PROFILE

太田良冠さん(No.43)

・長島未来企画合同会社
・長島町役場 地域おこし協力隊
・慶應義塾大学大学院 政策メディア研究科 地域おこし研究員
・株式会社GHIBLI 営業

鹿児島県長島町在住、28歳。幼少期は地元のクラブに所属して熱心にサッカーに取りくみ、サッカー選手を夢見ていたが、怪我が原因で大学1年生のときにサッカーを諦めることに。そのとき、「英語」を学ぶために単身アメリカへ留学。そこで以前から関心の深かった「食」というテーマに身近に触れたことがきっかけで、高級飲食店をお客様とするIT企業に就職。次第に、商談などで出会う料理人との会話に出てくる「生産者」「地方」というキーワードに魅了されるようになり、生産現場に近い距離で携わりたいという考えに至る。25歳のとき「地域おこし協力隊」として長島町に移住。現在は、長島町の生産者と都市部の料理人を繋げるシェフツアーの企画運営に主に携わっている。同時に、長島町が提携を結んだ慶應義塾大学大学院の「地域おこし研究員」という制度に合格。大学院生という肩書きも持ち、「地方の生産者と都市部の料理人コミュニティの持続発展化」を目指しながら、理論と実践を行き来する毎日を送っている。

座右の銘:行き当たりばっちり
影響を受けた映画:stand by me(洋画)
http://si.sfc.keio.ac.jp/si-researcher/researcher/01ohta/

サッカー選手を怪我で諦め、新たにアメリカ留学に挑戦

私は神奈川県横浜市に生まれ、幼稚園児のときにサッカーに出会ました。将来の夢は、「世界に通用するサッカー選手」。高校、大学への進学の際には、それまで頑張ってきたサッカーの実績を評価してもらうことができました。しかし残念なことに高校からの古傷が悪化、心がついてこなかったこともあり、選手としてサッカーを続けることが困難になってしまったのです。

サッカー以外で「自分の存在価値をはかる尺度」を持ち合わせていなかった私は、「何に取り組もうか?」と自問自答を繰り返し、「将来、自分のスキルとして活かせること」と「直感的に興味を持てること」に挑戦しようという考えに至りました。そして思い出したのが、大学の入学試験の際の面接で面接官に話をした「英語」のことです。2年時秋、英語ゼミナールに入りたい一心で想いを伝え、念願のゼミに。その後、次なる目標として定めたのが、アメリカへの留学です。

留学先で豊かな食文化と出会う

無我夢中で勉強しアルバイトの掛け持ちで資金を貯め、大学4年生のときに、奨学生としてオレゴン州のカレッジに1学期間、留学をすることができました。「本場の英語」「触れてみたかったアメリカ文化」のほか、ここで大きな学びがありました。それが「食」です。

ずっとサッカーを続けていたこともあり、「体づくり」の観点から食べ物については気を遣っていましたが、留学してより一層「食」に興味を持つようになったのです。きっかけは、1ヶ月間程お世話になったホストマザーの存在でした。メキシコ出身のコックである彼女が毎晩作ってくれるメキシコ料理は、日本で食べるメキシコ料理と全く違っていたのです。同じ名前の料理でも、国や地域によって全く違うという発見が、当時の私にとってはとても興味深いことでした。

またアメリカは、日本に比べてオーガニックやヴィーガンに対する意識がとても高く、現地の先生に連れて行ってもらったヴィーガンハンバーガーに大きな衝撃を受けたり、毎週ダウンタウンで開催されているマルシェで多種多様な新鮮な野菜がところせましと並んでいる光景を見て、「食の多様性」に驚かされたり。つまり、この留学で私が得た気づきは、実は「食への深い関心」だったのです。

高級飲食店がお客様の会社に入社し、料理人と生産者との「距離」を実感

2012年12月下旬、留学を終えて帰国しましたが、その時点で卒業後すぐに就職しようとは考えていませんでした。アルバイトなどでお金を貯めて再度、海外の大学(院)に挑戦しようと思っていたからです。しかし株式会社ルクサの社長と出会い、私の人生が変わります。社長のバックパッカーの話や新規事業立ち上げの話などを伺い、その知識の豊富さ、経験値、眼光の鋭さに惹かれて「この人の元で働きたい!」と感銘を受け、当初思い描いていた予定を変更し、2013年4月に株式会社ルクサに入社したのです。

入社後の私の主な業務は、高級レストランのプロモーションコンサルタントとして集客課題を改善することなどでした。入社1年目の夏から新規事業(厳選レストランの予約サイト)の立ち上げを経験し、退社するまでの約3年間で延べ800店舗以上のレストラン関係者とお話しすることができました。

多くの料理人と関係を築く中で、料理人の膨大な知識や情熱に圧倒されるのと同時に感じたのが、素材を提供する一次産業と料理人との関係が希薄である、ということです。商談などで料理人と話していると、「生産者」や「地方」というキーワードは度々出てくるのですが、そこに確たる関係性が存在するケースは少ないことが分かり、私は次第に生産現場に興味を持つようになりました。

地域おこし協力隊として、鹿児島県長島町に移住


そして大きな転機が訪れます。鹿児島県長島町の「地域おこし協力隊」として活動していた会社の元先輩から「食の担当として、長島町の地域おこし協力隊をやってみないか?」とお誘いを受けたのです。話を聞いてみると、長島町でなら生産者の方々と近い距離で関わることができ、自分が持つ料理人とのネットワークや営業経験も活かすことができると考えました。また先輩を含めて尊敬できる人が近くにいる環境にも魅力を感じ、長島町への移住を決断しました。

移住にあたって不安だったのは新しい場所での人間関係の築き方です。「やりたい」と言うだけではダメですし、地域のみなさまの理解や信頼を得るためには実行力とスピード感が大事だと思ったので、2016年2月に移住して、翌月3月には大阪にある辻調理師専門学校との協定を締結。「生産者と料理人を繋げるツアー」を実現させました。

その後も鹿児島の食の多様性を伝えるためにVR(ヴァーチャルリアリティ)×生産者×料理人のイベント開催、長島町の軽トラ市開催など、鹿児島、長島町の食を発信する活動を都市部料理人、鹿児島の料理人、生産者の方々としています。

都市で感じる閉塞感がなくなり、ストレスのない毎日

地域おこし協力隊として移住をして、様々な変化がありました。まず企業の看板やブランドといったある種の虎の威を借ることはできなくなったので、自分自身の力で信頼を着実に積み上げることと、一期一会をこれまで以上に大切にするようになりました。それから、小さなコミュニティで自分の一挙一動が相手の次のアクションを変えるため、物事の進退のすべての原因は自分にあるという考えを持つようになりましたね。一方で、何かを始める際に良い意味での他力本願が大事だ、と思うようになりました。自分の苦手な分野は、「その道のプロ」と連携すれば良いのだと。

また責任を負うことに対してポジティブになったのと、都市で感じる閉塞感が減少し、ストレスが軽減しました。会社員時代は、それぞれやることが違うのになぜ満員電車で嫌な想いをして、同じ時間、同じ場所に出社しなければならないのかということを日々疑問に思っていたので、今のように働く場所、時間に制限されない働き方のスタイルはすごく自分に合っているように思います。

経済的な面で言えば、固定収入だけだと会社員時代の半分程になりました。でも、長島町は家賃等が都会の3分1程度だと思うので、そこで生活するだけなら十分だと思います。

大学院生との二足の草鞋で、社会課題解決のプロに

私は今、大学院生としての肩書も持っています。長島町で活動する中で、地域の課題解決には分野をまたいだ知識や人脈が必要だと感じていたタイミングで、慶応義塾大学大学院と長島町が「地域おこし研究員」の協定を締結したことがきっかけです。これは全国の地域と慶應義塾大学院の連携のもとで、社会課題の発見や解決のため理論と実践の両面が学べるプログラム。まさに自分が求めていた場と感じ、迷わず出願。2017年10月から大学院生と、地域おこし協力隊の二足の草鞋生活をスタートさせたのです。

大学院での私の研究テーマは「地方の生産者と都市部の料理人コミュニティの持続発展化」。その実現を目指して、マーケティング、ファイナンス、コミュニティデザイン、行政マネジメント、個益と公益のデザインなど多くのことを学んでいます。神奈川県藤沢市のキャンパスやオンラインでの授業で理論を学びながら、長島町で実践を行う。移動も含めて忙しい毎日ですが、大学院には国籍も研究の分野も異なる学生がたくさんいるので、自分の知らない世界を得る良い機会になっています。
今後1~2年の目標は、生産者と料理人による地域活性を仕掛ける人物として、飲食業界、地方自治体に「太田良冠」を知られるようになることです。1つの軸が定まれば、自分の周りに味方が増えるので、その先は食だけでなく新たな領域にも挑戦しやすくなると考えています。

またいずれは様々な地域に拠点を持ち、例えばこの1年はA地域に住み込み、別の1年はB地域に住み込むなど、地域に密着しながらも都市部や海外を往来して、日本の食(生産者含む)の魅力を発信できる仕事ができればと考えています。長島町移住後に、ご縁あって長島町の女性と結婚しましが、妻も幼い頃から生産現場の手伝いをしていたので食に関心が高く、私のこうした想いを応援してくれているので心強いです。

「豊かさ」とは信頼できる人とのつながり。これからも出会いを大切に

私自身、これまで人のご縁やサポートの上で生きてきたので、人生100年時代でもやはり人脈は宝だと思います。職種、国籍の異なる人脈を築いて、何かやりたいときにすぐに相談できる相手をたくさん作る。その人脈を活かすためにもまずは、「自分=〇〇」という1つの軸を確立して、周囲に知ってもらうことが大切だと思います。

これまで、目の前のことに全力投入してきた結果が、現在の自分に繋がっています。いわば「行き当たりばったり」ならぬ「行き当たりばっちり」です。この先もこのスタイルは変えず、臨機応変に生活するつもりです。人生100年時代でも、いつ何どき動けなくなるか分からないので、やりたいことにはまず挑戦する! その上で、仲間を増やしていって複数の収入源をもつようにできれば良いな、と思っています。まだ若干27歳の私ですが、「豊かさ」とは信頼できる人との繋がりだと思っているので、一期一会でこの人だという方との出会いを、これからもずっとずっと大切にしていきたいと思います。