小さい頃から住まいやインテリアに興味があり、ハウスメーカーでインテリアコーディネーターの仕事に就いた徳永さん。その後、専門学校での学びや転職を経て、30歳でフリーランスとなりました。しかしリーマンショックによる不況の打撃を受け、39歳で再就職することに。住関連の新規プロジェクトや新会社の立ち上げなどに参画し経験の幅を広げていきましたが、50歳を過ぎた頃から「年齢を重ねても自分らしく働き続けるにはどうしたらいいか。もっと今やるべきことに時間を使いたい」と会社員生活に疑問を感じるように。自宅の住宅ローンも完済して心の余裕ができ、起業支援セミナーなどを受講してやりたい事業が見えたことから、54歳で再びフリーランスに。現在は地域工務店やインテリアメーカーなどの経営課題の解決を支援するコンサルティングを中心に活動しています。2度目のフリーランスだからこそ自分らしい働き方が実現できたという徳永さんのライフシフトをうかがいました。

PROFILE

徳永和子さん(NO.140)

■1969年生まれ。1990年、大手ハウスメーカーに入社し、インテリアコーディネーターとして勤務。その後、輸入住宅、家具メーカーを経て、1997年に住まい・インテリアの総合情報センターに転職。2000年からフリーランスとして働き、2009年にエネルギー系ハウスエージェンシー再就職。2015年ライフスタイル提案型企画会社、2017年から住宅の省エネ再エネ化会社、2021年から住宅DXサービス会社でそれぞれ新会社の立ち上げやマーケティングに携わる。2024年に独立し、地域工務店やインテリアメーカーへの経営課題の解決を支援するコンサルティングを中心に活動。

■家族:夫

■座右の銘:暮らしをもっと自由で面白く

■HP:mi nid. Living lab
■note:mi nid. ジャーナル

バブル期にハウスメーカーに入社

私は子どもの頃から住宅のチラシで間取り図や外観を眺めるのが好きでした。実家の引っ越しも多く、家作りの場面を2回ほど間近で見たことも、住まいに関心を持つきっかけになったと思います。「将来は家に関わる仕事をしたい」と漠然と考えていました。就職はバブルの時代で、企業から直接「うちに来ませんか」と電話がかかってくるような売り手市場でした。私は企業と面談を重ねながら粘り強く向き合い、希望していたハウスメーカーから内定をもらうことができました。

当時、女性社員の職種は「インテリアアドバイザー職」と「事務職」の2択でしたが、配属先の所属長の判断でどちらかに振り分けられていました。私はインテリアアドバイザー職になりましたが、入社してすぐにお客様の前に立つことに。バブル期で家が飛ぶように売れていたため、みんな忙しく、ゆっくり仕事を教わる時間もなく、いきなり現場に投げ込まれました。

今では考えられませんが当時は、壁紙、内装の色、設備、外装、照明、カーテンなど、打ち合わせは2回で完結させるというルールがありました。そのため、とにかく丁寧にヒアリングし、次の打ち合わせでは全部まとめてプレゼンテーションをしなければなりません。家を買うお客様は両親よりも年上の方も多く、20歳そこそこの私が提案するのは大変でしたが、若い頃にヒアリングの重要性や的確な提案力を叩き込まれたことはのちの業務にとても役立っています。

専門学校に通い、30歳でフリーランスへ

正社員として2年働いた後、結婚を機に業務委託に切り替えてもらいました。このときインテリアをあらためて学びたくなり、仕事をしながら専門学校に1年間通いました。デザインマネジメントを学んだ後、家具メーカーに転職。家具は自分にとって1番弱い分野だったため、現場で働いてみたかったのです。その後、北欧スタイル輸入住宅にインテリア部門を新設する仕事を経験。27歳のときに住まい・インテリアの総合住宅情報センターへ転職しました。ここではイベント企画を担当しましたが、一緒に仕事をしていたフリーランスのインテリアコーディネーターや建築家が、自分らしく挑戦し、いきいきと働いている姿に背中を押され、私もフリーランスになりました。30歳のときです。

このときはスケルトンインフィルのマンションプロジェクトを中心に、コーディネーターを3人ほど束ねながら仕事をしていました。収入は会社員時代よりも良かったのですが、フリーランスで働く怖さを初めて知ることになります。プロジェクト単位で仕事を受けるので、忙しい時は休みなく3〜4ヶ月働き、その後半年ほど暇になるというような波がある働き方です。不規則な生活で体調を崩すことも多くなってしまいました。

さらに2007年にリーマンショックが起こり、マンション業界が一気に冷え込んだのです。私のようにマンションの仕事しかしていなかったフリーランスは大打撃を受けました。このころはちょうど夫が会社を辞めて専業主夫になったタイミングでもありました。家計を担う私は再就職を決意しましたが、年齢が40歳手前に差し掛かっており、なかなか就職先が決まらない状況でした。

40代は会社員に戻り、転職を重ねてステップアップ

そんな中、ようやく入社が決まったのがエネルギー系ハウスエージェンシー(広告代理店)でした。ここでは家庭用省エネ機器のアフターマーケティング事業の立ち上げを担当。その後、営業部に異動し制作ディレクションを担当、食情報、こども用教材、住宅系コンテンツ、イベント・シンポジウムなど幅広く担当しました。でも残業が月100時間を超えることもあって、一度体調を崩し、10日ほど入院することに。「この先も無理なく働き続けられるのか」を考えるようになり、他社とご縁がつながり1年後に退職しました。

次に転職したのはライフスタイル提案型企画会社で、ここではリフォーム事業の立ち上げを担当しました。その後、住宅の省エネ・再エネ化を推進する新会社の立ち上げに携わり、マーケティングを担当しました。次に住宅のDXサービスを提供する新会社に出向し、住宅のアフターメンテナンスのアプリやシステムをデベロッパーに導入する法人営業を担っていました。

こうして何度も転職を繰り返し、住まい手に直接提案する現場からは離れてしまったのですが、振り返ると、「0から1を作る」仕事が好きで得意だったことがわかります。また転職のたびに収入はアップしていき、40代はステップアップをしている感覚がありました。

住宅ローンの完済を機に、54歳で再びフリーランスへ

一方、50歳を過ぎた頃から、自分らしく長く働きたいと考える中で、会社員という枠にしっくりこなくなり、「会社員はもうあわないかな」という気持ちが強くなってきました。気づくと、社内調整や社内向けの資料づくりに追われ、本来大切にしたい仕事に時間を使えないことにモヤモヤした気持ちを抱えていました。

そんな頃、家計の出費で大きな額を占めていた自宅の住宅ローンを完済することができました。「返すものがなくなった」というのは、想像以上に大きな転換点で、会社員として働き続ける必然性が薄れ、会社員という形にとらわれなくても、なんとかなるかもしれないという前向きな気持ちが生まれました。

とはいえ、一度、フリーランスで厳しい経験をしているので、すぐに辞めるという決断はできません。東京都が主宰するTOKYO創業ステーションのセミナーを受講したり、地元・川崎市のプログラムにも通って、1年ほど迷い続けました。このとき起業を目指す仲間とたくさんの出会いがあり、励まし合えたことはとても心強く有難かったです。またTOKYO創業ステーションのコンシェルジュ相談では、「地方での活動に目を向ける」というアドバイスをいただきましたが、独立後、とても役立っています。

ライフシフト・ジャパンのワークショップ「LIFE SHIFT JOURNEY」に参加したのもその頃です。ライフシフトのステージを学んだとき、「私は今、旅に出るステージではなく、主人公になるステージだ」と気づきました。「定年まで待ちたくない。辞めるなら自分が動ける早い方がいい」と決意し、4か月後に退職して、個人事業主として開業届を出しました。54歳のときです。

とはいえ開業当初はビジネスモデルや仕事の受注について明確な計画がありませんでした。前回のフリーランスのときは仲間もいて、仕事の延長線上での独立でしたが、今回は、人脈も仲間もゼロからの出発です。年齢的に、フリーランスからまた会社員に戻る道はありません。夜中に目が覚めて不安になることもありましたが、それでも踏み出せたのは、あるセミナーで講師の方が言った言葉のおかげです。「大きな仕事を1個取ろうと思うからハードルが高くなる。小さな仕事を10個やれば同じじゃないか」。この言葉で、肩の力が抜け、前向きな気持ちになれました。

クライアントに向けて想いを伝えるホームページを作成。

複業マッチングサービス活用して顧客を開拓、AIも強い味方

現在は、地域工務店やインテリアメーカーへの経営課題の解決を支援するコンサルティンクを中心に活動しています。複業マッチングプラットフォームの「サンカク」「スキルシフト」などを活用して、全国の住宅会社、工務店、家具メーカー、職人さんなどのクライアントと仕事をしています。その地域の暮らしを一番よく知り、支えてきたのは地域の工務店であり、私自身も地域とのつながりを育てていきたいと考えているからです。経産省の地方の人材支援プログラムでもプレゼンに成功し、仕事を受注することができました。

じつは実際に対面で会ったことのあるクライアントは、ほぼいません。東北から九州まで、すべてオンラインです。新規事業や新サービスの立ち上げ支援、業務フローの改善、社員教育など、住宅やインテリアの知識はもちろん、広告代理店時代のマーケティングスキルや、ハウスメーカー時代に叩き込まれたヒアリング力が、今すべて活きています。またAIのおかげで、企画書の叩き台を作ったり、コピーライティングの前段階として要素や項目を整理したりすることが格段に楽になりました。15年前のフリーランス時代には考えられなかったことです。

組織に縛られず、自分で自由に判断して動けることはラクですし、楽しいです。一方で仕事を詰め込んでしまったり、時間をかけすぎてしまったり、自分で裁量を決められるがゆえにバランスを崩しかけたこともありました。フリーランスは、いつも自分がご機嫌で、気持ちの余裕を持ち、プラス思考を保っていられることが、良い方向に回転していく一番大切なことだと気づきました。やらないことを決め、ONとOFFのメリハリをつけ、余裕をもった時間管理をしていくことを心掛けています。

また、自宅で仕事をするようになったため、会社員時代のような通勤がなくなりました。意識しないと一歩も外に出ない日が出てきてしまうため、運動不足になりがちです。最近は地元の川崎市で「アートコミュニケーター」としての活動にも参加し、街歩きをテーマにしたワークショップにも取り組んだりしています。地域との繋がりを持ちながら外に出る機会を作るよう努めています。

AIを活用しながら提案資料を作成。自宅をオフィスにし、リモートで全国のクライアントとつながっている。

起業するのに必要なのはタイミング。そして今が一番若い

今後、独自サービスとしてやりたいこともあります。それはミドルシニア世代の「住まいと暮らし」に向き合うことです。私自身、子どもがいないので、夫婦どちらかが先に旅立つと、一人の生活になります。シニアになって誰もが直面する「一人で生きていくこと」への不安に対し、住宅の面からサポートできるような事業を立ち上げたいという野望を持っています。特に、女性が一人で生きていく際の住まいのあり方などを、ソーシャルビジネス的な視点も含めて支援したいと考えています。現在はプラットフォームを通じた企業向けの業務改善や新規事業立ち上げの支援が中心ですが、将来的に独自のサービスを確立し、直接依頼が来るような形にしていきたいと考えています。

よく「人脈がないとフリーランスは無理」「専門性がないと始められない」と言う人がいますが、私はそう思いません。必要なのは「タイミング」だと思います。誰にでも日々の流れがふいに緩むような「ポコっと開く瞬間」があって、その時に一歩踏み出せるかどうかです。また「今が一番若い」ということを忘れてはいけません。先延ばしにすればするほど、踏み出すための体力と時間は減っていってしまいます。

会社を辞めて独立するかどうか迷っている方がいれば、まずは副業マッチングのプラットフォームを眺めてみることをおすすめします。「自分がやってきたことが、こんなところで役立つんだ」と気づくだけで、ずいぶん将来の見え方が変わるはずです。たとえば私が住まい手への提案作業で培ってきた「仕組み」は、地域の工務店さんに活かせる形に変えてご提案すると喜ばれます。会社員として積み上げてきたことは、形を変えて誰かの役に立つのです。転職を何度も繰り返してきた私の履歴書は、昔なら「続かない人」と思われ、企業から敬遠されたはずです。でも今はその経験の幅こそが強みになっていて、仕事の受注にもつながっています。

私は「住まい」とは人生そのものだと考えています。住まいは、気分が落ち込んでいる時に癒してくれたり、やる気を出させてくれたりする力があると考えており、住まいの優先順位を上げることが、人生の課題を解決することに繋がると思っています。住宅業界が性能や規格といった「ハード」に偏りがちな現状に対し、住む人がどう暮らすかという「住まい方」の豊かさを深掘りし、その大切さを伝えていくことが私の役目でもあります。

今は自宅で仕事をしながら、夕飯の支度をできるのがうれしい日々です。私の場合、ワークライフバランスというより、ワークライフインテグレーションであり、仕事と暮らしが溶け合っています。この働き方が自分には合っていると実感しており、生涯現役で働くためにもフリーランスという選択は間違っていなかったと思います。

(取材・文/垣内栄)

 

*ライフシフト・ジャパンは、数多くのライフシフターのインタビューを通じて紡ぎだした「ライフシフトの法則」をフレームワークとして、一人ひとりが「100年ライフ」をポジティブに捉え、自分らしさを生かし、ワクワク楽しく生きていくためのワークショップ「LIFE SHIFT JOURNEY」(ライフシフト・ジャーニー)を個人の方及び企業研修として提供しています。詳細はこちらをご覧ください。

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