エンジニアとして働いてきた立花昭彦さんは、45歳くらいから将来に対して漠然とした不安を抱くようになりました。やりたいこともなく、家と会社の往復で鬱々とし、「50歳の誕生日は祝わないで欲しい」と家族に伝えるほど、気持ちが弾まない日々を送っていたといいます。しかし、誕生日当日、ふらっと立ち寄った書店で『LIFE SHIFT』の漫画本を見つけたことが大きな転機に。冴えないおじさんがイキイキと働くようになる漫画の一コマに衝撃を受け、ライフシフト・ジャパンのワークショップ『ライフシフト・ジャーニー』を受講し、キャリアコンサルティングも受けました。その結果、興味を持ったキャリアコンサルタントの勉強をし、資格を取得。現在はエンジニアをしながら、社内外でキャリアコンサルタントとして活動するようになりました。会社にいながらライフシフトを果たした立花さんの人生をうかがいました。
立花昭彦さん(NO.138)
■1971年生まれ。工学系大学院卒業後、松下AVCテクノロジー(現パーソルAVCテクノロジー)に入社し、エンジニアとして映像機器の設計を担当。50歳からキャリアコンサルタントの養成講座に通い始め、51歳で資格を取得。エンジニアを続けながら、育児支援センターや学校など社外でキャリアカウンセリングを行う。53歳からは社内副業での企業内キャリアカウンセラーとしても活動。国家資格キャリアコンサルタント。2級キャリアコンサルティング技能士。プロティアン認定ファシリテーター。JCDA認定CDA。
■座右の銘: 座右の銘:ドラえもんになる(物の豊かさと心の豊かさで世の中の人を涼やかにする)
エンジニアとして家族のため、会社のため無我夢中で働く
私がエンジニアを目指すようになったのは、小学校4年生の時、父に連れられて参加したラジオ作りの講座がきっかけでした。自分で組み立てたモノから音が出た瞬間の衝撃が忘れず、電子機器に興味を持ったのです。その後、パソコンブームもあって、高校は高等専門学校に進学。電気関係の仕事をしていた父の影響もあり、電子工学の道を選びました。高専で5年間学ぶうちに、電気回路設計よりも半導体などの材料に興味が移り、20歳で卒業後、「もう少し学びたい」と親にわがままを言って大学3年に編入。さらに大学院まで進みました。基礎研究は好きだったのですが、世の中の人が手に取って使えるものを提供したいという思いが強くなり企業への就職を決めました。

電子機器に興味を持つようになった子ども時代(写真左)。
入社したのは松下電器(現パナソニック)の子会社です。テレビ開発の部署でエンジニアとして働いていましたが、仕事が「楽しいもの」から「必死でやらなければならないもの」になったのは32歳の時でした。昇格して係長になり、年上の部下が8名増え、人事マネジメント業務を任されるようになったのです。また、商品開発では開発リーダーに任命され、開発マネジメントも任されました。そして、仕事だけでなく、結婚して子どもも生まれ、子供が病気がちだったこともあり、経験したことのないいろいろなことが同時に襲い掛かり、家族を守らなければ、会社もなんとかしなければという思いで、無我夢中で働く日々。朝も夜も会社にいて、転職を考える余裕すらありませんでした。自分自身や家族、会社に対して文句ばかり言ってしまうような精神状態で、「この生活がいつまで続くのか」という出口の見えない不安を感じていました。
一方で、45歳になったときに課長格に昇格、今度はエンジニア職に加え営業も兼任することになりました。最初は経験がない仕事に不安がありましたが、やってみると意外に適性があることがわかりました。コミュニケーション力とプロジェクトマネジメント力を生かし、お客様の動向を調べることで、事業戦略的なものが見え、新鮮な視点で仕事ができたのです。とはいえ4~5年の経験を積むと成長実感もなくなり、50歳に向かっていく中で会社員としてはやりきった感と、世の中の技術進歩に追従する自信のなさも出てきて、目標を見失い、キャリアへの行き詰まりと不安が強くなってきたのもこの頃です。

出張先の南アフリカのサファリ―パークで。モヤモヤした気持ちを抱えながら、商品に不具合があれば世界を飛び回っていた。
50歳の誕生日を前に私は家族に「誕生日会は開かないでいいよ」と言いました。毎日会社と家の往復で、帰宅後はお酒を飲んでテレビやYouTubeを見る日々です。子どもたちは以前のようにキャンプや釣りに誘っても来なくなり一人で行動することも増え、一方で妻は起業が成功してイキイキしていました。60歳定年ならあと10年。しかしその頃、定年が70歳、75歳になるかもと耳に入ってきて、あと25年もあるのか、この先どう過ごせばいいのかが見えなくなりました。不安が高じてLINEの「生きづらびっと」相談にも登録してみましたが、それ以上は踏み出せない自分がいました。
50歳の誕生日に出会った本で人生が変わった
そんなどんよりとした気持ちで迎えた2021年3月12日の誕生日当日、私はふらりと近所のブックオフに立ち寄りました。本を読むタイプではなかったのですが、なぜか新刊コーナーの白い表紙の本が目に飛び込んできたのです。それは『まんがでわかるLIFE SHIFT』という本でした。ページをパラパラとめくると、中ほどに冴えなかったおじさんがイキイキと輝いている一コマがありました。そのページを見た瞬間から私のライフシフトが始まったのです。
漫画本を家に帰って一気に読み、「ライフシフト」という考え方があることに衝撃を受けました。将来を今までの延長で考え、新しいことを始めるという発想がなかったから私は苦しかったんだと気づき、霧が晴れたような感覚を得ました。とはいえこれまで同じ会社でのエンジニア経験しかないので何をしたらよいかもわかりません。そこでライフシフトでネット検索するとライフシフト・ジャパンの『ライフシフト・ジャーニー」という3日間のワークショップを見つけました。各2時間の3日間で2万円程度と価格も手ごろです。これが10万円だったら参加しなかったでしょう(笑)。
受講してみるとまた衝撃を受けました。一緒にワークショップに参加したメンバーは、会社と家の往復しかしてこなかった私にとって、初めて出会うタイプの人たちばかり。ワークをすると、私は自分の人生にブレーキがかかりまくってアクセルが全然ないのに対し、他の参加者はアクセル全開、ブレーキはほぼなしです。「こんなにエネルギッシュな人たちがいるんだ!」と驚いたのです。
ワークショップの参加メンバーの中にCDA(キャリアデベロップメントアドバイザー)の方がいました。その後、読んだ『実践! 50歳からのライフシフト術―葛藤・挫折・不安を乗り越えた22人」(NHK出版)という本にもCDAの話が出てきて、キャリアチェンジへ思いをはせるようになったのです。そこで私も会社が提携しているキャリアコンサルティングを受けてみることにしました。するとキャリアの棚卸や自分と向き合うお手伝いをするキャリアコンサルタントという仕事の奥深さに興味がわいて、「養成講座に通って自分も資格を取りたい」と思ったのです。とはいえ費用は30~40万円かかります。そのタイミングで、妻が起業して得た収入を子どもたちと私に分配してくれることになり、それが小さな一歩踏み出す大きな後押しとなりました。
キャリアコンサルタントの資格を活かせる道を社内外で探る
養成講座は毎週日曜日、9時から18時まで12週間です。住んでいた横浜から学校のある東京までは片道一時間以上、そして本来、土日は私が食事担当なのですが、妻に「この期間だけは」と無理を言って通わせてもらいました。講座が終わっても、試験までさらに3か月、学び続けなければ受かりません。50歳を過ぎてこんなに学ぶなんてという自分自身への驚きと、幅広い世代と業種の違う仲間との学び合いに喜びを感じる半年間でもありました。偶然にも実技試験の日が私の誕生日で、1年前の誕生日に「ライフシフト」と出会い、1年後の誕生日にキャリアコンサルタントの試験を受けていたことになります。
試験には無事に合格することができましたが、養成講座で得た最大の財産は、自分のすごさに気づき、自己肯定感が上がったことです。エンジニアの中では当たり前のこと、例えばロジカルに考えたり、すぐ図に書いたりすることが、周りから見ると「すごい」と評価されることを知りました。養成講座を通じて社外の人たちと交流し、知らなかった自分の強みなどが見えてきました。
一方でキャリアコンサルタント一本で食べていくのは収入面で厳しいという現実もわかりました。養成講座の先生が「キャリアコンサルタントはどこでも役に立つよ」と言ってくれた言葉も心に残り、「そうか、じゃあ会社の中でやればいいんだ」とひらめきました。ちょうど社長と1on1の機会あったので、その中で私は「セルフキャリアドック(キャリア支援制度)を入れるのはどうでしょう」と提案しました。すると数か月後に人事部長とともに話を聞いてもらえ、30枚ほどのパワーポイントの提案書にてプレゼンテーションを実施。しかし「エンジニアとして売上を上げている人が、時間を削ってキャリアコンサルをやることで、会社にどういうメリットがあるのか」といった問いに答えられず、反応は芳しくなかったのです。
その後、派遣先で上司にキャリアコンサルティングをさせてもらったのですが、結果的にはその人の人生を変えるような大きな成果を出すことができました。その経験が自信になり、今度は人事役員が会社に来るタイミングでメールを送り、再び会社へのアプローチをスタートしたのです。役員は「我が社は物を作っていない、技術者集団の会社。人的資本がすべてだ、君の意見に共感する」と言ってくれましたが、その時点では具体的な動きはありませんでした。
社内でダメなら社外でと私は外での活動も増やしていきました。近くの区民センターに企画を持ち込んでキャリア教育の講演をしたり、育児支援センターで父親向けのキャリアコンサルティングも行いました。そのスキルが認められ、年間契約での打診をいただきました。会社では副業をしている人は見当たらず副業申請には時間を要しましたが、無事に通り、少ないながらも会社外での収入を得ることになりました。以前の私ではまったく想像もできない姿です。こうして少しずつ成功体験によって自信を積み重ねていったのです。

区民センターでキャリア教員のボランティアを。
会社初の社内副業でキャリアカウンセリング室を立ち上げ、成果を出す
社内でもあきらめず、役員に提案できる機会をいつも探っていました。ある日、技術統括担当の役員とミーティングがあり、1時間ほど営業戦略の話をした後、「ところで」と作ってきたキャリアカウンセリングのチラシを見せました。「キャリアカウンセリングをすると社員のエンゲージメントが上がるんです。横浜の拠点から始めることはできないしょうか?」と熱弁すると、役員は「人事役員にこのチラシを渡しておく」と言ってくれました。その1週間後、人事役員から「わかった、私に任せて」とメールが来て、企画書と社長決裁を取得してもらえ、社内副業という形で、私一人でキャリアカウンセリング室を立ち上げることになったのです。社長と1on1をしてから、1年半後のことでした。
会社での社内副業は私が初めてのケースです。「とりあえず立ち上げたけど、成果がなかったら1年で終わりだから」という条件付きでもありました。私自身も自分だけで本当にできるのか?と不安だらけでした。初年度は新卒入社5年目の約30名から行いましたが、30~40分、丁寧に話を聞いていくことで、「過去の棚卸しができた」「整理できた」という声をもらえました。そして何より、行動変容が現れたのです。「資格を取ってみようと思います」「会社が嫌になったら辞めるという選択肢しかなかったが、会社とどう共存していくか考えていきたい」といったコメントもあり、社長と役員に報告会をしました。すると社長から「キャリアカウンセリングから職場課題が多く出てきた。よくここまで拾えたね」というお褒めの言葉をもらえました。利害関係があると話せないこと、キャリアコンサルタントだからこそ聴ける内容があり、経営に直結する話も多いのです。「次年度はもっとやってくれ」とお墨付きをもらい、社内副業を続けていけることになりました。
次の年は、管理職約150人全員にセルフ・キャリアドックを導入しました。さらに社長には「社長のキャリアを分解したいです」と提案し、社長とのキャリア対談動画を全社員に配信することになりました。この企画で社員が社長を身近に感じることができ、キャリアコンサルティングの認知度が一気に上がり、受けたいという人が増えていったのです。
会社は年俸制ですが社内副業を始めた年は、年俸(評価)が下がりました。エンジニアの仕事を削ってキャリアコンサルティングをしていることがよく思われなかったのでしょう。でも私は心理的な成功を得ていたので、「下がってもかまわない、好きなことさせてもらっているだけでありがたい」と気になりませんでした。一方、翌年は評価が年棒に反映される形となりました。「エンジニアもやりながらキャリア支援をしてくれて会社に役立っている」という評価でした。今までの会社のスペシャリストは電気設計のスキルやソフトウェア開発スキル、筐体設計のスキルを持つ人でしたが、私の実績から新たにキャリア支援というスペシャリストの可能性を示せたのではないかと思っています。

エンジニアとキャリアコンサルタントの2足のわらじで働く現在。
ワクワクしながら生きることで家族との関係も良くなった
キャリアコンサルタントの学びは、思わぬところでも役立ちました。家族関係が大きく変わったのです。「聴く」ということを意識し始めてから、息子が中3で不登校になった時も丁寧に関わることができました(その後3年間寄り添い、昨年、無事に大学に入学しました)。娘も以前は「怖くて話しづらかった」と言っていましたが、今では大事な時に話をしてくれるようになりました。一緒に勉強しようと誘われ、居間で娘が受験勉強、私が資格の勉強を一緒にしたりしています。妻との関係も変わり、22年行っていなかった海外旅行に去年は行けたのです。家族が変わったのは、キャリアコンサルタントのスキルだけの話ではありません。私が毎日ワクワクしている姿を見ているからだと思います。ジョギングやゴルフの打ちっぱなしや家でテレビを見ている姿から、毎週どこかにボランティアに出かける姿に変わり、新しいことに挑戦する姿勢が、家族にも伝わっているのでしょう。50歳までの私は自分が嫌いでした。50歳以降に学んで、自分でレールを敷き始めてからは、自分が好きになってきています。それも家族関係に影響しているのではないかと思います。
今は、これまでのように家でお酒を飲んで酔っぱらっている時間がもったいないと感じます。キャリア支援は直接その方の成長や意識的な変化が見られる仕事で、「この人の役に立ちたい」という思いがあると、会社から帰ってからキャリア支援の勉強をするのが全然苦ではありません。土日は何かしらキャリアコンサルティングやキャリア支援のボランティアが入っています。私が50歳の転機から見出したマイパーパスは「ドラえもんになる~物の豊かさと心の豊かさで世の中の人を涼やかにする~」です。「涼やかに」は、その人らしく、涼しい顔でキャリアを歩んでほしいという願いです。私が行動し関わっていくことで、涼やかな顔になっていく人を見られること、自分だけでなく周りも豊かにできる居心地の良さは、私の原動力となっています。

家族5人で伊豆のモビリティーパークへ。
私のこの先の働き方ですが、会社は60歳が定年で、再雇用で70歳まで働けます。週3日勤務も可能なので、3日間ものづくりをやりながら、2日間外でキャリアコンサルティングというのもいいなと思っています。まだキャリアコンサルタント一本という考えはありません。物の豊かさ(エンジニア)と心の豊かさ(キャリコン)の両方が大事だからです。両方で進みながら、徐々に割合を変えていくつもりです。
かつての私のように先のことに不安を抱えている50代の方に伝えたいのは、一度外の景色を見てみましょうということです。外に出ないと自分のすごさはわからないし、自分に足りないものもわかりません。会社と家の往復で、周りには似たようなスキルと時代を生きてきた中では決して気づけない自分の良さにも気づかされます。自分は人と関わるのが嫌いなのでエンジニアを選んだところもあったのですが、外に出てみたら30年前と違う自分がいて、コミュニケーション力も身についていました。スモールステップでいいので、何かしら踏み出すことがきっかけになります。私も50歳の誕生日に手に取った一冊の漫画本から、小さな一歩を踏み出したことで、想像もしなかった方向に人生が広がったのです。
振り返ってみると50歳になる前は、会社に敷かれたレールをただ走っていました。でも今、自分でレールを敷きまくっています。キャリア教育支援団体を立ち上げ、子供たちが卒業した小学校で授業も担当しました。技術の仕事一本で楽しくワクワク働いている人もいますし、それは素晴らしいことですし尊敬します。でも、もしモヤモヤしているなら、自分を見つめて、一歩外に出てみてほしい。何より平均寿命の80代までには30年以上の時間があるのですから、50歳からでも全然遅くはないのです。
(取材・文/垣内栄)
*ライフシフト・ジャパンは、数多くのライフシフターのインタビューを通じて紡ぎだした「ライフシフトの法則」をフレームワークとして、一人ひとりが「100年ライフ」をポジティブに捉え、自分らしさを生かし、ワクワク楽しく生きていくためのワークショップ「LIFE SHIFT JOURNEY」(ライフシフト・ジャーニー)を個人の方及び企業研修として提供しています。詳細はこちらをご覧ください。
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