PROFILE

山田博さん(No.64)/株式会社森へ 代表取締役

■1987年、東北大学教育学部を卒業し、古典の教師を志すが、疑問を感じて方向転換。株式会社リクルートに入社して、人事、営業、研修事業の仕事にたずさわる。2004年、独立してプロ・コーチとなる。2006年、森の力を感じる仲間とともに「森のワークショップ」をスタートさせる。2011年、株式会社森へを設立。企業や個人に対して、森で心身をリフレッシュし、サインを受け取りながら、自分や事業の原点につながる「森のリトリート」を提供。
■家族 妻(51歳)と3人の子ども。すでに就職した22歳の長男、19歳大学生の長女と11歳中学生の次女。
■座右の銘 自ずと然る
■著書 「森のように生きる~森に身をゆだね、感じる力を取り戻す」(ナチュラルスピリット)
森のリトリート公式ホームページ(株式会社森へ)

 

病弱で、いじめられっ子。森が「自分の居場所」だった

小学校4年の時、家庭の事情で東京から栃木県の那須に引っ越しました。家族の生活は不安定。両親が必死で働いていて家にいることも少なく、学校では同級生からいじめを受けて身体を壊し入院もしました。そんなころ、私の一つの救いは那須の自然でした。放課後、家の近くの森に入り、静かな世界に包み込まれていると、理由もわからず平和な気持ちになれたのを覚えています。森は「自分の居場所」でした。

現代人がかかえる「そこはかとない不安」を癒す「森の力」に惹かれて事業を起こす(山田博さん/ライフシフト年齢46歳)

高校の時、好きだった科目は古典。平家物語とかに出てくる無常観という考え方が好きでした。すべては同じに見えても変わり続けていて、一部だけ切り取ってみると成功失敗はあるが、長い目で見れば大きな調和の中にある、というようなことを漠然と考えたりしていました。将来の職業も古典の教師になりたくて、大学は教育学部へ。でも教育実習のときに、当時の学校という場所が、なんだか型にはまって変化しない世界だなと感じ、一気に方向転換しました。就活にも出遅れていたので、たまたまその年大量採用のために、募集を継続していたリクルートに入社することになりました。

人事、営業を経て、32歳でコーチングに出会う

リクルートでは、最初1年間、人事部門で高校生採用の仕事に関わった後、約10年間、採用広告の営業の仕事に就きました。超大手企業を担当し、クライアントの要望にプレッシャーを感じた時期もありましたが、人の話を聞くことが苦ではなかった私は、人事担当者が会社のためだけではなく、個人として本当にやりたいと思っていることを深く聞き、それを実現していくことに面白さを感じていました。その結果、数億円の大きな受注を獲得する達成の喜びもありました。しかしやがて毎年毎年、目標数字が上がっていく成長ゲームに疑問を感じ始め、あらためて自分は何をやりたいのか考えて、やっぱり私の本分は教育ではないかと教育研修部門に異動を希望しました。

教育部門の仕事は充実していました。しかし、結局企業の中で動いている限り会社の事情やクライアントの都合によって動かざるを得ないということもわかってきました。そのころ、以前の同僚がコーチングの仕事を始めたと知り、試しに受けたところ「自分のやりたいことは、自分の中にしかない」という考え方に衝撃を受けました。32歳のときです。そこからコーチングを学び始め、39歳のときに「俺、会社を辞めて、独立してプロ・コーチになる」と妻に相談したら「やりたいことをやるのは止めないわ。でも、子どももいるんだから、家族のための責任もちゃんと果たしてね。」と快く(笑)認めてもらい、17年間勤めたリクルートを退職しました。

クライアントのネガティブな感情を引き受けすぎて、生死の境目に立つ

独立して、コーチングの仕事をはじめて、軌道に乗せるため、遮二無二働きました。知り合いに手当たり次第にアポを取り、全然関係ない話の中で「お試しで10分間だけ、コーチングをさせてくれませんか」と言ってはじめる。収入的にはなんとかやっていましたが、妻が「会社を辞めたらもう少し家にいるかと思っていたのに、全然帰らない」とボヤくほど多忙な日々でした。自分自身もコーチングを受け、精神面でも肉体面でもコントロールできていると思っていたのですが、あるとき、生死をさまよう危機に瀕することになります。ある日の朝、妻と一緒に電車に乗っていると、胸が苦しくなり倒れて意識不明に。救急車で運ばれました。横に妻がいたのは奇跡的でした。

俗に言う臨死体験も経た後、幸い意識は蘇りましたが、精密検査をしてもまったく異状はなく原因はわかりませんでした。その時私が感じたのは、コーチングを続けるうちに、クライアントの心の中のネガティブな感情を引き受け、それが体内に貯まってしまったのではないか、ということでした。コーチングの場面では、核心に向かうにつれて、クライアントが泣き崩れるという強い感情にとらわれることもあります。未熟だった自分はそれを正面から受け止めながら、体も心も限界に達してしまったようなのです。

「本当に自分がやりたいこと」を掘り下げたとき「森」というキーワードが見えた

生死をさまよいながらも生き延びたことには意味があるのかもしれないと、自分の人生の「役割」や「目的」「自分が本当にやりたいこと」についてコーチングを通じて改めて掘り下げてみました。すでに過去のコーチングにより、私の人生のテーマは「家族」と「自然」に関わることだとわかっていました。「家族関係をよくする活動をしたい」というテーマに対しては、すでにNPOを立ち上げて活動していましたが、もう一つの「自然と触れあう何かをしたい」ということに関しては手つかずのままでした。

ちょうどその頃、自分が講師をしているコーチング講座の中でコーチングを受け、「自然と言っても色々あるけど、どこがいいの?」「森ですね」「森のどこがいいの?」「心が落ち着く気がします」というような対話のなかから、思いがけず「森に住んでみたい」という言葉が出ました。すると、その時にコーチが「いますぐ、森に住むと決めてください」「今夜奥さんに話してください」と言ったのです。「えー!?それはいくら何でも無理だろう!」と思う一方で、心の中からなぜか「うれしさ」が溢れ出すのも感じていました。実際にその夜、勇気を出して妻に話すと「ちゃんと家族への責任を果たすならOK」と再び快諾。彼女は一貫していました(笑)。すぐに家を探し始め、山中湖の森に貸別荘が見つかりました。直感的に「ここがいい!」と決めました。こうして東京と山中湖、半々の生活がはじまりました。2006年9月、死にかけてから3ヵ月目のことでした。

現代人がかかえる「そこはかとない不安」を癒す「森の力」に惹かれて事業を起こす(山田博さん/ライフシフト年齢46歳)

漠然としてそこはかとない不安を癒やす、自然の効用、森の治癒力

コーチングの仕事をはじめて以来、私には一つの疑問がありました。クライアントが本当にやりたいことは何か。それを妨げているものは何なのか。そういうことを自分で発見して、新たな行動を取っていくと、クライアントは大きく変化していきます。しかし私の中で「科学的な話」ではなく「感じる世界」として、すかっと抜け出した感がありませんでした。空に太陽は出てきたのだけれど、雲も残り、その間から陽が差しているような。問題は解決し全てはうまくいっているはずが、将来こんなことが起こったらどうしようとか、ビジネス競合に勝てる気がしないとか。正体の見えない不安を口にする人が多くいました。私はそれを「そこはかとない不安」と呼んでいました。

あるときのこと、直感的な思いつきでそんなクライアントを森に誘ってみました。ただ森を歩き、たき火をして食事を一緒に食べる。二、三日すると、すっかり表情からとげとげしさも消えて「なんか安心した。これで大丈夫な気がする」と言ったのです。その出来事から、都市の生活の中では人々は元々持っていた感じる力を忘れている。そして森には、それを思い出させてくれる力があると確信しました。このことに共感してくれる仲間にも出会い、2006年共同で、森で生活して森から力をえる「森のワークショップ」の活動がはじまりました。

現代人がかかえる「そこはかとない不安」を癒す「森の力」に惹かれて事業を起こす(山田博さん/ライフシフト年齢46歳)

自分の使命を感じて、「森のリトリート」を メイン事業とする会社を設立

この時点では、まだ事業というようなものではありませんでした。そして、2009年ごろから、一緒にイベントを運営していたパートナーたちが違う方向へと進む中で、一つの分岐点を迎えます。

そのころ、マヤ文明の知恵を引き継ぐ長老が来日し、そのワークショップに参加したご縁で、ネイティブ・アメリカンの伝統儀式の一つであるビジョン・クエストに参加することになりました。
4日間、水とほんのわずかな食料だけで岩の上に座って「自分が何のために生きているのか」を自然に聞く。ニューメキシコの焼けるような太陽の下で、冷静な思考は失われ、幻視幻聴を体験するようになっていきます。生命の危険すらあるぎりぎりの状態の中、私には「おまえはガイドだ」という声が聞こえた気がしました。

考えてみると、私が教師を目指したのも、教育研修事業を希望したのも、コーチングをはじめたのも、人を導く「ガイド」という役割のためだったと腹に落ちてきました。帰国してから2011年3月に東日本大震災が起こり、人間と自然の関係も危機的なものになっていました。「人と自然を橋渡しするガイド」としての活動を、大自然が要請している。私は勝手にそう感じて、2011年6月「森のリトリート」事業を本格的に展開する株式会社森へ、を設立することになりました。

現代人がかかえる「そこはかとない不安」を癒す「森の力」に惹かれて事業を起こす(山田博さん/ライフシフト年齢46歳)

自らの不安も消えて、「ガイド」として生き続ける覚悟を決めた

現在、森へ、では企業や個人の方を対象に、忙しい日常から離れて森で過ごすことで心身ともにリラックスして、感じる力を取り戻していく宿泊型の「森のリトリート」を事業として展開しています。

この仕事が未来も継続していくものであるかどうか、正直「わからない」としか言えません。しかし、恐らく、どのような変化があっても私は「ガイド」という役割を続けていくだろうという確信はあります。私自身も「そこはかとない不安」に囚われていた時期がありました。でも、現在では、そこはかとない不安はまったく消えているのを感じます。夜の森で一晩過ごすと、むやみやたらな恐怖感に囚われ、風が木々を揺らす音にも、びくりとおののいてしまいます。でも、その恐怖は自分が作った幻想であり、そこにただい続けると不安は次第に消え去り、森と自分の境目が溶けていくような感覚がやってきます。それは別段、新しい能力を得た、ということではなく、元々持っていた力を取り戻したということ。現代の人は、自然の中で一体化して多くを感じる能力を忘れかけていることで、頭の中で幻想を描き出し、そこはかとない不安を抱くのでしょう。人々が森や自然からたくさんのサインを受け取る力を思い出すという、自然から受け取った役割を、これからも続けていこうと思います。

現代人がかかえる「そこはかとない不安」を癒す「森の力」に惹かれて事業を起こす(山田博さん/ライフシフト年齢46歳)