PROFILE

文美月さん(No.85)/株式会社ビューティフルスマイル 代表取締役
リトルムーンインターナショナル株式会社 取締役副社長

■1970年奈良市出身、在日コリアン3世として育つ。のちに日本国籍取得。同志社大学経済学部を卒業。1993年、日本生命に同志社大学第一号の女性総合職として入社、融資にかかわる。留学・結婚・出産を経て2001年に自宅でネットショップを起業、有限会社リトルムーン(現リトルムーンインターナショナル株式会社)設立。通販サイト「リトルムーン」を品揃え常時1万点のヘアアクセサリーを取り扱う人気サイトに育てる。2006年、代表権を家族に譲渡し、取締役副社長に。2010年より、使われなくなったヘアアクセサリーを日本全国で回収、ラオスやカンボジアなど発展途上国の少女に寄贈する活動を開始。カンボジアでの奨学金の創出や、若者の職業プログラム支援にも取り組む。2014年、NPO法人同志社大学産官学連携支援ネットワーク理事就任。2015年、株式会社ビューティフルスマイル設立。2018年、二度目の事業として食品ロス削減事業『ロスゼロ』を立ち上げ、食品メーカーで発生する製造余剰品や規格外品などを販売するほか、イベントなどを行う。著書に『悩みと向き合える女性は、うまくいく』(KADOKAWA)。毎日放送MBS「ミント!」月曜日コメンテーターも務めている。

■家族:夫、長男(22歳)、次男(19歳)

■座右の銘: 「シジャギパニダ(始まりが半分だ)」
「韓国のことわざで、『一歩踏み出したら、半分成功したようなもの』という意味です。リンカーン大統領の言葉『意思あるところに道は開ける』も好きです」と文さん。

ロスゼロ

 

「もったいないもの」をなくしたいと、48歳で食品ロス削減事業「ロスゼロ」をスタート

売れ残りや賞味期限が近いなどの理由で、まだ食べられるのに捨てられてしまう「食品ロス」の量は日本国内で年間600万トン以上。毎日10トントラック約1700台分の食品が破棄されています。この「もったいない」状況を少しでも何とかしたいと、食品ロスを減らすための事業「ロスゼロ」を2018年から始めました。48歳の時です。

事業の主軸はインターネット通販サイト「ロスゼロ」。食品製造・加工メーカーから余剰品や企画外品を買い取って、経緯や作り手のストーリーとともに掲載し、お得な価格で販売しています。例えば、人気ドラマにも登場した東京のパティスリーの「割れマカロン」。新人パティシエが練習で作った、形は崩れているけれど美味しくて色とりどりのマカロンを「最後まで美味しく、手軽に食べてほしい」とお店の思いを書き添えて掲載したところ、短期間で完売しました。

2020年に入ってからは新型コロナウイルス感染症拡大の影響でメーカーからの問い合わせが増え、観光客に人気の京都のお菓子や、高級ホテルや大使館で使われるはずだったソーセージなどコロナ禍で行き場をなくした商品がサイトに並びました。新型コロナの影響による食品ロスがテレビなどで報道され、この問題に対する関心が高まったこともあり、ユーザー数も増えています。食品ロスを減らすことの社会的意義をわかりやすく知らせ、余剰が出た背景をきちんと説明すれば、新たな顧客が生まれる。お店のブランドを傷つけることなく、「もったいないもの」をなくしていけると手ごたえを感じています。

31歳で初めてネットショップを起業。お客さまからの「ありがとう」がうれしかった

インターネット通販ビジネスそのものは経験があり、「ロスゼロ」は2度目の起業です。最初の会社「リトルムーン」を設立したのは19年前、31歳の時でした。専業主婦を経て、再び働きたいと考えましたが、当時、長男3歳、次男は9カ月。小さな子を抱えての再就職は厳しく、「雇ってくれる会社がないなら、自分で自分を雇うしかない」と輸入雑貨を販売するサイトを自宅で立ち上げたのが始まりです。

「失敗している姿も誰かの役に立つ」。友人の言葉に背中を押され、48歳からの2度目の起業で「食品ロス削減」に挑む(文美月さん/ライフシフト年齢48歳)

日本生命の総合職を26歳で退職し、韓国へ留学。現地で出会った在日コリアンの男性と結婚し、27歳で長男を出産した。

最初の3カ月は売上ゼロ。床に商品をそのまま置いて写真を撮ったり、商品の説明文も拙かったりとわからないことばかりでしたが、ただただ一生懸命やって、初めて商品の注文が入った時の喜びは忘れられません。3980円の商品でした。子育てとの兼ね合いに悩み、お休みした時期もありましたが、再開したのは、社会とのつながりが私にとってすごく大事なものだったから。売り上げは小さくても、メールやコメント欄でお客さまが「ありがとう」と言ってくれる。誰かの役に立てたという実感が、すごくうれしかったんです。

「失敗している姿も誰かの役に立つ」。友人の言葉に背中を押され、48歳からの2度目の起業で「食品ロス削減」に挑む(文美月さん/ライフシフト年齢48歳)

自宅兼事務所の様子。注文が増えるにつれ生活の場がなくなり、起業4年目に自宅外に事務所を構えた。

3年目に商材をヘアアクセサリーに特化し、夫も経営に参画。当時は必死でしたね。仕事と子育てで忙しい日々の中、ネットショップ経営者が集う勉強会に参加しては、限られた時間で最大限のことを吸収しようと真剣に学びました。こうした場を通じてさまざまなネットショップ経営者に出会えたのはありがたかったです。ITの世界で活躍している女性経営者の存在を知って励まされたり、さまざまな経営者の姿から、生き残るのは『しつこいほど改善を繰り返せる人』、『お客様の満足を追求する人』、『道徳心のある人』なんだなと実感しました。

アドバイスをいただくことも多く、背中を押されることもあれば、「ヘアアクセサリーなんてマイナーな商材、単価も小さいし、儲からないよ」と言われ、「モノを売るだけでなく、ヘアアクセサリーを使っておしゃれをするコトの喜びを丁寧に伝えれば、お客さまにはわかってもらえるはず!」と奮起したこともありました。

「失敗している姿も誰かの役に立つ」。友人の言葉に背中を押され、48歳からの2度目の起業で「食品ロス削減」に挑む(文美月さん/ライフシフト年齢48歳)

「リトルムーン」のサイトではヘアアレンジの方法を写真つきでわかりやすく解説。モノではなく、ヘアアレンジの楽しさを売りたいと考えていた。

会社の急激な成長にマネジメント力が追いつかず、クラッシュした30代後半

ヘアアクセサリーに特化してからお客さまが増え、起業5年目を迎えたころには、「リトルムーン」は月商約7000万円、社員約20名規模の会社に。海外に工場と事務所を作りに行き、特許を取得し、私自身は「まだ行ける!」とさらなる成長を目指していました。でも、会社が急激に成長すれば、ひずみが出ます。戸惑いを感じ、離職するスタッフも出てきましたが、私自身に周囲に目配せする余裕がありませんでした。

そんな時、ちょっとしたミスを発端にネットでの中傷が始まりました。「炎上」という言葉も一般に広まっていないころのことです。誠意を尽くしましたが、理解してもらえず、批判が批判を呼びました。それでも「正直に働いてきた。乗り越えられるはず」と思っていたのですが、ある時、自分への誹謗中傷に心の糸がプチンと切れ、会社に行けなくなってしまいました。

自宅にこもったのが5カ月。再び会社の机の前に8時間座れるようになるまで、合計1年半がかかりました。すごくしんどかったけれど、「リトルムーン」から逃げる選択肢はありませんでした。「リトルムーン」という会社名は私の名字「文」が由来です。私は在日コリアン3世で、「文」は民族名で「ムン」。アルファベットで書くと「moon」で、社名の意味は「小さな文さん」です。「リトルムーン」は私そのもの。「リトルムーン」を避けて生きれば、頑張ってきた自分を全て否定することになる。子どもたちにも「両親がずっと忙しく働いてきた結果が、これなのか」と思わせてしまうことになります。それは絶対にできません。だから、真正面から乗り越えるしかありませんでした。

会社の売り上げは一時期9割まで減り、退職した社員もいました。経営の危機でしたが、オフィスを縮小し、夫と残ってくれた社員が踏ん張って、何とかしのいでくれました。夫にも、社員にも言葉にできないほど感謝しています。本当は退職した社員たちにも手紙を書いて、それまで頑張ってくれたお礼とお詫びを伝えようとしたんです。直接会えない代わりにせめて手紙なら、と思いましたが、できませんでした。文字を書くことすら怖かったんです。

大事なのは「やり方」より「あり方」。価値観が変わり、社会貢献に目を向けるようになった

当時のことを話すたび、以前は涙があふれました。時間はかかりましたが、周りの支えもあり、徐々に感情を揺さぶられなくなりました。「失敗はこの世にはなく、全て学びだ」と思えるようになったからです。私自身も未熟で、真っ正直に働いてきたもののいつの間にか売り上げにもとらわれていた。売り上げを追いかけると「やり方」は身につきます。でも、本当に大事なのは、経営者として自分はどうあるべきか、スタッフはどうあるべきか−−−−。「あり方」なんですよね。利益も大事だけど、スタッフや家族の幸せの方がもっと大事。転ぶことによって気づき、以前よりも楽になりました。頑張ってこられたのは、みんなのおかげ。感謝の気持ちがあふれました。会社のビジョン・ミッションを見直し、原点回帰で仕事を一つずつ見直していきました。

大事なものが変化すると、目に留まるものも変わってきます。まだ会社には復帰できなかったころ、百貨店で「売り上げの一部をガーナの子どもたちの教育支援として寄付します」というお店を見かけ、素敵な取り組みだなと思いました。調べてみると、「ユニクロ」が回収した服を難民に届ける活動を2006年から始めたり、大企業の社会貢献活動も活発になっていて、社会の価値観が変わってきている。自分にも何かできないかと思いを巡らせるようになりました。心がしんどい時と重なっていましたが、その時間だけは楽しかったんです。やっぱり私は誰かのお役に立ちたいんだなと。

ただ、ヘアアクセサリー会社として何をやればいいのかはわからなかったのですが、2010年に転機がありました。「途上国の子どもたちの教育支援になる寄付があるから、やってみたら?」と友人から教えてもらい、数カ国の子どもに寄付をしたところ、折しもその翌月に別の友人からラオスの子どもたちに会えるツアーがあることを知り、即決で「行く、行く」と(笑)。

「失敗している姿も誰かの役に立つ」。友人の言葉に背中を押され、48歳からの2度目の起業で「食品ロス削減」に挑む(文美月さん/ライフシフト年齢48歳)

40歳の誕生日を迎えたころ、初めて訪れたラオスにて。現地を訪れて初めてわかることは多く、高級アクセサリーは親が販売してしまう現実も知った。

そのときに、商品には採用されなかったヘアアクセサリーのサンプルをトランクいっぱいに詰め込んで持って行き、女の子たちにお土産として渡したら、すごく喜んでくれました。私もうれしかったのですが、帰国後、そのことをホームページに載せようとした時に、ふと虚しくなりました。1回きりで満足していていいのかなと。

続けるにはどうすればいいんだろうと考え、始めたのが、お客さまが使わなくなったヘアアクセサリーを集め、発展途上国の子どもたちに送る活動です。お客さまには送料を負担していただくかわりに、500円のクーポンを発行する仕組みにしました。Web上のクーポンなので発行に手間はかかりませんし、次回のお買い物に使っていただけるので、会社にもプラスとなり、無理なく活動を継続することができます。この仕組みで、これまでに約4万個のヘアアクセサリーが寄せられ、現在ではラオスだけでなくカンボジア、タイ、アフガニスタンなど支援先は10か国に増えています。カンボジアでは、ヘアアクセサリーを販売し、売り上げを職業訓練に充てるなどの活動をしています。

「もっと、もったいないもの」を生かすことにチャレンジしたいと「ロスゼロ」を開始

2010年にヘアアクセサリーのリユース活動を始めて以来、ラオスやカンボジアを10回以上訪れ、現地の小学校や企業を視察しました。その過程で、発展途上国で物資の不足以上に深刻なのは教育と就業だとわかり、ヘアアクセサリーによる支援でできることには限界があると感じるようになりました。

「失敗している姿も誰かの役に立つ」。友人の言葉に背中を押され、48歳からの2度目の起業で「食品ロス削減」に挑む(文美月さん/ライフシフト年齢48歳)

途上国での活動が広く知られ、旅行会社が「文さんと行くカンボジアスタディツアー」を企画。2012年からこれまでに3回実施された。

インターネット通販という得意分野を生かして、使われなくなったヘアアクセサリーという「もったいないもの」を、必要としている子どもたちに橋渡しすることができた。でも、ヘアアクセサリーという枠を外せば、もっとできることがあるんじゃないか。「もっと、もったいないもの」を生かすことにチャレンジしてみたい。じゃあ、「もっと、もったいないもの」って何だろうと考えた時に、その最たるものは食品だと気づきました。

でも、「食品ロス」の問題に取り組んでいるのはNPOやボランティア団体が多く、民間企業が持続的な取り組みに成功している例は少なそうでした。何か手だてはないかなと考えていた時に、以前からお付き合いのあったブランドチョコレート会社の社長さんから、規格外のチョコレートがあるという話を聞いたことが「ロスゼロ」の立ち上げにつながりました。

その社長さんは「リトルムーン」の途上国での活動に関心を持ってくださっていて、「何か手伝えることがあれば」と言ってくれたんですね。それで、「カンボジアの学校にトイレを作るためのクラウドファンディングをするから、規格外のチョコレートを寄付してくれた人へのお礼に使わせてほしい」とお願いしました。このクラウドファンディングがうまくいって、カンボジアの支援ができたばかりか、本来なら捨てられるはずの食品が背景をきちんと伝えることで誰かにおいしく食べてもらえ、メーカーさんのブランドに傷をつけず食品ロスを減らせた。「他にも多くの食品メーカーが同じように、もったいないものが発生しているのではないか?」このモデルをビジネス化し、売り上げの一部を発展途上国の支援に当てれば、食品メーカーもユーザーも自分たちの会社もみんなにとってプラスで、社会貢献にもなると考えて、「ロスゼロ」を始めたんです。

「先生」と呼ばれる場所から降りないと、成長できないと思った

「新しいことにチャレンジしたい」という思いは、「ロスゼロ」を始める数年前、40代前半からありました。「リトルムーン」の経営がようやく落ち着き、途上国の支援活動も始めて、心身ともに余裕が出てくると、セミナーの講師や大学での講義、ビジネスプランコンテストの審査員など人前に立つ仕事の依頼をいただくようになったんですね。「私の経験が少しでもお役に立てるなら」とありがたくやらせていただいていたのですが、知り合いが増え、「先生」と呼ばれることも。そのうちに、挑戦することが怖くなっている自分に気づき、「お山の大将になってはいけない。私はここから降りないと、成長できない」と危機感を抱きました。

でも、怖いもの知らずだった一度目の起業と違って、余計な知恵がついていたり、背負うものも増えていたので、失敗するのが怖い。どうしようかなと思っていたころ、「それなら、失敗している姿も含めて、チャレンジしている姿そのものをみてもらえばいいんじゃないの」と言ってくれた人がいて、「確かにそうだな」と心の霧が晴れました。うまくいかなくても私自身が「失敗は全て学び」と思えば、やり直せばいいだけの話。もう、周囲の目は気にしないでおこうと。ずっとそう思ってきたし、人にも言っていたのに、いざ40代になった自分に当てはめると怖かったですね。企業に勤めている人が「どうしよう。本当は何もできないとバレたら」と、新しいチャレンジを怖れる気持ちと似ていたかもしれません。

スタートアップとして、まっさらな気持ちでやり直したかったので、「ロスゼロ」の運営会社の「ビューティフルスマイル」は「リトルムーン」のグループ会社にはせず、ひとりで資本金の振り込みから始めました。会社の成長に向け、アクセラレーションプログラムも受講。「まだまだ勉強しなければ」と思いました。謙遜でも何でもなく、ありのままの気持ちです。

「リトルムーン」を立ち上げた17年前とは、起業への意識も環境も変化しました。若い起業家も随分増えました。ベンチャーキャピタルの投資環境も整いつつあり、融資以外の資金調達の方法も広がりました。きちんと絵を描いて、ビジョンと計画を見せれば、経験や年齢を問わず、起業のチャンスがある時代になりました。私自身も二度目は時代を反映したやり方にチャレンジしてみようと思っています。

社会問題の解決と経済性を両立するのは、まあまあ厳しいです。「意義のあることだけど、儲からないんじゃない?」と言われることも少なくありません。でも、そう言われると、ムキになるのが私です(笑)。経済性・社会性・環境配慮。これらを成り立たせるにはどうすればいいんだろうと力が湧いてきます。今はおかげさまでECが黒字化し、次のステージに入りました。

「失敗している姿も誰かの役に立つ」。友人の言葉に背中を押され、48歳からの2度目の起業で「食品ロス削減」に挑む(文美月さん/ライフシフト年齢48歳)

「ロスゼロ」ではサイト運営のほか、規格外の食材を使ったランチを提供する「ロスゼロ食堂」などのイベントを通し、外食産業と生産者支援も行っている。

「子育てが落ち着く40代からが楽しいんちゃう?」。夫の言葉は本当だった

「リトルムーン」も途上国の支援も「ロスゼロ」も始まりは小さな一歩でした。小さなところからちょっとずつ自分の行動を変える。その継続で、今に至ります。逆に言えば、何かあっても、最初の一歩に戻ればいいだけです。だから、今は3度目、4度目の起業も怖くありません。

30代後半で一回肩の荷を降ろして、ラクになり、チャレンジが楽しくなって、40代で再び攻めて。年齢を気にしなければ、可能性はどんどん広がると実感しています。女性であり、シリアルアントレプレナーであり、子育て経験のあるミドル層の起業家。ふと見渡せば、私のようなパターンは周りにほとんど見当たりません。ひとつのサンプルとして誰かの参考になることもあるかもしれないから、失敗を恐れず、人生を楽しむつもりです。

新卒で入社した会社を3年で退職してキャリアを離れたまま27歳と30歳で出産した時、大学の友人たちの多くがまだ独身でした。留学したり、転職したりと新たなステージに向かうみんなの姿を見て、取り残された気がしていた時、夫が「子育てが落ち着く40代からが楽しいと思えばいいんちゃう?」と言ってくれました。振り返れば、本当にそうでした。40代はまだ体力があるから、再び新しいことがしやすい時期。介護などそれまでとは別のライフイベントもおきますが、20代、30代より対処法が蓄積されているし、心の余裕がありますから、乗り越えやすいように思います。

「失敗している姿も誰かの役に立つ」。友人の言葉に背中を押され、48歳からの2度目の起業で「食品ロス削減」に挑む(文美月さん/ライフシフト年齢48歳)

スポーツが大好きで、2017年には世界最大の障害物レース「スパルタンレース」に夫婦で参加した。現在は、家族4人でテコンドーの練習に通っている。

次なるチャレンジとして考えているのは、数年間アメリカで暮らすこと。過去に3回シリコンバレー・サンフランシスコを訪れる機会があり、企業の視察もさせていただいて視野が広がりました。英語を勉強し直して、一度腰を据えてアメリカでビジネスを学び、アメリカで「1ドルでも稼げる人間」になりたい。還暦から5年間くらい留学するのが面白いんじゃないかなとあれやこれや考えて楽しんでいます。

(取材・文/泉彩子)