PROFILE

渡邊智子さん(No.98)/天使のはしご

■1970年大阪府出身。子ども服メーカーの販売スタッフを経て、1992年に結婚し、専業主婦に。夫の転勤で引越しを繰り返しながら、2男1女を出産。2005年、兵庫県川辺郡猪名川町で暮らしはじめる。2016年珈琲焙煎工房みさご珈琲第10期珈琲マスター講座修了。自家焙煎珈琲「天使のはしご」としてイベント出店、コーヒー豆販売、コーヒー講座の講師などの活動を始める。2022年4月、自宅に焙煎工房をオープン。

■家族:夫、長男、次男、長女

■座右の銘: 「ケ・セラ・セラ」
もともとは心配性だったが、2度の入院や、家庭内や「天使のはしご」の活動でのさまざまなできごとを経て「たいていのことは何とかなる」と思うようになった。

■天使のはしご
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大人になっても、楽しい。息子にそう言いたかったのに

大人になんてなりたくない。大人になっても楽しいことなんかなさそうやから−−−−中学生だった次男が放った言葉に胸がどきんとしました。次男の描く「大人」に私自身の姿を重ね合わせたからです。

このころ次男は学校になじめず、家にこもっていました。つらそうな我が子を見て、何かしてあげたいのに、何もできない。不甲斐ない自分に苛立ち、落ち込みました。今思えば、夫も同じだったのでしょう。やり切れなさをひとりでは抱え切れず、おたがいが心の中で相手を責めるような時期が続き、私と夫との関係は冷え切っていました。面と向かって言い争うことは一切なかったのに、子どもってすごいですね。親の姿を子どもはじっと見ているんだと気づき、「これは改めなければ」と思いました。

子どもたちにとって一番身近な大人は私たち夫婦。私自身が楽しく人生を過ごして、「大人になっても楽しいことはあるんだよ」ってお手本を見せたいと思いました。でも、次の瞬間、「はて、私、何が楽しいんだろう」と立ち止まりました。21歳で結婚して専業主婦になり3人の子どもに恵まれて毎日を忙しく、それなりに楽しく過ごしてきたけれど、「母でもなく、妻でもない自分がやりたいこと、楽しいことは何だろう」と考えると、何も思い浮かばなかったんです。

長女が小学校に上がったのを機に週に数回パートに出ていて、その時間は楽しかったんですよ。ゴルフ場のレストランのホールスタッフの仕事で、ものすごく忙しかったのですが、同僚やお客さんとおしゃべりをしていると家での悩みごとを束の間忘れることができたからです。ところが、マダニに刺されて飲んだ薬の副作用で入院。パートを辞めて、治療に専念しました。

1年ほどかけて回復し、次に見つけたのは、高齢者のお宅で家事をお手伝いする有償ボランティアでした。「リハビリ代わりに」と軽い気持ちで始めましたが、上司に働きぶりを認められ、「ヘルパーに向いている」と言っていただいて……。スクールでヘルパーの資格を取得して訪問介護の仕事を始めた矢先、バセドウ病を発症し、またしても薬の副作用で入院。無菌室のベッドの上で2カ月間を過ごしました。

猪名川町に引っ越して来たころ。「転勤族」で結婚以来5回引っ越し、長男が小学校6年生、次男が5年生の時に定住を決めた

猪名川町に引っ越して来たころ。「転勤族」で結婚以来5回引っ越し、長男が小学校6年生、次男が5年生の時に定住を決めた

見えない一歩が少しずつ自分を変えていった

退院後も台所に5分と立っていられない状態で、資格まで取ったヘルパーの仕事も続けられず、つらかったです。家のことも大きく何かが良くなった感じはなくて。ひとりで家事を黙々としていたりすると、いろいろな負の感情が湧き上がって、どんどん深みにはまりました。

これは私、若いころからそうなんですよ。気を許すと、すぐに「悲劇のヒロイン」になっちゃう。今は笑いながら話せますが、30代半ばから40代にかけては悶々としました。「毎日を楽しく過ごす母の姿を子どもに見せたいのに、なんで私はこうなんだろう」って。

だから、アドラー心理学の会などに参加して心の勉強もしていました。そうした集まりにちょこちょこと顔を出し、出会った方たちから気づきを得て−−−−見えない一歩が、私をゆっくりと変えていったように思います。

例えば、ある会で皆さんとお話ししていた時に「それが渡邊さんの考え方の癖なのね」と言われ、ハッしました。私がマイナス思考なのは「性格だから治しようがない」とあきらめかけていたけれど、「癖」なら取れるかもしれない。そう気づいて、それからは「悲劇のヒロイン」が現れたら、「あかん、あかん」と手で払いのけたりして(笑)。少しずつ少しずつ、自分との向き合い方を覚えました。

ふと我に返ったら、コーヒー講座の申し込みボタンをクリックしていた

体の方も時間をかけて回復し、「ちょっと何かやろうかな」と思ったころに出合ったのがコーヒーでした。きっかけは、家のすぐ近くにオープンした「カフェ プーランク」でパートを始めたこと。コーヒーはもともと得意ではなかったのですが、そこで飲ませていただいた自家焙煎のコーヒーが思わずおかわりをしたくなるほどおいしかったんです。初めてコーヒーに関心を持ち、豆を買わせてもらって家でも飲みはじめました。

一方で、知識がないから、お客さんにコーヒーについてたずねられても答えられなかったんですね。その度にマスターを呼んで手を止めさせるのも申し訳なかったし、お客さんにコーヒーの話をできるようになりたくて、コーヒーについてもっと知りたいと思うようになりました。そんな時に近所で単発のコーヒー講座が開催されることを知り、行ってみたんです。その講座で講師をされていた珈琲焙煎工房「みさご珈琲」の向井務さんが、今の私の師匠です。

初めてお会いした時、師匠は工房を開く前だったのですが、しばらくして開業のお知らせとともに、本格的な焙煎技術を学べる講座を始めるとご案内をいただき、「行きたい!」と思いました。でも、送り迎えをしている次男のテニスと時間が重なっていて難しそうだったし、受講料は主婦の私には高額。私がパートで稼ぐお金の数ヶ月分です。当時の私は誰に言われたわけでもないのに「主婦の私が自分のことにお金や時間を使ってはダメ」と自分をブロックしていたので、ものすごく迷いました。

でも、やっぱり心の奥でやりたかったんでしょうね。締め切り時間直前、ふと我に返ったら、Webサイトの申し込みボタンをクリックしていました。次男には相談して「あかん」と言われていましたが、ボタンを押したことで覚悟が決まり、家族には「行くことにしたから」と明るく報告。すると、意外にも次男はあっさり「わかったよ」と認めてくれて、送り迎えの時間を調整して乗り切ることに。夫も「へえ」と言っただけで、拍子抜けしたのを覚えています。「物事を決断すると、自然と周囲もその方向に動くのかもしれない」とこの時に思いました。

44歳で通いはじめたコーヒー講座。仲間ができて、一気に世界が広がった

「みさご珈琲」の講座に通いはじめたのは44歳の時。「コーヒーが好き」というだけで年齢も職業も男女も関係なく話せる仲間ができ、一気に世界が広がりました。半年間の講座を修了後、もっと学びたくてさらに半年間の講座を受講。その講座を卒業するかしないかという時期に、ヘルパー時代の上司の方から「うちの協会でコーヒー講座をやってくれない?」と連絡をいただきました。当時、誰かに近況を聞かれたらコーヒーのことを話していました。言葉にしていたら、何となく進むんですね。

「みさご珈琲」の「珈琲マスター講座」で、師匠から修了書を授与された瞬間

「みさご珈琲」の「珈琲マスター講座」で、師匠から修了書を授与された瞬間

「私が講師をやるなんて、無理です」とお断りしたのですが、「みんなでおいしいコーヒーをワイワイ飲めたらいいだけだから」とうかがい、「それならば」とお受けしました。ところが、当日、会場に入ってびっくり。自分よりも年上の方々が40名近くも集まってくださっていたんです。緊張で声が震え、何を話したのかも覚えていません。

次があるとも思っていなかったのですが、元上司が今度は知人を紹介してくださって、地域の高齢者サロンで講師を務めさせていただくことに。そんなご縁がつながって、いろいろな方から「こんなことできる?」「あんなことできる?」と声をかけていただき、講師、自家焙煎豆やオリジナルドリップパックの製造、地域のイベントでのコーヒー屋さん出店…と活動の幅が広がっていきました。

講師を務めたコーヒー講座の様子。最初のころは講座の主宰者から講師料を聞かれ、「いくらにすればいいんでしょう」と相談に乗っていただいたことも

講師を務めたコーヒー講座の様子。最初のころは講座の主宰者から講師料を聞かれ、「いくらにすればいいんでしょう」と相談に乗っていただいたことも

心がけたのは、いただいたお話に“Yes”で答えること

「自家焙煎工房 天使のはしご」の名は、イベント出店する際に屋号を聞かれ、慌てて考えました。雲の切れ間から光がさす様子を天使のはしごと呼びます。応援されてるようで昔から好きでした。

そんな調子でただ目の前のことを必死でこなしてきただけなのですが、ある時期から心がけたのは「いただいたお話に“Yes”で答えること」です。当初は「できるかな」とためらうこともありましたが、転機はコーヒーの活動を始めて2年経ったころ。師匠が担当しているコーヒー講座の講師を引き継いでもらえないかとお話がありました。その講座は私が師匠に出会った場でした。

最初はかたくなにお断りしたんです。「私では力不足です。もっと勉強してからでないと」と。すると、「そんなことを言っていたら、いつまで経ってもできません。教えながら、自分も学んでいけばいいんです」と師匠がおっしゃり、確かにそうかもしれないと思いました。それでも決心がつかなかったのですが、背中を押したのは、夫の「あんたならできるよ」というひと言でした。

かつての私なら、「何を根拠にそんなことを」と言って終わりだったかもしれません。でも、夫との関係は、カフェでパートを始めたころから変化していました。当時、夫は県外で単身赴任をしていました。休日に帰ってくると少し顔色が悪かったのですが、私は子どもたちのことで頭がいっぱいでしばらく放っていたんです。まだ長女は中学生でしたから、子どもたちを置いて様子を見に行くわけにいかないし、と思って。だけど、何だか気になって、思い切って子どもたちを残して新幹線に乗り、夫の部屋の扉を開けてがく然としました。人が住むところとは思えないくらい荒れていたんです。

3日かけて部屋を掃除し、その間、仕事から帰ってきた夫に「おつかれさま」と言って温かいごはんを出していたら、夫が突然号泣しました。普段はあまり感情を表に出さず、弱音を吐いたこともない人があんなに泣くなんて、相当つらい思いを抱えていたんでしょうね。背中をトントンして励まし、少し落ち着いたころに「仕事がそんなにつらいなら、辞めてもいいよ。生活なら何とかなるから」と声をかけたら、夫は「うん」とうなずきました。

ところが、私が家に戻った2日後に辞令が出て、夫の単身赴任は終了。夫が仕事を辞める気配もなく、「あれは何だったの?」と今も不思議です。ただ、あの日を境に夫が少しずつ自分の思っていることを話してくれるようになり、時にはけんかをしながらも、おたがいを徐々に理解し合えるようになりました。その夫から「あんたやったらできるよ」と言われたことを心強く感じ、師匠のお話を受けさせていただきました。

師匠のお仕事を引き継ぐというのは、私にとって崖を飛び越えるようなものでした。でも、一度足を踏み切ったら、ブロックが完全に外れてしまって(笑)その先には今までと違った景色が広がり、2022年4月には自宅に焙煎工房までオープンしてしまいました。

自宅玄関脇に建てた工房。オープンは金・土・日と祝日。火・水はコーヒー教室を開催している(他の曜日は応相談)

自宅玄関脇に建てた工房。オープンは金・土・日と祝日。火・水はコーヒー教室を開催している(他の曜日は応相談)

コーヒーが苦手だった私が作るコーヒーは、雑味やえぐみを無くしたスッキリした味。コーヒーが飲めなかった方にも「おいしい」と言っていただけます。

コーヒーが苦手だった私が作るコーヒーは、雑味やえぐみを無くしたスッキリした味。コーヒーが飲めなかった方にも「おいしい」と言っていただけます。

コーヒーを飲みながら語る時間がとても幸せ

「みさご珈琲」の講座卒業以来、「天使のはしご」で販売するコーヒー豆は師匠の工房で焙煎機をお借りして焙煎していました。だから、「いつか自分の焙煎機がほしいな」という気持ちはありましたが、焙煎機を置くにはそれなりのスペースや空調が必要です。お金もかかるし、買うにしても、物置くらいの小屋に置こうかなと考えていました。

工房は、大工さん夫婦との出会いがなければ建てていなかったと思います。大工さんの奥様は兵庫県三田市のケーキ屋さん「贈り物菓子食堂ムエット」の店主さん。「天使のはしご」の豆を使っていただいているカフェでたまたま居合わせ、「うちの工房は夫が建てたんです」と聞いて「夢のまた夢だけど、私も工房ほしいです」とおしゃべりしたのが始まりでした。

その後は数カ月お会いしていなかったのですが、「ムエット」さんが近くに出張販売に来ると知って遊びに行ったんですね。その時の会話の流れで、ご主人が建てた工房に連れて行っていただき、ひと目ぼれ。少しご相談してみたら、ご夫婦とも自分のお店を建てるかのように親身になってくださり、開業準備のあれやこれやまで教えていただいて。私のイメージで、とご提案いただいたデザインを見て、実現したくなったんです。

工房の建築費は、あれだけ悩んで通いはじめた「みさご珈琲」の講座料とは桁違い。それまでの「天使のはしご」の売り上げで少しは頭金はあったものの、ものすごく悩みましたが、「あの時ああしておけばよかった」と後から後悔するより、やっぱりやってみたくて…。講座を申し込むより決断は早かったですね。

あの時とまるで違うのは家族で笑い合う時間が増えたこと。工房が建ちはじめると、私以上にそわそわしはじめたのはなんと夫と次男でした。夫は仕事前に毎朝でき上がっていく工房の写真を撮り、次男も毎日コーヒーを美味しく淹れる研究をしはじめました。工房がオープンすると、次男は積極的に手伝ってくれるように。私がコーヒー出店で工房を空ける時は次男が店番をしてくれ、仕事から帰ってきた夫は、工房に来てドリップパック作りの手伝いをしてくれます。夜、3人で工房でコーヒーを飲みながら、その日あった出来事やコーヒーについて語る時間がとても幸せです。

次男のあの言葉をきっかけに「自分探し」をしたけれど、なかなか見つからず、心のどこかで「何も楽しいことがないまま、ただ老いていくんだろうな」と思っていた時期もありました。でも、コーヒーに出合っていろいろな輪が広がり、徐々に人とのつながりが増えて、楽しく日々を送れるようになりました。

私が作るコーヒーを美味しいと飲んでくれる人達がいる、応援してくれる人達がいる、家族がいる。「ああ、私、いつ死んでも後悔しないな。『楽しかった』と言えるな」って思います。工房の経営のことを考えると頭が痛いし、毎日ドタバタですが、私は今幸せです。

工房の壁の手形は家族5人のもの。大工さんにわがままを言い、ひとり暮らし中の長男と長女が帰省するお正月に押させていただいた

工房の壁の手形は家族5人のもの。大工さんにわがままを言い、ひとり暮らし中の長男と長女が帰省するお正月に押させていただいた

取材・文/泉 彩子

*ライフシフト・ジャパンは、数多くのライフシフターのインタビューを通じて紡ぎだした「ライフシフトの法則」をフレームワークとして、一人ひとりが「100年ライフ」をポジティブに捉え、自分らしさを生かし、ワクワク楽しく生きていくためのワークショップ「LIFE SHIFT JOURNEY」(ライフシフト・ジャーニー)を提供しています。詳細はこちらをご覧ください。