PROFILE

猪尾愛隆さん(No.68)/JOINS株式会社共同創業者・代表取締役

■1977年、東京都生まれ。2002年慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修士課程修了。株式会社博報堂に入社し、法人営業を3年間経験。2005年、ミュージックセキュリティーズ株式会社入社。投資型クラウドファンディングのプラットフォーム事業を立ち上げ、地域の蔵元や林業など地場産業にリスクマネーを供給することを目的に、12年間運営に従事。2017年6月に退職し、JOINS株式会社を創業。

■家族:妻と長女(9歳)

■大切にしている言葉:「好きこそものの上手なれ」
「好きなことじゃないと頑張れないし、好きなら、頑張ることも楽しくて、成長もしやすい。だから、自分が何を好きかを感じる訓練がすごく大事だと思っています」と猪尾さん。

JOINS株式会社

Transform LLC
「JOINS」で顧客の支援ツールとして開発した心理的安全性プログラムのアドバイザーである、ジェレミー・ハンター氏が共同経営するTransform合同会社のWebサイト

 

前職で培われた地域企業、そして、そこで働く人たちへの思い

2017年6月、40歳のときに、「大都市と地域の人材シェアリングサービス」を運営する「JOINS」を設立しました。当社が取り組んでいるのは、地域の中小企業と、大都市での仕事の「副業」や「複業」として地方で働きたい人材のマッチングサービスです。長野県エリアの企業から営業エリアを開始し、2019年6月からエリアを拡大して全国に広げていっています。

地域と大都市の会社員を「副業」「複業」でつなぐサービスで起業。原点は、ひとつの場所にしがみついて苦しんだ自身の経験(猪尾愛隆さん/ライフシフト年齢40歳)

この事業をやるべきだと思ったのは、前職の経験がきっかけです。クラウドファンディング事業を手がけるスタートアップで企業の資金調達などのお手伝いをするなかで、さまざまな地域企業の経営者に出会い、彼らの考え方に共感して、地域企業、そしてそこで働く方たちが大好きになりました。一方で、2015年くらいから経営者の方々のお話を聞くなかで強く感じるようになってきたのは、地域を元気にするために最初に必要なのは「お金」ではなくまずは「人」だ、ということです。

企業の資金調達に取り組むなかで、残念ながら、ファンドの募集そのものに至らないということが増えてくるようになりました。その理由はいろいろありますが、「人」がネックとなるケースが年々目立つようになりました。長い歴史があり、商品やサービスの質も良く、事業計画もよく練られているのに、それを経営者と一緒に実行していける経験やスキルを持った人材が少なく、実現性が弱いためにファンドが組めず、資金供給がそもそもできないんです。

以前の僕は、「お金が集まれば、人は雇える」と信じていました。でも、地域の人手不足は深刻化していて、ある程度資金があって、人を雇おうとしても、現場を回すスタッフすらなかなか集まらない。そんな現実に悩む企業を目の当たりにし、地域企業で事業が動き出すためには「お金」はもちろん重要だけど、順番として最初に取り組むべきは「人」の問題だと思うようになったんです。

では、地域に人を集めるには、どうすればいいか。「大都市に住む人が地域に移住してフルタイムで働く」という働き方は地域企業にとっても、働く個人にとってもハードルが高いけれど、リモートワークを取り入れて、移住せずに、週8時間程度などの特定の時間で「ピンポイント」で働ける仕組みがあれば、地域企業は人を雇いやすくなるし、「地域で働いてみたい」という気持ちを持つ個人も挑戦しやすくなるはずと考えました。その仕組みを実現したいと立ち上げたのが、「JOINS」です。

自分が活躍できるのはここしかないと思い込み、キャリアの停滞に苦しんだ30代後半

もうひとつ、僕が「JOINS」を設立した大きな理由があります。それは、地域企業での「副業」や「複業」を支援することにより、多くの方々に「自分の活躍できる場所はひとつではない」と実感していただけたらという思いです。

前職で役員を務めていた30代後半、業績が上がらず、悩んだ時期が数年ありました。今思えば、萎縮していたと思います。新卒で入社した博報堂からスタートアップに転職することにより、僕が実現したかったのは、日本のさまざまな地域の自然や文化を継承していくための大事な事業に、お金が流れる仕組みを新しく作ること。そういった事業の多くは短期的には収益性が高くありませんが、支援することに大きな意義があると考え、挑戦的に仕事に取り組んでいました。ところが、年齢を重ねて家族を持ち、子どもも生まれ、家のローンも抱えて…というなかで、「自分の年齢で転職は難しいし、今の会社で生きていくしか道はない」と錯覚するようになっていきました。そうすると、上司の顔色をうかがって行動するようになり、思い切ったことができず、成果も出ない。心の余裕がなくなって、私生活もぎくしゃくするという悪循環でした。

にっちもさっちもいかず、役員から降格。ショックは大きかったのですが、意外なことに、しばらくすると、退任前よりも成果が出るようになりました。背負いこんでいたものがなくなって気持ちが軽くなり、少し思い切ったことができるようになったことが影響したんだと思います。そのときにわかったのは、自分が「守らなければいけないもの」に押しつぶされていたんだなということでした。

その「守らなければいけないもの」というのも、自分では「家族」と思っていたけれど、実は「役員」という肩書きだったり、会社での立場だったんだなと。そういうものにしがみついていたことが、自分の成長を大きく阻んでいたと初めて気づきました。同時に、生活の糧を得られる場がひとつしかないと、僕は守りに入って、バットを思いっ切り振れなくなると痛感したんですね。この、ごく個人的な経験が「JOINS」の事業アイデアのベースにあります。

「稼ぐ」ために必然的に選択した「複業」という働き方が、起業のハードルを下げた

起業の意思を妻に打ち明けたとき、反対はされませんでしたが、「家計への影響はないようにしてほしい」と言われました。起業すると言うと、自分の会社の事業に専念するのが普通かもしれませんが、起業していきなり収益を得るのは難しく、妻との約束を守るには工夫が必要でした。そこで、必然的に選択した働き方が「複業」です。

具体的には、「JOINS」の代表として経営をしながら、個人事業主としていくつかの企業で新規事業の立ち上げなどのお手伝いをするという働き方をしてきました。自分の時間を金融資産のポートフォリオのように捉えて、「これまでの経験を生かせて、収入がすぐ立つ仕事」と「リターンは大きいかもしれないけれど、収入になるまでに時間がかかる仕事」に振り分け、両方をやることによってリスクヘッジをしつつ、収入に応じて時間の配分も変えていく。起業するうえでベストな方法かどうかはわかりませんが、この考え方で働くことによって、今のところ、会社員時代と比べて収入を減らしたことはなく、むしろ少し増えました。「JOINS」の事業が動き出してきたことで、「JOINS」からの報酬を得られるようになり始めて、時間の配分も「JOINS
」にシフトをしていっています。

もうひとつ、リスクヘッジにつながったのが、「起業を決める前に、まずは転職活動をして、自分の市場価値を確かめてみては?」という前職時代の先輩のアドバイスを実行してみたことです。内定もいただき、辞退した会社には申し訳ない話ではありますが、自分の市場価値が何にあるのか、何によって人の役に立てるのかを知ることができましたし、「仮に起業してうまくいかなくても、雇ってくれる場所はある」という思いが起業に向けて背中を押してくれました。妻を安心させる材料にもなったように思います。

新たな出会いから、事業立ち上げ時の最大の課題を解きほぐすための協力者を得た

「JOINS」を立ち上げるにあたり、直面した課題ですか? 山のようにありましたし、今も課題に向き合っています。とくに大きい課題はふたつあり、ひとつは、地域企業で働く人たちと、大都市の比較的大きな企業で働く人たちの業務の進め方の違い。ただ、これは「こういう商品のアイデア出しから企画書作成までを2カ月でお願いします」「新しいファイル共有システムの構築をしてください」と依頼する業務の内容を具体的に切り出すことによって、両者の認識のズレによる行き違いをある程度防げます。企業側にニーズがあって、かつ業界にあまり左右されず成果を出しやすい業務分野や業務内容を見つけ出すのに少し時間がかかりましたが、もうひとつの課題に比べれば、大きな問題ではありませんでした。

もうひとつの課題というのは、両者の心理的障壁を低くすることです。地域で暮らし、小規模の企業で働いている方たちと、大都市で暮らし、大きな企業で働いている方たちでは価値観や文化にギャップがあることが多いので、お互いに身構えてしまうんですね。そうなると、双方が持っている力が発揮されなくなってしまうので、会社勤務の一般的な働き方なら、頻繁なコミュニケーションでギャップを埋めていくところですが、リモートワークが中心の働き方ですから、それは難しい。相応の時間もかかります。短期間で両者が心理的安全性を確保できる手立てはないかと考えていたときに、心強い協力者との出会いがありました。米国クレアモント大学 ピーター・ドラッカースクール准教授のジェレミー・ハンターさんです。

地域と大都市の会社員を「副業」「複業」でつなぐサービスで起業。原点は、ひとつの場所にしがみついて苦しんだ自身の経験(猪尾愛隆さん/ライフシフト年齢40歳)

起業したばかりのころに、知人に勧められて参加したジェレミーのワークショップがあったんですね。ジェレミーの専門はセルフマネジメントであり、ワークショップは心理的安全性をテーマとしたものではなかったのですが、自分の人生における内面の変化を把握するための彼が開発したワークをやって、隣の人とシェアする機会がありました。すると、お互いの価値観がよくわかり、初対面だったのに打ち解けて素直に話をすることができたんです。

これを地域企業の方たちと、そこで「副業」「複業」を始める方たちとの関係構築に生かせないかなと考え、ジェレミーに相談したところ、アドバイザーとして協力してくれることになって。2年をかけて一緒に心理的安全性確保のためのプログラムを作り、今もさらに改良中です。このプログラムは業務スタート時に双方に必ず受けていただきますし、当社のスタッフも入社時に受けることになっており、高い効果を感じています。

地域企業と、「副業」「複業」をする個人。双方が生き生きとしていく瞬間を見る楽しさ

就業を希望する登録者は40代から50代を中心とした700名ほど。現在は、約20名の方々が大都市での仕事を持ちながら、「現地訪問月1回程度、そのほかは基本リモートワークで月30時間から」といった働き方を実現されています。

大手の企業にお勤めの方にとっては慣れていて、いつもの職場で何気なくやっていることも、地域企業でその力を発揮すると、すごく喜ばれたりするんですよ。自分がやってきたことが会社の外でも役に立つと知ることにより、自信や、やりがいが生まれ、新たな勉強を始めるなどさらに成長しようとする方がたくさんいます。

地域企業も、そこで働く個人も生き生きとされていく瞬間を見るのは、すごく楽しいですね。両者がもともと持っていながら、従来の働き方の常識や、「大企業で働いてきた人が地域企業で力を発揮するのは簡単じゃない」「勤務先以外でも通用するような経験は自分にはない」といった思い込みに縛られて発揮されていなかった力が、お互いの出会いによって解き放たれていくような感じに立ち会えることがすごく楽しいです。

人生は「得ること」ではなく、「手放す」ことで変わる

当社のサービスを利用し、僕自身も長野県白馬村にあるマウンテンリゾートで月30時間ほど働き、月に1〜2日は現地で仕事をしています。経営者でありながら、自社のサービスを利用して働くことにしたのは、単純に収入のためでもありますが、「当事者」として事業を作り上げて行きたかったからです。

かつての僕は社会的影響力の大きい、インパクトのあることを一生の間に成し遂げることに価値を置いていました。例えば、東日本大震災の後に被災地支援関連の仕事で忙しかった時期に、妻はちょうど出産したばかりでとても大変だったのですが、僕は「困っているたくさんいるのだから」と家族よりも仕事を優先し続けてしまいました。

そういった経験から気づいたのは、どんなに多くの人たちの役に立てる仕事であれ、自分自身や、家族など身近な人たちを幸せにしない仕事は持続可能ではないということです。だから、「JOINS」では必ず自分がそこにいるというか、自分を起点とした家族、友人といった人たちがみんな喜んでくれて、さらにその輪を広げていけるようなことをやろうと決めていました。それで、自社のサービスもまずは自分が利用してみないとと考えたわけです。

地域と大都市の会社員を「副業」「複業」でつなぐサービスで起業。原点は、ひとつの場所にしがみついて苦しんだ自身の経験(猪尾愛隆さん/ライフシフト年齢40歳)

週末を地方で過ごすことも増えました。地方での暮らしは最高です。山がすぐそこにあって、空気も澄んでいて、自然に包まれている感じです。仕事あがりに気軽に温泉にも行けるし、冬はスノーボードもできる。僕は学生時代から自然が好きで、サーフィンやスノーボードなど自然の中で体を動かすことが性に合っているので、自分の本当に好きなものを再発見できました。これも以前にはなかった価値観なのですが、「自然を感じながらサーフィンやスノーボードを楽しめる時間さえあれば一生幸せだな」って思うんですよ。

以前はどこに住むかとか、どんな車に乗るかといったことが自分の大きなエネルギーになっていると思っていました。でも、その価値観を手放してみたら、自分にとってはもっと身近で、心地よいものが大事なんだなと。「ここさえ大事に守って生きていけばいい」ということを知ることによって、それ以外のことには攻めの姿勢で臨めるようになりました。

会社を辞め、起業をする過程で気づいたのは、自分が大切だと思っていた価値観を手放したときにこそ僕は成長できるということ。かつての僕は、人生は「得ること」によって変わると思っていたし、得たものはいくらでも背負えると信じていました。だけど、多分、人の背負える荷物というのは一定なんだろうなと感じます。手放さないと新たなものを背負うスペースがなくなって、成長できない。「JOINS」が育っていけば、いつの間にかまた荷物が増えていくと思いますが、それをいつでも手放せるように、という感覚を大事にしています。