『55歳の教科書-坂の上の坂を生き抜くために 』(ちくま文庫)の著書もある藤原和博さんと、ライフシフト・ジャパン代表取締役CEO大野誠一の対談形式でお届けするオンラインセミナー「『60歳からの未来』を旅する6日間」。10月10日(日)午前10時からDAY4「希少性への旅路」が開催されました。以下、その概要をレポートします。DAY5「物語の紡ぎ方」は11月11 日(木)午前11時開催です。詳細・お申し込みはこちら(Peatix)をご覧ください。

 

■3歩目の大ジャンプで、自分の希少性を高める
佐藤(司会):みなさん、こんにちは。藤原和博さんが校長を務める「朝礼だけの学校」副校長の佐藤譲です。「『60歳からの未来』を旅する6日間」の4日目、本日のテーマは「希少性への旅路」です。今回も満席でお届けします。藤原さん、大野さん、よろしくお願いします。

藤原 前回は、60歳からのお金のマネジメントがテーマでした。夫婦2人の生活費はおおよそ月25万円、妻が専業主婦だった家庭の年金は月20万円。となると月5万円の赤字なので、それぐらいは稼ぎ続ける必要があるという話でしたね。ではどうすれば稼ぎ続けることができるのか。それが今日のテーマで、キーワードは「希少性」です。

最初に、「100万人に1人」という「希少性」を手に入れる知恵として、「3つのキャリアの大三角形を作る」という話をします。「100万人に1人の存在」というのは、オリンピック選手並みの希少性です。そんなこと自分にはとても無理、と思う人も多いかもしれませんが、今日の話を実践すれば、誰にでも可能です。

人は誰でも何事かに1万時間、つまり5年~10年を費やせば、100人に1人のマスターになれます。例えば20代で就職して経理に配属されて5年なり10年なりしっかり頑張った。そんな人、渋谷のスクランブル交差点で信号待ちしている100人の中に1人しかいません。そのあと、30代で財務に異動してさらに5年なり10年頑張ったとします。これでまた100人に1人の財務のマスターになれました。そして経理と財務がわかる、100分の1×100分の1の掛け算で、1万人に1人の希少性を手に入れることができます。

本日ご参加いただいている40代~50代のみなさんも、すでに何らか2つのスキルを身につけているはずです。営業と営業経理とか、広報と宣伝とか、人事と海外での経験とかですね。どうですか?でも肝心なのはここから。これからさらに新たな3つめのスキルを掛け算することで、100分の1×100分の1×100分の1で「100万人に1人」の希少性を手に入れることができるのです。

これが「キャリアの大三角形」の理論です。最初の1歩が左の軸足、次の1歩が右の軸足、そこを底辺にして、これからの一歩が三角形の頂点です。この三角形の大きさこそが、あなたの付加価値、希少性なので、3歩目はできるだけ大きく、遠くへジャンプしたいところです。

ではどこにジャンプしたらいいのか。これはあれこれ迷います。これでもない、あれでもないと迷いながら、見つけていけばいい。僕の場合も左の軸足は、リクルートで最初に放り込まれた営業部での経験、右の軸足はその後のマネジメントの経験です。そして3歩目は37歳からあれこれ迷い、失敗もして、そして47歳で東京都で義務教育初の民間校長という大ジャンプをしました。その結果、大きな希少性を手に入れることができたのです。

 ■「キャリアの大三角形」×「志」のピラミッドが完成形

藤原 大きなキャリアの大三角形ができたら、その先は大三角形を底面にして、3D化(立体化)していくことを考えるといいでしょう。高さを出して三角錐(ピラミッド)を作るイメージです。三角錐の高さは、美意識、志、哲学といったもので、それに説得力があったり、社会的意義が高かったりすると、多くの人から支持を得ることができます。つまりその三角錐の体積は信用(クレジット)、他者から寄せられる信任の総量です。信頼と共感の関数でもあります。「60歳からの未来」は、このクレジットの一部を切り出して報酬化していくのだと思います。例えばクレジットが1億円あっても報酬を1500万円しか得ていない人は、人生に余裕があって人も寄ってくる。何か新しいことにも挑戦できます。一方で信用が1500万円しかないのに、1500万円の報酬を得ていたら、人生に余裕がなくアップアップで、あまり近づきたくない人になってしまうので要注意です。

さて、いかに3歩目の大ジャンプが重要かという話をしてきましたが、僕からのプレゼンテーションの最後に3歩目を踏み出すうえでのコツを紹介しましょう。

①自分を安売りせよ:できるかどうかわからない領域に一歩踏み出すことで自分に付加価値をつけていくので報酬にはこだわらない。研修費を払ってもいいぐらいのところを、給料をもらいながらやるので、転職にしても、副業にしても、異動にしても、自分を安売りする覚悟が大事。
②女将になろう:ピラミットの上から権力をふるうのではなく、衛星のようなイメージで人を引き付けるリーダーシップの方が向いている人もいる。
③第1号になろう:第1号にはいろいろなベネフィットがある。第1号は話題になり、みんなを味方につけることができる。
④地方の公的組織を狙え:地方では、民間でやっていた人を求めている。地域の活性化を担うという一歩もある。
⑤地道にファンを増やす:インターネットなど使って地道にファンを増やす。それが信任の総量を増やすことになる。
⑥最後は起業せよ:億単位の資金が必要な起業ではなく、自分の好きの延長で、自分だけの屋台を引こう。

以上が僕からのプレゼンテーションです。続いて大野さんから実例を紹介してもらいましょう。

■「60歳からの未来」の自分なりのテーマを見つけることが重要

大野 藤原さんの話を聞いて、そうはいってもこの年齢で大ジャンプは無理…と思った方もいるかもしれません。けれどもそんなことはありません。50歳から「希少性」への旅路を始めた実例をこれからいくつかご紹介します。

◎55歳で早期退職、ベトナムで活躍する中田敏行さん

中田さんのキャリアの1歩目は、新卒で入ったソニーの製造部門。20年間の経験を通じて品質管理のプロフェッショナルになります。2歩目は、47歳での中国駐在。新設された工場で品質保証マネージャーとして海外ビジネスを経験します。またこの8年間の駐在期間中に、中国人スタッフにボランティアで日本語を教えていたことから、定年後は日本語教師になりたいという夢を抱くようになりました。そして55歳のときに早期退職に手を挙げ、3歩目を踏み出します。

退職時に目指していたのは、海外のどこかに日本語学校を設立すること。しかし日本語教師の専門技術を1年間学んだのちに、4年間にわたってアルゼンチン、スペイン、トルコ、ハンガリー、ミャンマーと各国に住みながらチャンスを模索したものの、日本語学校の設立は市場性を見いだせず断念。一方で、ソニー時代の経験を生かした新興国での技術指導にニーズ(自分の希少性)があることに気づきます。現在はベトナムに定住し、技術指導・経営顧問として活躍しながら、日本語のプライベートレッスンも手がけています。

◎53歳で新潟へ移住、農業を始めた手塚貴子さん

手塚さんのキャリアの1歩目は、広告代理店での営業の仕事でした。やりがいはあったものの、出世するのは男性だけという社風に疑問を感じ、37歳で退職。キャリアの2歩目として、これまでの経験をいかしてPR会社を起業します。仕事は順調で、ベイエリアにマンションも購入し、夢がかなったように思いました。しかし50歳を前に、ローンの返済と老後資金のためだけに働いている自分に疑問を持つようになります。後半人生、自分が本当にやりたいことは何か。自問自答の末にたどり着いたのが「田舎に住みたい」という思いでした。

手塚さんは新潟で農業をするという大ジャンプをしました。51歳で東京との2拠点生活を始め、3年後に完全移住。稲作を始めたものの、都会育ちの手塚さんは用水路に落ちてろっ骨を3本折るなど苦労を重ねます。そして、農業の大変さ、大切さを都会の人に知ってほしいというテーマを見つけます。現在では、これまでの経験を活かし、「作る人と食べる人」をつなぐ情報誌を創刊するとともに、新潟県の6次産業化プランナーにも就任して、活躍しています。

◎47歳でブドウ農家にジャンプした中村大祐さん

中村さんは、新卒で入社した会社でSEと人材育成という2つのキャリアを経験。時間的に全く余裕のない生活に疑問を感じ、昔から持っていた「いつかは自然豊かなところで暮らしたい」という憧れを思い出します。47歳の時、「人生の夏休み」と称して会社を退職。ワインナリー創設を目指して1年間学び、現在はブドウ農家として経験を積んでいるところです。

◎65歳で保育士になった高田勇紀夫さん

高田さんは、日本IBMでSEや営業など様々なキャリアを経験。退職後はコンピューターではなく人にかかわる仕事をしたいと模索を続け、62歳のときに新聞で待機児童問題を知ります。ここから猛勉強をして、65歳で保育士に大ジャンプをしました。この大ジャンプは、「第一号」だったのだと思います。『じいじ、65歳で保育士になったよ』(幻冬舎)という書籍も出版されるなど、話題になりました。

さて、いろいろなジャンプのしかたがあることをご紹介しましたが、「50歳からの希少性の旅路」で大事なことを5つまとめます。
①まず「60歳からの未来」の自分なりのテーマを見つけること。定年後の30年、40年といった長い時間を、自分は何に使っていくのか。それを見つけることが第一歩。
②藤原さんの「キャリアの大三角形」理論にあったように、今までのビジネス経験は必ず活かせる。
③考えるよりも、とにかくやってみる。何か行動している中で発見がある。
④Learing&Transitioning。常に学び続けて変わり続ける。
⑤人生は長い。何かを始めるには遅すぎることはない。

以上が私からの事例紹介です。

■目指すのは「ウルトラニッチ」。すごい人より変な人

藤原 ありがとうございます。話を聞いていると、自分の人生への疑問から3歩目が始まるケースが多いですね。もしくは自分自身の体調不良や、会社の業績悪化とか、黒船ライクなことが起こったときがチャンスなのかもしれません。

僕の『100万人の1人の存在になる方法』(ダイヤモンド社)の中でもたくさんの事例を紹介していますが、例えばおしゃれなコミュニティスペースを展開しているグッドモーニングス株式会社の代表・水代優さんの場合、大学を中退してバーテンダーをしたのちに就職した会社の業績悪化が3歩目のジャンプのきっかけでした。「夢雀(むじゃく)」という世界の5つ星ホテルで飲まれている最高級の日本酒を造っている松浦奈津子さんは、もともとはフリーペーパーのライターでした。結婚後は専業主婦になったものの、離婚、無職、借金と経験して、「夢雀」にたどり着きます。このように、3歩目に大ジャンプしている人は、たいていその前に膝を落とすような経験をしているんですね。

それから、3歩目を見つける1つの方法に、自分の「好き」からニッチなところに向かっていくという戦略があります。僕の友人の川内イオさんが書いた『ウルトラニッチ』(Freee出版)の中には、例えば動物専門の義肢装具士、日本でたった一人の一刀彫のスプーン作家、廃材野菜からクレヨンを造っている人など、最狭のスモールビジネスで希少性を獲得した人たちが紹介されています。まさに「オタクに戻ろう」という世界ですが、1万時間をかければマスターになれるわけですから、70歳からでも遅くはない。僕の新刊「60歳からの教科書 お金・家族・死のルール」(朝日新書)の推薦文で、ひろゆきさんが「会社員ではない生き方が30年続く時代ですよー」と書いてくれているように、時間はたっぷりあります。

大野 「ウルトラニッチ」、すごく良いですね。60歳からの未来は、経済的な成功という視点ではなく、自分の楽しみ、自分の喜びが大事で、そこに希少性があるのだと思います。目指すのは、すごい人ではなく変な人。すごい人を真似していると、どんどん一般化してしまって、自分を見失ってしまうだけです。

藤原 僕たちの世代は、「末は博士か大臣か」「社長を目指すのが当たり前」と刷り込まれているので、45歳ぐらいからその刷り込みを消していかなきゃいけない。ニッチなビジネスが次々と生まれてくるような社会のほうが、ずっと豊かで楽しいはずです。月5万円稼げばいいのですから、1日2000円おひねりが来る芸人みたいな人が出てきたりしてね。副業からはじめるのもいいですよね。

大野 そうですね。副業は「稼ぐ」と考えると時間の切り売りになってしまうけれど、「新しいコミュニティに入っていく」と考えると、いろいろなつながりができて、チャンスも生まれそうです。

藤原 ありがとうございました。では次回の予告です。人生は八ヶ岳型で、山あり谷あり。そして人は成功物語より、挫折の物語を聞きたくなるもの。ですからこの谷の時期を面白おかしく物語にしていくことが、あなたの武器になるという話です。11月11日(木)11時からのDay5「物語の紡ぎ方」、どうぞお楽しみに。