PROFILE

古矢美歌さん(No.101)/「蒸籠食堂 かえる」店主

■1992年、大阪府生まれ。2012年レコールバンタン大阪校 フードスペシャリスト学科パティシエ&ブーランジェ専攻卒業後、上京。フードコーディネーター事務所などを経て飲食業界専門の人材会社クックビズ株式会社に3年間勤務。株式会社KDDIコミュニケーションズ、株式会社トラストリッジで編集・執筆を経験後、2020年11月、神奈川県三浦市への移住とともに独立。2021年5月、三崎銀座商店街に「蒸籠食堂 かえる」をオープン。平日は編集業、週末は店主として活躍中。

■家族:母、妹

■座右の銘:「思いたったが吉日」

「真面目過ぎる性格」で、考え過ぎて動けなくなることも多かったので、思い立った時はなるべく直感で動くことを心がけている。

■蒸籠食堂かえる
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学生時代から「小さなお店」をやることが夢だった

2020年11月に東京・世田谷区から三浦半島の最南端の港町・三崎(神奈川県三浦市)に移住。フリーランスで編集や執筆の仕事をしながら、京急三崎口駅からバスで15分ほどの「三崎港」近くにある商店街で、金土日のみ営業の「蒸籠食堂かえる」を営んでいます。

「かえる」は元スナックを改装した9席のみの店で、旬の地元野菜、餃子などを蒸籠でお出しする蒸し料理が看板。蒸し料理は食材のおいしさを丸ごと引き出すので、小さなお子さんも野菜をたくさん食べてくれます。三浦市は温暖な海洋性気候を活かした露地栽培が盛んで、畑がいっぱい。新鮮な野菜には事欠きません。

マグロの水揚げで有名な三崎港までは自宅から歩いてすぐ。買い出しでバイクに乗っている時など日常のちょっとした瞬間に海を感じます。朝や日中の海も気持ちがいいのですが、三崎は夕日がとてもきれいなんですよ。

観光客が少ない平日、犬の散歩をしたり、親子で釣りをする地元の人たちだけの静かな港で夕日を見ると、忙しい時も心がすっと穏やかになる

観光客が少ない平日、犬の散歩をしたり、親子で釣りをする地元の人たちだけの静かな港で夕日を見ると、忙しい時も心がすっと穏やかになる

すっかり「我が町」となった三崎ですが、もともとは名前しか知りませんでした。三崎に移るまでは東京で8年間暮らし、生まれ育ったのは、大阪・守口市です。8歳の時に両親が離婚し、専業主婦だった母は医療事務の仕事などをして少しずつ手に職をつけ、時にはいくつも仕事をかけもちして私と妹を育ててくれました。家の近くの千林商店街に自転車で一緒に買い物に行ったり、何気ないおしゃべりをしたり、母との楽しい思い出はたくさんあります。一方で、忙しく仕事に出かけて行く母の背中を見送るのはさみしく、高校生のころから「将来自分の家族ができたら、家を拠点に仕事をしたい」と考えていました。

高校卒業後、専門学校の製菓科に進んだのはその思いからです。「専門学校を出たらケーキ屋さんで修業をし、いつかは自宅に小さなお店を持てたら」とぼんやり夢を描いていました。ところが、入学後、以前から大好きだったパティスリーで研修をさせてもらった時のこと。楽しかったけれど、どこか違和感があり、自分にひとつの工房で朝から晩まで働くのが向いていない気がしました。

この時期に大きな影響を受けたのが、専門学校で教えてくださっていたある先生です。その方は講師として働く一方で、フリーランスのパティシエとしてレシピ開発や店舗プロデュース、講師などいろいろな仕事に取り組んでいました。その姿に憧れ、フリーランスという働き方に魅力を感じるようになりました。

母校のコンテストで、チームでひとつの作品を制作し、実演する「ベリーヌプレゼンテーション」部門のグランプリを受賞し、副賞でパリを訪れた時の写真

母校のコンテストで、チームでひとつの作品を制作し、実演する「ベリーヌプレゼンテーション」部門のグランプリを受賞し、副賞でパリを訪れた時の写真

「生活の糧に」と始めた仕事をきっかけに、組織で働く楽しさも知った

在学中にイベントのケータリングに携わる機会があり、料理も好きだったことから、卒業後はフリーランスのフードコーディネーターを目指そうと決意。東京のフードコーディネーター事務所に採用され、意気揚々と上京しました。ところが、仕事がハードで続けられず、1カ月で退職してしまいました。

憧れの仕事を短期間で辞めたことは、私にとって明らかな挫折でした。不甲斐なかったし、好きなことを仕事にする難しさも思い知りました。でも、この挫折のおかげで今がある、と思います。フードコーディネーターとして細々とでも活動していきたいと考え、「生活の糧に」と始めたアルバイトが私の視野を広げてくれたからです。

アルバイト先は、「クックビズ」という飲食業界専門の人材紹介会社。ベンチャー企業で社内に活気があり、いろいろな仕事を任せてもらえて、会社で働く、組織で働くというのはこんなに楽しいんだ、と思いました。半年ほど経ったころ、社員登用のお話をいただいて、キャリアアドバイザーに。飲食関連の仕事をする方々の転職をサポートする職種です。思いもよらない仕事でしたが、求職者の方々が自分に合った転職先に出合い、喜ぶ姿を見るのがうれしくて、とてもやりがいがありました。

クックビズで働いたのは約3年間。キャリアアドバイザーだけでなく自社で運営するWebメディアの記事制作や執筆も経験させてもらい、ものすごく充実した日々でした。とくにキャリアアドバイザーの仕事は「天職では」と思うほど楽しかったです。

クックビズ時代(2列目左端)。創業期で活気があり、上司や同僚から大きな刺激を受けた

クックビズ時代(2列目左端)。創業期で活気があり、上司や同僚から大きな刺激を受けた

ただ、「出産後は家を拠点に働きたい」という思いを持ち続けていたので、独立しやすい技術を身につける必要があると考えました。ものを書くことに得意意識があったこともあり、執筆やWeb制作のスキルを磨こうと以前からのご縁があったIT企業・KDDIコミュニケーションズに転職。約3年勤務した後、食と暮らしのメディア「macaroni(マカロニ)」の企画ディレクターとして広告会社・トラストリッジで働きはじめました。2019年1月のことです。

20代後半、恋愛も仕事も「うまくまとめようとしている」自分に気づいた

「macaroni」では執筆や編集のほか、撮影やフードスタイリングも担当しました。自分が最も情熱を注いできた「食」というジャンルで、これまでやってきたことをすべて活かして仕事をする−−−−それは私が心から望んでいたはずのことでした。

フードロス解消イベント「クリエイティブクッキングバトル」の審査員を勤めた時の写真

フードロス解消イベント「クリエイティブクッキングバトル」の審査員を勤めた時の写真

KDDIコミュニケーションズでも、自分なりに一生懸命やり、充実した毎日を過ごしましたが、初対面の方に自己紹介をすると、どうしても「パティシエの学校を出たのに、なぜIT企業で働いているの?」って聞かれるんですよね。自分のキャリアの一貫性のなさに引け目のようなものがあったので、「macaroni」に転職が決まった時、すごく安心したんです。ようやく「食の編集者」という自己紹介をしやすい肩書きができたな、って。

ところが、「macaroni」で働きはじめて日が経つにつれ、「あれ?」と思うようになりました。転職前に想像していたほどには満ち足りていない自分がいたからです。Web関連の仕事以外にイベント出店の企画やオリジナルパンフレットの制作などもやらせていただいて、楽しく仕事をしていたものの、100点満点ではない感じでした。

変化の兆しが現れたのは、2020年にはいったころ。彼氏と別れたことがきっかけでした。28歳を前に結婚を焦っていた自分に気づき、恋愛も仕事も、私はわかりやすい肩書きがほしかっただけなんだ、うまくまとめようとしていたんだと思ったんです。「私、何で止まろうとしていたんだろう」と目が覚め、「もっとチャレンジしよう」と思った途端、元気が湧いてきました。

その矢先にコロナ禍のリモートワークに突入。Webメディアの仕事は忙しく、朝から晩までひとり家にこもって働く中、「私が本当にやりたいことは何だろう」と改めて自分に問いました。すぐに答えは出ませんでしたが、ひとつだけいつも心に浮かぶことがありました。それは、「自分が住みたい場所に住み、そこで学生時代からの夢だった飲食店 をやること」です。

上京後、いくつかの場所に住んでみて、自分が心地よく暮らせる場所は「都会に近い田舎」だということだけはわかっていました。また、KDDIコミュニケーション時代の後半、副業でケータリングを始めたりしたことで自分の「食」への思いを再確認して「macaroni」に転職したという経緯もありました。

お金も経験もない私がすぐにお店をやれるはずもないけれど、まずは住みたい場所に身を移すのもありかもしれない。そう思いをめぐらせていたある朝、ふと「今日は会社を休んで、住みたい場所を探しに出かけよう」と思い立ち、電車に乗込みました。2020年6月、コロナ禍による1回目の緊急事態宣言が明けたころでした。

移住の原動力は「自分も何かができるかもしれない」という思い

最初に目指したのは、以前から気になっていた真鶴町。神奈川県西端の真鶴半島にある町です。ところが、電車が真鶴駅に到着するころ、ツイッターを眺めていたら、三崎を拠点に出版社「アタシ社」を営んでいるミネシンゴさんという方の投稿が流れてきて、目が留まりました。ミネさんが開いている蔵書室「本と屯」のたたずまいとコンセプトに惹かれ、「ここに行ってみたい」と強く思ったんです。

ミネさんにメッセージを送ったところ、定休日にもかかわらずその日に見学をさせていただけることになり、真鶴に数時間滞在した後、急いで三崎へ。いきなり連絡をしてきた私をミネさんは温かく迎え、見学後は商店街に飲みに連れて行ってくれました。

三崎の商店街は下町にあり、私の肌にはすっとなじみました。ちょっと寂れた感じだけど、同じ神奈川県の鎌倉や逗子のようには完成されていない分、余白があって面白いと感じ、その日のうちに滞在型シェアオフィスのメンバーに。週末ごとに通い、三崎の町や人に惹かれていく一方で、東京で暮らす自分への違和感が膨らみ、三崎を初めて訪れた5カ月後、会社も辞めて三崎に引っ越しました。新しい始まりのために一度すべてに区切りをつけよう、という気持ちでした。

踏ん切りがついたのは、通ううちに知り合いも増え、「自分がここで生活できる」というイメージが持てたから。移住前から地元のお店のホームページ制作や執筆などの仕事をいただき、経済的に「何とかなる」と思えただけでなく、「自分もここで何かをできるかもしれない」と可能性を感じたことが大きかったです。

三崎に出会うまでの私はいろいろな仕事を私なりに一生懸命、楽しくやってきたけれど、すべてが広く浅く。大きな実績があるわけでもなく、パッとしない自分に落ち込むこともしばしばでした。ところが、三崎で出会った人たちはそんな私に「ホームページ、作れる?」「記事を書いてもらえる?」と仕事を振ってくれました。自分の知識やスキルがみんなの役に立つことがすごくうれしくて、それまでの私を丸ごと肯定されたような気がしたんです。

喜んでくれるお客さんの表情を見ると、幸せな気持ちになる

三崎に引っ越した当初はフリーランスとして編集や執筆の仕事でしばらくやっていくつもりでしたが、「いつか飲食店をやりたい」と周囲に話していたことから、移住の翌月から「本と屯」で「間借り食堂」をやらせてもらえることに。移住して半年後の2021年5月に「蒸籠食堂かえる」をオープンしました。この怒涛の展開は、自分でもいまだに信じられません。

「蒸籠食堂かえる」はミネさんをはじめ三崎の仲間がやっている合同会社波止場商店と一緒に立ち上げた店です。「ちょうどいい物件があるから、飲食店をやらない?」とお話をいただいたのは2021年3月。ありがたいお話でしたが、最初は断ったんですよ。資金も経験もないし、何より自信がなくて、「もっと準備をしてからでないと」って。でも、みんなが「僕たちがサポートするから」と言ってくれ、「こんなチャンスはめったにないから思い切ってやってみよう」と覚悟を決めました。

蒸籠は簡単においしくヘルシーな食事が作れるので、会社員時代から愛用の調理器具だった

蒸籠は簡単においしくヘルシーな食事が作れるので、会社員時代から愛用の調理器具だった

お店を運営するのは私ひとりで、開業したばかりのころは、いっぱいいっぱい。週末が来るのが怖かったです。おまけに、オープンの3日前にコロナの影響で酒類の提供を停止するよう県の要請があり、初っ端から経営の不安もありました。でも、「やるしかない」とひたすら前を向いて進んでいたら、徐々に慣れてペースをつかみました。お酒を出せなかったことも結果的にはよかったと思っています。おかげで、家族でごはんを食べに来てくれるお客さんがオープン当初から多かったですから。

「かえる」は飲み屋ですが、女性のひとり客や家族連れ、お酒が飲めない方にも気軽に来てもらえる地元に根ざしたお店にしたいと思って作り、ありがたいことに老若男女いろいろな方が来てくださいます。うちの店をきっかけに蒸籠を買い、自宅で愛用しているというお客さんがひとりならずいらっしゃるんですよ。喜んで報告してくださる表情を見ると、幸せな気持ちになります。

「自分で自分の人生を作っていく」という覚悟

三崎は小さな町なので、しょっちゅう顔見知りに出会います。近所のおばさんがおすそ分けを届けてくださったり、温かい雰囲気はあるけれど、港町でよそから来て出ていく人たちを受け入れてきた土地柄か、ベタベタした感じはありません。

町の人たちは、肩肘を張らず、自然体の人が多く、私にリラックスすることを教えてくれました。肩の力が抜けて、やりたいことはやってみればいいし、しんどければ休めばいい、と思えるようになり、「完璧主義」が治った気がします。

三崎の宿「bed&breakfast ichi」を営むご夫婦など仲良しの近所の皆さんと

三崎の宿「bed&breakfast ichi」を営むご夫婦など仲良しの近所の皆さんと

東京での8年間、振り返れば私はあれやこれやと考えて転職をし、自分で動いてはいたものの、「もっと自分に合う仕事はないかな」「面白い人たちに出会いたいな」と待ちの姿勢でした。でも、三崎に来て、「自分ができることで誰かの役に立つ」という経験をちょっとずつ重ねたことで、私は確実に変わりました。「自分で自分の人生を作っていく」という覚悟が生まれて能動的になったし、本音の自分に近づいていっている感覚があります。

あのまま東京にいたら、私はきっと「いつかお店をやりたい」と夢見ながら、会社員の枠組みの中で物事を考え、変わらないままだったはずです。会社員時代もそれなりに楽しく過ごしていましたから……。会社を辞めて完全移住し、つきあう人や生活が否応なく変わったからこそ、枠がバンと外れ、「もっと求めていい」「もっと自由に人生を描いていい」と考えるようになったのだと思います。

大阪でも東京でも、ここ三崎でも、私はたくさんの人に背中を押してもらいました。自分のことで精一杯だった私ですが、三崎で暮らし、ちょっとずつ自分の足で立てるようになってきた今、「今度は自分が誰かの背中を押せたら」という気持ちが生まれています。お店で料理を作り、お客さんと触れ合う中でできることもありますが、もっと直接的な活動をしたいという思いがあるんです。

具体的に何をする、と決めたわけではないのですが、まずは勉強をしたいことがあり、編集や執筆の仕事の働き方を見直しているところです。だから、実を言うと、今も変革期なんですよ。人生の理想は経験を重ねるごとに変わる。自分らしい働き方や暮らし方というのは、追い続けるものなのかもしれないですね。

三崎に遊びに来た母と。人生に悩みながらも、自分のやりたいことを見つけている母とは 感覚が似ていて、話していて楽しい

三崎に遊びに来た母と。人生に悩みながらも、自分のやりたいことを見つけている母とは 感覚が似ていて、話していて楽しい

取材・文/泉 彩子

*ライフシフト・ジャパンは、数多くのライフシフターのインタビューを通じて紡ぎだした「ライフシフトの法則」をフレームワークとして、一人ひとりが「100年ライフ」をポジティブに捉え、自分らしさを生かし、ワクワク楽しく生きていくためのワークショップ「LIFE SHIFT JOURNEY」(ライフシフト・ジャーニー)を提供しています。詳細はこちらをご覧ください。