福川 契生(ふくがわ せつお)さん《No.009》
・MAX Myanmar Group of Companies : Business Coordinator
・AYA Bank : Japan Desk, Manager
ミャンマー・ヤンゴン在住。49歳。50歳の妻とミャンマーで生活している。40代まで、投資ファンドで、企業への投資及び投資後の経営に従事していたが、後に事業会社にて事業開発を担当、ミャンマーへは日系企業の事業開発プロジェクトで移住。その後、ミャンマー企業グループの銀行へ転職。現在は、銀行業務のほか、日系企業とのアライアンス、事業開発を担当し、道路、鉄道ODAのインフラ整備工事、電力エネルギー事業、自動車関連事業の立ち上げに従事している。
座右の銘:おもしろき こともなき世を おもしろく
http://www.maxmyanmargroup.com/
https://www.ayabank.com/en_US/
景気の停滞、人口減少、将来的な市場縮小から、日本企業の海外事業開発に従事する中で、漠然と日本企業の活性化に貢献したいと考えていたところ、その機会を得てミャンマーでの事業開発を担当することとなり、ミャンマーへ移住しました。ところが、残念ながらその事業自体はうまくいかず、ミャンマーで失業するという悶もんとした時間を過ごしました。
いまさら日本に帰っても仕方がない。それよりも、すべてがこれから始まるミャンマーに残ろうと決意し、現在のMAX Myanmarグループでの職を得たのです。
大きな転機にも妻は背中を押してくれた
子どもがいないこともあり、また、妻自身が東南アジアをはじめ、発展途上国への旅行が好きだったこともあり、さらには国内経済の先行きを心配していたことなどが重なり、妻はいつも私の転機を応援してくれました。ミャンマーにいくことを決断したとき、ミャンマーで失業者となることを決断したとき、いまのMAX Myanmarで働くをことを決断したとき、いずれの時も驚くほどあっけらかんと、むしろ背中を押してもらえたことを嬉しく思っています。
こちら(ミャンマー)にいる駐在員の方の中には、奥様が住環境に耐えられないとか、お子さんの教育、医療問題から単身を余儀なくされていらっしゃる方も多いと聞いていますが、その点では妻はよき理解者でいてくれることに大変感謝しています。
仕事も余暇も充実。刺激的な毎日を過ごす
日本の企業にいたときは、早朝から深夜まで休みなく働き、何をするにしても根回しを必要とし、承認を得るための書類や文書での報告書に明け暮れる生活でした。しかし、ミャンマーに来てからは、ミャンマーの特性でもあるのでしょうが、仕事は夕方5時にきっちり終わり、仕事帰りはおいしいものを探して歩き、そうでないときもプールで泳いでリフレッシュしたりと、余暇も十分楽しめる環境に変わりました。
仕事の内容についても、現在働くMAX Myanmarはオーナーが日本での皿洗いのアルバイトから立ち上げた、当地でも有名な会社であることから、日系のお客様が絶えず、私自身が日本にいたときは想像できなかった、政治家との面談や超大手企業と提携交渉なども行っています。また、オーナーがミャンマーのサッカー協会の会長であることから、北澤豪元日本代表との面談に同席させていただくなど、刺激的な毎日を過ごしています。
働く会社、ミャンマーの国づくり、日本の企業や社会に貢献してミャンマーでのハッピーリタイアメントを目指す
ミャンマーは数年前まで軍事政権下にあり、また実質的な鎖国政策をとっていたこともあり、おもな産業がないばかりか、道路、鉄道、空港、あらゆるインフラが老朽化していて、すべてにおいてこれからの国です。
ミャンマー企業で働く日本人として、日本の企業と連携してミャンマーの国づくりに貢献するとともに、日本の企業にも貢献していきたい、またMAX Myanmarの事業基盤拡大にも力を注ぎ、現在会社が手掛けているリゾート開発の中の一戸をもらえるくらいに貢献して、ミャンマーでハッピーリタイアメントしたいなぁと考えています。
日本企業は上に行くほど先が細くなるピラミッド型の組織が大半で、いくら能力があってもNo.1 にならなければ生き残るのは至難の業です。だからと言ってNo.1になるべきだと言うのではなく、たとえNo.1 でなくても、外を見渡せば必要としてくれるところはあるということに気付くべきだと思います。また悲壮な決断をしなくとも、たまには流れに身を任せて、出たとこ勝負で見つかる居場所もあるのではないでしょうか。
負け犬の遠吠えに聞こえるかもしれませんが、価値観が多様化していることもあり、私のライフシフトについても意外といいねっと思ってくれる人もいるので、なんでもポジティブに考えられるようになることのほうが重要かもしれません。(笑)