建設会社に雇用機会均等法1期生の女性総合職として入社し、マンション建築に関わる業務を担当してきた古屋美紀さん。40歳まで仕事を楽しみながら夢中で働いてきましたが、41歳から母親の介護が始まりました。仕事と介護の両立を頑張り続けていましたが、更年期障害の治療で出会った医師から「奴隷のような生活だね」と言われたことが心に響き、今後の生き方を見直すように。そして介護を経験したことで「長く暮らせる住まい」を意識するようになっていた52歳のときに「これから暮らしていくならここ!」と思える土地に出会います。その場所で仕事をする自分の姿が思い描けたことから起業を計画。在職中から自治体の起業セミナーに通いました。57歳のときに退職して、「50代からの暮らしと住まいのリフォーム」を中心事業とする一級建築士事務所をスタート。土地との出会いが転機となった古屋さんのライフシフトをうかがいました。

PROFILE

古屋美紀さん(NO.127/Furuya Life Design代表)

■1967年東京都生まれ。共立女子大学を卒業後、1989年に東レ建設に入社。新築分譲マンションの企画業務、自社マンションのリフォームやリノベーションを担当。仕事をしながら8年間に渡る両親の介護も経験する。50代で「これから暮らしたい土地」に出会い、起業を目指すように。在職中から自治体が主宰する起業セミナーに通い、50代からの“いま”と“これから”の暮らしと住まいをデザインする」事業を行うことに決めた。2024年に退職し、一級建築士事務所Furuya Life Designを設立。一級建築士、二級建築士、福祉住環境コーディネーター1級、インテリアプランナー、インテリアコーディネーター、ケアリングデザイン エキスパート、マンションリフォームマネージャー資格を保有。
一級建築士事務所Furuya Life Design 

■家族:夫、猫

■座右の銘:なし

建設会社に男女雇用機会均等法一期生として入社

1985年に男女雇用機会均等法が制定され、私は1989年に東レ建設に入社しました。会社で総合職の女性を採用するのは初めてでしたが、幅広い仕事を任せてもらえ、昨年退職するまでグループ会社への出向も含めて35年間勤務しました。

私は就職活動のときから「総合職としてバリバリ仕事をしたい」と意気込んでいたわけではありません。大学では住居学科で学び、建築業界に興味を持っていましたが、女性の採用が多いのはハウスメーカーの受付やショールームアドバイザーといった仕事でした。そういった中で、数少ない総合職の募集があったのが東レ建設で、応募したところ男女雇用機会均等法一期生として採用されたのです。

実家は昔のコンビニのような商店を営んでおり、両親が自営業だったため、サラリーマンの働き方を知らずに育ちました。建設会社がどういった仕事をするかもわかっておらず、深く考えずにふわっとした気持ちで入社したのです。

実家の古屋商店。母親もずっと働いていたので、結婚退職を考えることはなかった。

最初に配属されたのは不動産開発部でマンション建設用の土地を購入する部署でした。バブルの最後の時代で、金のネックレスをした上司が接待ゴルフに励み、タバコの煙が充満する会議室では今では問題になるような言葉も飛び交っていました。でも私はお気楽なタイプで、不思議な人たちを見るようにその光景を楽しみ、イヤではなかったのです。制服を着て、男性社員はしなくてもよかったゴミ捨てや机拭き、お茶汲みもこなしていましたが、同じ立場の先輩もいないので、「そんなものかな」という感じでした。初の女性総合職をどう扱っていいか、周囲の男性たちのほうが戸惑っていたかもしれません。

バブル崩壊後は部署が縮小し、私はグループ会社であるマンション販売会社に異動することになりました。ここでお客様と直接対面で販売する経験を積んだ後、再び本社に戻り、今度は建設事業部門の設計室に配属されたのです。入社5年目の26歳のときでした。

設計室に異動になった入社5年目。まだ制服を着ていた時代。

仕事に夢中になり1級建築士の資格も取得

設計室では、寮や社員クラブ(飲食店)、役員室、オーナーの自宅、グループ会社のオフィスの設計、マンションのコーディネートやモデルルームの企画などを担当しました。「女性だから任されない」といったことはなく、仕事に邁進できました。

一方で設計室のメンバーは建築学科出身者ばかりで、自分に知識が足りていないことを実感しました。そのため1級建築士の受験資格を得るために、まずは勉強して2級建築士の資格を取得しました。毎日終電で帰宅する生活でしたが、仕事が楽しくて夢中で働いていました。

その後、5年間、グループ会社のマンション管理会社と建設会社の2社に在籍し、リフォーム事業の立ち上げに関わりました。築年数の経ったマンションにお住まいのお客様の室内リフォームも担当。ようやく実務経験が受験資格を満たしたため、念願の1級建築士の資格も取得しました。37歳のときに東レ建設に戻り、新築マンション企画設計部署で課長職に昇進しました。男性の同期よりは遅い昇進でしたが、私自身は昇進へのこだわりがなかったんです。

両親の介護と仕事に走り続けていた日々

39歳のときに結婚しましたが、もちろん仕事は続けていました。しかし、まもなくして母が胃がんで手術を受け、その1年後には認知症であることもわかったのです。ここから約8年に渡る介護生活がスタートしました。仕事では「管理職として成長するために異なる地域の経験を積んで欲しい」という会社の意向があり、関西への転勤を打診されました。44歳のときです。しかし、介護の真っただ中で、ひとりっ子の私は、残念ながら断るしかありませんでした。

転職活動も行いましたが、かつて在籍していたマンション管理会社の部長から「当社に異動しないか」とお誘いをうけ、退職までお世話になりました。一方、このとき転職エージェントに面談で言われたことが心に残りました。「手に職がある技術者は転職先があるけれど、40代後半で管理職だけしかできない人はかなり厳しいですよ」「1社のみのお勤め経験ですね。最近はそういう人は少なくなっています」という2つの言葉です。そこから仕事のスタンスが変わり、「私は現場が好きだし実務から離れないでいよう」「人生で一度くらいは転職しよう。50歳を目標に」と定めました。

マンション管理会社では管理職として、予算作成や広告戦略、売上計画、中長期計画など経営の基本に関わるようになりました。この経験が起業後の事業計画策定に生きていると感じています。実務では、マンションにお住まいのお客様のリフォームを年間30~50件担当していました。東京と静岡の2拠点を担当し、新幹線で移動する日々。プライベートでは、母だけではなく父も介護が必要になり、仕事と実家通いで自分の時間はほとんど取れません。私の人生で心身ともに最も厳しい時期でした。やらなければならないことがいっぱいで、寝ている間も何かを考えている毎日でした。

実務と管理職業務、両親の介護でフル稼働していた40代。

医師の「奴隷のような生活だね」の一言が気づきに

さらに更年期の症状も出てきて、健康面でも不調を抱えていました。なかなか処方薬が合わず、病院を転々とする中で信頼できる婦人科医に出会うことができたのですが、その医師の「まるで奴隷のような生活だね。女性は真面目で頑張りすぎちゃうんだよ」という言葉が心に響きました。私の世代は、総合職として辞めずに働き続ける女性が少なかったので、ロールモデルもおらず、頑張ることが当たり前になっていました。でも女性は無理をするとホルモンバランスが崩れ、生理不順にもつながります。私自身、一般の人よりも早い40歳で閉経し、ホットフラッシュなどの症状に悩まされました。医師からの言葉で「今のような暮らし方を変えなければいけない」と気づかされたのです。しかし、転職目標だった50歳はあっという間に過ぎていき、今度は55歳を目標に見直しました。

振り返ると、この心身ともに厳しい日々を乗り切れたのは、介護で出会った方々の存在が大きかったです。老齢科の医師からは「親の人生とあなたの人生を同一にとらえないでください。介護のために仕事を辞めて、親と一緒に落ちていく家族を多く見てきました。仕事はぜひ続けて下さい」と言われ、仕事を続けることを選択しました。実際の介護は、地域包括支援センター、ケアマネジャー、ヘルパーの方々、近所の方々、訪問看護士、訪問医療の医師などいろいろな方の助けと知恵をお借りしました。家族だけの介護では時間も技術も足りません。介護の実務はプロの力を最大限に活用し、家族は話し相手と愛情を注ぐことを担当するのが、両者にとって一番良い方法だと介護への向き合い方が変わりました。支えてくださった方には感謝でいっぱいです。そして、48歳のときに母が、51歳のときに父が他界しました。

父が他界したのは夫の単身赴任中で、肉親を失った悲しさを癒してくれたのは、当時飼っていた愛猫でした。持病もあるなか20才まで長生きしてー緒にいてくれましたが、「老猫介護」も経験し、ペットとの暮らしについても考えるようになりました。

介護施設に入った父と。

運命の土地に出会って転職ではなく自宅での起業へ

55歳で転職するという目標を持って働いていた私でしたが、自宅からバスで15分くらいの場所で土地が売り出されていることを知ったことで、人生が変わり始めます。興味本位で見学に行くと、そこに家を建てると大きな公園の借景を楽しめることがわかりました。窓から見える自然を楽しみながら、アトリエで設計の仕事をし、近くの公園を散歩する、これからの自分の姿がありありと浮かんできて、未来が明るく楽しく感じました。そして「ここに家を建てよう!」と思ってしまったのです。

このとき夫に相談する前に土地の申し込みをしてしまいました。当時、単身赴任中の夫に「土地を申し込んだので購入したい」と話したときは驚いていましたが、最終的には納得し、設計などを一任してくれました。夫の東京への異動が近づいたタイミングで、家を建てる計画を実行に移すことになりました。

「これから暮らしたい土地」と出会ったことで、転職ではなく「会社を辞めて起業しよう」と決断ができました。ただその時点ではまだ起業テーマははっきりしていませんでした。そのため会社に勤めながら、起業準備として東京都三鷹市の「身の丈起業塾」、府中市の「つなぎすと養成講座」など複数の自治体のセミナーを受講しました。自治体の起業支援はとくに女性や55歳以上のシニアに向けたものが手厚いと感じました。起業後の融資補助や補助金制度、中小企業診断士・税理士などの専門家のサポートを無料で受けられる制度もあり、私は起業後も継続して活用しています。

さらにセミナーでいろんな業種・形態で起業する人たちと出会い、刺激を受け、自分の知識や経験、人生での学びを見直しすることができました。そして1年ほどかけて「50代以降、これからシニア期を迎える人たちの“いま”と“これから”の暮らしと住まいを共にデザインする」という事業コンセプトに辿りつきました。この先、身体に不具合が出ても、介護が必要になっても、ずっと住める家、居心地のいい家を提案していきたいと考えています。

また、私は両親の介護を経験したことで、介護される人たちの心地いい暮らしについても考えるようになりました。療養型病院、グループホーム、看護付有料ホームなどに両親はお世話になりました。そこは介護をするための機能は充実しているけれど、住まいという観点でみたときはどうなのだろうか……という疑問もわいてきたのです。将来的には、介護施設に、居心地のよい住まいとしてのエッセンスを加える提案もしていきたい。そのために、福祉住環境コーディネーター1級、ケアリングデザイン エキスパートの資格を取得し、超高齢社会の暮らしをサポートするための知識を身に付けました。ペットとともに心地よく暮らす住まいの在り方を探りたいという思いも強くなり、ペット共生住宅管理士資格を取得するための勉強も始めました。

新しい住まいのリビングダイニング。4m以上の高さのある吹き抜けで、ピクチャーウインドウからは公園の木々が見える。中央にある梁はキャットウォークも兼ねる。

自宅をショールームを兼ねた仕事場に

運命の土地に建てた家は、事業コンセプトである「50代からの暮らしと住まいをともにデザインする」の最初の案件となりました。プラン、インテリア、そしてペットとの暮らしを思い描いた家を実現したのです。すべてのバリアフリー対策は行いませんでしたが、将来的な改築については配慮しました。スロープやホームエレベーターが取り付けられるようにしてもらい、ここで最期まで住めることを見据えています。

完成した自宅には事務所もあります。ここにご相談やお打ち合わせで、お客様に来ていただいています。自宅には設計のこだわりがたくさんあるので、ショールームとしても活用できます。自宅で商談をすると、居心地が良いのか、お客様は長居され、そのおかげでお客様のこだわりや感覚がよくわかるようになりました。お客様との距離が近づいて、スムーズに進めやすくなるので、自宅をショールームにする決断は正解でした。

自宅の仕事場も大きな窓から自然を感じられる。

インプットの時間を増やし、ゆったりとこれからの仕事と人生を楽しむ

これまでは仕事中心の生活でしたが、会社を辞めて自由な時間が増え、今まで行けなかった展示会にも行けるようになりました。平日に会えなかった友人にも会えるようになり、大好きな落語やコンサート、美術鑑賞も楽しんでいます。会社員時代を振り返るとアウトプットばかりしていて、すり減っていたんだと気がつきました。今はインプットする時間が増えています。

女性総合職1期生として「先頭」を歩んできた私たち世代は、会社にいると気づかないうちに「戦闘」モードで働いてしまいます。起業してからは、今までと異なる価値観に目覚め、ゆとりを持って過ごす時間の大切さをようやく実感しています。今までの経験に、これから出会ういろいろな方々のスパイスをブレンドして、人生を楽しみながら仕事を続けていくのが今の夢です。

年齢を重ねてもイキイキしている先輩方はなんらかの仕事をしている人が多いので、私もまだまだリタイアするつもりはありません。10年後も元気で働いていたい、そのためには猪突猛進ではなく、少しずつ成果が出ればそれで十分だと思っています。

定年を前に「これから何をしたらいいかわからない」という方もいらっしゃいますが、私のように60代以降のシニア期に向け、どこに住むか、どんな家に住むか、どんな暮らしをするかといった視点から見直すと、見えてくるものがあるかもしれません。10年、20年先はどう気持ちよく暮らしているかを思い描くことが、ライフシフトにつながると思います。

取材・文/垣内栄

 

*ライフシフト・ジャパンは、数多くのライフシフターのインタビューを通じて紡ぎだした「ライフシフトの法則」をフレームワークとして、一人ひとりが「100年ライフ」をポジティブに捉え、自分らしさを生かし、ワクワク楽しく生きていくためのワークショップ「LIFE SHIFT JOURNEY」(ライフシフト・ジャーニー)を個人の方及び企業研修として提供しています。詳細はこちらをご覧ください。

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