「何のために仕事をするのか」という疑問が大きくなり、電通の関連会社を51歳で早期退職した宮本義隆さん。しばらくは何もしない日々を楽しんでいましたが、人との関わりが少ない生活が続くと次第に精神状態が不安定に。そのため個人事業主として、また仕事を再開することにしました。一方、「孤独」に不安を感じる人は自分だけではなく社会課題であることに気づき、妻と元同僚とともにその解決を目指す合同会社を作ります。フランスの「小さな食堂」を参考にしてオープンした「タノバ食堂」は孤独の予防をテーマに誰でも参加できる自由価格制の食堂です。月1回の開催ですでに25回(2025年11月現在)を超え、メディアに取り上げられることも多くなりました。ライスワークとライフワークを両立している宮本さんのライフシフトの過程をうかがいました。
宮本義隆さん(NO.137)
■1971年三重県生まれ。大学卒業後、ぺんてるに入社し3年半勤務。その後、ヤフー、電通を経て、2017年DAサーチ&リンク代表取締役、2021年電通ダイレクト取締役副社長を歴任。2022年に独立し、個人事業主となる。2023年に妻と元同僚とTanoBa合同会社を設立。自由価格制による経済循環と「孤独を予防する装置」としての「タノバ食堂」を都内で開催している。
■座右の銘: Do or do not. There is no try.
(映画『スター・ウォーズ』に登場するヨーダの言葉。生半可な気持ちで挑戦しても上手くいかない。やるか、やらないかの二択であり、ふわっと飛び出すな、意思の問題だ)
仕事に飽きると転職して新しいことに挑戦
私が大学を卒業したのは1996年、いわゆる就職氷河期です。多くの企業に応募しましたが、ことごとく不採用となり、最終的に内定をくれた文房具メーカーのぺんてるに入社しました。当時はモノづくりに興味を持っていたんです。
ぺんてるでは約3年半、営業職として働きましたが、途中から同じことを繰り返す日々に疑問を持つようになりました。独学で「プロダクトアウト」や「マーケットイン」といった考え方を勉強していたのですが、自社はプロダクトアウトでのモノづくりです。私はマーケットインの仕事のほうに興味が向いていたので、キャリアチェンジしたいという気持ちが募っていきました。
しかし文房具メーカーの営業がマーケティングをやりたいと言っても、どこも採用してくれません。一方、その頃はインターネットが注目され始めた時期で、マーケティングの手法も変わっていくと言われていました。そこでヤフーの中途採用に応募すると広告営業として採用が決まりました。そこから7年半働きましたが、インターネットが爆発的に発展していく時代で、エキサイティングで面白い期間でした。私自身のキャリアの中でも最も密度が濃く、若かったこともあり、楽しかった時代です。
ただ自分は、組織が安定して同じことを繰り返すようになると飽きてしまうタイプです。前職を辞めた理由もそこでした。ヤフーでマーケティングや広告のことは一通り勉強できたので、また転職を考え始めました。
何のために働くのかわからなくなり早期退職
次に目指したのは、これから来る「データの時代」を扱う仕事でした。CCC(カルチュア・コンビニエンス・クラブ)の子会社に転職しましたが、残念ながら自分の中で想定していたキャリアが掴めませんでした。そのときヤフー時代の縁で声をかけてもらい、2007年に電通に入社しました。そこから15年間、インターネット広告の仕事を中心に、子会社への出向で役員や社長を務めたり、会社の合併や海外資本との連携を経験したり、新しいことには挑戦できました。
しかしもともと「マーケティングをやりたい」と始めた転職だったのに、気づけば全然違うことをやっています。巨大組織で働き続ける中で、「一体何のために働いてるのだろう」という問いを常に抱えるようになりました。50歳手前になった時、このまま働き続けていたら「ダメかもしれない」という危機感が強くなりました。ここでいう「ダメ」というのはキャリアの問題ではなく、「生きながらにして死んでしまう」、つまり何のために生きているか分からず、ただ機械のように毎日を過ごす状態になることへの恐怖でした。本当にやりたいことや、次に何をするかという具体的な計画はなかったのですが、「もうこの状況に耐えられない」という感情に襲われました。
ちょうどその頃、コロナ禍で電通も業績的に厳しくなり、早期退職の募集がありました。先の計画はなかったものの早期退職に乗ったのが2021年12月のことです。妻も働いており子どももいないので、当面は働かなくても大丈夫な状況でした。

会社員として働いていた頃。
退職後、人と関わりが少なくなり、孤独に直面
サラリーマンとしての25年間のキャリアを終え、「何もない状態」のオジサンになり、解放された気持ちでいっぱいでした。最初の1年ぐらいは何もせず家にいるだけ。やりたいことはいっぱいあったのに「明日やればいいや」と先延ばしに。朝起きて、ごはんを食べて、ただひたすらダラダラと日々を過ごしていました。
しかしこの状態がだんだんと楽しくなくなってきます。家で話す相手は仕事をしている妻しかいません。忙しく働いている妻を見ていると、なぜか腹立たしくなるのです。これは、サラリーマン時代に他人と比較して自分がおいていかれると感じる焦燥感と同じ種類のものでした。精神的にも不安定になり、怒りっぽくなったり、夫婦の会話がなくなったりするようになりました。
自分が良くない方向に変わっていく感覚に「これはまずい」と気づき、「やはり人と関わった方がいいのではないか」と思い始めます。そして昔の仕事の縁を頼って、嫌でやめたはずの仕事を始めたのです。サラリーマンに戻る気はなかったので、開業届を出して個人事業主となりました。業務委託で会社に行かなくもよいので、サラリーマン時代のような苦痛はありません。この仕事は純粋な「ライスワーク」(生活のための仕事)と位置付け、精神的な健全さを保つためにも続けることにしたのです。
妻と元同僚の3人で「タノバ食堂」をスタート
個人事業主として再始動してから半年ほど経った頃、私と妻、ヤフー時代の元同僚の3人で食事をする機会がありました。その時、夫婦どちらかが先に死んだ後、残された一人がどうなるかといった将来の不安についての話が出ました。元同僚も独り身で、「いざという時に何を頼っていけばいいか、不安は常にある」という同じ気持ちを確認できました。この「孤独」「孤立」は、自分たちだけの問題ではなく、多くの人が感じているはず。これを解決する事業ができないか、会社を作ってみようかという話にまとまったのです。会社設立のもう一つの動機は、私自身が自分の会社を持ってみたいという気持ちからでした。社長経験はあっても「会社のもの」だったため、一から自分でやってみることで新しい経験を得たいと思ったのです。
2023年3月にTanoBa合同会社を設立しました。家でもない職場でもない他の場所、いわゆるサードプレイスがみんなの持ち物としてあると良い、というコンセプトを込めました。設立後、半年間は「孤独」という課題をどういう形で解決していくかを模索し続けました。そのうちある人から、フランスのNPO団体が自由価格制の食堂を運営していて、我々の考えと近いのではと教えてもらいました。紹介記事を読んでみると、確かに自分たちがやりたいこととリンクしていました。一方、日本とフランスでは文化が違うので、そのまま真似るのではなく、コンセプトを守りながら、仕組みを移植し、ローカライズして日本でやってみようと動き始めのです。こうして「タノバ食堂」が誕生しました。

参加者に伝えているタノバ食堂の憲章。
「孤独を予防する装置」としての食堂
最初は「孤独を予防する装置」として、地域社会の縁を回復させることをテーマにし、ゆるやかなつながりを生み出すことを目指しました。元同僚が自治会の理事をしていたので、高齢者の話などを聞く機会を持つ中で、地域のお寺と町内会につながりがあるという話を聞きました。そのお寺は東京・世田谷にあるお寺で、坐禅や法話を開催していたり、ヨガなどのイベントに会館を貸し出していたり、開いた存在でした。そこで住職にお会いしてタノバ食堂のコンセプトを説明し、「場所を貸してもらえないか」と交渉したところ、お寺の施設を貸していただいけることになったのです。
始めた頃は、タノバ食堂を知ってもらうために知り合いを呼び、その知り合いにまた別の人を呼んでもらうという口コミで認知を獲得していきました。その後、メディアに多く取り上げていただいたことで、認知度が一気に高まりました。地域の方々だけでなく遠方からわざわざ足を運んでもらえるようになり、毎月多くの方に来ていただいています。
食事の料金は自由価格制を採用しています。今まで25回実施して、赤字になった回もありますが、一度ごとの収支ではなくトータルで赤字にならなければ良いと考えています。毎月の収支はWebで公開しており、これは食堂を「みんなの財産」にしていきたいからです。
また運営で大切にしているのは、ボランティア料理人の皆さんとの関係性です。料理人の方々は、プロではありませんが、料理を作るという役割(30人分の料理を作る労働力や経験価値)を提供してくれています。その見返りとして、彼らの食事代は無料です。彼らに対して指示・命令するのではなく、自分のやっていることに意義を見出し、楽しんでもらうことを配慮しています。
運営の過程では試行錯誤もありました。当初、参加者同士が仲良くなれるように「自己紹介コーナー」を設けていました。しかし、いろんな方々から「緊張するから嫌だ」と非常に不評だったんです。私たちが強制的に結びつけようとしなくても、場がちゃんと成立すれば、人は勝手に繋がります。それ以来、私たちは一切介入せず、最初に挨拶と料理の説明をする以外は、参加者の皆さんに委ねています。
孤独でとても苦しんでおられる方に「食堂に来ればなんとかなりますよ」というつもりはありません。そのように望まない孤独・孤立の問題を抱えている方は、速やかに専門家を頼るべきだと思います。一方、孤独や孤立と言う問題は、他人事ではありません。いつ誰がそういう状態に陥ってもおかしくないので、そういう状態に陥らないように予防・メンテナンスすることが大切です。そのためにタノバ食堂があると思ってもらえると嬉しいです。望まない孤独や孤立の問題を考えるとき私たちは、ファネル(漏斗)をイメージしています。ボトムには医療があり、その上に福祉があって、その上にコミュニティが存在する。福祉と医療は専門家の領域であり、私たちはコミュニティの領域を担っている。コミュニティが機能すれば、結果として専門家に頼らざるを得ない人たちを減らすことができるかもしれない。今は幸いにも望まない孤独・孤立の状態にない人たちが集まり、そう言う状態にならないよう自分をメンテナンスする。そんなことを食堂を通じて体験していただければと考えています。
今後は、他地域での展開も模索しています。私たちが実践してきたノウハウやコミュニティの作り方を共有し、タノバ食堂という看板を上げて、さまざまな場所で同じ目的とコンセプト(孤独の予防、自由価格制、経済循環の成立)で運営されることが目標です。同じ目標に向かって、自分たちでもやってみたいという人がいれば、全国どこででも立ち上げてもらいたいです。

タノバ食堂では運営メンバーもボランティア料理人も一緒に席について食事をする。
自分を犠牲にしすぎず、男性が弱さを見せてもいい
タノバ食堂に来る人は女性の割合が多いのですが、男性のほうが孤独の問題は深刻ではないかと感じます。今後は特に男性の息苦しさや孤独をテーマにした活動もできないかと考えています。私と同世代の男性は、「本当は仕事があまり好きではないのがわかっているが、仕方なく続けている人が多いのではないか?」と思うことがあります。彼らは、組織の中でそれぞれの役割を演じ、効率化が求められる中で、いつしか自分を犠牲にすることに慣れすぎているのではないでしょうか。今私は、会社員時代の自分に向かって「自分を大事にしないと、人には優しくできないぞ」と言ってやりたいです。男性は、弱さを見せることを恐れ、常に競争し、自分を大きく見せなければならない環境にいます。「男らしく振るまえ」みたいな話はもうやめても良いのでは。50歳を超えたおじさんでも、泣きたいときだってある。そんなときは泣いたっていい。そういう余白が、今の社会には必要なのではないかと思うのです。
もし、今、仕事を辞めるかどうか迷っている人がいるなら、自分と利害関係のない誰かと話してみることは、新しい気づきを得るきっかけになるかもしれません。気持ちを外に出して言葉にすることで、自分自身の今を整理することにも繋がります。もちろん、会社を辞めるという決断は、簡単ではありませんし、誰にでもできることではないと思います。皆、それぞれに事情があります。お子さんの教育費や介護、その他さまざまな金銭的、家族的な制約があります。しかし、今の自分に納得できていないのであれば、自分が仕事を続けている理由を自分に問いかけてみるべきです。「なぜ続けているのか?」と。自分が犠牲になれば、いい。一見すると男らしさや強さを感じる言葉ですが、私は違和感を持ちます。自分を犠牲にしてはダメです。
現在地から、自分のキャリアを振り返ると、新しいことへの興味が強く、ルーチンになってしまうと飽きてしまう。だから会社員という生き方しか知らない間は、別の会社を探すという道を選んできました。でも、今はライスワークもやりながら、タノバ食堂の活動もやりながら、毎日色々な変化の中から次々と生まれてくる新しい課題に取り組んでいます。だから、飽きることがありません。タノバ食堂で向き合っているテーマは、孤独・孤立という抽象的で大きな課題です。そして、この問題は「自分ごと」でもあります。だから、この仕事は終わりがなく、一生飽きることがないかもしれない。そんな期待も持っています。
(取材・文/垣内栄)
*ライフシフト・ジャパンは、数多くのライフシフターのインタビューを通じて紡ぎだした「ライフシフトの法則」をフレームワークとして、一人ひとりが「100年ライフ」をポジティブに捉え、自分らしさを生かし、ワクワク楽しく生きていくためのワークショップ「LIFE SHIFT JOURNEY」(ライフシフト・ジャーニー)を個人の方及び企業研修として提供しています。詳細はこちらをご覧ください。
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