Crew’s Life : 高木さん、西見さん。ソニックガーデンは100点満点で何点?

 

業界横断で業務ハッカーという新職種を広めたい

PROFILE

高木咲希さん

「納品あり」という矛盾、原体験は実家にあった

2015年4月にソニックガーデンに新卒で入社した高木咲希さん。しかし、その出会いは、多くの大学生がしている就職活動とは大きく異なる。
小中学生の時、プログラミングやウェブの技術を独学し、趣味でホームページを作っていた高木さん。他にやりたいことが現われて興味が分散したが、再びその領域に真正面から向き合うことになったのは、情報系を専門分野に決めた大学3年の時だった。当然、就職も視野に入っている。
就活のスタートにあたり、プログラマーやエンジニアとして働くとはどういうことか、いまひとつ理解できなかったので、大学のある京都市内のホームページ製作会社で3カ月ほど、インターンを経験した。
ある日、その会社の社長がこんなことを言った。「ウエブサイトというのは作って終わりじゃない。そこから更新して育てていくのが本筋だ」と。
高木さんは「なるほど」と思った。というのも、原体験があるからだ。高木さんが話す。「私の両親はともに会計士で、一緒に働いていましたが、使っていた会計用のソフトウェアを思うように使いこなせず、二人でよくもめていました。そして、そんな困っているような状況なのに、ベンダーが定期的にやってきては新しい製品を案内していくんです。製品を開発したエンジニアが話を聞きに来てくれれば、問題は解決するはずなのにと思っていました」。

社長以下社員全員と面談

顧客に寄り添ってソフトやシステムを作り、そのニーズに合ったものに常に更新していく。そんなIT企業がないものか。いわゆる「就活」では残念ながら出会うことはできなかった。しかし、理想の職場を諦めきれずに、ネットで検索していたら、見つかった。「納品のない受託開発」を行うソニックガーデンだった。
倉貫社長の講演会が近隣で開かれることを知ると、出かけてみた。大学4年の5月のことだ。終了後、思い切って「就職先として興味があるんです」と話しかけると、こう返ってきた。「採用受けてみる?」。新卒の公募はしていなかったが、門戸は閉じられているわけではなかったのだ。
まず倉貫社長との面談があり、次が副社長との面談、そして、オフィス見学というプロセス。驚いたのは最後に社員全員との面談がセットされていたことだ。「5名相手の面談を2回やりました。嬉しかったのは、私にたくさん質問してくれたこと。『インターネットが広がる前と後では世界はどう変わったと思う?』という哲学的なものもありました。経験豊かなプログラマーの間で、新卒の私がやっていけるか、そもそも歓迎されるのか、とても不安だった。でもその質問攻めで、私に興味を持ってくれていることがわかり、不安が大分、和らぎました」
ソニックガーデンの採用は、お試し期間を長く取るのが一般的だ。しかし、新卒の場合はその限りではなく、人見合いで別のプロセスが用意されることもある。こうして、社長以下全員との面談を経て、高木さんは、大学卒業と同時にソニックガーデンの一員となった。

 

最初は社内の仕事、徐々に外の仕事へ

まずはプログラムの勉強からのスタートだった。それから社内で使うシステムを作った。たとえば、当時手がけた、社員のプロフィールを載せるシステムは今も稼働している。「師匠」と呼ぶ先輩社員の仕事の一部を手伝う業務も託された。当然、一対一の指導を受けることになる。
新しい知識を覚え、仕事はどんどん楽しくなった。「お客様の要望を聞くことからはじまり、成果物を作り、保守を担当する。他の企業は営業がお客様への訪問を繰り返し、プログラマーはプログラムだけを見ていることが多いようですが、その分断がないことがうちの強みなのだと改めて実感しました」
挨拶状作成システムなど、web上で利用できる自社サービスの担当を経て、入社2年目にはお客様と向き合う仕事を担当するように。
当時、ソニックガーデンが行う「納品のない受託開発」は新規事業案件が多かった。「新規事業より、社内システムの改善をやりたい」と高木さんは思い、社内でもそう公言していた。あの実家の件があったからだ。
ある企業から、「バックオフィス業務で使っている社内システムの機能を増やしたい」という依頼が社内に舞い込んだ。誰が適任だろうか。白羽の矢が高木さんに立った。初めてのお客様相手の仕事だ。「営業先の情報や社員の人事情報を管理する機能を付加してほしい」という要望に応えて新たにプログラムを組み、喜ばれた。

 

業務ハック普及のため勉強会を開催、書籍も執筆

面白いのはここからで、高木さんはこの仕事に目覚めた。業務改善とシステム化を一緒に行うことを「業務ハック」と名付け、そのための専門チームを社内で作り、6名を率いるチームリーダーになった。自身は現在、5社ほどの企業の業務ハックを担当する。「『ここを改善したい』という明確な依頼もあれば、『エクセルの仕組みが複雑になりすぎたので改善してほしい』『ITで業務の簡素化を図りたい』」といった曖昧な要望もあります」
さらに高木さんの活動は社内だけに留まらない。自らのハンドルネームを使い、「業務ハッカー ぎっさん」を名乗り、ブログやネットで発信し、専用コミュニティを作っている。コロナが起きてからは中止しているが、その直前は全国各地で勉強会兼交流会も開催していた。この8月には業務ハックの進め方について解説した書籍まで上梓している。「業務ハックという仕事の存在を知ってもらうことが、長期的に会社のためになり、顧客の増加につながると思っています。この仕事の魅力を伝えて、業務ハッカーの仲間も増やしたい。プログラマーと同じように、職種として認知され、新卒の学生が初めから業務ハッカーを目指すようになってくれたらうれしい。それだけ取り組み甲斐のあるクリエイティブで面白い仕事だと思います」。
業務ハックの推進は、高木さんにとって仕事なのか、それとも自身の趣味なのか。「会社には地方で勉強会を実施する場合の交通費を負担してもらっていますが、私にとっては趣味でもあり、仕事でもあります。エンジニアが勉強のために買う書籍は会社がお金を出してくれます。それと同じで、自発的な教育研修にも近いかもしれない」

 

組織と個をすりあわせるYWTという仕組み

新規事業ではなく業務ハックに、「納品のない受託開発」というやり方で対処する。高木さんは「納品のない受託開発」に関する新しい事業を立ち上げたようなものだ。
ソニックガーデンは完全なフラット組織で、上司部下の関係がない。すごく自由な会社なのだが、一方で組織である以上、「会社がやってほしいこと」は必ず存在する。
その会社がやってほしいことと、「各自がやりたいこと」を調整する、社長あるいは副社長と各社員との1on1ミーティングが、年1回、半年に1回、人によっては3カ月に1回、ある。名付けて、「やったこと」「わかったこと」「次にやること」の頭文字を取り、YWTという。
高木さんのやりたいことは、このYWTを経て、社内でシェアされている。「YWTの内容は全社で共有するんです。毎週金曜日の正午に開局する、ソニックガーデンTVという社内向けのテレビチャンネルがあり、そこが主な発表の場になっています」

 

100点満点、自己実現の日々

現在の日々を高木さんに点数化してもらうと、「100点満点」と即答だ。「自分がいいと思ったことを、選択させてくれる。自分がそれを選択したからには、うまくやり遂げ、100点にしないと格好がつかないから、その点数なのかもしれません」
高木さんにとって働くことは自己実現と同義なのだという。「面白いことを見つけ、それ広めるために、さまざまな工夫をし、努力を重ねていく。自分で動くと、新たな機会がもらえ、その機会がさらに別の興味を喚起させる。そして、私自身も成長する。これが私にとって働くということです」

 

 

ここでは「世界と遊ぶ」ように働ける

PROFILE

西見公宏さん
取締役 

 

高校を中退し、ウェブデザイナーとして働く

幼い頃はゲーム少年だった。小学校の時にファミコンにはまり、ゲームクリエイターに憧れる。ゲームが作りたくてプログラミングに興味を持ち、中学1年の時にはプログラミング言語を独学していたくらいだ。
当時、勃興していたパソコン通信にも夢中になり、関連テーマのフォーラムに所属し、書き込みや情報収集に勤しむ。年齢を問われたので、実年齢通り13歳と書いたが本気にされなかった。オフ会に出かけ、対面すると「本当に13歳だったんだ」と、父親と同じくらいの年恰好の大人たちから驚かれた。
中高一貫の学校に通っていたが、高校2年の時、中退してしまう。西見さんが振り返る。「僕の中で既に進路が決まっていたからです。プログラミングの技術を生かし、社会に貢献することです。僕はそのための知識やスキルをもう備えている。このまま、高校、そして大学に行く時間がもったいないと思えたのです」
問題は経験と実績だ。積むしかないから、ホームページ制作会社に就職した。仕事はウェブデザイナー。本当はプログラミングをやりたかったのだが、募集がないから仕方がなかった。しかも、高校中退者を雇ってくれる会社は少なく、想像以上に狭き門だった。

大学に入り直し、大企業への就職を目指す

結局、その会社は長続きせず、半年ほどで辞め、自らホームページ制作の会社を立ち上げたものの、しっくりこなかった。なぜかこの頃になって、大学に行きたいという気持ちが芽生えていた。「仕事をすると、出会った人が例外なく、僕の出身大学や専攻を聞いてきたんです。大学とは、そんなに誰もが通うべき場所なのか。だったら行ってみようかと」
どうせ学ぶならプログラミング以外のことがいい。起業をしていたので、経営に興味があった。ある大学の学生になった時、20歳を過ぎていた。
さて、3年に進級し、就活シーズンとなった。中小企業は経験済みで、自ら起業もしていたので、まったく未知の大企業で働いてみたかった。最終的に選んだのは大手システム開発会社のTISだった。2006年4月に入社する。

 

転機は東日本大震災だった

配属は基幹系情報システム(ERP)の運用コンサルティングとシステム開発を担当する部署。これまで経験したこととは世界が全く違う、もっとも複雑で最も多くの人がかかわる大規模な業務システムを担当する部署で働きたいという希望が通ったのだ。
そんな「全く違う世界」でも、西見さんのそれまでの経験は十分に生かされた。貢献はできていたと感じていたが、もとよりプログラミングが得意だったこともあり、コンサルティングよりは開発のスキルをもっと高めたい、もっと最新の技術で勝負したいという気持ちも芽生えていた。
そんな状況の中で東日本大震災の3月11日を迎えた。地震が来た時は都心の高層ビルにある会社の会議室でミーティングをしていた。東京は大混乱だった。電車が止まった。間引き運転も行われた。「でも不思議なことに、皆、会社に定刻通りに出社しようとするんです。行かないと仕事にならないからと。僕らプログラマーは働く場所にとらわれず働けるはず。働き方に最も融通を効かせるべき非常時なのに、いつも通り、会社に行こうとする。理解不能でした」
そんな時、クラウドをうまく活用し、居場所に関係なく、のびのび働いている同じIT系の人たちがいることを、あるブログで知る。何とそれは、社内にいた。西見さんは入社時に二つの志望を出したのだが、そのもう一つの部署、社内SNSの運用を任されていた部隊が発展した社内ベンチャー、ソニックガーデン所属の面々だった。まさに灯台下暗しである。
西見さんはコンタクトを取ろうと、すぐにリーダーの倉貫氏にメールを送った。それを見て倉貫氏は「ツイッターのアカウントもっている?」と返してきた。西見さんが送ると「何だ!君か」。
西見さんは倉貫氏のアカウントをフォローしており、倉貫氏は西見さんの投稿をしばしば読んでいたのだ。「じゃあ、友達から始めよう」と意気投合し、定期的にコミュニケーションをすることになる。
そのうち、ソニックガーデンがTISから独立することになり、「どうする?」という問いかけに西見さんは「ついて行きます」と答える。
2011年10月、ソニックガーデンに、TISを辞めた西見さんが加わる。会社は5名のみで社員という位置づけの人材はいなかった。つまり、西見さんはソニックガーデンの第一号社員だった。

 

「理想の職場」に行き着く

ソニックガーデンでの仕事は「最初からフルスロットルだった」。出社2日目、システムを刷新したいという企業の社長とのミーティングに同席していたときのこと。あるプランが出ると、「これ、ちょっと絵に描いてみてくれない?」と倉貫氏が声をかけてきた。待ってましたとばかりにすぐにその場で描いて見せると「実際に作ってみようか」という話に。2日後に動くプログラム持参でその企業までプレゼンに行った。そんなことの連続だった。
「抜群の技術力を持った人たちと、毎日プログラミングの話をして楽しく仕事したいというのが私の夢でした。それがかなったんです。尖った話をしても浮かない。それより尖った話を誰かが出してくる。何よりお客様との関係が素晴らしい。お客様だからと上座に置くのではなく、一緒にタッグを組み、目の前の課題を解決する。理想の職場だと思いました」

 

「納品のない受託開発」を統括

西見さんは2015年7月から取締役となった。自身の担当案件の他に、「納品のない受託開発」の技術面での統括が主な仕事だ。
お客様からの問い合わせや依頼は最初に西見さんのところに来る。西見さんはよく話を聞いたうえで、実現の可能性とプロセスを考え、ふさわしいプログラマーに声をかけたり、社内に案件を公開したりして、チームを立ち上げる。「お客様と一体化したチームになれるかが最も重要です。様々なことを意思決定できる方が担当に就いていただくことが大きなカギですね」
「納品のない受託開発」は作り手のプログラマーも、使い手のクライアントも、どちらもハッピーになるやり方だ。
「このやり方を世間にもっと広めたい。そのためには人手が必要です。誰でもいいわけではなく、髙い技術力と絶えざる成長欲求、そしてわれわれと同じ価値観をもった人材でなくてはなりません。「納品のない受託開発」をメジャーにするには、お客様の開拓と従事する人材の拡充という両輪をうまく回していくことが重要です」

 

あらゆる行動に自分がハラオチできる

西見さんにソニックガーデンでの日々に点数をつけてもらったら、100点だという。その心は何だろうか。
「あらゆる行動に自分がハラオチできていること。この状態を僕はベストだと思い、自らの行動指針にもしています。ソニックガーデンではその状態が実現できているので、満点をつけます」
「働くこと」を別の言葉で言い換えてもらった。「善きことを為す。これが働くことの基本です。でも、その場合、当事者が歯を食いしばって取り組んでいても、よい成果が得られないことが多い。そうではなく、自ら楽しんで、傍から見ると遊んでいるように、物事に向かいたい。結果として、それが一番いい成果を上げることができると思います。善きことを為すために、世界とうまく遊んでいるように見えること。これが私にとっての理想の働き方です」