PROFILE

福岡達也さん(No.81)/半農半X生活を探究中

■1989年神奈川県生まれ。武蔵工業大学(現:東京都市大学)環境情報学科卒。大学院に進むが中退。分譲マンションのデベロッパー、管理会社、管理組合をクライアントにコミュニティイベントを提案する企業に入社する。その後転職して、まちづくりの拠点となる新規店舗の立ち上げを経験。2015年、シェアハウスに関心を持ち、横浜市のシェアハウスに入居。2018年、そこで出会ったライターでパーマカルチャー活動を進める梓さんと結婚。同年11月に長男 多羅(たら)ちゃんが生まれる。これを機に会社を辞め、2020年6月に鴨川市へ移住。「半農半X」の生活を探究中。
■家族:妻と1歳の息子
■座右の銘:上善如水。水はどんどん形を変化させながら下に落ちていく。自分の存在を主張せずに低い方法に自然に流れる。そんな争わない人生を送っていきたい。
note

 

一人だけ泥団子に夢中になる子ども

小さい頃から、周囲と違っていても構わない意思の強い子どもでした。保育園のころから休み時間にほかの子どもたちが皆ジャングルジムに走って行っても、自分一人だけ砂場に向かって泥団子を作り出していました。親が心配して「病気ですか?」と聞いたら先生の返事は「いいえ、彼は泥団子をつくりたかったんですよ。他の子の多くはジャングルジムに向かう流れができていたから付いていっただけ。ジャングルジムに行きたいという意思なんて実はないんです」

私の人生は四苦八苦しながらも、この性格と向き合ってきたくり返しだったかもしれません。

子育てのために会社を退社。棚田の美しい鴨川に移住して、半農半Xの生活へ (福岡達也さん/ライフシフト年齢30歳)

5歳の頃。自己主張の強い子どもだった。

学校に行く理由を見失い不登校に。美しさを感じて生きる第2の人生へ

幼児のときは父親の仕事の都合でアメリカのニューヨークの郊外に住んでいました。帰国後に中学受験して鎌倉の中高一貫校に通います。でも、そこで不登校になりました。いじめられたとか、先生がいやだったとか具体的な理由があったわけではありません。ある日ふと「学校に行くのにどんな意味があるのだろう?行かなくてもいいんじゃないか」との想いにとりつかれて考えはじめたら、どこまで行っても「学校に行く」必要性がみつからなかっただけのことでした。

本人にとっては別に大きな決断ではなかったのですが、周囲の方がびっくりしてしまいました。「なぜ、行かないんだ!」と大騒ぎになりました。これに反応するように世界を閉じてしまい結局3年間ほど引きこもり生活を送ることになります。

そんなある日思いついたのが、人生をリセットして第2の新しい生き方をはじめてみようということでした。久しぶりに学校に行こうとして、朝の通学時間ではなく昼近くに家を出て歩いて行きました。すると視界に入ってきたのは、鎌倉の美しい風景でした。それまでは慌ただしく通り過ぎるだけの通学コースがこんなに美しかったと発見した、そのときに言語化できたかは記憶にありませんが、これからはこの美しさを感じながら生きていけていければいいなと感じました。リセットして新しい生き方を歩き出す、そこには自由と肯定感がありました。

子育てのために会社を退社。棚田の美しい鴨川に移住して、半農半Xの生活へ (福岡達也さん/ライフシフト年齢30歳)

高校1年の頃(右)、弟と妹と。3年間の不登校のあとに人生をリセットしようと考えた。

コミュニティのあり方を突き詰めていったときシェアハウスと出会った

結局、高校は中退して大検をとり、環境情報学科に入学しました。すべてを取り払ったとき、自分は学ぶことが好きだと気付いたからです。そこで造園学のゼミに加わったのも現在に続く一つのターニングポイントになりました。里山で調査活動を行いながら、生物学から社会学、心理学、哲学と世界の広がりを知っていきました。

興味ある世界を広げたくなり大学院へ。そこで再度、壁に突き当たりました。元々関心が飛び火して、広がっていってしまう私は、研究という領域が性に合っていなかったらしく、論文が書けなくなってしまったのです。悶々とした期間が過ぎた後、結局中退して就職することになりました。

当時、造園領域では使われていない公園や空地をどう活かしていくかという視点から「コミュニティ」がキーワードになっていました。その議論の延長線にあるものとして、コミュニティに関わる仕事を選びました。分譲マンションの住民同士の交流を目的としたイベントを企画している会社です。仕事をしながら自然と「コミュニティとは何か」考える機会が増えていきました。しかし、お客さんに対して提案を行うときに、ふと気がついたのが軸となるべき「自分の考え」が固まっていないという事実です。「私にとってコミュニティとは何か」という問いに対する答えがみつりませんでした。それでは仕事も薄っぺらになってしまいます。思考する過程でたどりついたのが「シェアハウス」という暮らし方でした。

ごく自然に隣人とつながっていくコミュニティのあり方を知ったシェアハウス時代

ウェル洋光台は「もちよる暮らし舎」を名乗るご夫婦が運営しているシェアハウスで「畑、手仕事、おうちカフェ、ずっと暮らせる国際村」というキャッチフレーズにもとづいて住民とオーナーの協働によるシェアハウスという新しい暮らしの形をつくっています。ネットの記事を読んで初めてこのシェアハウスのことを知った時は、おとぎの国の話ではないかと疑ったものです。食材や生活物資を共有するために施設内だけで通用する「フリーお金」、住人が自ら掃除をして管理しない運営方式、担当も決めずにそれでもシェアハウスが維持されていると。しかしそこにコミュニティの未来のカタチがあるのではないかと思えて、入居することになりました。

コミュニティには関心があったものの、もともと不登校になるほど人付き合いが不得意だったった私に、他人との共同生活に不安があったのは事実です。人との距離が近くなるとストレスを感じそうな気もしたし、自分から関係性を築けるかも心配でした。でも実際に住みはじめてみると、シェアハウスはそうした人間関係に積極的な人だけに開かれているものではないと思うようになりました。周囲の人々と勝手に出会ってしまう感覚でしょうか。仕事に疲れて帰ってみると、みんなの方から”おかえりなさい”といってくれる。5歳の女の子が飛びかかってきて、遊ぼう。遊ぼう。たとえば料理でも、野菜を切ったり、肉を買ったりすることを考えると1人前より3人前つくる方がずっと簡単でお隣さんに「一緒に食べませんか?」となるのが自然な形でした。

それはこれまで私が仕事で扱ってきたコミュニティとはどこか違う。意識的、作為的なものとは真逆なことです。一緒に暮らしていくと、自然につながりができていく。食べ物は保存がきかないから、みんなで分ける。昔からそうやってみんな暮らしていたんだと、いろんなことがわかってきました。人がともに暮らすというのはもともとあった姿なんだと思うようになりました。

子育てのために会社を退社。棚田の美しい鴨川に移住して、半農半Xの生活へ (福岡達也さん/ライフシフト年齢30歳)

ウェル洋光台時代。住人がギフトをしあって協働するコミュニティに多くを学んだ。

シェアハウスで妻と出会い、パーマカルチャーに興味を持つ

妻の梓とは偶然にもウェル洋光台に同じ時期に入居しました。毎日同じぐらいの時間に帰ってくるのでごく自然に一緒にご飯を食べるようになりました。年上の彼女に対して、最初は距離感がつかめない感じもありましたが、相手を知っていく過程でなんでも話せる間柄になっていき、紆余曲折こそありましたが、いつしかパートナーになっていました。

結婚を決めるまでには、大きな決断が必要でした。家族がほしい、子どもがほしい、というのが彼女の強い希望でした。当時、彼女は40歳、私は28歳。彼女にとっては、いましかないという強い想いもあり、結局付き合いだして半年の2018年1月1日に結婚しました。

パーマカルチャーを学ぶようになったのも、妻からの影響でした。パーマカルチャーとはPermanent(永続性)とAgriculture(農業)の造語で、人類が永久に存在し続けるために、農薬などで土地を痛めることなく、自然の恩恵を最大限に受けることに注力していくという考え方です。伝統的な農業の知恵を学び、現代の科学的・技術的な知識も組み合わせて、通常の自然よりも高い生産性を持った『耕された生態系』を作り出していきます。

大学でも植物を扱う領域にはいたものの、パーマカルチャーは異質なものでした。造園学にしても、林学にしても生産性から出発して物事が組み上げられているのに対し、パーマカルチャーは暮らしを基軸にしているのが大きな違いだと思います。

コミュニティや人本来の暮らしをシェアハウスで体験できたことで、よりその周囲にあるべき環境の姿が少しづつ具体的になっていきました。そして将来的にはそんな環境へと移住することも考えるようになりました。

子育ての大変さを目の当たりにして、仕事より家族を選んだ

待ちに待った子どもが誕生したのは2018年の11月。「多羅(たら)」と名付けました。ヒンドゥー語で「星」と「渡す」という意味で、僕らを次の世界に連れて行ってくれる存在に思えました。

しかし、私が直面させられたのは子育ての大変さでした。高齢出産だったので肉体的なダメージも大きなものがありました。また、妻には家庭的な事情もあって実家の方からの育児への援助は期待できませんでした。

当時、私が受け持っていた業務は非常に忙しいものでした。まちづくりの拠点となるコミュニティスペースの運営、カフェ、そして宿泊業まで手がけていました。しかも高いノルマが課せられている。こうなってくると休日はほとんどありません。

収入がなくなることには大変な不安がありましたが、どちらが大切かと言われれば答えは明らかでした。2019年2月に会社を辞め、子育てを一緒にしながらいよいよ移住へのプロセスを進めていこうと決めました。

角を曲がった瞬間の美しい景色に釘付けになり鴨川に移住

育児休業中の妻と一緒に、移住先を探す旅を始めました。アメリカのポートランド、シアトル、ハワイ島、長崎、三浦半島、三宅島…。1か所に2週間から1か月といった長期スパンで滞在しました。どこもものすごくいい場所で、住みたい場所ばかりでした。貯金が尽きるまえに決めたいと焦る気持ちもありましたが、美しい島ほど火山があって、噴火したときにはどうしようかなどと考えていくと決断がつかない状態でした。

ハワイ島で多羅と。

あるとき千葉県の南房総でパーマカルチャーの研修がありました。その帰りに山道を走っていて角を曲がった瞬間に見えてきた美しい風景に釘付けになりました。そこは棚田の村でした。南房総の地形は複雑なので山肌に沿うようにコンパクトで美しい棚田になります。そこには昔ながらの、住んでいる人からすれば当たり前の暮らしが、ただ美しく残っていました。日本はもともと綺麗だったんだな。当たり前が綺麗だったと知り、感動しました。

子育てのために会社を退社。棚田の美しい鴨川に移住して、半農半Xの生活へ (福岡達也さん/ライフシフト年齢30歳)

房総半島ならではの美しい棚田に目を奪われた。

築100年の古民家で、手さぐりではじめた移住生活

海から20分ぐらいクルマで上がったところで、築100年の古民家が見つかりました。ミカン畑、休耕田、竹林、牛小屋、蔵なども付いて家賃2万5000円と格安です。

子育てのために会社を退社。棚田の美しい鴨川に移住して、半農半Xの生活へ (福岡達也さん/ライフシフト年齢30歳)

この広さで家賃2万5000円!

2020年2月ごろから通いで、こつこつと家の掃除と修理を続けてきました。私たちが生まれるより遙か昔に建てられた家を改修するのは一筋縄ではいきません。

  • 二階は珪藻土を塗って畳張り替え
  • 一階キッチンは仮で合板張り
  • 居間の一室は天井裏壁を塗り直して、畳入れ替え

最初は断熱をしっかりして暖かい部屋にしたいね、と話していたのですが、根本的に古民家は四方開放されていることでバランスが取れていることがよくわかってきました。ゾーンで暖かい部屋を作ることと、気密をしっかりする方向にシフトしました。古いものこそつくりがよくて、磨けば光る原石のようです。

そしてなんとか2020年6月にシェアハウスを出て、家族3人鴨川の住人になりました。

子育てのために会社を退社。棚田の美しい鴨川に移住して、半農半Xの生活へ (福岡達也さん/ライフシフト年齢30歳)

古民家の室内。移住後も手を入れ続けている。

この場所で実現したいのは、パーマカルチャーをテーマとした半農半Xの暮らしです。農業は少しずつはじめています。同じ集落に住む芸術家でパーマカルチャーの師匠でもある林良樹さんとともに、宿泊や飲食なども手掛けていきたいと話しています。まだ夢の段階ですが、ミカン畑の中に住めるようにしたいと考えています。食べられる森の中に滞在して、地産地消の果物や野菜、米を食べてもらう。シェアハウス時代のように、継続的な関係性、コミュニティをつくっていけたらと考えています。

そのことは息子の多羅にとっても、素晴らしい育児の環境になることでしょう。物事を見る出発点として、生まれてきた世界の人々は信頼できる存在なんだという経験をしてもらいたいと思っています。多くの安心できる大人に囲まれながら、その上でいろんなことに挑戦してもらいたいと思っています。

自然が教えてくれるものは大変なものがあります。転んだら痛いし、すべては自分に返ってきます。もちろん、安全は大切ですが、実は失敗できる環境づくりの方も同じくらい大切だったりします。

子育てのために会社を退社。棚田の美しい鴨川に移住して、半農半Xの生活へ (福岡達也さん/ライフシフト年齢30歳)

世界を旅してたどり着いたこの美しい集落で、新しいコミュニティづくりを目指す。

起こることに上手に巻き込まれながら人生100年時代へ『扉』を開いていきたい

私は本を読むのがものすごく好きで、それが幸せだと感じています。大変なお金がいるものでも能力が必要なわけでもありません。たくさんの知識や考え方を学ぶことが幸せだと分かっていけば不幸な方向には人間は向かわないのではないか。昔、一生靴磨きをしながら生きていく哲学者がいましたが、仮にお金持ちにならなくても彼は幸せだっただろうと想像できます。何に対して幸せを感じるのか、自覚するのは大切なことだと思います。

また、私自身、何かを目標にして将来設計するような人生を送ってきてはいません。いろいろなことに巻き込まれながら、結果的にここにいます。造園学を勉強しているうちにコミュニティに関心を持ちました。シェアハウスにいて料理したら食べ物をシェアしたくなりました。そこでパートナーと出会おうなんて思ってもいませんでした。出会いを起点に新たな選択肢が増えていきました。いろんなことに巻き込まれながら、そのたびに人生が豊かになってきた気がします。

ライフデザイン/ライフシフトというと計画性が大切、みたい話になりがちですが、目の前で起きたことに上手に“巻き込まれていく力”もあるんじゃないか。そんなことを考えながら、これからも梓と多羅と一緒に新しい「扉」を開けていこうと思います。