころのこと。就職雑誌の片隅に載っていた創業1年目のサイバーエージェントの募集広告にふと目が留まり、唯一入社したいと思っていた会社を辞めた経営者が創業した会社だということで応募しました。

すると、説明会で社長の藤田普さんが会社のビジョンを熱く語っていて。面接でもいつもの質問をすると、どの面接の方も即答で「はい」とキラキラとした表情で答えてくれ、この会社なら間違いがないと確信しました。実際にその時に内定をもらった同期は20名ほどいましたが、本当に優秀でユニークで熱くて、最高の同期に恵まれたと思っています。

創業期のサイバーエージェントに入社。新たな市場を作っていく気概があった

入社の内定をいただいた1999年春ごろは、サイバーエージェントの社員数は25人ほどでした。入社直前の2000年3月に東証マザーズへ上場し、私の社員番号は94番。半年で70人も社員が増えるベンチャー企業なんて、現在、私たちが投資している会社を含めて考えても、なかったと思います。当時はちょうど「渋谷マークシティ」ができたばかり。ワンフロアを借り、最初はスカスカだったフロアも、毎月30人ペースで社員が増えていき、あっという間に満席に。まさに破竹の勢いでした。

子育てと仕事に追われ、チャレンジしていなかった自分に気づき、独立系ベンチャーキャピタルの立ち上げを決意。目指すのは「起業家の最強の応援団」(佐藤真希子さん/ライフシフト年齢39歳)

サイバーエージェントの社員証。入社当時、女性社員は少数だった。

入社して最初に担当したのは、インターネット広告の営業です。まだインターネット広告の黎明期。社員はみんなバイタリティと好奇心のかたまり。年齢も経験も関係なく社員が力を合わせて、誰も売り方を知らない商品を何とかしてお客さまに買っていただき、インターネット広告という新しい産業、サービスを世の中に広めていくんだという気概にあふれていました。当時の市場規模は数百億円でしたが、チームの数名でその市場の1パーセントくらいを担っていたと思います。その自負は大きかったですね。怒られることも多くて、何度泣いたかわからないし、記憶がないほど忙しかったけれど、ものすごく充実した日々でした。

子育てと仕事に追われ、チャレンジしていなかった自分に気づき、独立系ベンチャーキャピタルの立ち上げを決意。目指すのは「起業家の最強の応援団」(佐藤真希子さん/ライフシフト年齢39歳)

入社3年目の社員総会でMVP賞を獲得。営業部門初の女性マネジャーに昇格した。

チームマネジメントに自信をなくし、プライベートでも悩んだ20代後半

ところが、20代後半になると、密かに悩むことが増えました。入社4年目に営業部門のマネージャーに昇進し、会社の期待に応えたいと張り切りましたが、私のやっていたことは「マネジメント」とはほど遠いものでした。一人ひとりのメンバーの力を引き出し、一人では成し遂げられない成果をあげるのがマネージャーの役割だと今でこそ思いますが、当時の私はマネジメントをしてもらったこともなければ、経験もない25歳の女性。当時周りにいた男性のように「俺の背中を見てついてこい」式のマネジメントしか知らず、から回り。メンバーとの信頼関係がうまく築けないことに苦しんだり、これでいいのかなと悩みましたが、「弱みは見せまい」と誰にも相談ができず、もがいているような状況でした。

プライベートもうまくいってはいませんでした。当時、おつきあいしていた人がいましたが、私が仕事に夢中になることを好ましくは思わず、結婚した際には専業主婦になってほしいと言われていました。描いている未来が違うとわかっていながら、「長くつきあってきたんだから」と現状を変えることへの怖さや、結婚への年齢的な焦りもあって踏ん切りがつかず、悶々としました。

会社ではメンバーとの関係に悩み、何とかしようと仕事に集中すると、彼から不満を言われる。人間って、ネガティブな言葉をかけられると、どんどん自信を無くしますよね。当時の私はマネージャーを続けていくには、あまりにもメンタルがボロボロでした。

その後、メンバーが頑張ってくれたおかげで何とか区切りがついたこともあり、2年間のマネージメントを終え、グループ会社の「ウエディングパーク」に異動し、新規事業の立ち上げに携わりました。

ベンチャーキャピタリストの仕事との出会いが転機に

ベンチャーキャピタリスト(VC)としてのキャリアのスタートは2006年、30歳を間近にしたころです。「ウエディングパーク」では、小規模ながら新規事業を作ることができましたが、もっと視野を広げたいと社外のさまざまな方とお会いしたり、やりたいこと・興味のあることを聞いてもらっていたところ、元上司だった高村彰典さん(現:株式会社サイバー・バズ 代表取締役社長)から「佐藤のやりたいことをやるなら、VCがいいんじゃない?」とアドバイスをもらい、社内で立ち上がったばかりの投資事業部門のことを教わったんです。

異動してからはまさに手探りでした。今までは広告営業でしたがベンチャー投資は金融業。同じ社内でも全く雰囲気も違いました。有望なベンチャーを中心に投資先を見つけてくるのがミッションですが、社内も手探り、ノウハウも蓄積されていませんでした。ですから、元営業の「泥臭さ」を生かし、とにかくたくさんの経営者の方にお会いする日々。当時はVCの仕事のやりがいなどもまだよくわかっていませんでした。

自分なりにこの仕事に対して自信が持てたのは、異動して初めて出資をさせていただいたメディアフラッグ(現:インパクトホールディングス)の福井康夫社長との出会いのおかげです。VCの仕事を始めた当初、事業内容が素晴らしいと感じるベンチャー企業はたくさんありましたが、心から「投資したい」と思う起業家には会えずにいました。でも、福井社長から、事業に対するビジョンや社員に対する想いをうかがった時には、迷いなく投資をして応援したいと思ったのです。事業内容もユニークでしたが、それ以上に、社長さんの「業界を変えたい」という熱い思いと、利他的な思考に心を動かされたからです。それから6年後の2012年9月、この会社はマザーズ上場を果たしました。初めて自分が投資した会社が無事上場し、ホッとしたと同時に、自分の投資方針が間違っていなかったと感じました。

その後も何万人もの経営者にお会いしていますが、投資を決める際に私が最も大事にしていることは変わりません。事業内容が良質であることは前提ですが、最終的に企業が成長するかどうかは経営者や経営チームの人柄と資質で決まると思っています。そして、VCの意義は、彼らの最強の応援団になり、世の中を少しでも早く良く変え、事業の成功を黒子として支援していくこと。今もそこを大切に仕事をしています。

3人の子どもに恵まれ、30代は仕事と育児に追われて瞬く間に過ぎた

投資事業部門に異動したころ、プライベートでも転機がありました。現在の夫の重松大輔(現株式会社スペースマーケット代表取締役CEO)との出会いです。彼はちょうどNTT東日本を退職し、かつての同期が経営する創業4年目の株式会社フォトクリエイトに参画するという時期で、いろいろと話が合ったんです。仕事以外でビジネスの話を楽しくできる男性はまれでしたし、彼は共働きの両親のもとで育ち、女性が働くことを自然なことと捉えていて、彼と出会って初めて、恋愛ってこんなにラクでいいんだと感じました(笑)。ありのままの自分でいい、やりたいことに素直でいいと思えるようになったんです。

子育てと仕事に追われ、チャレンジしていなかった自分に気づき、独立系ベンチャーキャピタルの立ち上げを決意。目指すのは「起業家の最強の応援団」(佐藤真希子さん/ライフシフト年齢39歳)

夫とは共通の知り合いの紹介で出会った。

2008年に結婚。3人の子どもに恵まれ、30代は仕事と育児に追われて瞬く間に過ぎて行きました。仕事は大好きでしたが、そのために子どもを産むことを迷ったりしたことはありませんでした。義母の影響も大きかったかもしれません。義母は4人の子どもを育てながら、教師として定年まで勤め上げた女性で、「子どもは3人以上になると、コミュニティができて1人よりもラクよ」と言っていたんです。その言葉を聞いて「家族の中でコミュニティができるって面白いな」と感じ、望めるなら子どもは3人できたらと思っていました。結果、ジェットコースターのような日々がやってくるとも計算せずに(笑)。

VC仲間のひと言で「チャレンジをしていなかった自分」に気づき、起業を決意

「サトマキは実績もキャリアもあるのに、なぜ出世しないの?」。同い年生まれのVCとの集まりで、仲間のひとりが何気なく言ったひと言が、サイバーエージェントを辞め、VCとして独立するきっかけになりました。3人目の子どもの育児休暇から職場に復帰したころでした。

子育てと仕事に追われ、チャレンジしていなかった自分に気づき、独立系ベンチャーキャピタルの立ち上げを決意。目指すのは「起業家の最強の応援団」(佐藤真希子さん/ライフシフト年齢39歳)

心から尊敬する1977年生まれのVC同期は、何にも変えがたい仲間。

知り合ったばかりの方からは「意外」と驚かれるのですが、私には人に言われて気づくところがあり、サイバーエージェントの先輩たちからもよく「お前はもったいない」と言われていました。このときもそうで、初めて「ハッ! なぜだろう」と(笑)。ふと周りを見渡すと、仲間のVCは全員男性で、VC歴は私とほとんど変わらないのに、意思決定ができる代表パートナーや社長というポジションに就いていました。

それに対して、私が出世をしていない最大の理由は明白で、「チャレンジをしていなかったから」。1人目の子どもを出産してから9年間、自分としては精一杯だったんですよね。母や義母も育児に協力してくれ、かなり恵まれた環境ではあったものの、3人の子どもを育て、VCとしての責任を果たすのに必死で、それ以上のことを考える余裕がなかった。「このままでいいのかな」という思いもありましたが、「時短勤務のうちは仕方ないよね」とか、「3人目も欲しいし」とか「夫が起業をしたばかりだから、今は動けないよね」とどこか状況に甘えていました。VC仲間のひと言でそのことに気がつき、ちょうど3人目の子どもも保育園に慣れて少し落ち着いたタイミングだったことから、独立することを決めました。

独立しようと思ったもう一つの理由として、起業家を支援する仕事としてVCが社会的に注目され、当時数少なかった女性VCとして講演や取材など表に出る機会が増えていたことも大きかったです。業界全体のダイバーシティを考えた時に、「9年間もVCの仕事に携わっている私がこのままのポジションでいいのか」と自問し、もっとチャレンジをしなければと思いました。後進の女性たちのためにも、日本においても女性がベンチャーキャピタルを設立し、運営していけるという事例を作ったり、パートナーとして決裁権を持ち、男性では理解しづらい事業にも投資をすることによって、業界のダイバーシティも実現していかなければと思ったんです。

3人で独立系ベンチャーキャピタルを設立

iSGSインベストメントワークスは、五嶋一人、菅原敬とともに3人で立ち上げた独立系のベンチャーキャピタルです。実は、当初はいろいろあって、結果的にひとりでファンドを立ち上げようとしていました。でも、ふたつの理由から思いとどまりました。

ひとつは、ファンド立ち上げの準備中に甲状腺に良性の腫瘍が見つかったこと(リスクは最小限にしたいので、良性ではありましたが、後に腫瘍はとりました)。良性ではありましたが「ひとりでファンドを運営してはいけない」という報せだと思いました。ファンドの運用期間は10年間が一般的で、2年間の延長を適用すれば12年間。39歳でファンドを立ち上げたら、最長で51歳まで運用責任を負うということです。自らファンドを立ち上げるからにはずっとVCを続ける覚悟はありましたが、私に万が一のことがあれば、多くの方々に迷惑をかけてしまうと考えました。

もうひとつは、私がVCとして目指す「起業家の最強の応援団になること」が、果たしてひとりで達成できるのだろうか、と気づいたからです。そんなときにちょうど同じタイミングで独立しようとしていた五嶋と菅原に「一緒にベンチャーキャピタルをやらないか」と誘われました。あらためて膝を突き合わせて話すと、実現したいことの方向性が一致しているのに加え、圧倒的なベンチャー経営における実務経験のある二人とならおたがいを補え合える。「3人なら起業家の最強の応援団ができる!」と2016年6月に「iSGS」を設立しました。

独立によって変化したのは、ポジションが経験を拡げてくれたというのでしょうか。会社員時代も社外での活動機会は多かったのですが、パートナーなってからは、文部科学省や経済産業省などのお仕事や、第一勧業信用組合や城南信用金庫の評議員など、学ばせていただく場が格段に広がりました。

現在iSGSのファンドは1号ファンドでの投資を終え、2号ファンドからの投資を開始し、72社への投資を実行しています。投資領域はオールジャンル・オールステージ。投資基準は全く変えていませんが、1号ファンドは全体の4分の1、2号ファンドでは55パーセントが女性起業家で、海外で起業している日本人起業家への投資も20パーセントあります。日本のVCファームでは、社数・金額ともに圧倒的に女性起業家への投資を行なっています。

2020年7月には新たなキャピタリストも入社し、ファンドのメンバー構成も男女比率が半々に。今まで以上に女性がイニシアティブを握る領域や、女性視点による新たな産業やサービスへの投資は強みとしていきたいと思っています。

私自身もまだまだ独立系ベンチャーキャピタルのパートナーとしては勉強の日々。女性であるがゆえにファンド営業などで人脈が築きにくく、苦戦することも多いですし、悔しい思いをすることもあります。ただ、私が挑戦し続けなければ、日本での女性VC独立の事例をなくしてしまうことになりますし、日本のベンチャー業界のダイバーシティも進まない。性別は関係ないはずの起業家やVCが「女性◯◯」と言われることがなくならないと、と考えているので、これからも起業家の最強のチアリーダー的な応援団として頑張りたいと思っています。

また、今まではベンチャー側の経営をたくさん見てきましたが、大企業の経営も社外取締役などで学ばせていただいたり、地方での起業や活性化支援もしていきたい、もっともっと活動の幅も広げていきたいと思っています。

起業家、そして子どもたち…。「頑張っている人たち」を応援し続けたい

気づけば、子どもたちも大きくなり、長女は11歳。親よりもお友だちが大事な年ごろで、「早く自立したい」が最近の口癖です。8歳の長男は、夏休みに全寮制の学校のサマーキャンプに参加したことをきっかけに「僕、この学校に行きたい!」と言い、私立の小学校に通っていたのですが、2週間で転校。あれよという間に家を出てしまいました。5歳の次男も兄と同じ学校に進みたいと希望しており、来年4月にはその学校に入学する予定です。子どもたちの自立は自らの意思であり、頼もしく、誇らしい半面、心ではとてもさみしくて。普通の毎日も今は貴重な時間だと1分1秒を心に刻んでいます。

子育てと仕事に追われ、チャレンジしていなかった自分に気づき、独立系ベンチャーキャピタルの立ち上げを決意。目指すのは「起業家の最強の応援団」(佐藤真希子さん/ライフシフト年齢39歳)

息子との週1回のビデオコールが最近の楽しみ。最近の家族全員写真。

ただ、物理的に会えないさみしさはありますが、もともと子どもと「常に一緒にいなければいけない」という感覚はありません。子どもたちとはそれぞれ一人の人間対人間として接していて、「家族はチーム重松。親だから偉いこともなく、その場その場で子どもであってもリーダーになることはあるんだよ」と話しています。それぞれやりたいことがあって、自分の場所で活躍し、世界中どこにいてもチームとして連携できる。対等でフラット。そんな家族でいたい、と思っています。

夫は2014年に起業し、社員の皆さんのおかげで、2019年12月にマザーズ上場を果たしました。夫の起業は、2012年に夫婦で目指す将来像を思い描いた際に、それを実現するにはこんな経験や知識、経済力が必要だよねと考えた結果。まずはより起業家に向いている夫が起業することになり、その間は私が全て支えようと思っていました。

夫と私が目指す将来像とは、「頑張っている人を応援できる力をつけること」。「頑張っている人」というのは、子どもたちもそうですし、社会をより良いものにしたいと日々取り組んでいる起業家の人たちもそう。VCとして起業家を応援するには一定の期間でリターンを得るための条件がありますが、条件に合わなくても応援したい人たちはたくさんいて、せっかく「人生100年」の時代に生きているのだから、何らかの方法で彼ら、彼女らを応援する術を見つけていけたらと思っています。

なんて、かっこいいことを言っていますが、私の人生、失敗の連続。もっとスマートに、戦略的に生きてきたらもっと違う結果になっていたかもしれません。ただ、人との出会いに感謝し、やりたいことをなるべく口に出し、思ったことに挑戦し、一生懸命にまっすぐ実行してきたことが全て今につながっているのだと思います。いっぱい失敗もしてきましたが、仕方ないですね。だってやりたいことはやらなきゃ(笑)。想いを持ち、これからも突き進むしかないです。

(取材・文/泉彩子)