NHKのプロデューサーとして紅白歌合戦などのテレビ番組を担当していた大西健太郎さん。33歳のときに三浦半島の海を見渡す物件に一目ぼれし、セカンドハウスとして購入しました。平日は東京、週末は三浦で過ごす生活を20年間続け、54歳で早期退職。セカンドハウスに妻と一緒に完全移住を果たします。退職前から計画していたたこ焼き店「pulu pulu pulpo!(プルプルプルポ)」を開業しましたが、たこ焼きを作るスキルは2日間の研修だけで身に付けました。週4日、短時間の営業で、大好きなお酒を楽しむ時間を確保しています。好きな場所で好きなことを仕事にする夢を実現させた大西さんのライフシフトをうかがいました。
大西健太郎さん(NO.131)
■1969年神奈川県生まれ。大学卒業後、NHKに就職し、プロデューサーとして紅白歌合戦などの番組制作を担当。2002年に三浦半島にセカンドハウスを購入し、月2回は三浦で過ごす生活を20年間続ける。2023年に早期退職し、セカンドハウスに移住。同年12月、三崎港にたこ焼き店「pulu pulu pulpo!(プルプルプルポ)」を開業。
■家族:妻
■座右の銘: 深呼吸して丁寧に感謝
NHKで紅白歌合戦の番組制作を担当
もともと音楽が好きで、学生時代は吹奏楽やバンド活動をしていました。そのため「音楽に関わる仕事に就きたい」という思いがあり、就職先は漠然とレコード会社を考えていたのです。しかし、同じ大学に通っていた友人から誘われてNHKの就職説明会に行ってみると、「NHKで番組を作ってみたい」と強く思いました。ディレクターの方が話すテレビ番組で音楽を取り上げることの面白さに感動し、「レコード会社でなくとも音楽に関わる仕事ができるんだ」と気づいたのです。
希望通りNHKに入局することができ、エンターテインメント番組を制作する部署に配属されました。この部署は一年中、大晦日の「紅白歌合戦」に向けて動いているような部署で、私は1年目から紅白に関わらせてもらいました。途中、鹿児島局と札幌局に転勤しましたが、東京にいる間は、ほとんど紅白歌合戦に関わる部署にいたことになります。
アシスタント、ディレクターとして現場を担当した後、プロデューサーという立場になり、仕事自体はとても楽しかったです。一方で役職が上がるにつれて責任も増し、ストレスも強くなっていきました。退職前は血圧が140台あったのですが、辞めてからは120台に下がったことが、ストレスの強さを物語っていると思います。

ディレクター職だった35歳のとき。2005年、NHKホールで紅白歌合戦の舞台監督を務めた。
33歳のとき三浦半島にセカンドハウスを購入
そんなストレスを癒してくれたのが、大好きなお酒と三浦半島に購入したセカンドハウスでした。私は神奈川の茅ヶ崎で生まれましたが、3歳のときに親の転勤で引っ越し、小・中・高校は広島で育ちました。だからこそ、物心つく前に離れてしまった湘南への憧れをずっと持っていたのです。とくに私たちの世代はサザンオールスターズを聞いて育ち、いつかは生まれた場所でもある相模湾沿いに住みたいと思っていました。
セカンドハウスを購入したのは2002年、33歳のときです。2001年頃から相模湾沿いの不動産屋に「海に面している物件を探している」と尋ね回っていました。するとある日、不動産屋から今の家を紹介されたのです。相模湾が目の前に広がる絶景で、一目ぼれでした。鎌倉や葉山では1億円を超えるような物件が多い中、手が届く価格だったのも魅力でした。さらにその家は日本映画界を支えた昭和の大女優・田中絹代さんがご自身の家として建てられたという歴史もあったのです。残念ながら田中絹代さんは完成前に亡くなられたそうですが、親族の方がずっと持っていらっしゃって売りに出されていました。
とはいえ1970年代の建築で、当時でも築30年以上が経っており、この先もずっと住み続けられるかどうかは気になりました。そこで建築士の友人にチェックしてもらうと、「ロケーションが気に入ったならいいんじゃない」と太鼓判を押してくれたんです。妻も賛成だったので、購入し、半年ほどかけてリフォームしました。海に面した側にあった壁を全面窓にして、開放的な景色を楽しめるようになりました。それからは東京に住みながら、月に2回ほど妻と一緒に三浦に訪れるという生活を20年間続けることになったのです。田中絹代さんの自伝を読むと、この家を作られときのエピソードも書かれており、「この家を受け継いで、守っていかなくてはいけない」という思いもありました。

まさに目の前が海。月に2回は通ってこの景色に癒された。
54歳で早期退職し完全移住へ
東京から三浦に行くたびに地元のお店で飲んでいましたが、お店も料理も集う人も素晴らしく、知り合いも増えていきました。「いずれは完全移住して、お店を持ちたい」という夢も芽生えてきました。そして、お店をするならたこ焼き店だという気持ちが固まってきたのです。もともとたこ焼きが好きで、都内で食べ歩きをするのが趣味でした。また、自分は手先が器用ではありませんが、たこ焼きだったら自分でも作れるかも(今は甘い考えだと痛感していますが)とも思いました。とはいえふだんは仕事に忙殺され、移住&開業をいつ行うか、具体的な計画は30~40代のときはまだ見えていませんでした。
たこ焼き店の開業を真剣に考え、自分なりの収支計画を立てたのは、2019年に3度目の転勤の話が出たことがきっかけでした。妻は今は医療福祉系の訪問介護やグループホームの代表をしていますが、以前は看護師として働いていました。私の鹿児島、札幌への転勤の際にはついてきてくれましたが、これ以上、転勤で妻を振り回すことはできません。そのため上司に「転勤はできません。転勤するくらいなら辞めてもいいです」と伝えたのです。ここからより具体的に第2の人生を考えるようになっていきました。
気持ちがはっきりと決まったのは、2021年にNHKが早期退職者を募集したタイミングでした。そこに応募し、2023年、ちょうど勤続30年というタイミングで退職しました。54歳のときです。不満があって会社を辞めたというよりは「仕事はやりきった」と感じており、「30年間ありがとうございました」という気持ちでいっぱいでした。
私たち夫婦は独立採算制のような家計だったこともあり、早期退職することに妻の反対はなかったです。ただ妻は都内で勤務していたため、三浦の家からだと往復5時間かかります。それでも妻も完全移住することに賛成してくれ、その代わり、私が家事をメインで担当し、最寄り駅まで妻を送り迎えするという体制で暮らすことになりました。いずれは妻も家の近くで仕事ができればと考えているようです。

相模湾に沈む夕日を眺めながらホームパーティ。
2日間の研修を経て三崎港でたこ焼き店を開業
たこ焼き店をオープンした場所は、うちからは車で10分ほどの三崎港です。観光客も多く訪れるエリアで、美味しいお店がたくさんありますが、たこ焼き店はありませんでした。ここでたこ焼き店をやれば、町を盛り上げることにも貢献できるのではという思いもありました。
開業にあたっては、どこかのたこ焼き店で修行が必要だろうと思っていました。調べていたところ「たこやきに命をかけている」という、大阪でたこ焼き粉を製造している会社の社長を見つけました。その方は、自家製のたこ焼き粉を使ってたこ焼き店を始めたい人には焼き方を教えていたのです。しかもそこの研修はたったの2日間です。2日間で美味しいたこ焼きが焼けるようになるとのことで、「これだ!」と思い、さっそく社長に連絡を取りました。すると、たこ焼き粉を送ってくれ、「自分で作ってみて美味しかったら連絡してください」と言われました。実際に作って食べてみると、本当に美味しいのです。社長は、外も中もふわふわで、とろとろの大阪らしい食感のたこ焼きを目指しており、冷めても美味しいというこだわりを持って研究していました。私もふわとろ系のたこ焼きが好きだったので、その味に感動して「ぜひ教えてほしい」とお願いしました。
大阪での2日間の研修では、1600個ものたこ焼きを焼きました。焼き方を徹底的に教えてもらい、2日目にはたこ焼きにソースやマヨネーズを塗って、お客さんに無料で配布するのです。たった2日間でしたが、美味しいたこ焼きを作って売ることへの自信がつきました。
店舗の場所は私が20年間通ってきた三崎港の鮮魚店「まるいち食堂」の女将さんが紹介してくれました。不動産屋に訪ねてもなかなか良い物件に出会えなかったのですが、女将さんが長年使われていないクリーニング店の持ち主を紹介してくれたのです。家のリフォームも依頼した工務店に「たこ焼き店をやりたい」と相談すると、面白がってリフォームを引き受けてくれました。2023年の7月にたこ焼きの研修を受け、9月物件を契約、12月にオープンという短期間で開業できたのは、もともと地元の人たちとのつながりがあったことが大きかったと思います。
開業資金は500万円で、銀行から借り入れず、自己資金でまかないました。ただ元がクリーニング店だったので、水道やガスが飲食店仕様にはなっておらず、その工事だけで300万円ほどかかり、想定以上にお金はかかりました。たこ焼きの研修を受けた時点では、まだ引き返すこともできましたが、物件が決まり、工事が始まると、「もうやるしかない」という気持ちになりました。不安が全くなかったわけではありません。ただ「なんとかなるだろう」と思えたのは、これまで仕事でたくさんのトラブルを乗り越えてきた経験のおかげかもしれません。

お店は通い詰めた鮮魚店「まるいち食堂」の2軒隣り
お客さんが来ない日は落ち込むが黒字で運営
お店の名前は「pulu pulu pulpo!」です。店名の候補をいろいろ考えていたのですが、妻がひらめいたこの名前で即決でした。スペイン語で「プルポ」はタコという意味で、外も中もふわふわでとろとろの食感が“プルプル”という表現にぴったりです。たこ焼き店っぽくない、かわいい名前なのも気に入っています。お店は木・金・土・日の週4日間の営業です。それ以外の日は基本的に休みで、東京に通勤している妻の駅までの送り迎えや、最低限の家事とのバランスを考えて決めたものです。
営業時間は、木・金が11時半から16時、土・日が11時半から14時半です。木・金は店を終えて片付け、家に帰って夕食の準備をして妻を迎えに行くことを考えると16時がギリギリなんです。土日は、私と妻の共通の趣味が「お酒を飲むこと」なので、一刻も早く家や三崎の素晴らしいお店で飲みたいという理由で短くしました。それでも人件費を考えなければ赤字にはならず運営できています。もちろんNHK時代の収入とは比べものにならないですが、ストレスが減り、血圧も下がって、非常に幸せです。自分のペースで、好きなことを仕事にできていることに感謝しています。売上で開業資金を回収できるまで何年かかるか分かりませんが、長く続けることを目標にしているので、赤字にならない限りはやっていけると考えています。

お店で出している自慢のぷるぷる、とろとろのたこ焼き。
ただお店をやっていると、お客さんが来ないのが一番つらいことだとつくづく実感します。特に平日はお客さんが多いときと少ないときの波があり、暇な日が続くと、心が弱くなります。周辺でイベントのある日は非常に忙しいのですが、通常の日や特に暑い夏場は客足が鈍りがちです。私の座右の銘は「深呼吸して丁寧に感謝」ですが、お客さんが来ない日はこの言葉を思い出して深呼吸するようにしています。これからどういう形で最適に営業していくかは、トライアンドエラーの積み重ねで考えていくしかないですね。
「会社を辞めてお店をやってみたい」と考えている方もいらっしゃると思います。私は2日間の研修でスキルを身に付け、開業資金も必要最小限に抑えました。うまくいかなかった場合のダメージを少なくするためにも、新しい事業は「小さく始めること」が大切だと思います。自分一人で始められる規模で、スタッフを雇わないほうがリスクは少ないでしょう。また、経験がないことでも、とりあえずやってみて、やりながらスキルを磨いていけばいいと思います。最悪のシナリオも見据えながら、自分の気持ちの「やりたい度」を高められること、冷静さと情熱がお店づくりには大切だと思います。
将来的な目標はとにかくこのたこ焼き店を長く続けることです。たこ焼きバーのように、街の人がたこ焼きとビールを片手に気軽に喋りに来てくれるような場所にしていきたいという夢もあります。人生100年時代と言われる中、私もあと40年生きる可能性があります。NHKで30年働いたように、たこ焼き店も30年続けたいと思っています。そのためには健康でいなければなりませんが、今のところ健康診断でも問題はなく、このまま飲み散らかして生きていければうれしいですね(笑)。

三崎で知り合ったヨットマンの方にお招きを受けて、夕景の諸磯湾で乾杯。
取材・文/垣内栄
*ライフシフト・ジャパンは、数多くのライフシフターのインタビューを通じて紡ぎだした「ライフシフトの法則」をフレームワークとして、一人ひとりが「100年ライフ」をポジティブに捉え、自分らしさを生かし、ワクワク楽しく生きていくためのワークショップ「LIFE SHIFT JOURNEY」(ライフシフト・ジャーニー)を個人の方及び企業研修として提供しています。詳細はこちらをご覧ください。
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