Captain’s View : 代表・中村氏は、なぜ「おどおどした人」を採用するのか?

 

会社は夢をかなえ、世の中をよくするためのツールだ

営業は午前11時から午後2時半までの3時間半、1日100食しか出さないランチ限定の国産牛ステーキ専門店が京都市内の住宅地にあります。その名も佰食屋(ひゃくしょくや)といいます。
テレビや雑誌で数多く取り上げられて人気が沸騰し、長蛇の列となったため、朝9時半に整理券を配布し、そこに指定された時刻に再び店に赴くというシステムがとられています。
このお店で働く従業員には残業がありません。午後2時半前でも、テイクアウト含め、100食を売り切ったら、その時点で営業が終了するからです。
しかも、全スタッフが、翌日の準備を済ませ、午後6時前には店を出ることができます。夕食の食卓を家族と囲むことができるのです。飲食店のかき入れ時、夜の営業を犠牲にしてまでも、社員の時間のゆとりを優先させているのです。
佰食屋のオープンは2012年11月のことで、2015年3月には「佰食屋すき焼き専科」、2017年3月には「佰食屋肉寿司専科」、2019年には「佰食屋1/2」を同じ京都市内に出店していますが、メニュー以外の基本的な営業形態は同じです。
この斬新な仕組みと実績が評価され、経営者の中村朱美さんは第32回人間力大賞農林水産大臣奨励賞、ForbesJAPANウーマンアワード2018新規ビジネス賞、日経WOMANウーマンオブザイヤー2019大賞など数々の賞を受賞しています。
その中村さんに、コロナ禍の対応から始まり、経営の根底にある会社観、時代観、今後の計画について伺いました

株式会社minitts(ミニッツ)代表取締役 中村朱美氏
聞き手 ライフシフト・ジャパン 代表取締役CEO 大野誠一

 

社員は家族のような存在

―― いきなり直球の質問で恐縮です。中村さんにとって、会社とはどんな存在でしょうか。
中村 端的にいうと、ツールですね。二つの意味があって、まずは私自身の夢をかなえるためのツール、そして、事業を通じて世の中をよくするためのツールでもあります。
―― 社員の皆さんにとってはどうでしょう。
中村 同じでしょう。それぞれの人生をよくするためのツールではないでしょうか。一番大切なものは各自の人生、それを支えるツールのひとつに会社があると。
―― ではもうひとつ、直球質問を。中村さんにとって社員の人はどのような存在ですか。
中村 大切な家族のような存在ですね。私を守ってくれる人たち。実際の家族もそうですが、新しいチャレンジをどんどんやっていく私を支えてくれ、時には背中を押してくれるかけがえのない存在です。いつも感謝しています。

 

コロナ禍で休業と閉店を早期に決断

―― でもコロナの影響で、店を閉めるという重い決断をしました。
中村 はい。緊急事態宣言の前日、4月6日には、全従業員に11日から休業すると伝えました。4店舗のうち3店舗を臨時休業として、本店はテイクアウトのみの営業としました。京都は緊急事態宣言のエリア外だったので、周りの飲食店は営業していたのですが、エリア内の大阪から通っている従業員もいる。お客様はそれこそ大阪や神戸からも来るので、感染リスクを回避するためにそう決めたのです。
4月11日には、京都の繁華街にあった2店舗の閉店を決めました。以前のような賑わいが戻るまでにはかなりの時間がかかると予測したからです。賃料が高いことも決め手になりました。
―― 当然、従業員の解雇もあったと。
中村 そうです。でもその時にとれるベストな選択肢がとれたと今は考えているんです。もちろん、全員の雇用を維持し、赤字を出しながらも耐え抜くという選択肢もあったのですが、それは取りませんでした。影響がどこまで長引き、深刻化するかがまったくわからなかったので、耐えられずに会社が倒産し、それこそ皆が路頭に迷ってしまうというリスクがあったからです。
そこで、2店舗を閉め、解雇する社員には解雇予告手当という給料1か月分のお金を上乗せして支払うという決断をしたのです。そこまで踏み切る会社は当時少なくて、解雇者も少なかったので、次の再就職先が早くに見つかるはずだという読みもありました。
この判断が正しかったか、検証もしたんです。そのうちの一店、すき焼き専科という京都の河原町にあった店の前には、行列のできるラーメン屋と人気の焼肉屋があり、4月11日の時点でどちらも営業していた。ところが10月末に行ったら、両店とも閉店していました。
―― 中村さんの早めの決断は正しかったということですね。
中村 そうだと思います。

 

時間ではなく食材を基準にすると、従業員教育が不要になる

―― 先ほど、会社は中村さんにとって夢を実現するためのツールだということでしたが、佰食屋を立ち上げる際の夢はどのようなものだったのでしょうか。
中村 何かで一位になってみたかったんです。それで選んだのが定食屋。「定食王に俺はなる」みたいな(笑)。
なぜ定食にしたかというと、カフェや居酒屋はライバルがめっちゃ多い。だから止めました。一方で、若い世代がこのご時世に定食屋をやるのは、希少価値があると思ったんです。しかも、定食屋は日常使いの店ですから、万が一、景気が悪くなっても生き残っていける。それで選んだのです。
―― でも普通の定食屋ではなく、ステーキ丼のみで一日100食限定にしたと。
中村 その通りです。メニューも数も限定すると注目されると最初から踏んでいました。しかも、従業員の働き方がよくなり、フードロスもなくなるので、すべてがうまくいくはずだと思っていました。働き方という面では従業員の教育が不要になるんです。
―― どういうことでしょう。
中村 通常の飲食店の場合、一日を通して繁盛した日、閉店ぎりぎりに来るお客様は歓迎されません。「もう片付けようと思っていたのに」とか、「ご飯が残り少ないのに」とか、従業員が心の中でため息をついている。その結果、接客がぞんざいになってしまうのです。従業員がそうならないように、経営者は教育をしなければならないのですが、うちでは必要ない。100食限定なら、98食になったら、「あと2食!」とみんなルンルンですから。最後のお2人は拍手してお迎えしたくなる。時間に関係なく、全部売れたら店は終わりだと、上から押し付けるホスピタリティ教育が不要なんです。
―― それは面白い。

 

 

欲しいのはイライラする人ではなく、おどおどする人

中村 私は従業員がお金ではないインセンティブでモチベーションを保てることを証明したかったんです。それはずばり時間です。労働時間の短さ、つまり夜中まで働く必要がなく、早く帰れるということです。この店を初めて9年目になりますが、私の仮説がみごとに証明された。みんな、もし月5万円、今より給料が上がることになっても、今までの働き方を変えたくないと異口同音に言います。
―― なるほど。逆にいうと、時間を大切にしたい人が集まっているということですよね。
中村 まさにそうです。面接の時に、うちの店は残業代で稼ぐことはできないとはっきり伝えます。その代わり、副業をやるのは大丈夫なんです。
―― しかも、基本はハローワークで採用すると。
中村 はい。転職サイト経由だと、給料の額、勤務地、勤務時間、休日といった労働条件を最優先する人がほとんどなんです。でも、私が欲しかったのはそういう人ではありませんでした。就労意欲が高く、真面目に仕事に向き合ってくれる人なんです。でもそういう人ほど、面接が下手で、なかなか雇ってもらえない。それで、民間のサイトは使わず、ハローワークで募集してみたんです。大当たりでした。
私は人間には大きく分けて二種類いると思っていて、一つはイライラする人、もう一つはおどおどする人。私はおどおどする人が欲しい(笑)。そういう、ダイヤモンドの原石のような人はハローワークにめちゃいっぱいいてはるんです。
―― 営業時間という概念がない、百食限定の、それも定食屋、従業員はおどおどする人、募集手段はハローワークと、いわゆる常識外の発想力が中村さんの強みなのでしょう。一方で30分でおいしいステーキ丼を安く食べられれば本望という人が来る、という意味で、お客様も選んでいますよね。
中村 そうですね。100食限定というのは社内の目標数字であるのに、それをあえて店名に掲げました。われわれの働き方をよく理解し、同じように時間というものを大切にしてくれるお客様に来てもらっていますので、ありがたいですね。

 

大手飲食チェーンが苦戦する時代

―― お客様は佰食屋の味とサービス、価格に納得して食べにきている。従業員の方も、労働時間と待遇に納得して働いている。急成長はしないかもしれませんが、佰食屋のビジネスモデルは持続性に富んでいると思います。
中村 このコロナ禍を経て、その持続性ということがますます重要になってきたと感じます。もっとわかりやすくいうと、飲食業においては拡大することの意味合いが薄れてきたと思います。
コロナ前にもありましたが、お客様は唯一無二を求める傾向が強まりました。全国どこにでもある大型チェーンの飲食店でご飯を食べるよりは、私だけの味、私だけの雰囲気がある、小さくても個性の強いお店に行きたい、という欲求がますます強くなってきた。
この佰食屋がチェーン展開し、東京でも大阪でも福岡でも食べられるようになったら、それこそ、持続可能性が壊れてしまう。京都のあそこに行った時だけ食べられる私の大事な宝物、と思ってもらったほうがずっといい。
―― ご著書『売上を、減らそう。』は2019年6月の発行ですが、1日50食を売り切る「佰食屋1/2」を出し、そのフランチャイズ展開も考えているとあります。
中村 確かにそう書いており、お店もまだあるのですが、コロナを経て、フランチャイズ展開は考えないことにしました。どこに行っても味やサービスが変わらないチェーン店よりも、ニッチでコアな単体のお店が強い。飲食業では大手ではなく個人事業主や小規模企業が輝く時代に既に突入しています。

 

 

佰食屋を参考したカレー屋が長野に出現

―― 先ほど、会社は世の中をよくするためのツールだと言われました。その思いは今も変わらないでしょうか。
中村 変わりません。最初の頃は、飲食店で働いている人が夕方に帰れて家族で食卓を囲まるという働き方を実現させようと思いました。そういう飲食店が世の中にあってもいいんじゃないかと。これは実現しました。
次は、昼だけの営業でも十分やっていける、われわれのノウハウを他の経営者に知ってもらいたい、他の会社の働き方もよくなってほしい、と思うようになりました。本を出したのもそのためで、私のやり方がいいと思ったらどんどん真似してください、と書きました。
―― 実はこの間、ハウス食品を辞めた人が作った、ランチのみ営業している長野県佐久穂町のカレー屋さんを取材したのですが、まさに佰食屋を参考にお店を作ったそうなんです。
中村 それは嬉しいお話です。長野に行く機会があったらぜひ立ち寄ってみます。
―― 今、取り組んでいること何でしょう。
中村 コロナを乗り切るノウハウを広めることです。先ほど、コロナを経て店を減らし、営業は本店のみにしたと言いました。その本店が5月から黒字化し、今(12月18日)に至るまで、ずっとそうなんです。なぜ黒字化できたか、というノウハウを、さまざまな講演会で伝えているんです。地方の商工会議所主催のものなど、毎月15件は講演をやっています。
うちの会社を拡大してもせいぜい年間10数名しか社員を増やすことができない。だったら、他の企業にノウハウを伝えたほうが、日本全体にとって大きなインパクトが生まれると思っているんです。

 

緻密で計画的な集客作戦の提案

―― 黒字化できたのには、どんな理由があったのでしょう。
中村 やはりステーキ丼という商品が強かったのが大きい。4月11日、店内飲食を止め、テイクアウトのみに切り替えたところ、初めて食べたというお客様が結構いらっしゃったんです。事情を聞くと、これまで佰食屋の存在は知っていたけれども、行列が長く、整理券も朝9時半であっという間にはけてしまうので、食べるのを断念していたというんです。それが100%テイクアウトで電話予約もできるというから、試してみたと。それでおいしいと評価してくれ、今度は店内営業が再開した時、食べにきてくれた。そうやって客層が広がったんです。
―― それは瓢箪から出た駒ですね。そういうテイクアウトに切り替えるノウハウを講演でお話するのでしょうか。
中村 それだけではありません。私たちは当時、テイクアウトに切り替えて、ゴールデンウィークは乗り切れたとしても、それが明けた週の平日は注文も減り、持ちこたえられないかもしれないと思っていました。そこで、ゴールデンウィークが空ける5月7日の木曜日には、一時ストップしていたテイクアウト用のハンバーグメニューを再開することと、休業していた佰食屋1/2を再開することをSNSを通じて発信していたんです。そういう先を見越した集客作戦を4月11日の時点で組んでいたんです。
佰食屋1/2ではカレーパンも期間限定で出しています。これも4月11日の時点で決めていた。こういった緻密で計画的な集客作戦をきちんとやりましょう、と皆さんに伝えているんです。

 

トップを取りたいという気持ち

―― 中村さんは思考が緻密で計画的でありながら、野生の勘も兼ね備えているところがまさに起業家だと思いました。起業家や経営者を昔から目指していたのでしょうか。
中村 私は今から9年前、28歳で起業したのですが、経営者になろうとはそれまで思ったことがありませんでした。ただアイデアマンだという自覚はありました。
みんなが考えつかないアイデアを提案するのが昔から得意なんです。以前は専門学校で広報担当の事務職員をしていたのですが、ブランディングの大切さに気づき、たとえば郵送物のデザインや使う写真の規格を統一し、学生の家に郵便物が届いた時、すぐにうちの学校からだとわかるようにしようと提案し、その通りになりました。
―― 目標達成志向が強いと。
中村 目標というより、トップを取りたいという気持ちが人よりもきっと強いんです。私は次女で、姉がいるんですが、その姉が両親に可愛がられているので、負けずに可愛がられたい、褒められたいと幼い頃からずっと思っていました。案外、それが私という人間の原点かもしれません。

目標はパラレル・アントレプレナー

―― 今後について教えてください。
中村 佰食屋を展開している会社はminitts(ミニッツ)というんですが、2019年にそれとは別に株式会社を作ったんです。地震や台風、豪雨と、これだけ自然災害が増え、皆さんが困っているので、2021年のゴールデンウィーク明けくらいを目途に、防災関係の事業を展開していく予定です。ゼロイチのイノベーションをもう一度、起こしたい。
―― その事業も、佰食屋と同じく、従業員を雇用して短時間労働で実現していくのでしょうか。
中村 いいえ、雇用ではなく、フリーランスや個人事業主と協働しながら事業を組み立てていこうと考えています。私は雇用が主体の時代はそろそろ終わると思っているんです。
―― 同感です。以前の日本は自営業の比率が結構多かったんです。それが高度成長期を経てどんどん減りました。今では働くことイコール雇用されることになってしまっている。でもこれから人間の寿命が伸び、人生100年時代を迎えると、その働いている期間ずっと、会社に雇用されているというのは不自然です。雇用されずに働く一人社長も含め、新しいタイプの自営業がもっと広まっていくだろうし、広まっていくべきだと思っています。
中村 その通りですね。私がこれから目指したいのは、パラレル〈並列〉・アントレプレナーなんです。シリアル(直列)・アントレプレナーは事業を興して成功させ、それを売り払って次の起業に向かうわけですが、私は育て上げた事業を売り払わずに、維持、発展させながら、次にチャレンジしたい。だから、佰食屋はやり続けます。そうやって、パラレルでいろんな事業を持っているからこそ、さまざまな情報がたくさん入ってくるし、さまざまな形で世の中を変える次の事業を構想できると思うんです。

PROFILE

中村朱美(なかむらあけみ)
株式会社minitts(ミニッツ)代表取締役

1984年 京都府亀岡市生まれ。 専門学校の職員として勤務後、2012年9月に飲食事業や不動産事業を行う「株式会社minitts」を設立。1日100食限定をコンセプトに、 美味しいものを手軽な値段で食べられるお店「佰食屋」を行列のできる人気店へ成長させる。
「1日100食限定」というお客さまにも従業員にもそして環境にも優しい経営の実現により、第32回人間力大賞農林水産大臣奨励賞、ForbesJAPANウーマンアワード2018新規ビジネス賞、日経WOMANウーマンオブザイヤー2019大賞等数々の賞を受賞。この不安定な世の中を生き残っていくために考え抜いた経営手法や『佰食屋』の運営に込めた「想い」や「優しさ」が人々の共感をよんでいる。