コノリー美香さん(No.65)/パーソナルライフコーチ
■1978年、千葉県生まれ。千葉県立衛生短期大学(現・千葉県立保健医療大学)卒業後、情報サービス関連の会社に10年間勤務。企画販促や事業企画などさまざまな業務に携わる。1年間の外資系企業勤務を経て、パートナーに伴ってヨーロッパに移住(2019年5月現在、フランス・ブルターニュ地方在住)。2017年よりコーチングを学び、2018年よりライフコーチとして活動を始める。2018年、米国・ペンシルべニア大学 パーソナルサクセスコース修了。同年、米国・サンディエゴ大学 パワフルメンタル脳科学コース修了。国際ライフエンパワーメント認定コーチ。
■家族:夫(イギリス国籍)。
■座右の銘:「感情は自分で選べる」(世界的ベストセラー『7つの習慣』著者・スティーヴン・R・コヴィー)
仕事に打ち込みながらも、いつも何か足りない感覚があった20代
2011年に32歳でパートナーに伴ってヨーロッパに移住し、34歳で結婚。スペインとフランスを行ったり来たりしながら暮らし、現在はフランス・ブルターニュに住んでいます。コーチングや心理学を学び、2018年からライフコーチとして活動中です。
海外で暮らすことになったきっかけは30歳の時に踏み出した小さな一歩でした。当時の私は情報サービス関連の会社に勤務していました。短期大学の栄養学科を卒業後、21歳で就職情報誌を見て飛び込んだその会社は経験もスキルもない私にチャンスをくれ、営業部のアシスタントから企画販促、事業企画までさまざまな業務に携わることができました。社員同士がオープンに議論できる風通しのいい風土も私にとても合っていました。
ところが、27歳になったころから「本当にこのままでいいのかな」と将来について悩むことが多くなりました。仕事はやりがいがあるし、環境に恵まれて自分の成長も感じていたけれど、いつも何かが足りない感覚があって。10年後の自分がこの仕事を続けていることをイメージできなかったんです。悶々と「私は何をしたいんだろう」と考える日々が続き、30歳の誕生日まであと2カ月というころに「あ、これが引っかかっていたんだ」とはたと思い当たったのが、大学進学時に封印した「英語を学んで、世界中の人とコミュニケーションしたい」という夢でした。
私には小学生のころから海外への憧れがあり、大学は英文科に進みたいと思っていました。でも、家庭の事情で進学自体できないと言われ、かろうじて行けたのが県立短期大学の栄養学科でした。学校推薦をもらえ、学費も高くなかったので、親に頼み込んで行かせてもらったんです。栄養学にも関心はありましたし、高校まではあまり人間関係に恵まれなかった私も短大では何でも話せる友人たちと出会え、楽しく過ごしました。ただ、社会人になってからも「私はやりたかったことをあきらめてしまった」という思いが心の片隅にずっとありました。
やろうと思えば、英語の勉強はいつでもできたはず。今なら、そう思いますが、当時の私には「英語を学ぶ=留学」という選択肢しか頭にありませんでした。だから、「留学するお金もないし、英語はあきらめなきゃ」と思い込んでいたんですね。でも、そのことがずっと引っかかっていたことに気づき、「もうあきらめるのはイヤだ。1歩ずつでいいから、やりたかったことをやってみよう」と30歳の誕生日に決意。中学1年生レベルの参考書を買って独学で英語を学ぶ一方、「学んだ英語は使わなければ」と外国人の友達を作りはじめました。
32歳でヨーロッパへ移住。理想と現実のギャップにショックを受けた
30歳で学び直しを始めた当時、私の英語力は文法もスピーキングもめちゃくちゃ。それでも1年ほど勉強しているうちに外国人の友達との意思疎通ができるようになってきました。少し自信が湧いてきて、次のステップに挑戦してみたくなり、31歳で情報サービス関連の会社を退職。外資系企業で秘書として働きはじめました。そんな時に、日本に赴任していた現在の夫と出会い、彼が日本を離れる際に「一緒に行こう」と言われてスペインに移住することになりました。32歳の時でした。
夢に見たヨーロッパでの生活。日本を発つ前は、英語を使って現地で仕事をしている理想の自分を思い描き、意気揚々としていました。ところが、スペインに着くなり現実とのギャップにショックを受けました。私たちが新たな暮らしを始めた地はアンダルシア地方の小さな港町・ソトグランデ。ジブラルタル海峡にほど近いのんびりした田舎町。現地について何も知らなかった私は浅はかにも「ヨーロッパなら、どこでも英語は通じるだろう」と思い込んでいたのですが、マドリードやバルセロナなどとは異なり、周囲に英語を話す人がほとんどいない環境だったんですね。お店でりんご一つ買おうにも言葉が通じず、生活習慣やマナーの違いにも慣れなくてストレスを感じました。
パートナーは仕事で忙しく、朝7時に出かけて帰宅は21時とか、22時とか。友だちもいなくて、軽い鬱状態になり、ひとりぼっちの部屋で膝を抱えて泣くような日々が半年ほど続きました。「英語圏だったら、違ったのに」という思いから、スペイン語を聞くのもイヤになり、パートナーに「もうイギリスに引っ越したい」と泣きながら訴えたこともあります。そんな状態だった私も、スペイン語が少しわかるようになり、現地の人とコミュニケーションが生まれると、生活を楽しめるようになりました。
それなのに、パートナーの勤務地が変わり、今度はフランス南東部の都市・ニースへ。またイチからやり直しです。ニースで暮らすパートナーのおばあちゃんやご両親が温かい愛情でサポートしてくれ、スペインで暮らしはじめたころのようなどん底の状態にはならなかったものの、自分の無力さをもう一度突きつけられました。頭と体は大人なのに、言葉ができないから、赤ちゃんと同じ。何もできない自分が許せませんでした。
“ダメな自分”だから伝えられること、誰かの役に立てることがあるのではと気づいた
スペインとフランスで2回目の生活を始めたころには心の余裕が生まれ、ヨーロッパで暮らすことを「楽しいな」と感じられるようになりました。それなのに、私には常に「周囲に比べて自分は劣っている」という思いがつきまといました。振り返れば、パートナーの勤務スタイルや税金面の問題などさまざまな事情から働けない時期が続いていたことの影響が大きかったと思います。学生時代に家族や友人との関係で悩むことが多く、自己肯定感が持てなかった私にとって、社会に出て自立することで少しずつ得られた「やればできるんだ」という思いや、一緒に働く人たちとの信頼関係はとても大切なもの。働いて、自立したいという気持ちが強かったんです。
ところが、パートナーの頻繁な異動もなくなって、いざ働ける状況になった時、「私に何ができるんだろう」と悩みました。片言のスペイン語やフランス語はできるようになったとはいえ、仕事では使えないし、専門的な資格や技術もない。可能性を見出そうと個人輸入のお手伝いをしてみたり、ブログで現地の情報を発信したりして、それぞれさまざまな出会いもあったのですが、心から打ち込めるものが見つからず、「私ってダメなんだ」という思いがつのるばかりでした。
転機は、ブログを発信する中で「私が本当に誰かに伝えたいのは”お役立ち情報”ではなく、”一歩を踏み出すと、人生は変わるよ”ということなんだ」と気づいたことです。ヨーロッパに移住後、泣いたり、“ダメな自分”を責めて悩んだり。それでも一歩ずつ歩んで、ここで暮らすことを楽しめるようにもなった。そんな自分だからこそ伝えられること、誰かの役に立てることがあるんじゃないかと思い至りました。
そんな時に出会ったのがコーチングです。会社員時代の先輩がコーチング活動をされていて、存在そのものはもともと知っていたのですが、自分が携わることになるとは思っていませんでした。でも、自分が何をしたいのか答えを探すためにさまざまなコンサルティングを受けたり、本を読んだりする中でコーチングにたどり着き、「答えはすべてその人の中にある」という考え方がすごくしっくりときたんですね。そして、その答えを引き出すのがコーチの役割だと知り、私はこれをしたいんだ、こういうお手伝いがしたいんだと確信したんです。2017年、ヨーロッパで暮らしはじめて7年目でした。
コーチングに出会い、自分のことを自分自身が心から受け容れられるようになった
コーチングをやりたいと思ってからは、迷いがありませんでした。基本的に、ゴールが見つかるとそこに向かって突っ走っていくタイプなんですよ(笑)。「与えられたゴールではダメ」という天の邪鬼なところがあるのですが、それだけにひとつゴールを見つけると、そこまでの過程をクリアして、どんどん前に進むんでいくという性質があって。日本の大手コーチングスクールを卒業された認定コーチにマンツーマンで半年間指導を受ける一方、自らコーチングを受けてクライアントさんの気持ちを学び、2018年2月からコーチング活動をスタートしました。
心理学や脳科学などコーチング活動や私自身の学びにつながる勉強は今でも続けており、カナダのコーチングスクールのカリキュラムを受講し、2019年4月には国際ライフエンパワーメント認定コーチの資格も取得しました。コーチング活動はおもにオンラインで行っており、ブログの発信などを通して以前から私と関係性を築いてきたクライアントさんもいますが、私を初めて知った人にとっていきなりコーチングを依頼するのは不安なもの。資格を取得することによって、クライアントさんとの信頼関係が少しでも築きやすくなればという思いもありました。
2019年5月現在、これまでにご依頼いただいたクライアントさんは130名ほど。日本語を話す方がほとんどですが、住んでいる国はイギリスやドイツ、フランス、スペイン、タイ、アメリカ、日本など世界13カ国にわたります。実は、コーチングを仕事にすることに対して「何の実績もない自分が役に立てるのか」という迷いもありました。でも、迷っている間に、本当なら出会えたかもしれない方たちをお手伝いできなくなってしまう。だから、今の私にできることをやろう、できることの中でクライアントさんが必要としていることを提供させていただこうという思いで始めました。
実際にクライアントさんに接してみると、「何かをしてもらうのではなく、ただ誰かに聞いてもらいたかった」「苦しい思いを誰にも言えなくてつらかったけれど、ミカさんだから話せた」というお声をいただき、私自身が励まされています。クライアントさんを通してさまざまな視点を知り、学ばせていただくことも多いですね。
今後は認定コーチの上位資格を取得したいと考えています。ただ、資格はゴールではなくて、ツールのひとつ。私はこの先も海外で暮らしていくつもりなのですが、そこがフランスであれ、スペインであれ、英語圏であれ、その国の言葉で現地の人にコーチングを提供し、自分が暮らす国に貢献したいという大きな目標があります。また、いずれは子どもたちのコーチングにも携わりたいと考えています。ヨーロッパにいると、人種の多様性ゆえの紛争を身近に感じますが、コーチングの相手のありのままを受け容れる考えは多様性の理解につながると確信していて。心が柔らかい子どものうちにコーチングを提供できたら、争いもなくなるのではと思うんです。壮大過ぎる目標なんですけど(笑)。
社会に出て誰もが知っている企業でやりがいを感じながら仕事をしていても、憧れの海外暮らしを実現しても、私はいつも満たされない思いを抱いていました。今なら、その理由が思い当たります。何かをやろうと一生懸命頑張る時に、自分の意思で動いているつもりでも、その評価基準が周りの価値観だったんですね。だから、いつも他者と自分を比べて苦しかった。でも、ヨーロッパの人たちの相手をバックグラウンドではなく「個」として捉える感覚に触れ、「私は私でいいのかも?」と思えるようになり、さらにコーチングに出会って自分のことを自分自身が心から受け容れられるようになった。最愛のパートナーに出会えたことや、ヨーロッパ移住も人生の転機となりましたが、生涯かけて心からやりたいことに気づけたコーチングとの出会いは、私にとってのセカンドキャリア。大きなライフシフトだったと感じています。