17年間勤めた星野リゾートを退職後、43歳のときにキャリアコンサルタントに転身した坂東功規さん。キャリアパスが見通せなくなってからも退職するふんぎりがつかない中、後押ししてくれたのは、認知症を患っていたお母様の人生を悔いる言葉でした。退職後、やりたいことがわからなかった坂東さんは、本を読んでワークを行って自己理解を深め、キャリアコンサルタントという仕事を導き出しました。現在は職業訓練校の講師の仕事をメインとし、誰もが自分に合った仕事に就けるようアドバイスしています。自分らしい人生とは何かをとことん考えた、坂東さんのライフシフトの過程をうかがいました。

PROFILE

坂東功規さん(NO.120/キャリアコンサルタント)

■1975年生まれ。大学卒業後、星野リゾートに入社。17年間、主にブライダル事業に携わり、1000組を超えるカップルと接する。介護離職を経て、2019年に国家資格キャリアコンサルタントを取得。人材育成コンサルティング会社での勤務を経て、2020年に人生旅行研究所(個人事業)を開業。現在は、公共職業訓練講師として求職者支援の現場で働くほか、企業研修や心理学講座の講師、一般向けのワークショップを主催する。

■家族:妻

■座右の銘:自分を生きる

成長企業でブライダル事業を担当し17年間勤務

大学を卒業後、新卒で入社したのがホテル・旅館を運営する星野リゾートでした。就職活動では、小さな規模で、会社がどこに向かっているのか、自分がその中で何に役に立ってるのかがはっきり分かるような会社を探していて、選んだ会社です。当時、従業員は200人もいないくらいで、今のような高級ホテルの展開もしておらず、ブライダル事業がメインでした。

入社後、ブライダルプランナー・セールスを担当し、軽井沢、東京、北海道、山梨と異動して17年間勤務しました。会社は新しい考え方を積極的に取り入れることを大事にしており、途中からは行動評価基準が重視されるようになって、年功序列ではないという認識がありました。そのため、一生勤め上げるという意識はなく、どこかで次のステップへ進まなければいけないと思いながら勤めていました。

それでも17年間働いていたのは、納得感を持って、変化を楽しみながら仕事をすることができたからです。たとえば「上司の顔色を見ずに、お客さんの顔色を見なさい」といった考え方だったり、社長が会社の戦略をよく説明してくれるなど、仕事にワクワク感を持つことができ、心に響く会社だったのです。

もちろん大変だったこともあります。北海道のホテルでフロント勤務になった際、お客様が満足するシステムを整えようとする中で、スタッフとも軋轢があり、抑うつ状態になってしまいました。ちょうど会社が大きくなっていった時期で、星野リゾートという名前が世の中に浸透し始めた頃でした。2カ月休職しましたが、自分の中ではまだ会社の役に立ちたいという気持ちが強く、このときは退職しようとは思いませんでした。

ブライダルの仕事を担当していた頃。ブライダル雑誌のイベントで。

認知症の母の言葉が退職を後押ししてくれた

その後、山梨での勤務になりましたが、母の介護が必要になりました。時間をやりくりして埼玉に住む母のところまで世話をしに帰るようにしていましたが、ブライダルの最前線の仕事は休みが取りづらいので、別の業務に変えてもらいました。しかし、ちょうどその頃に着任した新しい上司と合わなかったことに加え、仕事に全力投球できない負い目もあって、会社に居続けることに息苦しさを感じるようになりました。それから「退職をして母の介護に専念するタイミングが来たのかな」と思うようになったのです。

入社してから15年の間に会社の方向性も大きく変わっていきました。ブライダルの仕事にやりがいを感じていましたが、会社は宿泊業に力を入れるようになり、ブライダル事業を拡大する方針ではなくなったのです。私は宿泊事業で新たに頑張るという気持ちにはなれず、キャリアパスが見えなくなったことも退職を決意する一因になりました。

とはいえ、入社当時の経営者のもとで一体感を感じながら働いていた頃の良い会社のイメージが強く残っていて、退職の決心がつかず、1年以上は苦しみました。母の介護、自分が持っている会社のイメージと現実の不一致感、キャリアパスの問題をぐるぐる毎日考えるような生活を続けていました。40代になった頃です。

このモヤモヤの状態から退職を後押ししてくれたのが母の言葉でした。母は認知症が進行していましたが、言うことがちゃんとしていた時もあり、 そのときに「私、こんな風に なってしまうんだったらもっとやりたいことをやっておけば良かった」と話したのです。その言葉にハッとして、返事もできず、わが身におきかえて考えました。自分は会社人間で、会社のために人生を生きてきましたが、果たして自分の人生を生きてきただろうかと疑問がわいたのです。

思えば母は他人優位な人でした。人が幸せになるなら、自分は犠牲になって、我慢するところがあったのです。一人っ子で母を見て育った私もやはり他人優位なところがありました。人がどうしてほしいかを読み取って、自分がその通りにしてあげる、ということを繰り返してきました。会社人間だったのも同じ構造なのでしょう。社長のためにとか、会社のためにと頑張ってきたことに気づきました。

このまま続けていたら、母のように、晩年に自分の人生を後悔して、取り返しがつかないことになるかもしれない。母が最後の最後に自分に教えてくれることがこれなのかとありがたく思い、退職するふんぎりがつきました。

母の介護をしながら、次にやりたいことを考える

ただ、その時点で次にやりたいことは決まっていませんでした。次の仕事を決めてから辞めるのが一般的だと思いますが、私は昔の星野リゾートのいいイメージを強く持ち続けていたので、そこ以上に自分にフィットする会社を探すのは大変だと感じていました。

また、母の認知症がどんどん進んでいることがわかり、母と過ごす時間を大切にしたいという思いがありました。一人っ子の私を母はすごくかわいがってくれ、たくさんの愛情をもらいました。後悔のないように、母の近くで介護をしながら、考える時間を持ち、就職活動をしようと考えたのです。

うちは子どもがおらず妻も働いているので、仕事を辞めてもすぐに経済的に困るということはありませんでした。また、妻は私が苦しんできたことを知っており、私の思いを尊重し、やりたいことを応援してくれる最大の理解者でもあります。母とも仲が良く、介護で退職することにも理解がありました。

母はその後、1年ほどで亡くなりましたが、仕事を辞めて介護に専念したことはよかったと思っています。やれることはやったので、納得して見送ることができました。また、母の介護のおかげで自分の人生を考える時間をもらえ、その時間も母親からのギフトだったと思います。

母のパーキソン病と認知症が進んでいった頃。

本を使って自己理解を深め、自分の適性が見てきた

後悔のないよう「自分の人生を生きる」と決めたものの、次にやりたいことがまったく出てこず、ショックをうけました。会社のことは語れても、自分のことは語れなかったのです。思えば本当に会社人間で、仕事で疲れきっていて、休みを迎えてもぐったりしていて、リフレッシュもできず、勉強もできない状態でした。長年、自分のことを振り返る余裕もなかったのです。

そこで本屋さんに行ったり、アマゾンで検索したりして、ヒントをもらえそうな本を探すことにしました。そこで見つけた1冊が『「やりたいこと』が見つかる3つの習慣」(古川田武士著/日本実業出版社)です。その中のワークを一生懸命やることで、だんだん自分という人間がわかってきました。

なかでも1番役に立ったのは、「自分の人生の中で印象に残ってること を上げていく」というワークです。学生時代に後輩たちと遅くまで飲んだとか、海外旅行でこんなところに行って楽しかったとか、なんでもないことあげていくのですが、自分の人生で印象に残っているベストテンを選びます。そして、 どんな欲求が満たされたから印象に残っているのか、欲求リストを次に抜き出していくのです。

そこでわかったのが、成長する、貢献する、学んだことを人に還元する、といったことを自分は大事だと思っているということです。学生時代に後輩たちと遅くまで飲んだことをリストアップしたのは、面倒を見て慕われていたことが印象に残っていたからでした。自分が学んだこと、成長したことを誰かのために活かそうとして、相手がそれを認めてくれた時に、自分の欲求が満たされていたのです。

これまで営業として数字を追いかける仕事が多かったのですが、人と向き合う仕事のほうが向いているのかもしれない考えると、思い当たる節がありました。部下の評価面談の際、1時間もかけない人が多かったのですが、私は2時間も3時間も時間をとって、丁寧に面談を行っていました。その理由は、幸せに働いてほしい、自分らしさを 発揮してほしい、といった思いからやっていたのだなとすごくしっくりきたのです。人と向き合う仕事は、自分に合っているのだと確信が持てました。

他にも「ピラミッドワーク」と自分で名付けて、オリジナルの5段階のワークを行いました。1番下が「自分の人生をどう生きるか心構え」、その上が「自己理解をする」、真ん中が「どんな人間でありたいか」、その上が「やりたいことを見出す」、一番上が「志」の5段階です。これを明確にすることで、自分がやりたい仕事とどう生きていいきたいのかがはっきりしたのです。

自分が何をしたいのか見つけるヒントになった本。

資格を取得し、キャリアコンサルタントの道へ

こうして次のキャリアの方向性は対人支援だと見えてきたものの、具体的に仕事は何にしようかと考えたとき、会社人間にはなりたくないという気持ちがありました。たとえ魅力的な会社や経営者を見つけたとしても、その人のためにと思うと、また自分の人生から離れてしまいます。資格を取って、それを軸にして、 会社とは適度な距離感をとりつつ、自分の人生をしっかり生きられるように働きたいと思いました。

そこで対人支援の資格を探していると、キャリアコンサルタントという資格に出会い、自分にぴったりだと思えました。それから養成講座の資料を取り寄せたり、説明会に行ったりして、資格を取得しました。

資格の面接試験の際、「資格を取った後、何をしたいですか」という質問がありました。その時に答えたのが、「グループアプローチがしたい」ということでした。1対1の面談より、1対大勢のところで ファシリテーションをしたり、インストラクションをして、「場作り」がしたかったのです。

受講者同士がいい影響を与えあって、そこで学びや気づきが起きる「場作り」ができる仕事としては、研修講師しか思い浮かびませんでした。前職を辞めてすでに1年以上経っており、資格の合格発表が出る前に就職活動を行って、結果が出てすぐに人材育成のコンサルティング会社に就職しました。とにかく実践する機会が欲しかったので、未経験でも研修講師の仕事を任せてくれる小さな会社を選んだのです。その会社は半年ほどで退職し、2020年の初めに個人事業主として 開業しました。区のお仕事をする機会があり、なんとかなるだろうと思えました。

進む道が決まってからは、国家資格キャリアコンサルタント、ライフシフト・ジャパン認定ライフシフト・パートナー、交流分析士インストラクター、ビジネスコーチ、筑波大学エクステンションプログラム「キャリア支援者のビジョン構築プログラム」修了など学びつくした。

やりがいのある公共職業訓練校の講師の仕事

今、メインで行っているのは公共職業訓練校の講師の仕事です。「講師をやりたい」「人生100年時代の後半戦を自分らしく生きる支援がしたい」と常々アピールしていたら、知り合いが「こういう仕事があるよ」と教えてくれたのです。ここでしか会えない人たちに会える、自分のやりたいことができると、ぴったりハマったので、メインの仕事になりました。会社という組織を離れた人は、本当に自分の身1つで自分の人生を考えなくてはいけないので、まさに支援したい人たちだという思いがあったのです。

受講される方はいろんな方がいて面白いです。たとえばずっと人事部で働いてきた50代の男性が再就職先に選んだのはゴルフショップです。自己理解により、ゴルフが好き、人と話すのが好きだということがわかり、ゴルフショップを選ばれました。「そう考えられるようになったのは、ここに来たおかげです」とおっしゃってくださったのがとてもうれしかったです。ほかにも生活保護を受けていた方が目標を見つけ、一生懸命頑張り、自立して生活保護を抜ける姿を見たり、印象的な受講生はたくさんいます。

卒業した受講生とは、その後もつながっていています。職業訓練には、人生の転機を迎えて、さまざまな思いを抱えた方が集まります。中には傷ついて会社を辞めた方もいるのですが、私は自己理解のワークたくさんやって、「あなたはありのままで十分素晴らしい」「他人になろうとしなくていい」というメッセージを伝えます。自分を良しとして生きることができるようになると、 「自分らしい選択ができて長く働けています」「初めていい会社に出会えました」といった声もいただけるのです。

キャリアコンサルタントとして講師をしているとき。

ライフシフトでは「心が騒ぐ」ことを大事にしてほしい

受講生の中には「やりたいことがわからない」という人も多いですが、心が騒ぐときがあると思います。働いているときはそれを 見ないようにして、感じないふりをしていることも多いのですが、心が騒ぐのは悪いことではありません。それはライフシフトの始まりなので大切にしてほしいと思います。

また、自分らしく生きて、納得して、最後に人生の幕を下ろすことができるか、人生の終わりに自分が満足しているか、今の生き方を振り返ってみると、やりたいことが見えてきやすくなります。

人生100年時代だと80歳ぐらいまで働けるかもしれません。そう考えると、私の場合、17年間の会社員時代の仕事のサイクルをあと2つ経験できるということです。今はキャリアコンサルタントの次は言語聴覚士もいいなと考えています。母が口腔ケアをしてもらったら、すごく喋れるようになって、イキイキしたのがとても印象的だったからです。

人生100年時代を考えてみると、どんどん自分になっていく旅だと思っています。他人優位な性格で表面的に人に合わせて生きてきましたが、それがだんだん取れていって、自分になっていく感じです。これからどんどん自分になれるなんてワクワクしかありません。そして、最後に自分が死ぬ時に、「お母さん、自分の人生をちゃんと生きたよ」報告したいと思います。

幼い頃の母との写真。母は空の上から自分の生き方を見守ってくれている。

(取材・文/垣内 栄)

 

*ライフシフト・ジャパンは、数多くのライフシフターのインタビューを通じて紡ぎだした「ライフシフトの法則」をフレームワークとして、一人ひとりが「100年ライフ」をポジティブに捉え、自分らしさを生かし、ワクワク楽しく生きていくためのワークショップ「LIFE SHIFT JOURNEY」(ライフシフト・ジャーニー)を個人の方及び企業研修として提供しています。詳細はこちらをご覧ください。